四十八話 万感
ナリカラ北東部最大の都市ソハエムス。その中心に建つ焼け焦げた領主館にて、よく日に焼けた一人のゴブリンが顔を歪めていた。
ザリャン氏族の将としてレッドキャップの監督を行なっているアニは、どうすれば良いのか迷い続けている。
大元の原因はソハエムスを落とした後に解放したザリャン氏族捕虜であった。
バゼー修道院の戦いで捕虜となっていた彼らの中には、ザリャン氏族の大将軍バガランがイルムとの一騎討ちで敗れた際に降伏したバガランの戦士団もいる。
その戦士団を虜囚から解放したアニが、バガランの仇討ちを為すべく自身の陣容に加われと説得を行ったのだが、戦士達は堂々と仇討ちを拒否したのだ。
「バガラン将軍が仇討ちを望んでいるとは思えぬ。あの方はナリカラ総督殿に首を刎ねられた時、笑っていらした」
戦士の一人が言い放った言葉に、アニは激しく動揺した。
最初は感情的に何を馬鹿なと言い放って拒絶したが、一方でバガランの死を遠目からしか見ていない自分と、死に際を見届けた戦士のどちらが事実を言っているのかは薄々分かってはいた。
動揺するアニへとどめを刺したのは、バガランの亡骸である。
当時イルムの計らいで亡骸は戦士団へと返され、戦いの三日後には敵味方の戦死者全てに対し三日祭という死者への祈祷が行われていた。更にはオルソド教に則って九日祭や四十日祭も行う様、イルムが取り計らっている。
亡骸の埋葬はザリャン本領で行いたいという戦士団の意向で埋葬式は行われていないが、イルムは死した大将軍を丁重に扱っていた。
戦士団の言葉を拒絶した翌日、バガランは笑って逝ったという言葉を確かめるべくアニはソハエムスの聖堂に向かう。そしてそこに安置され、蓋の無い棺に納められた亡骸を見た。
その瞬間、アニの身体を内側から焼き焦がしていた復讐の炎は、さっと呆気なく消える。
確かにバガランの首は笑みを浮かべていた。通常、斬り落とされた首はしばらく発生する筋肉の痙攣によって、表情が歪む事が多い。
にも関わらず笑顔を保っているという事は、死の瞬間までもバガランが心底満足し胸が喜色に染まっていた事を意味する。
弟子の一人として長くバガランの側に居たアニは、バガランが笑って逝った事の意味を正しく察した。
「あ……あぁ……」
視界が曇る中、アニはバガランの最期を幻視する。バガランは面持ちを緩めると長く息を吐き、不敵な笑みを浮かべて言う。
『一人の戦士として、此奴に討たれる最期というのも悪くない』
顔を濡らしたアニは棺に寄りかかる様に倒れ、嗚咽を漏らした。
ここで話が終われば一種の美談となっていただろう。しかし、現実はそうもいかなかった。
散々泣いて気が晴れたアニは、ある事に気付き、目を赤く腫らした顔を青ざめさせる。
今、彼はナリカラで最も悪名高いゴブリン、赤帽子を傭兵として雇い、率いていた。
仇討ちが出来れば良いとどす黒い感情のままに半分考え無しで雇い入れたが、イルムへの憎しみが薄れた以上彼らと付き合う必要も無い。が、そんな事は向こうからしたらどうでもいい事だ。
今まではナリカラ北東部のオルベラ氏族という獲物を用意出来たからこそ、彼らもアニにある程度従っている。しかし、もし次の獲物を用意出来なければ、今度はこちらを獲物と見る可能性が非常に高い。
赤帽子とはそういう者達だ。用済みだから、もう帰ってくれなどと今更言えるわけがない。それにザリャン氏族長カルスからの北西部攻撃命令もある。
ナリカラ中部の旧王都リオニを目指して、北西部に雪崩れ込む以外にアニがすべき事は無いのだが、あまりに赤帽子が凶悪過ぎた。
――このまま北西部へ向かってみろ。北東部と同じく無意味な殺戮と略奪で、彼の地を荒廃させる事になる。
アニもザリャン氏族も、他氏族を滅ぼし尽くす事を望んでいるわけではない。またナリカラを荒れ果てさせるつもりも毛頭無い。
ただナリカラの政権を奪い、バグラティオニ大王の時代の様なナリカラが強国だった頃へ立ち還らせたいだけだ。
赤帽子は戦力としては申し分ないが、戦後統治を考えれば諸刃の剣どころの話ではなかった。
「かといって、北東部に留まり続けるというのも……」
そして話は冒頭に戻る。
これから一気に北西部へ向かうのではないかと尋ねてくる赤帽子に対し、アニは何かと理由を付けて北西部攻撃を先延ばしにしつつ、どうすれば良いかを悩み続けていた。
だが、進軍準備や補給路の整備を言い訳に進軍を延期する手は限界を迎えている。頭を捻って唸るアニの元へ、赤錆色の帽子を被った大柄なゴブリンが近付く。
「なぁ準備はもういいだろう、とっととリオニへ向かいたいんだが」
「……ナゴルノ殿、もう少しの辛抱を御願いしたい」
アニは突如噴き出した冷や汗の滝を背負いながら、赤帽子の頭目、“巨人殺し”のナゴルノにそう言った。“巨人殺し”の二つ名通り、彼は巨人族の一つであるトロールを単独で討ち取った事がある猛者だ。
魔族と争っていた時代に彼の父祖が仕留めたという巨人の大腿骨で作られた柄を持つ大斧を、アニがちらっと見る。
斧にはよく研がれた刃以外の至る所に血痕が染み付いていた。思わずアニはぶるりと小さく震えたが、ナゴルノはそれに気付いた様子も無く後頭部を掻く。
「辛抱と言われてもな、もう俺も皆もオルベラを甚振るのは飽いた。いい加減新しい血が欲しい」
日常会話と同じ声色で平然と放たれた物騒な言葉に、アニは口角を僅かに引攣らせた。
「そう言われても、北西部を攻撃する前に最低限の兵をここに置かねば。もうすぐ本領から占領の軍が来る故、今少し……」
目付きを鋭くさせたナゴルノがじろりとアニを視線で射抜き、睨まれたアニは首に脂汗を浮かべる。が、すぐにナゴルノは溜息と共に険を解いた。
「分かった。進軍はザリャンの軍が到着してからだと、皆に言い聞かせよう」
「忝い」
アニがほっと息を吐く。これで少しは時間を稼げると安堵したアニだったが、次に掛けられた言葉で再び冷や汗が全身から吹き出す事となった。
「ちんたらしているとザリャンの血が流れるかもしれんがな、もう皆鬱憤を溜めつつあるぞ」
大斧を担いだ赤帽子はそう言い残してその場を後にする。残されたザリャン氏族の将は、青い顔で急遽計画の修正を脳内で行う。
占領軍はザリャン本領からではなく、北東部に近い旧プロシアン氏族を動員するべきか。でなければ間に合わないかもしれない。
そう考えを纏めると汗に濡れる額もそのままに駆け出した。が、領主館を出た途端に息急き切ったゴブリンに呼び止められる。
使者を名乗るそのゴブリンは、揺れ動いて不安定なアニの心を知らず知らずに蹴り飛ばした。
「お、王子がリオニに入った模様です!」
現在の旧王都リオニは歓喜の渦の中にある。
かつてゴブリンが群雄割拠するナリカラを一つの国に統一し、魔王軍とも熾烈に争ったバグラティオニ大王の子孫、ゴブリン達の王子が長い時を経て、遂に帰還したのだ。
町の至る所で祝杯の樽が開けられ、肉と菓子が飛び交う騒ぎが見られる。そんな町中の喧騒と離れたリオニ城でも静かな興奮で満ちており、物理的には静寂でも気配は騒がしい異様な空気となっていた。
その原因であるゴブリンの王子は今、城内の大広間にてエグリシ氏族とオルベラ氏族、更にはナリカラ教会の有力者達に囲まれながら、イルムと向かい合っている。
イルムは目の前に立つゴブリンは、人間や魔族の間で語られるゴブリンの風評から最も掛け離れた姿をしていた。
すっと伸びた鼻と程よく焼けた肌の紅顔、また王子というだけあって佇まいからも貴さを醸し出している。
その見目は化粧も相まってよく整っている様に見えた。先の尖った耳を見なければ、人間の王侯か何かの子弟と思われるだろう。
砂と岩の地であるカシィブ公領で長く過ごしていたからか、彼は円柱型の帽子を被り砂地に適するゆったりとした長衣を身に纏っている。
現在のナリカラで最も高貴なるゴブリンは、胸に手を当て小さく頭を下げた。
「大王の血を受け継ぐ者、ティラズム。総督の求めに応じて、ただ今参じた」
「ナリカラ総督のイルム。貴殿を総督府へ歓迎するとともにナリカラ軍総司令官に任命する。以後、軍務に励む様に」
「謹んで御受けする」
ティラズムと名乗ったゴブリンの王子は、ゆっくりとした動きで顔を上げる。お互いに正面から視線をぶつけ合うと、イルムが表情を崩して右手を前に伸ばした。
「堅苦しいのはこれぐらいにして……初めまして、これからよろしく」
差し出された手をティラズムが握り返す。イルムと同じ様に面相を和らげて口を開いた。
「こちらこそ、世話になる」
その瞬間、見守っていたゴブリン達の感情が爆発する。万歳の歓呼で満たされた大広間の中心で、ナリカラ総督である魔族の青年とゴブリンの王子は、その声々に苦笑を浮かべながらも握り合った手を離す事は無かった。




