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三十四話 使者

 

 全員の視線がイルムに集中した。イルムはエルガの視線だけを気にしながら口を開く。


「教会へ最初の書状を渡しに接触するのは、僕だけでいいんじゃないかな。人間諸国をバレずに回った経験があるし、僕が直接行った方が人間側の動きも分かりやすい」


 イルムの言う通り、彼は人間とほぼ変わらない見た目から、人間の振りをしての人間諸国巡りをよく行っていた。

 エルガと最初に出会った時も、目当ての人間の書物を求めてカシィブ公領から西へナリカラを迂回する形で人間諸国を回っていた時だ。

 その後、スブムント公領を通って魔都(ファウダー)へ入り、五公会議にてナリカラ総督に任じられたのである。


 過去に何度も人間達に紛れた経験から、自分こそが適任であるというイルムの主張を、最初に反対したのはクムバトだった。


「閣下、何度でも言います。貴方はナリカラの総督なのですよ! 何故その御身(おんみ)を危険に晒しますか!?」

「いやだから、今までは大丈夫だったんだから––」

「今までは良かったからといって、これからも良いという保証は御座いません! 総督という御立場を自覚なさって下さい!」

「でも――」

「でもも、何もありません!」

「クムバト殿、落ち着かれませ」


 見かねたスピタカヴォルが、クムバトを抑える。ザヘシ司祭も心配気な面持ちで、イルムへ自重を願い出た。


「閣下、何も御自ら赴く必要は御座いません。これは我らナリカラ教会の事、己が蒔いた種は己で刈るのが筋でありますれば」

「確かにそうだろうけど、やっぱり自分の目と耳で反応を確認したいんだ。間諜でもいれば良いんだけど、今の総督府に諜報を行える人材は無いし、結局情勢を感じ取るには直接行くしかないんだよね」


 イルムの意見は一見滅茶苦茶の様に思えるが、領主や君主が自ら現場に赴くというのは案外多い。

 大抵の事が文書で定められる程、官僚制度が整っているならば文書で報告を受け、文書で指示するだけで良いが、識字や計算が特殊技能であるこの世界ではまだ官僚制度が未熟な地域がほとんどだ。


 その為、領主本人が直接現場を確認して直接指示を出す事が多く、逆に文書だけで決めてしまう行為は人々から怠慢と見做(みな)されがちですらある。


 ナリカラでも文書決裁が出来ているのは領主と代官の間やリオニ内だけだ。故にイルムの発想は突拍子がないとは言い難い。流石に総督自らが密使をするのは、史上初だろうが。


「されど……」

「なぁ、俺達にも少しは説明をくれ」


 ザヘシが困り果てていると、イーゴルがグラゴル語で口を挟んだ。イルムとゴブリンとの会話は、基本的にゴブリンの言葉で行われている為、イーゴルらにはちんぷんかんぷんである。


「お前さんが書状を直接教会に届けるという事で揉めてるのは分かるが、別に教会に拘らなくても良いんじゃねぇか? 冒険者の中にも人魔交流に関わった奴がいるし、わざわざ教会と繋ぎを作る必要はねぇだろ」


 イーゴルの言に、イルム達は押し黙った。事実、交易をするだけなら教会に拘る必要はない。

 言ってしまえば、人間の産物を得る又はナリカラからの輸出だけなら密貿易でも構わないのだ。北海密貿易事件を始めとする人魔交流の様に。

 だが、ナリカラからすればそれでは十分ではない。


「いえ、人間諸国の教会とナリカラ教会との繋がりが無いと色々不都合があるもので」


 しばらくしてからイルムが発した丁寧ながらもきっぱりとした声色に、イーゴルもそれ以上口を挟もうとはしなくなる。その代わり、発言をイーゴルに任せていた従士(ドルジーナ)の一人、ユーリイが口を開いた。


「……教会主導じゃないと……争いになった時に……すぐに止められないから……?」

「……そういう事になりますかね」


 人間諸国がナリカラ侵攻に乗り出した時に、それを抑え込める勢力は教会ぐらいだ。故にユーリイの言葉も間違いではない。が、ナリカラにとってはそれ以上に――


「ふむ、ゴブリンの現状とその反応からして、気兼ねなく人間の技術や人材を取り入れられる様にしたいといった所であろうか? 実現すれば教会も布教や交流などの為に人を派遣する。そしてその内、技術も渡る事になるであろうな」

「……」


 ドミトリーの鋭い指摘に、イルムは沈黙するしかなかった。

 どうもイーゴルは貴族出身で、他の三人も彼の従士らしいとはイルムも小耳に挟んでいたが、その教養具合や頭の回転は予想を大きく超えている。思っていた以上に、イーゴルは高位の出である様だ。


 ――接収した甲冑や武器から見て、彼らはナリカラから西南のキーイ大公国辺りの人間。イーゴルはもしかするとキーイに従う分領公国の(クニャージ)の血縁者か何かかな?


 イルムはそう当たりを付ける。キーイ大公国の支配者キーイ大公を国王とすれば、(クニャージ)は他国における大貴族だ。そして分領公国とは、大貴族の領邦に当たる。

 イーゴルが大貴族に連なる者ならば、彼の従士の能力にも納得がいった。


 イルムは、必要以上にナリカラの事情を明かさない様、慎重に言葉を選ぶ。


「御自由に想像して頂いて結構。ただ、教会同士の交流を目指しているのは事実。少なくともゴブリンは人間と争い続ける積もりはありません。あ、これは北部の話であって南部はどうかは存じませんが」


 ナリカラが事実上二分されている事は、ゴブリンであれば誰もが知っている。当然イーゴルらに隠し切れる訳がない。

 というか既にリオニの住民から聞き出しているか察しているであろうと判断して、イルムは内戦とははっきり言わないものの、ナリカラは現在南北に分かれている事を含ませた。


「人間と争う積もりは無いって、それ魔族的にはどうなんだ?」


 アントンが思わずといった様子で尋ねる。人間と魔族が未だ戦争状態のままにも関わらず、ゴブリンが人間と和を結ぶのは、魔族からすれば看過出来ないのではないか、という至極尤もな疑問に、イルムは微笑と共に次のように返した。


「それこそ、人魔交流は何だったのか? という話になりますが」

「……利は義に勝る。特に商人は利益の為なら敵にも品を売るもんだしな」


 イーゴルは面白く無さそうに呟く。


 古代の時代から敵との商取引はそう珍しい事ではない。軍隊が敵地の町で市場に寄って食糧を購入する事もあったし、従軍商人どころか通常の商人すら敵味方の間を行き交った。


 更に言えば戦争は貿易を中断させるどころか、逆に活性化させる事もあるのだ。特に異文化の国が衝突すると、お互いに相手国への関心が急激に高まり、相手国の品々や文化が流行する場合が多々ある。


 当然商人達はその商機を逃す筈が無い。人魔交流もまた、人間と魔族という異文化どころか異種族の衝突が生んだものであった。

 それまでは人魔問わず商人達は商機の匂いを感じても、人間と魔族の生存競争の様相を呈した魔王軍侵攻の最中は流石に憚られていたが、魔王の死がその(たが)を外す。

 互いに長引く戦争状態で疲弊した経済を何とかしたいという各国支配者の考えも、商人の行動を後押しする事となった。


 商人を節操のない者だと忌避(きひ)するイーゴルの言葉に、イルムが微笑を困った様な笑みに変える。


「その商人が都市の安定した生活を支えているから、結局の所は義なんて曖昧でいい加減な物に過ぎませんよ」


 だからと言って利が全てとは言わないですけれどと付け加えたイルムは、話を教会の事へと戻そうとする。


「ともかく、教会へは――」


 しかし、イルムの言葉は荒々しく開かれた扉によって遮られた。扉を押し退けた顔面蒼白のゴブリンに、室内の全員が視線を注いだ。


「閣下……い、一大事に御座います。北東……北東部が……」


 血の気が失せたそのゴブリンは、イルムしか目に入っていない様子で必死に乾いた舌を動かす。ゴブリンの言葉が分からないエルガやイーゴルらですら、ただ事ではない事を察せる程、彼は憔悴していた。


「北東部、オルベラ氏族に何かあったの?」


 あまりの憔悴ぶりに、イルムも思わず緊張の声色で問う。ゴブリンは扉に寄りかかる様に力無く身体を崩した。それでもこれだけは伝えなければと思ったのか、口は動き続ける。


「北東部が……じゅ、蹂躙されたと急使が……」


 紡がれたのは、絶望であった。


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― 新着の感想 ―
[良い点] 魔族vs人間という単純な形でないのが良いですね。 人も魔族も国や個々人の立場で色々動き方が変わるのが面白いです。
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