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五十四話 不満

 

 ナリカラ総督府が置かれているリオニ城、その城内にてナリカラ総督である魔族の青年が、首筋に冷や汗の玉粒をぽつりぽつりと浮かばせて突っ立っていた。

 彼には鷲の如き鋭い瞳が向けられ、氷柱の様に冷たく尖った視線を浴びせられている。


「またはっきりした勝利を得られなかったそうだな、イルム」


 総督顧問官であるエルガは、平坦だが不思議と底冷えする声を目の前のイルムへぶつけた。

 ぶつけられた本人は、首だけでなく額からも汗粒を噴き出させ、目線をエルガの足元へ落とす。鷲の冷たい視線が強まった。


赤帽子(レッドキャップ)に打撃を与える絶好の機会を作っておきながら、結果が辛勝だと? 何の為にティラズムをリオニへ留め置いたんだ? 実績による権威付けで総督は王子よりも上の位置にいると示す為だった筈だろう」


 ゴブリンの王子ティラズムは“不浄なる戦い”に参加していない。

 ナリカラ軍総司令としての初陣が、糞尿を兵器として使用した“不浄”なものでは流石に不味いだろうというのが表向きの理由だが、実態は赤帽子(レッドキャップ)撃退の功績をイルムが独占する為であった。


 その血筋によってナリカラ中から支持を集める王子に対し、魔族の総督としてナリカラを支配するイルムを慕うのは、クムバトを始めとするオルベラ氏族本流程度で、大多数は王子を帰還させた事に一定の感謝はすれどもナリカラの支配者として認める機運は高くない。


 つまりは完全に人気をティラズムに取られている。


 だからこそ実績でイルムを支配者として認めさせるべく、理由を付けてティラズムを戦いに参加させなかったのだ。

 おまけにイルム不在のリオニでは、エルガがティラズムを終始王子ではなくナリカラ軍総司令として扱い、マンデ人官吏と共にティラズム支持者への牽制まで行っている。


 それにも関わらず結果があの様かと、エルガは憤っていた。


「あれほど二重権威を解消出来る様、宣伝になる勝利を収めろと……」


 エルガがそこまで言うと、言葉を切って溜息を吐く。軽く(かぶり)を振ってから再び口を開いた。


「時の運にも左右され思い通りにならぬ戦さというものに、素人があれこれ口を出せる道理はないな」


 瞑目し省みている様子で口調を緩めたエルガを見て、イルムが何事か話し掛けようとしたが、それより先に彼女の瞳が開く。


「だが、ゴブリンらの支持を得る為にも華々しい勝利が必要なのは事実だ。万一、魔族組み易しと侮られでもしたら最悪の事態になるぞ?」

「……返す言葉もございません」


 現在のナリカラが、イルム()いては魔族に従っているのは、第一に魔族の強大な力を恐れての事だ。

 魔族の総督であるイルムが失態を重ね続ければ、ゴブリン達が魔族の実力を過少に見て独立へ動く可能性がある。

 本来、総督府の求心力を高めイルムの右手に握られる旗であるべき王子ティラズムが、ゴブリン達によって担ぐべき御輿として独立運動に利用されかねなかった。


「顧問官として、私は何としてでも大きな勝利が必要だと言っておこう」


 彼女がそこまで言葉を紡いだ時、時機を見計らっていた様に一人のゴブリンが報せを携えて部屋に入って来る。


 報告の内容は決して良いとは言えないものだった。人間の都市クロムより百人規模の武装集団が進発し、ナリカラ外縁部にて活発な行動が見られるのだという。


「いよいよ人間達が動き始めたか。恐らく全員冒険者だ、赤帽子(レッドキャップ)よりは脅威の度合いは低い上、国境には強固な砦もあるが油断は出来ん」


 エルガの言に、視線と肩を落としていたイルムがすぐさま立ち直り、心配無用と胸を張る。


「対人間に関しては大丈夫。人間諸国領域とナリカラを繋ぐ山間道とそれを塞ぐ砦の存在を人間は知らないし、イーゴル達が使った抜け道も既に封鎖済みだしね。変に刺激しなきゃナリカラ外の盗賊化したゴブリンの討伐で終わるよ」


 過去にあった人間諸国の侵攻は、大山脈に囲まれたナリカラの地理的条件から、ほとんどが山脈が比較的大きく開けるナリカラ南部で行われており、北西部にある山脈を抜ける道の存在はゴブリンを除いて知る者はまずいない。


 イルムが総督に任命される以前、ナリカラに駐屯していた魔王軍が撃退した人間諸国の軍も、南部から侵入を図っており、魔王軍が反撃に出たのも南部であった。

 その為、人間諸国からすれば南部を除いて大山脈に関する情報がかなり限られ、たとえ深い森と険しい山の中で運良くゴブリンの道を発見出来たとしても、調査や偵察に時間が掛かるだろう。


「それに道を見つけたからって、肝心の砦は十分な準備無しには落ちない。最悪、人間諸国が本格的に侵攻を開始しても、こっちが態勢を整える猶予はたっぷりある。人間達にはザリャン氏族を何とかしてから対応すれば良いよ」


 イルムはそう言って北西部の防衛には自信を見せる。


「それなら良いが」


 冷めた態度で言うエルガだったが、最後に一言イルムへ励ましを掛けた。


「次はしっかりやれ、期待しておく」


 目を見開いたイルムを置いて、彼女は退室しようと背を向ける。その背中へ喜色を含んだ声が飛んだ。


「はい!」



「敬語はやめろと前に言ったろう」

「あ、すみません」





 城塞都市ディアウヒより南東に離れた木造の城壁を持つ小城、鴨の城(イハヴィツィへ)はその周囲を含めて、赤錆色の帽子を被ったゴブリン達で埋め尽くされていた。

 赤帽子(レッドキャップ)約七百は“不浄なる戦い”以降、この城に留まり続けている。


 四百も入れば一杯の小城に、七百近い赤帽子(レッドキャップ)が城壁の外側へ天幕の町並みを広げてまで駐留しているのは、(ひとえ)に彼らが被る帽子にあった。


 血を浴びた帽子を被る事で、その血の持ち主の力を得る事が出来ると信じている彼らにとって、先の戦いで糞尿を浴びてしまった事は致命的と言える。

 力の源である帽子が汚物で汚れたままなど、決して受け入れられない彼らは、汚れと臭いが落ちるまで再び活動する気には全くなれなかった。


 今も城の井戸の周りで、レッドキャップらが帽子を洗う為の水を求めて殺到しており、城外では近場の森に池や小川が無いか探しに行く者や“不浄なる戦い”の戦場となっていた川へ向かう者の姿が見られる。だが、当然水洗いでは限度があった。


(かしら)ぁ……臭いが中々落ちねぇです。これじゃ戦さする気失せまさぁ……」


 巨大な一本の骨で作られた柄を持つ大斧と共に佇んでいた“巨人殺し”のナゴルノ元へ、一人の禿げ上がったレッドキャップが生乾きの帽子を手にやって来る。

 さして広くもない城館の広間で簡素な椅子に腰掛け、大斧を杖にして顎を乗せていた赤帽子(レッドキャップ)の頭領も、近付いて来るレッドキャップと同じ様に目尻と口角を引き下げた、やる気無さげの顔をしていた。


「仕方あるまいよ、しばらく戦さは無しだ。せめて臭い消しにと香草(ハーブ)を使おうにも……」

「香草の知識がある奴は、ウチに一人も居りやせん」

「そういう事だ。……ん? いやもしかすると、アニの供回りに知っているのが居るかもしれんな。アニを呼んで来い」


 我ながら妙案かもしれんと僅かに表情を明るくさせたナゴルノだったが、使いに行かせたレッドキャップが戻って来ると顔色をがらりと変える。


「何処にも居ないだと……!?」

「へえ、ザリャンの奴らは全員姿消しちまっていやした! どうしやす頭」


 返事より先に拳が飛んだ。報告しただけのレッドキャップに八つ当たりという理不尽な一撃が加えられ、二本の折れた歯と小柄なレッドキャップの身体が宙を舞う。


 怒りで顔面を被っている帽子と同じぐらい赤くしたナゴルノは、殴り付けた右手を斧へと戻した。しかし激情冷めやらぬ様子で、大斧を持ち直し勢いよく振り上げる。

 古びていながらも頑丈そうではあった厚い木の床へ刃が叩き付けられ、派手に砕け散る木片と砂埃が辺りに飛び散った。

 人間の大人が楽に通れそうな大穴を目の前に出現させたナゴルノが、穴へ向かって叫ぶ。


「逃げおったな、自分で雇っておきながら逃げおったな! ふざけた奴めがぁ!」


 怒声が響いた後、しばらく重く荒い息だけが音を立てていたが、突然ナゴルノが後ろを振り返った。向けられた視線の先は日陰となっている壁の隅。そこにいるのは数匹の蝿だけであった。


「気のせいか……?」


 彼は首を捻るが、すぐにまた怒りを滲ませる。ぐらぐらと煮え返し始めた(はらわた)に突き動かされて、床に転がっているレッドキャップを蹴り飛ばした。


「あぁー萎えた、何もする気がせん」


 ぼやきながら採光窓に頭を突っ込み、外へ大声を放つ。


「誰か、酒を持って来い」


 突然の事と声から不機嫌である事を察したレッドキャップ達によって、城館の外は俄かに騒がしくなった。頭領からとばっちりを受ける可能性が高い持ち込み役を、誰がやるかで押し付け合いが始まる。


 ナゴルノは慌てふためく地上から静かな階上へと頭を戻し、ぽつんとある椅子に再び腰を下ろした。


「この城の兵糧庫にはそこそこ余裕があるから、皆の汚れが落ちるまでしばらくはこのままだな。結局落ちなかったら……本拠へ帰らなきゃならんかもしれん」


 不満顔のまま目を閉じ、斧を杖に両手を預けて柄の天辺に顎を乗せる。やがて、人間に匹敵する体格のゴブリンから豪快な寝息が聞こえ始めた。


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