五十一話 鉱と香
赤帽子動く。
その一報がリオニへ届いたのは、ボガードがナリカラ総督府の諜報組織となってから一週間後の事だった。
「いよいよ赤帽子との戦いが近いけれども、あれは戦闘に間に合わないかな」
そう言ってイルムは、何十台もの荷車が連なって進んでいくのを眺める。イルムの隣で同じ様に車列を見つめていた赤っぽい肌のゴブリンが、少し申し訳なさそうに顔色を沈めた。
「我々がもっと早く決断し、道を急いでいれば……」
「君達コブラナイのせいじゃないよ。それに赤帽子との戦いには間に合わなくとも、今回の献上品は対ザリャン氏族戦の大きな力になる」
イルムは、採掘集団コブラナイの長を気遣う。今朝方、レッドキャップ進軍の急使がリオニへ飛んで来た後に、コブラナイが到着していたのだった。
彼らの視線の先では荷車の列が工房街へと向かっている。何十台もの荷車には銅と錫が詰まった袋が満載されていた。全てコブラナイから総督府への献上品である。
当初イルムはコブラナイをあまり信用ならない勢力と見ていた。ティラズムのナリカラ帰還まで総督府への納税を拒否してきた事に加えて、ティラズムのナリカラ軍総司令官就任後に突然態度を変えた事が原因である。
その掌の返し様に献上品の件も、今まで税を納めて来ませんでしたが、献上品で機嫌を直して下さいという酷く浅ましいものにイルムの目に映った。
しかし、実際にコブラナイと顔を合わせると、イルムは考えを改める。彼らは媚びへつらいではなく、謝罪の言葉を述べて来たのだ。
曰く、ティラズム帰還をイルムがエグリシ氏族と約束を交わした頃から、コブラナイの中で総督府に従うか否かで揉めていたのだという。それで結論が出るまでこんなにも時間が掛かってしまったのだと。
敢えて金銀ではなく大量の銅と錫を献上したのも、今総督府に必要なのは金子より武器防具に必要な青銅であろうと考えての事だった。コブラナイは彼らなりに誠実足ろうとしていたのである。
これを受けたイルムはそれまでの疑念を消し、コブラナイを虚心坦懐に迎えたのだった。コブラナイが持ち込んだ銅と錫は早速合金の青銅とするべく、コブラナイらと共に工房街にある鋳造所へ向かっていたが、イルムを含めナリカラ総督府には青銅製武具の完成を待つ暇は無い。
コブラナイの長との面会を終えたイルムは背にしていたリオニ城へ振り返り、足早に軍議を行う一室を目指した。
石造りの無骨な部屋で、ゴブリン達が地図を広げた机を囲んでいる。鎧は纏わずとも腰に吊るした鍔の無い剣がゴブリン達が武将である事を示していた。
彼ら武将の多くはオルベラ氏族長クムバトを始めとするオルベラ氏族の者達で、エグリシ氏族諸侯は既に南部の前線へと戻っている。オルベラ氏族以外でリオニ城に詰めている将は、エグリシ氏族諸侯の所領に残されていた配下の一部だ。
ティラズムの元にある戦力がオルベラ氏族だけになるのを嫌ったエグリシ氏族諸侯によって、リオニまで引っ張り出されていた。
彼らは、地図の上に乗る色付けされた木片の数々を睨んでいたが、扉の開く音を聞いて顔を上げる。
「コブラナイとの顔合わせが少し長引いた、ごめん」
大して悪びれていない様子で謝罪したイルムは、ゴブリンの武将達の視線を浴びつつ地図を見下ろした。
壁の高い位置に設けられた採光窓からの陽光だけでは薄暗い為に、獣脂蝋燭で照らされている地図の上には、敵味方の戦力を表す木片が置かれている。
木片の数はナリカラ南部が最も多い。エグリシ氏族諸侯軍を意味する赤い木片とザリャン氏族軍の黒い木片がモシニクス城を中心に睨み合っているが、黒の木片の数は赤の木片を大きく超えている。
しかし全てが一箇所に固まっているわけではなく、後方で留まっている物も数多い。よく見ればザリャン氏族軍本隊の背後に近い位置にロムジア氏族軍と見られる青の木片が置かれていた。
「ボガードは仕事が早いね、赤帽子やザリャン氏族本隊の動き以外に敵後方の情報まである程度掴んでくるなんて」
イルムの独り言に、ナリカラ軍総司令官となったティラズムが補足を入れる。
「ロムジア氏族がちょっかいを掛けているが、敵本隊に大きな動きは無い。ただ後方の戦力が増えつつある様だ、増援が到着し始めているという事だろう」
一方北部へ目を向けると北東部の要塞都市ディアウヒを中心に赤色の木片が散らばり、赤帽子の軍勢、黄色の木片が北西部のソハエムス近郊で固まっていた。ソハエムスには黒の木片が二つ置かれている。
「赤帽子はソハエムスを出て西へ進んでいる。ソハエムスを占領しているのはプロシアン氏族の軍らしい」
「プロシアン氏族ってオルベラ氏族の北西部とザリャン氏族の南東部の間に居た氏族の一つの? ザリャン氏族に飲み込まれてすっかり奴らの手先と化したみたいだね」
イルムが顔を顰めると、ティラズムはそうではないと首を振った。
「いや、ザリャン本領から兵が送られる筈だったんだが、急遽プロシアン氏族を動員したらしい」
「何でそんな事を?」
「赤帽子の不満が高まったからだそうだ。とっとと西進したいとな」
苛立ちを募らせるレッドキャップに冷や汗を流して、プロシアン氏族へ兵の招集を指示する敵将の焦り様を想像したイルムは思わず苦笑する。
それを見たティラズムもつられて同じ様な事を思ったのか、口の端を歪めた。そんな二人へクムバトが半目を向ける。
「軍議を再開してよろしいでしょうか?」
「あ、ああうん、どうぞ」
イルムの許可を得たクムバトが、地図を指し示しながら口を開いた。
「ソハエムスより出陣した赤帽子の兵数は凡そ八百、対してソハエムスから西にあるディアウヒには守兵四百と招集中の兵四百の計八百、リオニのナリカラ軍はオルベラ氏族五百とエグリシ氏族四百です」
クムバトはリオニに集結しているナリカラ軍を表す白い木片から、指先をナリカラ北部へと移す。
「北西部の要ディアウヒが落ちる事はまず無いでしょうが、連中の目的がディアウヒ攻撃ではなくその周辺、或いは中部や西部への侵入であれば厄介な事になるかと」
そう言って赤帽子の黄色い木片を掴むとディアウヒやリオニの近辺へと動かした。
敵地で行動する場合、兵站を気にする必要性はかなり薄くなる。好きなように略奪して物資を補給する事が出来るからだ。
そして略奪は補給活動であると同時に破壊活動でもある。軍を気楽に維持しつつ敵を疲弊させられる上に、挑発として敵を自軍が有利な場所へ誘い出す戦術としても敵地での略奪は有効だった。
「騎行戦術か……」
イルムは感情が抜け落ちた声を漏らす。
敵国を疲弊させる破壊活動や籠城する敵軍を挑発する目的で集落を襲撃する騎行戦術は、通常は即座に離脱出来る様に機動力の高い騎兵が中心になって行われる。
だが五百の守兵が籠るソハエムスを八百程度で、しかも一夜で陥落せしめたレッドキャップの実力であれば、妨害や迎撃を踏み潰しつつ騎行戦術を続行出来るだろう。
黄の木片に視線を落とした者達全員の脳裏に、ナリカラ北部から中部までの地域が火の海と化していく情景が浮かんだ。
クムバトが動かした木片を元の位置へと戻す。
「よって、籠城ではなく可能な限り戦力を集結させて迎撃しなければなりません」
「ふむ、出来ればディアウヒかリオニの周辺へ向かう途上の敵をスラミの軍と我らで南北から挟み討ちにしたいところだな」
そう言って腕を組んだティラズムが、考えを纏めるべく無意識に脳へ酸素を送ろうとしたのか鼻で長く息を吸う。途端に表情を僅かに顰めた。
不審に思ったイルムが顔を寄せ、小声で問い掛ける。
「……? 大丈夫?」
「……いや、蝋燭の臭いが……カシィブ公領では植物油のランプだったから、慣れてないものでな」
この世界では蜜蝋の蝋燭も存在するが、より安価な獣脂製の蝋燭が一般的だ。しかし獣脂蝋燭にはそこそこの悪臭が発生するという欠点がある。
獣脂蝋燭に慣れていないティラズムには、少しきつかった様だった。イルムは人間諸国へ御忍びを始めた頃の自分もそうだったと苦笑いを浮かべる。
だが、すぐに拳を上唇に乗せる形で口を隠した。考え込むイルムをティラズムが不思議そうに眺めていると、やがてイルムはぽつりと呟く。
「臭い……か」
その言葉を呟いた本人の目は、性質の悪い悪戯を思い付いた子供のそれだった。




