三十三話 齟齬
カシィブ公領からやって来たマンデ帝国の人間達は、優秀な官吏である。東方一とされる学問都市出身というだけあって、彼らの教養や能力は並ではない。
瞬く間に、溜まりに溜まっていた事務処理が片付いていった。これにイルムが小躍りする一方で、ある揉め事が頻発する。
「これは一体どういう事です!?」
今もまた、それが発生していた。
リオニ城の執務室にて、黒い肌の人間が書類を一人のゴブリンに突き出し、目を吊り上げる。その光景を入室と同時に見ていたアミネが、執務机を前に着席していたイルムの隣に立つ。
「あれは?」
「また経費の計算が合わないんだって。まあいつも通り……」
「横領、ですかー」
主従二人を他所に、黒人官吏はゴブリンの文官を責め立てる。書類に記された経費の数値と財政収支の記録にズレが見られるとの追及に、ゴブリンは計算違いだろうと素知らぬ顔で返した。
「いいえ、計算違いなどではありません。何度精査しても計算が合わないどころか、明らかな数値の改竄までありましたぞ!」
「……こちらでも調査は行います。どうぞ御自分の職務へお戻りに……」
「何を言っておられるのか! 直属の部下の横領も碌に把握してもいないのに、いや御自身も不正に関わっておきながら、調査などとよくぞ言えたものですな!」
黒人官吏の剣幕に、ゴブリンの文官は冷や汗を吹き出して、何を言っているのか訳が分からない、と言葉を詰まらせながら言い返す。
「会計官殿、貴方の部下は観念して白状しましたぞ。証拠はこちらが握っております、正直に申して頂きたいですな」
冷たい視線と言葉に曝された汚職会計官は、もう言い逃れる事は出来ないと諦めたのか、ぽつりぽつりと不正を証言する。内容は小遣い稼ぎ感覚の小さな横領の数々であった。
この程度の横領は、実の所よくあるものだ。
そもそも組織というものは必ず腐敗する。当然横領なども少なからず発生してしまうもので、完全に不正を無くす事はほぼ不可能だ。
出来る限り不正は無い方が良いのは勿論なのだが、現実問題として非実現的な不正の未発生を目指すより、大きな不正を行わせない抑制の方がよっぽど現実的で有用ではある。
特に識字率も低く、文官が務まる人材に乏しいこの世界では小さな不正は見て見ぬ振りか、なあなあで済まされ、組織運営の維持が優先されるのが基本だ。
この会計官も彼の部下も、識字と計算という特殊技能を持つ人材を容易に捨てる事は出来ないと分かっているからこそ、あっさり自白したのであった。
だが、マンデ帝国の人間は違うらしい。
「貴方方は官吏としての自覚が無いのですか!? こんないい加減な仕事をよくも今まで……恥を知るべきです!」
ゴブリンの会計官をひたすら責める黒人官吏に、アミネは首を傾げる。
「何であそこまで不正に厳しいんですかねー?」
「マンデ帝国の人間は、正義感が強いらしい。東方砂漠諸国からマンデ帝国を訪れた人間の記録にはこんな事が書いてあるんだ」
――この地に住む黒い者達からは、全くもって教養と白い肌の者への敬意を感じない。また彼らは非常に血気盛んかつ情緒的であり、一度音楽が流れるとたちまち踊り出す有様で、この上なく堕落に満ちていると言える。
「いやただの悪口じゃないですか」
「最後まで聞いて」
――されども、彼らほど正義感に溢れる者達は見た事が無い。君主から商人まで不正を一切許す事は無く、町の中どころか町と町を結ぶ道中まで治安が良く行き届いており、野盗など一人もいない。また何より、神の教えに従順であり、礼拝を義務として厳守している点も美徳である。彼らの見た目は黒くとも、その魂は純白なのだ。
「とまぁ、マンデ帝国の人間は不正や罪を犯す事を嫌う傾向が強いみたい。ヘファウさんが彼らをここに送って来たのも、ああいう風にフウトの役人達と揉めてたからだろうね」
カシィブ公領は魔族の勢力圏で最も官僚制度が整っているが、それでも不正は少なからずある。そして発覚した場合は厳罰に処されているものの、賄賂で大半が見逃されているのが現状だ。
マンデ帝国の人間からすれば、それが許し難いのだろう。それで度々カシィブ公領の官僚と衝突していた為、ヘファウはマンデ帝国の許可を得て、イルムの元へ彼らを程の良い厄介払いの様に送り付けて来たのだ。
信用できる官吏を欲していたイルムからすれば、渡りに船同然ではあったが。
「清廉な官吏は非常に得難い存在だけど……いざ手にすると摩擦が凄いね。業務は進む、されど軋むと言った所かな」
他人事の様にイルムがそう漏らすが、リオニ城内ではエグリシ氏族ゴブリンの文官達と、カシィブ公領から派遣されたマンデ帝国人官吏達との関係が洒落にならなくなって来ている。
元からリオニ城に勤めているゴブリン達からすれば、ただでさえ余所者に領分を侵されている上に、自分達が持つ「正当な権利」に何かとケチを付けて来るのだ。反発するなと言う方が無茶である。
しかし、役人として清廉潔白は当然とするマンデ帝国人官吏には、ゴブリン達の「役得」は決して認められるものではない。
言い訳を並べ立てて話を終わらせようとするゴブリンと、火の様な叱責を吐く黒人をイルムが眺めていると遠慮がちな声が薄く開いた扉から聞こえて来た。
「あのー、よろしいでしょうか?」
クムバトが扉の陰から顔を覗かせる。彼の背後にはオルベラ氏族主教スピタカヴォルともう一人、鍔の無い黒い帽子を被った黒衣姿のゴブリンがいた。
「総主教猊下との連絡役となった方をお連れしました」
「ああ、取り込み中で悪いね。はい、そこの二人、解散解散。処分は追って話すから」
ほっとした顔をするゴブリンの会計官と不満気な黒人官吏が退室し、クムバト達が入れ替わりに入室する。
「どうぞ、この御方こそナリカラ総督のイルム閣下です」
クムバトに促されて、スピタカヴォルと共に並んでいた、健康的な麦藁色の肌をしたそのゴブリンは、丁寧に一礼した。
「司祭のザヘシと申します。猊下より総督閣下との連絡、調整を命ぜられました。これからよろしく御頼み申し上げます」
頭を上げてからザヘシと名乗ったゴブリンは、礼をした時に少しずれてしまった、カミラフカという円柱形をした鍔無し帽子の位置を直す。
年功を積んだ司祭や輔祭が被る物であるカミラフカがまだ馴染んでいない様子から、どうやら中堅の神品らしい。
中堅程度なら経験がありつつも重職には就いていないから、派遣員として一番都合が良いのかな、などと考えながらイルムはザヘシに声を掛けた。
「こちらこそ、よろしく。早速だけど、今日は人間の冒険者達と会談がある。ナリカラについては昨日の内にある程度理解していると思うから、突っ込んだ話をしても多分問題ない」
「分かりました。実りあるものにしたいですな」
ザヘシは柔らかな笑みを浮かべる。イルムも微笑で答えた。
「全くだね。総主教猊下に良い報せが送れる様にしないと」
そして彼らは、会談前の事前確認を始める。冒険者、イーゴル一行が会談の場に通されたのは、それからしばらくしてからであった。
アミネに仕事を放任したイルムと共に、クムバト、スピタカヴォル、そしてザヘシの三人の神品達が、会談の場として用意された一室へと入る。広い室内には、既にイーゴルら一行が椅子に座って待っていた。
だがイルムはイーゴル達ではなく、扉の向かいに座っている人物から目を離す事が出来ずに固まる。
「……何でエルガさんがここに?」
そこには何故かエルガが居た。イルムの言葉に、エルガは何を言っているんだと言わんばかりに片眉を上げる。
「私は人間との交渉についての助言役、顧問なんだろう? この会談に参加するのは当然の事だ」
確かにそうなのだが、イルムはエルガが関わるのはもう少し先と考えていた為、まさかの展開に動揺を隠せない。しかし、エルガはさっさと始めろという視線を容赦なくイルムへぶつける。
仕方なく、そのままエルガの前を挟んでナリカラ側と冒険者側が向かい合って座り、会談が始められた。
最初に口を切ったのは、当然と言うべきかイルムである。
「これよりナリカラ総督府及びナリカラ教会の代表と、人間の冒険者との会談と相成るけれど、異議は?」
「ナリカラ教会は異議なしです」
「こっちも異議はない」
両者に異議が無い事を確認されると、先ずはイーゴルが口を開く。
「昨日この町を見させて貰ったが、人間とゴブリンの間で交易を行う事は十分可能だと断じられるな。だが、問題は人間側だ。ゴブリンを魔物としか思っていないから、その誤解と偏見を解くのに手間と時間がかなり掛かるだろうな。下手したら誤解を解こうとする人間が、周囲から魔族に付いたと思われかねねぇ」
言外に自分達が人間諸国を説得する事は出来ないと、はっきり伝えた。いきなり幸先の悪い事を言われたザヘシは、分かりやすく落ち込む。
しかし、スピタカヴォルが放った一言で流れががらりと変わる。
「ならば何人かゴブリンを連れて行けばよろしいかと」
全員の視線を一身に浴びながら、常に浮かべている微笑のままスピタカヴォルは言葉を紡いだ。
「ゴブリンは魔物に非ずという証拠かつ証人として、神品のゴブリンを派遣し人間諸国の説得に当たるのです。何も人間が人間を説得する必要はないでしょう」
「た、確かに。流石に神品ならば、人間も同じオルソド教徒を直ぐに害そうとは思い難いかもしれませんな」
スピタカヴォルの意見に、ザヘシはこれまた分かりやすく明るくなって追従する。イーゴルは一喜一憂するザヘシに呆れた視線を送りながら反論をぶつけた。
「騙し討ちか何かだと思われるだけだ。まぁ、聖像でも掲げられたら問答無用で斬り捨てとはいかなくなるだろうが……それでも難しいぞ」
「困難如き何の事もありません。主は乗り越えられる試練しか御与えにならないと言うではありませんか」
ザヘシの芯の通ったはっきりとした声に、イーゴルは呆気に取られる。イルムも当初は大丈夫なのかと思っていたが、意外にザヘシはしっかりとした人物の様だ。
現実が見えているのかどうかは判断出来ないが。
「ナリカラ教会としては、この案は検討に値するとして持ち帰りましょう。さ、他の案もあった方が良いでしょうから、お互い遠慮せずに申し合いましょうか」
ぐいぐいと会談を引っ張っていくザヘシに面々が目を点にしていたが、そんな彼らを置いてエルガが冷静に意見を述べる。
「私は密談を提案する。人間諸国の教会へ書状を送り、神品同士で接触し合う関係に持って行く。これなら先の案よりは安全だろう。ああ、当然最初の書状を運ぶのは君達だが」
イーゴル達へ目線を合わせるエルガに、イーゴルはむっとした顔をする。一方的に面倒事を押し付けられてたまるかと、イーゴルも口を開く。
「御断りだ、教会に伝なんざ俺らにはない。第一、帰還したら組合への報告があるんだが、そいつはどうする? 合同依頼だったから、あのおっ死んだ四人の事を報告しなきゃならねえんだ」
イーゴル一行と共に、ゴブリンへの調査依頼を行なっていた四人の冒険者は、アミネとナリカラ軍によって亡き者とされている。
イーゴルは、そのまま組合へ報告すると不都合が生じるのではないかと問題を提示した。
だがイルムは大した問題ではないと言う。
「ありのままを報告して貰いたい。変に誤魔化す方が後々問題が大きくなるだろうしね。寧ろ聖人君子より多少悪どい方が信頼しやすいでしょ?」
「……まあな、聖人面する奴は大抵、底抜けのお人好しか詐欺師かのどちらかだし、たとえ本物であっても何考えてるか分からんから信頼出来ても、信用は出来ん。逆に俗人の方が何考えてるか分かりやすいから、聖人君子より安心出来る」
イーゴルは腕を組むと、もう一つの問題である教会への書状は無理があるとした。
「組合はそれで良いとしても、教会へ書状を運ぶのはなぁ。俺らが教会から変な目で見られるのは困るぞ」
「じゃ、僕が行こうか?」
まるで自分が買い物に行ってあげようかと言っているかの様な軽い調子で、そうイルムがとんでもない事を言い出した。




