五十八話 冬に向けて
「で、どういう事か説明して貰おうか」
黒に近い程濃い茶色の髪を流し、鷲の気高さを感じさせる瞳をした人間の女性、ナリカラ総督顧問官エルガが、仁王立ちでそう冷たく言い放った。
彼女の前ではイルムが、平身低頭で平伏している。
「ははっ! つ、謹んで御報告申し上げます」
全身から冷や汗を噴き出させたナリカラ総督は、震えた声で報告を始めた。
ティラズムに軍才が無い事が判明した後、イルムが全軍の指揮を執る事となった。
が、それでも大まかな方針や諸将の配置を指示する程度で、依然としてエグリシ氏族諸侯は指揮権を渡さず、結局中途半端なままである。
指揮権を渡せば二度と返っては来ない。そう諸侯は思っているし、事実イルムもそのまま軍権を総督府の物にしてしまうつもりなので、諸侯の懸念は的中している。
――オルベラ氏族の消耗を抑えつつ活用する為に下士官、つまり部隊長として分散させて、諸侯の兵を手足の如く動かすっていうのを考えてたんだけどなぁ。
このイルムの構想も虚しく空振りに終わり、諸将の現場判断で戦ったモシニクス攻防戦であったが、ザリャン氏族軍側も事情は大して変わらない。
ただし、軍組織の差はほとんど無くとも、イルムと敵総大将カルスの手元にある直轄戦力の差が、戦局に大きく影響した。
当初はモシニクス城持ち前の堅牢な防御により、ザリャン氏族軍の攻撃を跳ね返し続ける。投石機が投入された時も、ナリカラ軍は然程動揺もしなかった。
ゴブリンの王子ティラズムによる揺さぶりは失敗に終わったが、元々おまけのつもりで行った事である。さして問題は無かった。
だが、ザリャン氏族軍の攻撃に紛れて行われていた坑道作戦への対応は遅れてしまう。
致命的な程に。
敵の坑道が迫っている事に気付いた頃には、対抗道を掘る余裕は無く、慌てて予備戦力が現場の守備に急行した。
尚、この時イルムはオルベラ氏族の投入を躊躇い、リオニ民兵を向かわせている。
しかし、時すでに遅し。
八ヶ所から侵入を図った敵は、目的地点を誤った二ヶ所を除いて何の妨害も無く城内に到達。駆け付けたリオニ民兵と衝突する。
内部に敵が侵入したという情報がナリカラ軍全体に伝わると、ナリカラ軍は大いに動揺した。更に四百のリオニ民兵では複数箇所から侵入する敵に対応仕切れず、迎撃に失敗してしまう。
これに動転したイルムはドモヴォーイとオルベラ氏族を送り込むが、ドモヴォーイの魔法や魔術はモシニクス城と相性が悪かった。
そもそもドモヴォーイが城壁からの防衛射撃に参加しなかったのも、細い矢狭間から火の魔法を撃ち出す事が出来なかったからだ。
おまけに城内は狭い通路が入り組み、無闇に魔法や魔術を行使すれば味方や自分達にまで被害を及ぼし兼ねない。
事実、侵入したザリャン氏族軍を焼き払うべくドモヴォーイが火を放つと、大損害を与えた一方で城内に火災を発生させてしまっている。
モシニクス城内は大混乱となり、城壁を始めとする堅牢な防御も崩壊。ザリャン氏族軍がとどめの総攻撃を開始したのを見て、イルムは全軍に退避を命令。
ナリカラ軍は城に火を放ちながら脱出した。エグリシ氏族諸侯軍は長くモシニクス城に駐留していた為、内部構造をよく把握しており順調に脱出。
オルベラ氏族やリオニ民兵といったイルム率いる軍は、援兵としてモシニクス城に入ったが故に城内には疎かったが、案内も付けて優先的に退避を行い、何とか逃げ遅れる事は避けられる。
しかし、敵の追撃は予想を上回るものだった。
事前に城の背面へ回り込もうとしていたのか、数百人規模の敵が突然出現したのである。
何故か馬上のティラズム目掛けて、敵兵が集中して突っ込んで来たが、ドモヴォーイがここぞとばかりに火の魔法と魔術を乱発、強力な打撃を与えて撃退した。
そうして何とか追撃を振り切り、複数の集落や小城を経由してリオニに辿り着いたのが先日の事。
翌朝、朝餉を済ませてすぐにエルガから執務室へ呼び出され、現在に至る。
リオニ城に掲げられている、黒地に斜め交差の赤十字が描かれたナリカラ軍旗は、どれも力無くだらりと垂れ下がっていた。今のナリカラ軍の状態は正に軍旗と同じ様なものである。
ナリカラ中南部の最大拠点だったモシニクス城を失い、ナリカラ軍は戦線の後退を余儀無くされた。
モシニクス城と共に防衛線を担っていた他の諸城には、包囲される様であれば事前に放棄して、リオニへ退却する様にとの命令が下されている。
事実上の首都決戦準備命令だった。
不幸中の幸いか、モシニクス陥落後はザリャン氏族にこれ以上の動きを見せる様子は無い。
だが、ナリカラ総督のイルムの頭には、これらの事に何ら思考を割くことはなかった。彼の脳内は、ただ一つの事にどう対応するかに追われていたのだ。
即ち、勝利を望んでいたエルガの怒りをどう和らげるかに。
モシニクス城における戦いについての報告を平伏したまま終えたイルムは、エルガの口が開かれる前に頭を上げる。
「モ、モシニクスを奪われましたが、敵は冬越えに備えてかこれ以上の行動を控える様子。であれば、我が軍としてはこれより物資を掻き集め、敵が戦闘を想定していないであろう冬期に反撃を……」
目前から放たれる吹雪の様な気配に、イルムの声は途絶えていく。
氷で出来ているのかと疑いたくなる無表情をしたエルガの唇がやがて動き始めた。
「まず、前から言っている様に敬語は不要だ。次に、失点を取り戻そうとして冬期攻勢などという無茶をするのはやめろ。冬を舐めるな」
面持ちに似合う冷えた声色でイルムを震え上がらせると、一度長い溜息を吐く。怒りの気配が瞬時に霧散したが、氷柱の様な表情はそのままだ。
顔の筋肉をほとんど動かさずに彼女は続ける。
「人間諸国を巡った経験があるとはいえ、お前は長らく東方砂漠地域を本拠に過ごしていたから、冬の厳しさに疎いだろう。その冬という容赦無い季節を乗り越えるにはどれだけの物資が必要なのかも、お前は知らない」
イルムはぐうの音も出なかった。
砂漠において冬は雨を齎す恵みの季節、人間諸国で凍える冬を経験した事はあっても、冬越えの備えについて十分な見識を持ち合わせているとは言えない。
何が必要かは知っていても、具体的な必要量は分からないのだ。
「見積もりと備えを怠るか誤れば、凍死或いは餓死する死の季節、それが冬だ。秋の内に薪と食糧を十分に確保しないと、春まで生きる事も出来ん。軍事行動は言わずもがな」
都市クロム近郊で一人、漁で糊口を凌いで生きてきたエルガの言葉は、この上なく重く説得力に満ちている。イルムは頭の中から、冬期攻勢という無謀極まる計画を放棄した。
「分かりまし……分かった。今年はもう軍事行動は取らない。春までは大人しくしよう」
イルムが視線を落として幾度か頷く。そうしていると執務室の扉が開かれた。
「終わりましたー?」
ひょこっと扉の陰からアミネが頭を出す。エルガの怒気を避けるべく、執務室の前で中の様子を窺っていたであろう彼女は、何時もの気怠げな表情をイルムとエルガへ向けた。
「エグリシ氏族諸侯の軍が帰り支度を進めているという御報告と、オルベラ氏族に不満や動揺が見られるとのクムバトさんの注進が来てますよー」
「……諸侯は仕方ないかな、ずっと軍を出しっ放しで負担が大きかっただろうし。オルベラ氏族は……どうしよう。北西部を奪還しようにも、総督府直轄の戦力が無いと。エグリシ氏族諸侯は中々動いてくれないだろうし……」
イルムは頭を抱える。悩める総督にエルガが一言提案した。
「傭兵でも雇えばどうだ?」
「傭兵……うーん、資金がなぁ。今までの軍事行動でラトンク公から巻き上げた金品は軒並み消えてるし、新たに資金源を得るなら徴税だけど、ただでさえ魔族に良い感情を抱いていない民衆の反発が怖いし……」
「なら諸侯から金を集めるか? 持っている者は持っているだろう」
「諸侯からって、ただでさえ軍を長期間出して……」
そこまで言ってイルムが固まる。そしてゆっくりと顎に手を当てて、考え込む体勢を作った。エルガとアミネが小さく首を傾げて彼を見つめる。
やがてイルムの口からぽつりと声が漏れた。
「盾税だ」
「盾税?」
耳慣れぬ言葉に思わずオウム返しをしたエルガへ、笑顔を向けて活き活きとした様子で説明を始める。
「そう、盾税! 軍役代納金だよ! 人間諸国ではよく行われているもので、一定の金額を君主に納める事で軍役を免除してもらうんだ。領主は負担や危険の大きい軍役をしなくて済むし、君主も集めた資金で長期間の遠征が可能な傭兵軍を編成出来る。相互利益の画期的な制度なんだ! 何で今まで思い至らなかったんだろう」
熱くなるイルムにエルガが閉口するが、アミネが素朴な疑問を挟んだ。
「何で“盾”税なんです?」
「盾は騎士の象徴だ。盾の数、つまりは騎士の数に従って計算されるから盾税って呼ばれている」
人差し指を天に向けて答えると、イルムは身体をくるりと半回転させ目を輝かせて天井を仰ぐ。
「良いぞ……これなら資金がある限り戦い続けられる上に、指揮を一本化出来る。手足の様に全軍を動かせられる様になるんだ」
未来のナリカラ軍を想像して興奮する彼は、声を大にして言う。
「やっぱりこれからの時代は、土の軍隊じゃなくて金の軍隊だよね!」
「その前に冬支度を始めるぞ。城の備蓄が怪しいんだ」
「あ、はい」




