三十五話 赤帽子
ナリカラ北東部最大の都市ソハエムス。ナリカラ三大氏族の一つ、オルベラ氏族の本拠でもあるこの有力都市は、血と黒煙に包まれていた。
焼け焦げた領主館前の広場には、串刺しにされたゴブリンの生首が並んでいる。その中に、かつてイルムへソハエムスの戦力を報告したやたら声が大きい文官のものもあった。
どす黒く染まった広場を歩く一人のゴブリンが、忌々しそうに生首の列を睨む。
「クムバトどころか、オルベラの有力者の姿がまるで無いとは、外れだったな」
ザリャン氏族ゴブリンの将、アニはそう小さく溢した。彼はひとしきり生首の林を睨んでいたが、やがて興味を失ったのか広場を後にする。
ソハエムスのあちこちからは黒煙と悲鳴が立ち上り、むせ返る様な血の臭いが漂っているが、アニは全く気にせずにソハエムス中を見て回っていく。
ザリャン氏族の有力将であるアニが居るにも関わらず、ソハエムスにはザリャン氏族軍の特徴の一つである部隊杖が何故か見えない。
ザリャン氏族では部隊識別の旗印として、棒の先に魔物などの頭骨や羽飾りを付けた部隊杖を持っている事が多いのだが、ザリャン氏族の手に落ちたであろうソハエムスの中に、部隊杖を掲げているゴブリンの姿はほぼ見られなかった。
その代わりに赤錆色の帽子を被ったゴブリン達の姿が目立つ。
彼らは、拘束され命乞いをするオルベラ氏族ゴブリンの首を、斧で切り落としては小滝の如く流れ出る鮮血を帽子に振り掛けている。
帽子の赤錆色に鮮やかな赤が加わると、その帽子を被るゴブリンは上機嫌かつ下品にげらげらと笑い出す。
人間達が想像する野蛮で残酷なゴブリンの姿がそこにあった。
「赤帽子……噂通り、己の帽子を血で染める事に無上の誇りと喜びを持つのだな」
アニは背筋に薄ら寒いものを感じながら、血染めの帽子を被ったレッドキャップ達から視線を外す。
レッドキャップは、ナリカラ中央部と東部の間に横たわる小山脈に住むゴブリン達で、何れの氏族にも属さない独立勢力だ。
彼らは非常に気まぐれかつ残忍であり、時たま氏族間の抗争に首を突っ込んでは、殺戮と略奪を繰り返して滅茶苦茶にしていく無法者としてナリカラ中から恐れられている。
バガラン将軍の死後、アニは将軍の仇を討つべくレッドキャップを傭兵として迎え入れた。
報酬は充分に支払う上、オルベラ氏族の領域を好きにしてよいと伝えた結果、ソハエムスを始めナリカラ北東部は瞬く間に、血に染まっていったのである。
「規律の欠片も無い連中だが、戦力としては申し分無い。千に満たぬ数でソハエムスを一夜で落とすとは……」
オルベラ支族領域の守備兵力は大抵五十から二百程度であったのに対し、ソハエムスには五百もの兵が守備に就いていた。
が、レッドキャップからすれば二百も五百も変わらぬらしく、悠々と城門を突破して守備隊を鏖殺している。
アニは自らが味方に引き込んだとはいえ、レッドキャップが想像以上に残虐な者達であった事に少々怯んだが、最早後戻りは出来ぬと気を引き締めた。
その矢先、レッドキャップの集団が一人のオルベラ氏族ゴブリンを囲んでいるのを見つける。レッドキャップ達は、何やら樽をゴブリンに押し付けていた。
「ほれ、水樽一つ飲み干せたら命は取らないでやるよ」
「おらっ飲め! おっと鼻で息するな、一息で飲むのが礼儀だろうが」
レッドキャップ達は樽を持ち上げ、取り押さえられたゴブリンの口に水を叩き込む。更に鼻をつまんで呼吸を奪った。
哀れなゴブリンが咳き込もうが暴れようが構わずに、水を無理矢理飲ませ続けるレッドキャップ達は、口々に勝手な事を言い出す。
「飲み干せるか溺れ死ぬか賭けようぜ」
「ひゃひゃ! 飲み干せる訳ねーだろ!」
「じゃあどこまで飲んで死ぬか賭けようぜ、半分は絶対無理だ!」
「なら俺は百数えた所で死ぬに賭けるか」
こういったレッドキャップの蛮行は、今のソハエムスではどこでも見られる光景と化していた。
溺死させられそうになっているゴブリンから視線を別の場所に変えても、今度は家屋の軒先に吊るされたゴブリンの死体が目に入る。
その家屋からはゴブリンの女性の叫び声が何度も響き、隣の家からは金品を抱えたレッドキャップが、にやにや笑いながら戸口を開けて出て来た。
陥落した都市で略奪や虐殺、暴力の嵐が吹き荒れるのは、よくある事ではある。人間同士の戦いでも、攻撃前の降伏勧告を受け入れなかった都市は、陥落から三日間好きに略奪してよいという戦さの決まりがある程だ。
故に、アニもレッドキャップの振る舞いに眉を顰める事はあっても、大きな違和感を感じはしなかった。
また今の彼の頭は、バガラン将軍の仇であるイルムをどう追い詰めるかで一杯だったのだ。
「オルベラ氏族は壊滅したも同然、そろそろカルス様も動かれる筈だ。こちらも西へ向かう準備をせねば」
アニの独り言は、辺りで響き渡る断末魔の叫びと邪悪な笑い声の中に消えた。
この翌朝に、ディアウヒへ急報が届く。そして昼前にはリオニへと報せが入った。ソハエムス陥落すという報が。
ナリカラ総督府が置かれたリオニ城は、混乱の坩堝と化していた。
いつか来るであろうザリャン氏族の攻勢を覚悟してはいたものの、てっきりそれは南部で始まると思っていた所へ、北東部失落の凶報である。特に北東部に本拠とするオルベラ氏族の動揺は大きい。
ゲガルクニクを主とする主戦派は、直ちに軍を北東部へ向けるべしと声を上げたが、相手がレッドキャップと分かると途端に声を潜めた。
それ程までに、レッドキャップの悪名はナリカラに響いている。
イーゴルらとの会談を中止したイルムは、執務室に戻って書状を量産していた。宛先にはカシィブ公の他、スブムンド公やラトンク公の名まである。
「赤帽子って言ったら、ゴブリンの中で最悪の手合いと魔族にも知られている奴らじゃないか。そんなのが相手なんて形振り構ってられないよ」
冷や汗を一筋流したイルムは、そう漏らした。
魔王軍のナリカラ侵攻時、レッドキャップはバグラティオニ大王に従って魔族と戦っている。
当時を知る魔族曰く、彼らは血こそ力の源であると考え、帽子に血を吸わせれば吸わせた程被る者に力を与えると信仰していた。
その信仰によって恐れを知らぬ戦士となった彼らは、巨人にすら嬉々として襲い掛かったという。
魔族も脅威に思う存在に焦りを募らせていくイルムの耳朶を、凛とした声が打って彼を正気に戻した。
「上に立つ者が取り乱してどうする。まだ敵の本命は動いてもいないというのに」
執務室にはイルムだけでなく、エルガの姿もあった。急報が入った後、会談を中止してそのまま部屋に戻されたイーゴルらと違い、外交顧問として状況を説明されている。
彼女は鷲の様な瞳で真っ直ぐイルムを見据え、淡々と言い聞かせた。
「衝撃的だったのは分かるが、誰も彼も使者の言う事を鵜呑みにし過ぎだ。正面にいる五千の大軍に比べれば、千前後の軍なぞ占領地の維持も出来ないただの陽動に過ぎん。北部は現地の守備で事足りる」
エルガの冷たい眼差しに、焦りの熱を帯びていたイルムの思考が冷めていく。
冷静になって考えてみると、いくら強力な軍といえども千程度ではナリカラ北東部を制圧、維持するには少な過ぎる。
本命は間違いなくザリャン氏族軍本隊五千であるのは、最初から疑いようが無い。あくまでレッドキャップはナリカラ総督府側を動揺させるのが目的なのだろう。
「エルガさん、ありがとうございます。お陰で頭が冷えました」
「礼も敬語も要らない。早々に総督府が瓦解して失職はしたくないからな」
エルガの素っ気ない態度に、苦笑を返しつつも、イルムは思考を続ける。レッドキャップによる北東部攻撃に、陽動の他にもう一つ狙いがある事に気付いたのだ。
――ザリャン氏族は何が何でも、こちらとスブムンド公領やカシィブ公領を切り離しておきたいのか。
気持ちを落ち着かせたイルムは、ザリャン氏族が自分達と魔族との連携をいやに恐れているのを感じ取っていた。
独立を図っているとはいえ、やはり魔族が恐ろしいのか、それとも……。
「王子の存在……? カシィブ公の元から王子が戻って来る事を警戒しているのかな?」
エグリシ氏族は王子帰還を心待ちにしているが、ザリャン氏族はどうか? イルムは王子帰還によるザリャン氏族の不利益を考える。
まず挙げられるのは、オルベラ氏族とエグリシ氏族、更に他の諸氏族が王子の元で一つに纏まり、ザリャン氏族に向かって来る事だ。
だがこれはイルムがナリカラ軍を創設した後ならともかく、最初から北東部と魔族領域の遮断を図っていた事を説明出来ない。
次に考えられるのは、魔族の傀儡としての王子帰還を恐れている事だ。もしかするとザリャン氏族は、ナリカラを独立させた上で王子救出を考えていたのかもしれない。
オルベラ氏族を真っ先に攻めたのも、オルベラ氏族が独立や王子奪還に賛同するとは思えなかったからか。
或いは、はなから王子帰還の可能性を煩わしく思っていたか。
「……考えても仕方がない。とにかくザリャン氏族本隊の攻勢に備えつつ、北東部を取り戻す為の手立てを尽くさないと」
イルムは再び、書状を量産する作業に戻った。




