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五十七話 新祖

 

 モシニクス城内に突入した兵らの様子がおかしい。そう報告を受けたカルスは、表情を見る見るうちに厳しくしていく。

 カルスにその報告が届いた頃には、城内から広がった情報に、ザリャン氏族軍は動揺を隠せなくなり大きく騒めいていた。


 ティラズム殿下の御姿を認む。


 バグラティオニ大王直系の子孫である王子が、ナリカラに帰還しているという話は既に風聞としてザリャン氏族にも知られている。

 だが、多くは半信半疑からやや疑いへと傾いた状態で、魔族の人質となっていた王族があっさり帰って来るなど、信じられないというのがザリャン氏族の反応だった。

 また、カルスが帰還した王子は魔族が用意した偽者、僭称者であると政治宣伝(プロパガンダ)を行なっていた為に、ザリャン氏族には王族と敵対している自覚は芽生えていない。


 が、それらも直接姿を見てしまった今では、すっかり事情が変わってしまった。


「王子がモシニクスにいらっしゃるとは真なのか?」

「城に王子が居られるなら、城を攻める我らは逆賊になってしまうんじゃ……」


 自分達は王族と敵対してしまっているのではないか。その不安に襲われたザリャン氏族軍は盾を掲げて矢に耐えながら立ち尽くし、一歩も前に前進する事が出来なくなっていた。

 それを見ていたカルスは歯をぎしりと鳴らして椅子から立ち上がると、大口を開けて怒鳴り散らす。


「偽者だ! 魔族に囚われている王族が、魔族の味方としてここに在わす筈が無い! 卑劣なる魔族の浅ましき策だ! 者共、不遜にも王子を僭称する魔族の手先を討て!」


 氏族長の怒声が響き渡ると軍勢から動揺の騒めきが引いていった。その代わりに静かな迷いが満ちていく。


 確かに偽者と言われればそう思える理由に足る。しかし、もしも本物だったら? 取り返しが付かないどころの話ではない。


 そんな迷いに向けて再びカルスの叫びが空気を叩いた。


「たとえ王族であっても今更だ! そう、今更だ! 分かるだろう我が同胞(はらから)よ!」


 その言葉だけで、ザリャン氏族のゴブリンは眼付きを変える。彼らの心の奥底にある感情に火が付けられたのだ。


「そうだ……今更何を」


 誰かが酷く暗い声色で呟く。それを皮切りにザリャン氏族ゴブリンは、今まで蓋をしてきた黒い感情を胸中に溢れさせた。


 今更後には引けない。

 百年以上も前にナリカラを去った王族が今更何をしに来た。

 もう遅い、我らは事を起こしたのだ。新たな王朝を興すべく。


 カルスが腰に下げた剣を引き抜き、(きっさき)をモシニクス城へ、いやその中に居るゴブリンの王子へと向けた。


「潰せ! 古き血は既に終わった、新しき血は俺に流れている! 俺が始祖だ!」


 ナリカラ統一王国時代に代々宰相や大将軍を輩出し、バグラティオニ大王の娘を一度迎えているザリャン氏族長一族の当主は、そう王朝交代への嚆矢を口から放つ。

 これに空を割らんばかりに沸き上がる絶叫が続き、ザリャン氏族軍は微塵も迷いを感じさせずに突貫を再開した。


 熱狂を纏ってモシニクス城へ雪崩れ込む自軍を見つめつつ、カルスは息を長く吐いて腰を下ろす。ほんの僅かに顔を曇らせながらも、彼は護衛兵を手招きし二杯目の酒を望んだ。

 さながら政務の手を休めて束の間の休息を取る王の様に。



 一切の衰えなく攻撃を続けるザリャン氏族軍ではあったが、城内突入後もなお激しい抵抗に合い敵の防御を以前として突破出来ていない。


「陽も傾いてきたな……だが明日に仕切り直すなんてのは論外だ。城門を破っている以上、このまま落として置きたい。いや落とさねぇと不味い」


 カルスは口に付けた酒杯で苦々しく歪んだ口を隠した。しかし、この後彼の元へ吉報が届く事になる。

 薄っすら赤く染まり始めた空にカルスが眼光を飛ばしていると、赤い瞳を持つロバに跨ったゴブリンが息急き切って駆け寄って来た。

 汗塗れの身体に見合わぬ身軽な動きで下馬すると、笑みを溢れさせて跪く。


「申し上げます! 本命の坑道が全て開通しました!」


 この報せにカルスも使者と同じ笑みを浮かべた。


「よくやった! 全ての包囲砦に伝令、最低限の兵を除く全戦力を以てモシニクス城に突入せよ!」


 カルスが地上でも地下でも正面から攻撃し続けていた最大の理由はこれである。堅城モシニクスを力攻めだけで落とせるとは全く考えていなかったカルスは、最初から坑道による内部侵入を構想していた。

 それが今、実を結んだのだ。


「手間掛けさせやがって、やっとモシニクスを落とせる。だいぶ無理をしたから今年はここまでかもなぁ、思ったよりも敵が手強い手強い」


 ザリャン氏族は長期の出兵によって食糧や財政を食い尽くしつつあり、これ以上の軍事行動は難しくなっている。征服した氏族を奴隷としていても大軍を支え続けるには足りなかった様だ。おまけに今年は冷夏で、夏作物の出来が悪いのも大きく影響している。


「事を起こした年の内にリオニを落とそうと焦っちまったか。あの魔族総督が居なけりゃいけたかもしれねぇが、過ぎた事だな」


 カルスは思考を今後の方針から眼前に戻す。見た目ではザリャン氏族軍が攻めあぐね続けている様に見えるが、坑道から包囲砦の兵、カルスが信を置く戦士達が率いる部隊が、モシニクス城内部に潜り込んでいる筈だった。

 そして、待ち望んだその時が訪れる。一切揺るがない気配だったモシニクス城から目に見えぬ揺らぎを、武将の勘とも言えるものをカルスは感じ取った。


「……ッ! 今だ! 全軍に総攻撃を下令しろ!」

「は? はっ!」


 突然の総攻撃令に護衛兵達は一瞬戸惑ったが、すぐ様持ち直して命令を実行する。杖を掲げた伝令が赤目ロバに乗って颯爽と前線へと向かい、本陣も緩めていた鎧の留め具と気を締め直した。

 カルスが小柄な一ツ目馬に跨って本陣を前進させようとした時、モシニクス城から歓声が沸き起こる。


 坑道から侵入した部隊の活躍で敵の防御を突破したらしく、城外にいた軍勢が兵の逐次投入を止めて続々と城門に吸い込まれていた。


「はっ、こりゃ落ちたな。前進! 敵はもう息絶え絶えだ、モシニクスに掲げた部隊杖を夕日に見せ付けてやれ!」


 雄叫びを上げてカルスに答えた本隊はモシニクス城目掛けて駆け出す。魔獣の頭骨が固定された部隊杖が空気を切り裂き、蹄と靴と裸足が地響きを奏でた。

 本隊とカルスは城外に展開していた軍を、海を割った預言者よろしく兵の海原を割っていく。



 だが、カルスが城門前に着いた頃には投石機による破砕孔や城の上部に設けられた窓から部隊杖が突き出され激しく揺らされていた。


「ちいとばかし遅かったか。ま、落とした事には違いねぇ。者共良くやった!」


 ゴブリンの群れは武器を振り上げて声を爆発させる。大絶叫の中、各将の活躍を尋ねるとカルスにとって嫌な名前が挙がった。


「サディンだと? あの野郎、中央に損害を押し付けて良いとこ取りか」


 正面攻撃を担った中央は当然被害が集中したが、左翼もやや積極的に援護しており、ある程度の損害を受けている。が、サディン率いる右翼は無理攻めを控えて適時に兵を投入していた為に、軽微だった。


「……まあ良い、偽王子はどうなった?」

「動揺を立て直した時に城内広場のバルコニーから姿を消して以降はそのままです。通路だけでなくバルコニーにも梯子で攻め入りましたが、(クロスボウ)兵の猛射を浴びる羽目になりました」


 狭い通路の中では(クロスボウ)や手槍による抵抗を受け、多くの血を流す事となっている。更に負傷者や死体が進撃の邪魔になった。一部では即席の盾として有用だったそうだが。


「南部最大の堅城モシニクス相手じゃ、散々な被害を被るのも仕方ない。問題はこの後だ」


 モシニクス城のあちこちで部隊杖が振られるのを見上げて、カルスがそう吐き出した。彼は一度首を振ると、堂々とした風格を身に纏って騎乗のまま入城する。



 この日、長期間の包囲と一度の大攻勢をもって、モシニクスは完全に落城した。


 ナリカラ総督府側からすれば、南部をほぼ抑えられたも同然の大敗北である。しかし、ザリャン氏族にとって、その代償は非常に大きかった。


「食糧が……麦の収穫期である初夏を過ぎてからなら、モシニクスを突破してそのままリオニにいけると考えていたのに……」


 陥落から一夜明けたモシニクス城の一室、奇しくもイルムが自室としたその部屋で、カルスが頭を抱えている。


「攻撃開始前に分かってはいたさ、今年は冷夏のせいで確保出来た食糧が予定よりもずっと少ない事は。でもよぉ……」


 彼は拳を、だん、だんと机に叩き付けた。


「城の兵糧庫を使えばリオニ近辺まで進出出来るかもって内心期待してたのに! 全部燃やされてるってふざけんなよ!」


 モシニクス城は落城時に、脱出する守兵によって殆どの物資に火が放たれている。無論、兵糧庫は真っ先に炎に包まれる事となった。


「お陰で今年はここまでだ、秋は冬への備えに忙しくなる。リオニを目指すのは来春だ畜生め」


 カルスは苦り切った顔をすると、大きく溜息を吐く。自棄になった様に葡萄酒(グウィノ)の壺を荒っぽく手に取った。


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