五十二話 不浄なる戦い
※食事中の方は御注意下さい。
つばが無い赤錆色の帽子を被り、斧を担いだゴブリンの大集団が、丘の間を縫う道沿いにぞろぞろと連なっている。ソハエムスを出た赤帽子の軍勢八百は、ナリカラ北西部の主要都市ディアウヒを目指して進軍していた。
歪な列を成した軍勢の中心にザリャン氏族の将アニの姿が見える。赤い瞳を持つロバに跨った彼の顔は暗い。
とうとう赤帽子を抑えきれずに西進を開始させてしまった。この進軍がザリャン氏族の最終的勝利に貢献する事は間違い無いが、北西部を過剰に痛め付けて戦後統治に大きな弊害と禍根を残す事になるだろう。
そういった後ろ暗ささを抱えた彼の隣で、赤帽子の頭目“巨人殺し”のナゴルノがどすどすと音を立てて歩いていた。
赤目ロバに乗るアニとあまり目の高さが変わらない程、ゴブリンとしてはかなり大柄なナゴルノの口が、がぱっと開く。
「そろそろディアウヒが見えてくる頃だ。先の関所は呆気なかったが、かの大城塞は如何程のものか」
ナゴルノの独り言に、アニはぶるりと一回震えて後ろを振り向いた。
ソハエムスを出立して数刻後、北西部と北東部の境に置かれた関所を赤帽子は瞬く間に突破している。今頃は放たれた火も完全に消えて、煙も昇らない炭と化した関所が残るだけになっているだろう。
首を前に戻したアニは、如何にナリカラ軍へ打撃を与えつつも現地の被害を抑えるかという難題に思考を巡らせ続けた。
しかし、結論を導く事が出来ないまま、赤帽子の軍勢がディアウヒを視界に捉えてしまう。だが、斥候を兼ねて略奪に向かっていた先行部隊が戻って来ると状況は大きく変わった。
ディアウヒ近郊の集落は全て無人であり、食糧も大部分が持ち去られているとの報告が届けられたのである。
ディアウヒの町を内包して守る要塞化された岩山を見詰めたアニは、やがてちらりとナゴルノの顔色を盗み見た。
赤帽子の頭領は口をへの字に曲げてディアウヒを睨み付けている。
「道中がもぬけの殻の集落ばかりだったのは仕方ない、だがディアウヒ周辺も空っぽとは徹底しておる」
アニもそういえばと、進軍中にレッドキャップが押し入った村は例外なく住民が消えていた事を思い出した。
赤帽子の悪名を思えば集落を捨てて逃げ出すのは然程不思議では無かったが、それにしても蓄えや家畜のほとんどと共に消えているのは、流石に怪しい。事前に準備をしていなければ出来ない事だ。
「ディアウヒの領主は中々出来る様だな、いや国境に近いが故の危機感か。どちらにしろこのままではディアウヒは落とせん、兵糧を碌に補給出来ないならリオニを目指すぞ」
ナゴルノはあっさりとディアウヒを諦め、全軍に進路の変更を指示する。赤錆色の帽子を被るゴブリン達は不機嫌そうに舌打ちをしたり、ディアウヒを憎々しげに睨み付けながら南へと隊列の方向を変えた。
「ディアウヒの軍に背中を突かれる恐れがあるが……」
恐る恐るアニがナゴルノへ懸念を呈すると、ナゴルノは迫力のある笑みを返す。
「敵が有利な城塞から出るなら好都合、反転して叩き潰すだけよ」
アニはもう何も言えなかった。赤帽子とまともにやり合って、無事で済む勢力など存在しないに違いない。
そう思わざるを得なくなってしまったアニは、赤帽子の進軍先が荒廃する事を抑える手立てを考えるのを、どうしようもない事だと一旦放棄した。現実逃避である。
血染めの帽子を被ったゴブリンの軍勢はディアウヒに背を向けて行軍を続けていたが、やはり行く先々では空っぽの村落ばかりであった。
レッドキャップ達は村に残っている物資を漁り回る。幸い畑には収穫し切れていない黒麦や瓜を始めとする作物の多くがまだ残っていた為、深刻な飢えは起きなかった。
住民も流石に退避前に全て収穫するのは間に合わないと諦めたのだろう。
片っ端から道沿いの集落を荒らしていきながらリオニ目指して進む赤帽子だったが、やがて大地を照り付けていた太陽が大地へ傾いた頃、行軍を止めて夜営の準備に入る。
「敵は夜襲を掛けて来るだろうか……」
天幕が張られていく中、ディアウヒのある方角を向いて独り言を呟くアニを目敏く見付けたナゴルノが、瓜を片手にのしのしと大股に近付いた。額や首筋に汗を浮かべるアニへ、ナゴルノは余裕たっぷりの笑みを見せる。
「連中にそんな度胸は無いだろうよ。儂等を相手にするならば、二倍は居らんと恐ろしくて城から出る事も出来んさ」
その言葉にアニも、自分なら三倍の兵力が無ければ、赤帽子に仕掛けようとは思わないと頭に浮かべ神妙な顔で納得した。
そんなアニを見て、声を上げて笑うナゴルノは持っていた瓜に齧り付く。ぼりぼりと小気味良い音を立てながら赤帽子の頭目は、自分の天幕へと帰って行った。
日が沈む前に天幕と夕餉の準備が終わり、黒麦の粥が入った木製の器を手にレッドキャップらが辺りに屯ろする。
匙も持たず器に直接口を付けて行儀悪く啜る彼らは、口々に不平を漏らした。
「敵とやり合うどころか殺しも出来ねぇなんて、つまんねぇな」
「タダ飯食えても血が得られないのはなぁ。おまけに肉が手に入らんから口寂しいぞ」
ソハエムスでの長期駐留に加えて、ディアウヒまでの道中も戦闘は殆ど無かった事が、血に飢えたレッドキャップにとっては苛立ちの種となっている。そしてその種は既に芽を出して育ちつつあった。
「糞ったれ! リオニでこの鬱憤晴らしてやる」
悪態を吐いたレッドキャップが空になった器を乱暴に放り投げ、アニの足元を器がすっ飛んでいく。
もし不満の矛先が自分に向けられたら敵わんと、慌ててアニは自身の天幕に引っ込み、配下である僅かなザリャン氏族ゴブリンと共に震えながら夜を明かした。
翌日、早朝に行軍を再開してからも、行く先々にある村々には住民と家畜の姿は無い。ますますレッドキャップらの苛立ちが募り、略奪の後は腹いせに方々へ火を放った。
炎と煙を背にしつつ南へと前進する赤帽子だったが、昼を過ぎた頃にとうとう敵の姿を捉える。
なだらかな盆地を挟んだ先で、黒地に赤い線が交差するナリカラ軍旗が風を受けて翻っていた。
「ようやくナリカラ軍と御対面だ。野郎共! 存分に楽しめ!」
ナゴルノの大声にレッドキャップ達が斧と歓声を振り上げて答える。赤帽子の頭目は担いでいた大斧を高く掲げ、やがて振り下ろした。
「突っ込めぇい!」
その瞬間、歓声は蛮声へと色変わりする。目をぎらぎらとさせたレッドキャップの大集団が、斧を片手にナリカラ軍へと突貫した。対するナリカラ軍は矢の雨を降らせる。
飛来した矢が、先頭を走るレッドキャップの目の前まで接近した瞬間、鏃が弾かれ、又は箆――矢の棒の部分――が切断されて勢いを殺された。レッドキャップ達は自身に当たる矢を的確に見定め、弾くか斬り落として、矢を凌ぎつつも進み続ける。
僅かに動揺を見せるナリカラ軍から今度は赤児の頭程度の何かが飛ばされてきた。
「投石か? 舐めるな!」
矢を防ぎ切っていたレッドキャップが弾き飛ばそうとそれを斧で薙ぎ切る。しかし石と思われたそれは、鈍い音を立ててあっさりと裂けた。
裂け目から勢いよくびちゃびちゃっと中身が飛び散り、レッドキャップに降り掛かる。
「何だ……!? う、臭え!」
非常に不快な臭いを放っている茶色く水っぽいそれは――
「げぇ! これ糞だ!」
糞尿であった。
排泄物の詰まった革袋や壺が、慌てふためくレッドキャップ目掛けて次々と飛んで来ては、落下地点とその周囲へ見るに堪えない中身と悪臭を撒き散らしていく。
これまで赤帽子を止められるものなどナリカラには存在しないと思われていた。だがこの時、血染めの帽子を被る狂戦士の軍勢は汚らしい糞尿を前に、その足を進ませる事を確かに躊躇する。
これは赤帽子の攻撃を正面から迎撃して、歩みを止める事に成功した稀有な事例だった。
「ふざけた真似を……っ!」
怒気を纏ったナゴルノだったが、何かに気付いたのか首を勢いよく背後へと回す。視線の先には、正面のナリカラ軍が掲げる旗と全く同じ物をはためかせた軍勢が丘の裏から現れた。
「ディアウヒの軍か、挟み討ちとは小癪な」
赤帽子の背後に陣取ったディアウヒ軍は弓兵を前進させたが、弓兵とは別に髭もじゃの集団も前に出る。そして弓兵が矢を放つと同時に、謎の集団は火の玉を何十発と撃ち出した。
レッドキャップは矢を受け流したが、炸裂する火の玉には為す術もなく火達磨になる。
「ドモヴォーイまで出張って来ただと? 腹立たしい」
眼孔を鋭くさせるナゴルノは、歯をぎりりと鳴らした。だが、その形相とは逆に全軍へ転進命令を出す。
「東へ転進! 川で汚れを落とすぞ」
ナリカラ軍の汚物攻撃で、レッドキャップが最も大事とする血染めの帽子は無残にも茶色く汚れてしまっていた。
これは、多くの血を浴びた帽子を被る事で力を得ると信仰する彼らにとって誇りそのものが汚れたも同然であり、汚れや臭いが帽子に染み付いてしまう前に急いで洗い落とさなければならない。
赤帽子はナゴルノの指示通り、大慌てで方向を転換して東を目指した。ナリカラ軍とディアウヒの軍は絶好の好機と追撃に掛かる。
この戦いは、後にナリカラ史上において重要な戦闘であるにも関わらず、最も不名誉で語るに憚られる戦いとされ、記録には殆ど残されなかった。
僅かに残る記録も多くは語らない。ただ合戦の名だけが色濃く残るのみである。
“不浄なる戦い”と。




