四十一話 敗走
燃え盛る平衡錘投石機や弩砲を背景に、ゴブリン達が北へ向かって潰走している。ナリカラ軍はほとんど総崩れの様相を帯びていた。
軍勢から烏合の集と化したナリカラ軍を見つめる青銅製の鱗鎧を身に付けたゴブリン、ザリャンの大氏族長カルスの表情は、明るいとは言い難い渋顔である。
「勝つには勝ったが、手間と損害がな……トロールが半壊以上というのは流石に想定外だ」
ナリカラ軍の弩砲によって、トロールは甚大な被害を受けた。五十いた巨人は今や十五体、しかもその半数は重軽傷を負っている。
これから行われなければならないモシニクス城攻略に投入出来るのは、精々八から十体程度だろう。
打って変わって高位の戦士で構成された騎兵隊は、目覚ましい活躍を見せつつも損害は軽微。今もナリカラ軍の射手部隊を接近する迫力だけで敗走させ、追撃の為にナリカラ軍の隙間を縫って後方へ入り込もうとしている。
だが、軍主力に関しては邪魔者により、本格的な追撃に移れていない。竜を亡ぼす騎士を描いた軍旗を掲げる軍勢が、殺到するザリャン氏族軍にしぶとく抵抗していた。
「ギオルギか、エグリシ氏族諸侯の中でもかなり政軍共に厄介な奴だ。王族の遠戚ってところが嫌過ぎる、何としてでも討ち取って欲しいが……」
カルスはナリカラ軍本陣へと目を向ける。敗走する兵と、本陣に留まる部隊が押し合いへし合いの大混乱となっていた。
しかし一部には退くどころか、ギオルギ勢を支援する為なのか前進する軍勢が見受けられる。
その軍は白鳥の旗をたなびかせていた。トロールに強力な打撃を与えられても、瞬く間に立て直して見せたエレクレ勢だ。
「ちぃっ! またエレクレか! アイツも大王の血を受け継いでいる、おまけに戦上手と来たもんだ。トロール相手にゴブリンだけで善戦出来るのは、ナリカラ広しと言えども片手の指しかいねえぞ」
ザリャン氏族の優勢に水を差すエグリシ氏族の名将達に苛立ちを隠し切れないカルスは、統制が難しくなる事を承知で総攻撃の指令を出す。
「全軍突撃、敵の殿に構わず前へ進め。敵をモシニクス城へ逃がすな!」
総攻撃の令を受け、ザリャン氏族軍はゴブリンの波となってナリカラ軍を呑み込みに掛かった。
だが、ギオルギ勢に喰らい付くザリャン氏族の部隊は、エレクレ勢とそれに続いて来たロムジア氏族の攻撃を浴びる。
精強な両勢に横っ面を殴られたザリャン氏族軍の前衛は堪らず崩れ、その隙にギオルギ勢は後方へと離脱していく。
カルスは顔をますます渋くさせ、長い溜息を吐いた。
「……はぁぁ、結局ギオルギには逃げられるか。後はどれだけ追撃で削れるかだな」
ギオルギ、エレクレ、ロムジア氏族といったナリカラ軍の精鋭は、ある程度整然と固まって撤退している為、逆撃の可能性を考えるとこれ以上追うのは難しい。
一方で後方へと浸透して追撃中の騎兵隊は、無秩序に逃げ惑う部隊を狙って確実に戦果を挙げている。
ただ、ばらばらに逃げる敵を追い掛け回す騎兵隊も散らばってしまい、ナリカラ軍本陣やギオルギ達を攻撃できる状態ではなくなってしまった。
「“逃げる大軍より、後々難敵となるであろう向かって来る小勢を優先して討て” ……言うは易しか。難しいぜバガラン……」
自分が今は亡き師、バガランの教えとは逆の事をしてしまっている事態に、カルスは遠い目で物思いに耽る。
敵を叩く時は量よりも質を削り取り、数だけの弱兵だらけにしてしまうべきだという教えの正しさはカルスもザリャン氏族の諸将も理解していた。
しかし、現実には中々難しい。勝っている時は大抵の場合、兵は命を惜しむものだ。踏ん張り時であれば兵も奮起するが、対照的に有利な状況で不運にもうっかり戦死など誰だって御免被る。
五百程度のギオルギ勢が、数倍のザリャン氏族を相手取れたのも、ナリカラ軍総退却の動きにザリャン氏族兵が勝ち戦気分になってしまい、疲労も相まって精強なギオルギ勢に打ち掛かる気力が失せていたからだ。
ギオルギ勢に殺到していたザリャン氏族兵の実態も、ギオルギ勢に立ち塞がれた為に立ち往生してしまった兵の背中を、後退するナリカラ軍を追撃しようする兵が押していただけであり、攻撃の意気も少ない連中に過ぎなかった。
「騎兵隊も確実かつ安全に手柄を挙げられる弱兵討ちになっちまって、肝心の本隊を避けている。どうしたもんか……はぁ……」
ナリカラ軍が規律を失っていくのと同時に、ザリャン氏族軍も無秩序になってしまったのを見て、カルスは勝者らしくない溜息を再び吐き出す。
最早両軍共に収拾が付かなくなっていた。いや、寧ろ勝者であるザリャン氏族軍より、敗者である筈のナリカラ軍の方が秩序立って行動出来ている部隊が多い。
「エグリシ氏族諸侯とだけやり合った先の会戦と変わらねぇじゃねぇか、あの時も上手く立ち回る敵が多くて主力を逃した。やっぱ士気や練度の低い兵は数合わせにしかならんか、本領に残してきた戦士や質の良い民兵を引っ張って来ねぇと難しいな……でもそれを率いる将が曲者揃いなんだよなぁ」
カルスはまた一つ溜息を零した。
ザリャン氏族軍の追撃が統制の無いものになった頃、ナリカラ軍はようやく全軍が撤退へと移る。
殿軍を務めたギオルギ勢や、ギオルギ勢の離脱を支援したエレクレ勢とロムジア氏族軍が優勢的に退却し、今度は本陣が殿として最後尾に就く。
イルムのいる本陣に残っていたのは、最後の予備部隊であったリオニ民兵隊百とエグリシ氏族騎兵隊八十、そして本陣に逃げて来た敗兵や後退したエグリシ氏族諸侯部隊を掻き集めた二百の合計三百八十だ。
殿軍だった部隊やイルム指揮下の本隊は密集して追撃に備えている為、追撃している内に分散してしまったザリャン氏族軍も、無理に襲って来る事は無かった。
お互いに付かず離れずの距離を保ちながら、モシニクス城を目指す。
「せっかくまとまった戦力が本陣に残ったのに、ここで痛撃を与えられるわけにはいかない。皆、敵の追撃はそう激しくならない筈だ、怯える必要は無い!」
イルムは務めて落ち着いた態度を示す。だが内心は複雑だ。
イルムの考えでは、敗北自体は織り込み済みとはいえ、本来はもう少しましな負け方をする筈だった。行うのはあくまで秩序ある撤退であって、敗走にする積もりは無かったのだ。
敗走の中でも、全軍崩壊に比べれば今回はまだ良い方なのだが、イルムの計画とは随分と違った結果となっている。
イルムは小声で愚痴った。
「ゴブリンの王子が居てくれたら、もう少し色々と小細工出来たんだけどなぁ……」
東のカシィブ公領からナリカラに入る予定だった王子は、北東部がレッドキャップに蹂躙された事を受けて、北のスブムンド公領を経由する道程と予想される。当然、時間は余計に掛かるだろう。
イルムは思わず溜息を吐く。その時、警報の叫びが上がった。
「東に敵騎兵!」
警報を聞いた全員が、視線を向けていたモシニクス城から右へ首を回す。確かに百騎以上の騎兵の群れが右手に見えた。
「追撃に夢中でばらばらになったのがある程度再集合したのか、面倒な」
イルムは苦い顔でそう漏らす。敵騎兵は既に横列を組んで突撃の態勢を作っていた。これにナリカラ軍の騎兵が立ち向かうべく隊列を整える。
先に駆け出したのは敵の騎兵隊だった。ナリカラ軍騎兵も槍を向け、或いは剣を振り上げる。
「突っ込め!」
「投げぇ!」
突撃するナリカラ軍騎兵に、敵騎兵が投げ付けた手槍が降り注いだ。赤目ロバの嘶きとゴブリンの悲鳴が同時に響き、すぐ後に両者は金属と肉がぶつかり合う音を喚き立てる。
衝突した両騎兵隊はそのまま真っ直ぐ駆け抜けたが、その後の姿と行動は対照的であった。
四割近くの被害を受けてぼろぼろのナリカラ軍騎兵が北へ馬首を向け、本隊そっちのけで遁走を開始。
それに対し、二割程数を減らしたザリャン氏族軍の騎兵はナリカラ軍本隊に向かって来る。
「騎兵はもう少し粘ってよ……槍構え! 射手、好きに射て!」
愚痴を零しつつ、イルムは自ら剣を抜いて馬上から命令を飛ばし、本隊に迎撃の構えを取らせた。
密度の低い矢の中を難無く潜る敵騎兵が、蛮声と掲げる剣で威嚇しながら長さにばらつきがある槍の壁を横切る。
「うわ、突っ込まずに嫌がらせを繰り返すつもりだ。こっちの足を鈍らせに来た」
槍兵が騎兵に対抗するには、どうしても足を止め、腰を落として待ち構えなければならない。その間、歩みが止まってしまい敵の主力に追い付かれやすくなってしまう。
かといって無視する事も出来ずに、ナリカラ軍三百はなるべく密集しつつゆっくりとモシニクス城を目指す。
そのイルム率いるナリカラ軍三百に、八十程の騎兵が再び襲い掛かった。
数の上では圧倒していても中身は寄せ集め、しかも大半が敗残兵である。ゴブリン達は顔を恐怖に染めながら槍を構えた。
騎兵隊は嘲笑うかの様に、突き出された穂先を剣で軽く叩いてから離れていく。
槍先が叩かれる度にナリカラ軍のゴブリンは短い悲鳴を上げ、低い士気が更に下がっていた。
「怯えるな! 敵が突っ込んで来る事は無い! モシニクス城もすぐそこだ、もう少しで城からの救援が来る!」
今にも武器を捨てて逃げ出しそうな兵に言い聞かせるイルムだったが、大きな問題がナリカラ軍にのし掛かっていた。
敵騎兵の妨害で行軍速度が落ち、先行している友軍との距離が離れてしまい、半ば孤立してしまったのである。
敵騎兵の妨害は激しさを増した。あらゆる方向から接近と離脱を繰り返して、ナリカラ軍を翻弄する。
騎兵が近付く度にいちいちゴブリン達は全員が騎兵へと向き直る為、余計に疲労してしまい隊列が乱れていく。
このままでは本当に突撃された時、一撃で崩壊してしまいかねない。
イルムは思考を巡らせ、記憶の中から騎兵への対策を探す。
「何か……何かあれば……あっ」
そして一つの答えに辿り着いた。




