三十六話 布陣
ナリカラ北東部がレッドキャップに蹂躙されてから五日後、遂にリオニの元へ来たるべき一報が届いた。
ザリャン氏族軍、進軍を開始。
ザリャン氏族長カルス率いる五千が、南部のメスキ城より出撃、南部の各占領地を計二千五百の兵で固めた上での隙の無い行動だった。
エグリシ氏族は事前に軍勢集結を察知していたものの、ナリカラ中南部の前線に張り付くエグリシ氏族諸侯軍の戦力三千では、攻勢という選択を取る事は出来なかった。
「諸侯軍が一枚岩だったら攻勢に出るのもありだったんだけどねぇ。敵守備戦力の合計が二千五百とはいえ、数百毎に分散しているんだから纏まった数を揃えれば幾つかの城を落として楔を打つ程度は出来る」
リオニ城の執務室でイルムはそう独り言ちた。
十分な用意がされた拠点、陣地を攻撃する場合、攻撃側は防衛側の三倍の兵力が必要とされる。所謂攻撃三倍の法則だ。
この世界ではまだその法則が論じられてはいないが、防衛側よりも攻撃側の方が戦力を多く用意するのは、最早半ば常識となっている。
しかし、これは寡勢が多勢に対して防衛に回る事を意味しない。
総戦力が劣っていても局地的優位、つまり実際に戦う相手の数が自分達よりも少なくなる様にしてから、各個撃破すれば寡勢でも総力に勝る敵に勝利出来るのである。
人間が巨人と一対一で戦って勝つ事は出来ないが、数十人のゴブリンを一人一人順番に相手にすれば勝利する事は可能なのだ。
「でもエグリシ氏族は統率力の低い諸侯軍、誰が指揮を執って、誰の軍が主力になるかで絶対揉めるよねぇ……決まっても大抵肝心な時にばらばらになるんだ。特に相手が自分達より強大だと」
イルムは小さく溜息を吐く。実際に、ザリャン氏族に攻勢の兆候が見られた時、エグリシ氏族諸侯の中から出鼻を挫くべく先制攻撃に出るべきという意見が出た。
が、慎重論が多数を占めた上に、主戦派の中で軍の指揮権を誰が持つのかで意見が割れたのである。結局先制攻撃の案は立ち消えとなった。
イルムはこれを、今まで多くの軍記物や史書を読んできた経験から容易に予想していた。彼も伊達に書物を読み漁っていない。
「こっちが出来る事は、迎え討つ事だけ。でも主導権を向こうに握られ続けられるのは良くないなぁ」
イルムは椅子に身体を預けて仰け反る。城に籠って耐えるのは論外、数だけでなく質も大きく勝る相手に籠城しても長くは持たない。
その上、別の城から救援に向かう軍もばらばらに出撃し、数も足りずに敵の背中を突く事すら厳しいだろう。
「だからといって会戦に持ち込んでもまだ戦力差が……始めのソハエムス奪還戦でトロールがいたけど、絶対ザリャン氏族軍本隊にもトロールいるよね……あんなのがぞろぞろいると思うと……」
野戦であれば総督府側の戦力を一つに纏めて対抗出来る。
ザリャン氏族軍五千に対して、総督府側が野戦に使用できる戦力は、エグリシ氏族諸侯軍三千の内二千とオルベラ氏族軍八百。
そして、つい最近味方となったロムジア氏族七百とリオニで召集した三百の計三千八百、数だけで言えば戦術を駆使して何とか戦える差だ。
しかし、それは両軍の兵の種族がゴブリンに限られていた場合である。
ザリャン氏族は、小柄なゴブリンどころか人間を大きく超える巨体を持つトロールを傭兵として雇っており、総数は不明ながら目下最大の脅威であった。
籠城してもトロールが相手では城門が容易に抜かれかねず、一度城内に侵入を許すと完全に手が付けられない事になる。
だが、野戦であればまだ手はあった。
イルムは執務机の上に重なる羊皮紙の一つを手に取る。
「兵器工房の稼働状況はまずまずといったところかな。人力式投石機はいまいち扱い辛い、改良型の投石機と諸兵器の数は……十分とは言い難いけれど、これで戦うしかないか」
イルムはまた一つ溜息を吐くが、表情はそれほど暗くはない。勝利はともかく、負けない自信は十分にあった。
ザリャン氏族軍進軍開始の報せが来た翌日、リオニからオルベラ氏族八百とエグリシ氏族ゴブリンの人夫や従軍商人で構成された輜重隊が、ナリカラ軍の旗を掲げて南へと進発する。
中南部で防衛線を張るエグリシ氏族諸侯も、守備兵を残して中南部最大の拠点モシニクス城に集結、城の郊外に大軍が野営地を築き決戦に備えた。
南部の有力氏族、ロムジア氏族は本拠地のあるナリカラ南西部より出発、エグリシ氏族諸侯軍との合流を目指す。
一方のメスキ城を出たザリャン氏族軍五千は、ナリカラ軍が集結中のモシニクス城へ向かっていたが、その進軍速度は鈍いの一言に尽きた。
五千もの大軍となれば、その行軍列は凄まじい長さになる。先頭が朝に出発しても、昼前にならなければ順番を待つ最後尾は出発地点から動く事も出来ないのだ。
当然物資を運ぶ輜重段列もかなりの規模であり、荷車が壊れる又は荷車を牽く輓獣が体調を崩してしまい立ち往生するなどのトラブルも、規模に比例して頻発していた。
巨体と怪力のトロール達がいたお陰で立ち往生自体は速やかに解決されるものの、その度に進軍が停止する為、ただでさえ小柄で歩幅が小さい故に移動速度が遅いゴブリンの行軍に遅れが重なっていく。
ゴブリンは人間よりも持久力に優れる為に休憩をあまり取らずに歩み続けられるとはいえ、これでは強行軍を行っても大して距離を稼ぐ事は出来ない。
将も兵もどうにもならない事への苛立ちを募らせながら、ザリャン氏族軍は進み続けた。モシニクス城を望める地点に到着したのは、メスキ城を出てから二十日も後の事である。
ザリャン氏族軍の眼に映るモシニクス城前に築かれた巨大な野営陣地には、エグリシ氏族諸侯の旗印だけでなく、既にナリカラ軍の軍旗とロムジア氏族の流れ旗も掲げられていた。
――ナリカラ軍本陣。
「ロムジア氏族の長、アスピンザと申す。此度の戦さにて、総督閣下の御期待に応えるべく馳せ参じ申した」
小札鎧を身に纏った皺の目立つ古強者といった雰囲気を醸し出すゴブリンが、跪いて深々と頭を下げた。
ロムジア氏族は、ナリカラ三大氏族の背中を追える程の力を持つ南部最大の有力氏族である。抱える兵は二千を数えるとも言われていたが、実際に領地から外へ出せるのは七百程度だった。
しかし、顔を上げたアスピンザは力強い眼光と声色をイルムへ向ける。
「我らロムジア氏族七百は、皆ザリャンの戦士に劣らぬ強者揃い。トロールにも怯みはしませぬ」
アスピンザの言葉通り、ロムジア氏族のゴブリンは戦士どころか民兵すら目つきが鋭く、規律立っている様子から練度の高さが窺えた。
「頼りにするよ、何しろ敵はこちらより千二百も上だからね。まぁ射ち合いでは負けないけど」
エグリシ氏族諸侯との顔合わせを終え、ロムジア氏族と対面していたイルムは、アスピンザから視線を変えて自陣に聳える構造物群を見やる。
それらは人力式投石機を改良した投石機だ。縄で引っ張って、てこを動かしていた部分が石の詰まった錘に代わっている。
錘が吊り下がる棒の先端部には大型の投石紐が付けられ、ハンドルを持つ滑車に巻かれた縄で引き下げられていた。投石機の他にも、弩を巨大化させたような兵器もある。
「平衡錘投石機八基に弩砲十二台、重要部品だけ工房で生産して木製の土台とかは現地製造したお陰でここまで揃った。向こうは……嫌な物が見えるな……」
目を細めてザリャン氏族軍を睨むイルムは、僅かに顔を顰めた。多くの軍旗や部隊杖が掲げられているザリャン氏族軍の中に、明らかに身体が飛び出ている者達がいる。
人間の二倍程の体躯を誇る毛むくじゃらの巨人、トロールがざっと五十は見えていた。異様な大きさの鷲鼻が、遠目からでも薄っすらと分かる。
だが、イルムは別の地点を見て更に表情を曇らせた。
「……トロール以外にもまた嫌なのが……」
視線の先には、馬の頭蓋骨を飾った部隊杖を中心に待機している鎖帷子姿のゴブリン達がいる。そのゴブリン達は全員赤い瞳を持つロバや小型馬に騎乗していた。
「騎兵……一応エグリシ氏族諸侯軍にも騎兵がいるけど、規模がまるで違うや」
エグリシ氏族諸侯軍の騎兵は全て合わせても二百程度であるのに対し、対面するザリャン氏族軍の騎兵は優に四百は超えている。
エグリシ氏族はバグラティオニ大王を失って以来、統率者が現れず纏まりを欠いており、ゆっくりと衰退しつつあった。
それに対して、カルスという大王に代わる指導者を得たザリャン氏族は、バガラン将軍が行った軍制改革もあって有力戦士による大規模な騎兵隊の編成に成功している。
――突破力、破壊力は向こうが優っている。こっちは射撃で圧倒しつつ、何とか前衛が食い止めなきゃいけない。厳しい戦いになるな。
イルムは一度顔を険しくすると、すぐにそれを落ち着いた雰囲気で隠す。徐にナリカラ軍の諸将へと振り返り、口角を上げた。
余裕を演じながらアミネが引く一ツ目馬に跨って、全軍に向け声高に決戦前の演説を打つ。
「皆、よく聴け! 我が軍の中には敵の数を見て怖気付いた者もいるかもしれない。だが、何ら心配する事は無い! 我らはただ矢玉を投げ掛け、槍を構えておけば良いのだ。そもそも、敵は私利私欲に目が眩んだ侵略者であり逆賊である。正義は我らにあるのだ。各隊は何の気兼ねも無く存分に実力を振るい名を上げよ!」
軍記物仕込みの演説に、ナリカラ軍は鬨の声で答える。一拍遅れてザリャン氏族軍からも雄叫びが上がった。向こうも戦闘前の演説を終えたらしい。
やがて、ザリャン氏族軍から打ち鳴らされる太鼓と角笛の音が湧き上がる。
それは誰もが思わず身を震わせる程のものだったが、これから始まる剣戟と怒声で構成される戦場音楽からすれば、所詮前奏に過ぎなかった。




