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五十九話 冬

 

 しんしんと、氷の綿が灰色の空を舞う。


 モシニクス失陥後に訪れた秋からも幾月か経ち、今やナリカラもすっかり冬に覆われている。

 銀世界と化したリオニの町、その中心に聳える城の一室にて、外の世界と同じくらい白い肌をした青年が、暖炉の前に両手を火に(かざ)して座り込んでいた。赤と黒の二色が入り混じった薪が時折ぱちっと爆ぜた音を立てる。


 火に当たる青年、イルムは溜息を一つ吐くと視線を左手側に落とした。細かな刺繍が縫い込まれた絨毯の上に、羊皮紙が複数枚置かれている。

 彼は視線を暖炉の火へ戻し、羊皮紙の内容を(そら)んじた。


「先週の凍死者合計は二百七十二名、餓死者百十六名、か。ばたばた死んでいくや」


 冬は美しい雪景色を見せてくれる季節だが、雪と共に容赦なく死を降らせる酷薄な時季でもある。

 イルムの側にある羊皮紙の書類は全て、冬に入ってからのナリカラ北西部及び中央部での死亡者についてのものであった。


 教会の埋葬記録を元に死因も記載されたそれらからは、冷夏によって麦を中心に作物の収穫量が落ち込んだ事と長引く内乱の影響により、多くの人々が十分な備蓄を確保出来なかった事を示している。


 そして、ナリカラ軍や敵軍が過去に通過した事のある集落や地域に、死者が集中している事も資料から窺えた。

 軍に物資を搾り取られ、或いは奪われ焼かれて困窮する事になった人々の果てが、寒空の下に倒れた彼らである。


 つまり、多くの死者が出た責任の一端はイルムにのし重なっていた。


「……」


 座り込んで暖を取り続けるイルムは、無表情で薪から仄かに上がる火を眺める。やがてぽつりと呟いた。


「あんまり死んでもらうのは困るなぁ。春になったら色々とやりたい事があるのに、税収が減るのは困る」


 その時、扉が勢いよく開く。突然の入室者はエルガであった。


「え? どうしたの?」

「……何か腹の立つ言葉が聞こえた気がしてな」


 僅かに彼女の瞳の鋭さが増す。後ろ手に扉を閉めようとしたが、背中から黒肌のマンデ人官吏に声を掛けられた事で中断した。


「何だ?」

「監察局より報告が、横領が発生しました。秋の初めに入った新入りです」

「なるほど、鉱山送りだ」


 彼女は報告に対して冷たくそう宣告する。


「監察局として新人官吏は業務に当たらせる前に、先ず鉱山見学をさせる事を真剣に検討しておくか、先輩方が()()()()()()()()()()様子を新人に見せてやれば抑止効果も出るだろう」

「確かに。それともう一つ、その鉱山で働く文官の内の二名が倒れ、一名が事故死しました」


 二つ目の報告を受けたエルガは、珍しく戯けた口調で喋り出した。


「おやおや、倒れるまで働くとは勤勉な事だ。そして事故死した者は大方、例の無駄に自尊心が強かった御仁ではないかな?」

「御明察、現場では度々指示に従おうとしない姿が目撃されています。そんな御方が鉱山で()()()するのも(むべ)なるかな、ですな」


 そうマンデ人官吏も、口を皮肉げに歪めて言う。

 二人の言葉や口調から不穏な気配を感じ取ったイルムは、口を挟むどころか何も聞かなかった事にした。


 黒人官吏が報告を終えてその場を去ると、エルガはイルムへと向き直って暖炉の近くに寄り、絨毯の上に腰を下ろす。


「そういえば、例の“盾税”はどうなっているんだ?」

「軍役代納金? それが……出兵の代わりに戦士一人を基準にした税を課したいと布告したんだけど、金が無いっていう返事が多くて……」


 人間諸国の盾税こと軍役代納金を参考に、戦士に対して金納と引き換えに軍役を免除する新たな制度がナリカラに導入されたが、これが思うようにはいっていなかった。


「ある程度は代納金が入って資金が得られたけれど、それで用意出来る兵は民兵二、三百程でしかない。オルベラ氏族三百余と合わせても六百いくかどうかじゃ、北東部の奪還は難しいね。コブラナイのお陰で装備は揃って来ているのに、歯痒いよ」


 鉱業集団コブラナイから供給されている錫と銅によって、リオニでの青銅製武具の生産は軌道に乗っている。

 これにより、燃料費が莫大に掛かる割に質が低い鉄よりも、比較的低コストの青銅製武具が、ナリカラ軍の標準装備となりつつあった。


 青銅製の兜を被り、右手には青銅の穂先を持つ槍を、左手には木製の盾を構えるのが一般的なナリカラ軍歩兵だ。

 それとは別に盾を持たない長槍兵も主戦力となっている事もあって、(あたか)も鉄器普及以前の古代の軍勢である。練度や統率力は古代軍とは比ぶべくもないが。


「まぁ、来年の初夏の頃にはずっと進めていた開墾の成果も出てくる。本当は土を肥えさせる為に、家畜を放牧しつつ数年置いた方が良いらしいけれど、余裕が無いから秋に灰を撒いて土作りをさせて荒地に強い黒麦を蒔かせた。収穫量が少なくなるのは覚悟の上、とにかく早く大軍を揃えて一気に勝負を決めないと」

「黒麦か、税としての小麦ではなく、兵糧優先という事なんだな」

「そう、他国と貿易が活発に行われているわけじゃないから、兵糧を買う資金より兵糧自体を作らなきゃ」


 来年の事を語るイルムだったが、ふとエルガが話の方向を変える。


「税といえば、教会を介した徴税はそこそこ順調の様だな」


 以前にイルムとエルガは、徴税請負人による税の徴収から現地教会の神品が税を集め、徴税所で管理する方法に改めていた。

 神品が税を徴収する事で民衆の納税に対する抵抗感を軽減させる一方で、神品による横領を防ぐ為に一度徴税所に集められ、監察局で“教育”された役人によって管理されている。


「うん、神品は教養深い知識人でもあるから役人としても申し分無い。戸籍管理と徴収は教会、徴収後は総督府と上手く役割分担出来た。相変わらず人手は不足がちだけれど、財政は好転してるよ」


 イルムの言葉通り、総督府による徴税が進んだ事で財政状況は大きく改善された。軍事面を除いて。


「ただ行政の方は大丈夫でも、やっぱり軍事費がねぇ……鉄に比べれば青銅製武具は安いもんだけれど数を揃えると……おまけに食料品の価格高騰が長期間続くのが容易に予想出来るから費用が(かさ)む嵩む」


 顔を顰める彼に、エルガが常に崩さない沈着な態度で諭す。


「焦っても仕様がない、初夏の収穫期を迎えれば解決する事だ。それに北東部を奪還するつもりなら彼の地を占有する旧プロシアン氏族を調略すれば良いんじゃないのか」


 オルベラ氏族の本拠であるナリカラ北東部は、ザリャン氏族に着いた赤帽子(レッドキャップ)に蹂躙された後、北東部と南東部の間に存在していた勢力の一つ、旧プロシアン氏族の軍が駐屯していた。

 ザリャン氏族はオルベラ氏族に攻め入るついでにプロシアン氏族を攻め滅ぼし、隷属させている。


 その為やりようによっては、ザリャン氏族に思う所がある筈の旧プロシアン氏族を総督府側に引き込める可能性が十分にあった。


「氏族として再興させ領地を安堵すると約束すれば、味方に出来そうだが」

「それが芳しくない返事でね……どうも赤帽子(レッドキャップ)が怖いみたい」


 赤帽子(レッドキャップ)はナリカラ中央部と東部を隔てる小山脈にある本拠地に戻っているが、そこは旧プロシアン氏族の領域や北東部とはあまり離れてはいない。

 寝返った途端に赤帽子(レッドキャップ)が雪崩れ込んで来るかもしれないと、彼らは恐れているのだろう。


「なるほど、となると結局戦力が整うまでは迂闊に動けないか」

「うん、まぁどちらにしろ何か起きるなら雪が溶けてからだろうし、冬は寒さを凌ぎながら過ごす以外無いね」


 イルムは顔をエルガから暖炉の火に向けた。エルガもぱちりと音を立てる薪を見遣る。


 しばらくの間、二人は無言で火を見つめていたが、やがてイルムが小さく言葉を紡いだ。


「その……業務も落ち着いてるし、せっかくだから出掛けない?」


 エルガは首を回して声の方を向く。病人を思わせる色素の薄い横顔、その鼻と頬に寒さによるものとは別の赤が見て取れた。

 彼女は顔と視線を向けたが、唇は微動だにしない。イルムは薪とエルガへ忙しなく目を交互に動かす。


「支払いは勿論僕が」

「ならヒンカリという肉包みが食いたい、酒のツマミに良いと聞いた。鶏肉卵汁(チヒルトゥマ)付きで」


 常の表情のままなエルガの答えにイルムは、ぱっと顔を輝かせた。


「じゃあそれで!」


 寒風吹き荒ぶ外の空気とは真逆な空気が、部屋に満ちる。



 しかしその一方で、室内の様子をずっと窺っていた女屍食鬼(グーラ)は呆れ一色であった。


「違うんですよねー……期待してたのはそうじゃない……」


 扉に耳を押し付けていたアミネが、大きく溜息を吐く。その白い息はぶわっと広がり、そして冷えた空気の中に消えた。


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