五十五話 誤算
照り付ける太陽と雲一つ無い透き通る様な青空の下、それを引き裂く様な咆哮が轟き、鋭い鉄と石の雨が大地へと降り注いでいる。
ナリカラ中南部最大の城塞であるモシニクス城は、大攻防戦の真っ只中にあった。
ナリカラに多くある城塞の様式と同じく、モシニクス城も岩山の内部を掘って作られた城壁に縦長の細い矢狭間がずらりと設けられている。
それらから矢が次々に吐き出され、岩肌を貫くトンネルを塞いだ石造りの城門は、破城槌を打ち付けに来る敵兵へ石や熱湯を落として激しく抵抗していた。
遂にザリャン氏族が静寂を破って本格的に攻撃を開始したのだ。
雄叫びが木霊するモシニクス城の一室では、いじけた様子のイルムがぐるぐると同じ場所を歩き回っている。
部屋の一角には丸椅子が置かれ、アミネがそれに跨る形で座り、股の間に手を置いて回り続けるイルムを上目で眺めていた。
何故、戦闘中にも関わらずこの様な光景が起きているのかは二週間程時を遡る必要がある。
イルムがエルガの叱責を受けてから五日後、鴨の城を占拠していた赤帽子が北西部へと向かい始めたという斥候からの報告がリオニの総督府へ届いた。
何が起きたのかと諜報部隊であるボガードを潜入させた所、“不浄なる戦い”で汚れてしまった御自慢の帽子から臭いが落ち切らない為に赤帽子はすっかり戦意を失い、本拠地へ帰ろうとしているという。
この報せにナリカラ総督府は胸を撫で下ろした。取り敢えず当面の間は危機は去ったと誰もが安堵していたが、今度は南から脅威が迫って来る。
南の最前線の要、モシニクス城を窺っていたザリャン氏族の本軍へ増援が到着し、本腰を入れて攻城を開始したのだ。
堅城モシニクスへ攻め掛かるザリャン氏族軍は増援を含めて八千。対するモシニクスの守備戦力はエグリシ氏族諸侯の二千。モシニクス以外の城に詰めているエグリシ氏族諸侯の戦力千五百も居るとはいえ、厳しい戦力差だ。
エグリシ氏族諸侯からの援軍要請を受けて、イルムはリオニで援軍を編成しようとした。が、これがある種の問題を抱えていたのである。
兵力そのものはティラズムの存在により順調に集まったのだが、それ自体が問題と言えた。
リオニ城の執務室でイルムは書類を睨み、口も尖らせる。
「募兵の進捗具合は結構、大変結構だとも。民兵はリオニの守備を除いても四百、火の魔法を扱えるドモヴォーイが五十もいるし、ディアウヒ軍やエグリシ氏族諸侯の留守居からの志願兵が二百、短期間でこの戦力は大きい」
喜ぶべき事を苦々しく零し、魔族の青年総督は右手で持っていた羊皮紙の書類を、叩き付けるかの様に机へ置いた。
「良いね、僕を支持するオルベラ氏族は今や三百五十だけど、ティラズムには六百五十の兵が集まってるんだ」
そう、最早ナリカラ軍は“ナリカラ総督府の軍”というより“王子ティラズムの軍”といった雰囲気がある。
自らナリカラ軍総司令官にティラズムを据えたイルムにしても、ここまでゴブリンやナリカラに住む他種族らがティラズムに心酔する事は予想外であった。
ナリカラ総督府の名で兵を召集しても碌に集まらないのに、ティラズムの名の下にはこれだけ駆け付けて来たというのは、イルムにとって色々と受け入れ難い。
「まざまざと人気の差を見せ付けられ……じゃない、僕の支持基盤であるオルベラ氏族がどんどん減っているのに、ティラズムの方は増える一方っていうのは流石に不味い」
ティラズム帰還を提案して叶えもしたんだから、少しは僕も支持してくれたっていいじゃないかと不満を漏らすが、現実は非情である。イルムとしてはオルベラ氏族の本拠、北東部の奪還を最優先したい所だが――。
「モシニクスを落とされるわけにはいかないし、ティラズムを前面に出せばザリャンも動揺するだろう。だからティラズムをモシニクスに向かわせるのは当然だけれども、僕が戦果を挙げられるのかが不安だ……」
ティラズムとイルムが二手に分かれるという手段は、現状では決して取れない。下手をすればモシニクスで行われる戦闘の手柄を、全てティラズムに持っていかれてしまうかもしれなかった。
ティラズムが手柄を挙げてしまえば、イルムの総督としての面目と立場が無くなってしまう。更に言えばエルガに失望されてしまう。イルムからすればそれだけはあってはならなかった。
だが、兵を率いてモシニクスに着いても、イルムの状況が変わる事は無く、彼が部屋に篭っている現在に至る。
室内をあてもなく彷徨くイルムを眺めていたアミネが、いつもの半目のまま口を開いた。
「出番が無くて苛立つのは分かりますけど、オルベラ氏族を予備にしたのはイルム様自身じゃないですかー。これ以上消耗させるわけにはいかないって」
赤帽子との戦闘で数を減らしたオルベラ氏族は、本拠地のナリカラ北東部を占領されたままである為、兵の補充が全く出来ない。
そんな彼らは今、総督府の純粋な支持基盤である彼らを失う事があってはならないと、イルムによって予備に回されていた。
しかし、そうなると残るは主戦力のエグリシ氏族諸侯やティラズムの名の下に集った者達だ。いくらナリカラ総督といえども、ティラズムの指図を受ける気満々の二千六百余を指揮する事は難しい。
ティラズムを差し置いて指揮を執ろうものならば、激しい反発や抗命が起きるのは明白であった。結果、総督イルムから“委任”されたナリカラ軍総司令官ティラズムが全軍を指揮している。
「エルガさ――ん゛んっ、エルガに次を期待しておくと言われたのに、これじゃあ……」
この時ばかりは、イルムも自身が庶子である事がもどかしかった。魔王の子息とは言っても所詮は庶子。
魔族五公から与えられた総督としてのものを除けば、権威も権力も碌に無く、カシィブ公との伝手も通用するのはオルベラ氏族を相手にした時程度である。
バグラティオニ大王直系の子孫と、継承権も無い魔王の庶子ではナリカラ内での権威には雲泥の差があった。
「直接攻めて来てるのはザリャン氏族軍五千、対してこちらは三千程度。中々の戦いなのに活躍出来る機会が一向に見られないなんて……遊撃隊として敵の背後に回っていたロムジア氏族も南部の本拠地へ一時後退してしまったし、どうしよう」
イルムは大きく溜息を吐く。
なお、ザリャン氏族軍八千の内五千がモシニクスを攻撃しているが、残る三千は包囲の拠点としてモシニクスより距離を置いて建てられた八つの砦の守備と、総指揮を執る本陣の護衛に就いていた。
当初はザリャン氏族軍の後背を脅かしていたロムジア氏族も、隙なく固まる敵勢を前にすごすごと引き退っている。
イルムが溜息と唸り声を交互に繰り返しながら部屋を回り続け、それを見ているのに飽きたアミネが今度は天井を眺め始めた頃だった。
遠慮した様に小さく扉が叩かれ、ゆっくりと開かれる。姿を見せたのはエグリシ氏族諸侯の最有力者であるギオルギと副将の様に隣に立つ“沈黙”のエレクレであった。
そして二人共、眉間と顎に皺を寄せている。一体何事かと目を丸くしたイルムへ、ギオルギが複雑そうに言葉を絞り出した。
「総督閣下……王子、いや総司令官閣下に代わって……全軍の指揮を執って頂きたく参じた次第」
その願い出にイルムはますます目を丸くする。そしてギオルギが言葉を繰り出す度に、イルムの目がより大きく開かれていった。
イルムの誤算以上に、エグリシ氏族諸侯にとってティラズムという存在は誤算の塊だったらしい。
――数刻前。
戦闘が一旦小康状態になり、その間に今後の方針を纏めるべく軍議が開かれる。イルム不在で行われた軍議は、諸侯が発する熱気が充満する中でギオルギが進行していた。
「以上が両軍の状態である。敵軍は兵力にしては大人し目の攻撃に終始しており防衛は現状問題無い。しかし、敵陣に妙な動きが確認されており、近々大攻勢があると思われる」
説明を切ったギオルギは、モシニクス地域を描いた地図を囲む諸将を見渡してから、ティラズムに恭しく頭を下げる。
「王子、これより先は如何なさるべきと御考えでしょうか?」
「王子はよせ、私の事は総司令とでも呼べ」
ゴブリンの王子ティラズムはそう苦笑した。ティラズムが殿下ではなく王子と呼ばれているのは、ナリカラが魔族の属領である事とイルムの庶子という立場に配慮しているからだ。
イルムを差し置いて殿下と呼称しては、魔族や彼の神経を逆撫でてしまうと考えられたのである。だがティラズムは更に一歩引いて、王子という呼び方もしない様にと立場を明確にした。
「今の私はあくまでナリカラ軍総司令官だからな? 勘違いしてはいけない」
この言葉を受けて、明らかに気落ちした様子を見せる者が軍議の場でちらほら見られたが、ギオルギは平静な態度で「失礼致しました」と再び頭を下げる。
ティラズムはギオルギから視線を諸将へと移し、自身の案を述べ始めた。
「このまま敵を防ぐだけでは芸がない。先手を取る意味でも打って出よう」
諸将は相槌を打つ様に頷く。敵陣の様子も気になるし、敵の出鼻を挫くべく一度ぶつかるのも十分有りだろう。裏門から出撃し、奇襲と一撃離脱に徹すれば数の差も埋められる。そう諸将は解釈した。
「先ず正面から私と共に全軍が突撃する」
ティラズムの口から飛び出て来た言葉に、ん? と居並ぶ諸将が首を一斉に傾げる。
「敵もまさか突っ込んで来るとは思うまい。混乱する敵を蹴散らし、一気に敵本陣へ向かうのだ」
んん? と諸将の首の傾きが増した。呆然としているエレクレが珍しく“沈黙”を破って物を言う。
「モシニクスを包囲する敵堡塁群は如何なされます?」
「大将を討ち取れば良いのだから、包囲用の拠点など無視すれば良いだろう。わざわざ道草を食ってどうするのだ」
今度はんんん!? とティラズム以外の者全員の首が反対にぐるりと回った。何かが、いや全てがおかしい。ここに来て諸侯はあまりに大きな誤算をしていた事に気付いた。
そう、ティラズムは戦さについて、まるでからっきしだったのである。
「というわけで、総督閣下に総指揮を執って頂きたい」
「……」
イルムは顎が落ちたまま、微塵も動く事が出来なかった。




