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二十九話 リオニ

 

 ナリカラ中部の中心からやや西にずれた位置にある大都市、旧王都リオニ。

 そのリオニの町を見下ろすリオニ城には、黒地に赤い線が斜めに交差した旗がいくつも掲げられている。


 リオニに入ったイルムは、ナリカラ軍という圧力をもってリオニを掌握していった。

 エグリシ氏族の軍勢は、そのほとんどが対ザリャン氏族としてナリカラ中南部に集中しており、リオニには治安維持程度の戦力しか残っていない。

 主宗国たる魔族からの正式な総督という、強固な大義名分を覆せる材料も戦力も持たないリオニに、大人しく門を開ける以外の選択肢は存在しなかったのである。


 リオニ城に置かれていた臨時の自治政府である評議会は、全員がエグリシ氏族諸侯の代官達で構成されていた。

 彼らは当初、イルムの総督府再建に難色を示したが、エグリシ氏族諸侯から総督府に従う事を決めたという書状が届くと掌を返して、内心はともかくもイルムの指示に従う様になる。


 総督着任式も行わずに、リオニの有力者との会見や総督府の再建を進めるイルムは、リオニ城内にある執務室に籠もり切りになっていた。


「うぅ……魔王軍の軍政がかなり適当だった所為で、何がどうなっていたのか全然分からない。行政文書も碌に無いし……」


 イルムの頭を悩ませているのは、崩壊した魔王軍の軍政を元に戻そうにも、その軍政が滅茶苦茶なもので、書類の類いもほとんど残っていない為、再建の仕様がない事だ。

 調べによると、ナリカラに駐屯していた魔王軍が行なっていたのは、略奪紛いの徴税と強制的かつ場当たり的な徴兵である。再建も何もない。


「取り敢えず、評議会の上に総督府が座る形にして、軍は総督府に従う氏族による連合軍、税制は……戸籍が整備されるまでしばらくいいや」


 イルムは魔王軍の軍政を復活させる事はせずに、ゴブリン達の自治を総督府が管理、統括する形を作る事にした。

 とはいえそれを形にするには、役人となる人材の不足から時間が掛かりそうではあるが。


「評議会の席にオルベラ氏族も入れたけれど、いずれは全氏族とゴブリン以外の種族も参加させたいなぁ。不満を募らせて反乱起こされるぐらいなら、多少揉める程度の方が良い」


 そう言って、イルムは執務机の上に重なる書類に視線を落とす。

 そこには、ナリカラで大きな影響力を持つ大氏族であるオルベラ、エグリシ、ザリャンの三氏族以外の有力氏族の名前が連なっている。


 その内の一つ、南部最大勢力のロムジア氏族は、イルムのリオニ入城とエグリシ氏族が総督府に付いた事を受けて、自分達も総督府の保護下に入れて欲しいと願い出ていた。

 有力氏族のいくつかは既にザリャン氏族に飲み込まれており、中立の立場を取ろうとしていた諸氏族は、事ここに至って旗色を鮮明にする必要に駆られているのだ。


 特に現在の南部はエグリシ氏族とザリャン氏族の前線と化している為、今立場を明らかにしないと双方から袋叩きにされかねない。

 ロムジア氏族も必死である。


「対峙しているザリャン氏族は主力と別動隊合わせて七千五百、こちらはリオニにいるオルベラ氏族八百に、南部でザリャンと睨み合うエグリシ氏族三千で、三千八百……ロムジア氏族が出せる兵力を合わせれば四千越えは確実。ディアウヒやオルベラ氏族本領の戦力の合計も合わせての六千以上で、ようやく対抗可能か……」


 彼我の戦力を比べてみたイルムの顔は暗い。総力を結集して何とか互角とはいえ、当然総戦力を一つにまとめてぶつける事など不可能だ。防衛の為の兵を各地に残さねばならないし、集結させるにも時間と物資が掛かる。

 更に各氏族の連合軍という名の寄り合い所帯、今まではオルベラ氏族を纏めるだけでよかったが、各氏族となると指揮系統や統制に不安しかない。


「今打って出る余裕は無いなぁ。ゴブリンの王子が帰還すれば、氏族連合も王軍として一つに纏めて攻勢に出れるんだけど」


 イルムの切り札とも言える王子は、カシィブ公と書状でやり取りした結果、王子の帰還は五公会議の承諾を得て実施される事となった。

 が、カシィブ公曰く議題に挙げる際にスブムント公から、何故ナリカラ総督の報告がカシィブ公にだけ来ているのか、と突っ込まれたらしい。


 一応イルムの言い分である、ザリャン氏族による連絡遮断によって連絡が遅れていた事を伝えたそうだが、スブムント公とラトンク公からゴブリン兵を魔王軍へ供給するよう要請しろとうるさかったという。


 ――だからスブムント公に直接報告を入れたくなかったんだよ。絶対こっちの都合を無視して、すぐにゴブリン兵を寄越せ言うのは分かってたし。ラトンク公からどれだけ賄賂受け取ってるんだろ、あの山羊頭。


 それが書状を読んだ時、イルムが思った偽らざる本音だ。


 亡者の軍を率いる吸血鬼ラトンク公が治める魔族領域西部は、人間諸国の攻勢に苦戦続きで、五公の中で魔王崩御以降最も力を落としている。

 そこで南西部のスブムント公が軍事支援を行っているのだが、ラトンク公から多大な見返りを受け取っていると専らの噂だった。


「ラトンク公にゴブリンを使い潰されてたまるもんか。ナリカラ全土の統治が成されるまで兵役なんか課せる状態じゃないんだ」


 眉と口をへの字に曲げてそう吐き捨てたイルムの元へ、突然来客の報せが(もたら)される。


 執務室に入って来たのは、二人の黒衣のゴブリンに運ばれる、脚の代わりに持ち手が付いた椅子へ腰掛けた老ゴブリンだった。

 顔の横から胸に伸びる垂れ布を持ち、背中や肩まで覆う黒い頭巾のような帽子を被ったそのゴブリンは、皺だらけの顔に微笑を浮かべている。


「これはカトリコス総主教猊下! 御用があればこちらから伺いますのに」


 イルムが立ち上がって出迎えた老ゴブリンは、ナリカラ教会を統べるカトリコス総主教サムタヴロであった。


 カトリコスとは独立した教会の最高指導者でもある総主教が持つ称号で、意味としては教区を管轄する府主教を纏める総主教とほぼ同意であり、カトリコスという階位があるわけではない。

 また、ナリカラにおいては総主教は、リオニの大聖堂を取り仕切る大主教も兼任している。


 つまりはナリカラの最高位宗教指導者だ。


「総督閣下、突然の訪問をお許し下さい。人間の冒険者達についてお話したかったもので」


 額と胸、両肩と背中の五ヶ所に斜交十字が付けられた、クーコリと呼ばれる頭巾型帽子を被るサムタヴロ総主教は、見た目にそぐわぬ老いた声と極僅かに白く濁った瞳をイルムに向けた。


「話とは?」

「我らゴブリンも人間も、多くは同じオルソド教徒であります。であれば、友誼(ゆうぎ)を結ばぬ道理があるでしょうか? 総督閣下の元にいる冒険者らを我らと人間との繋ぎとしたいのです」


 サムタヴロは微笑みをそのままに、薄白濁の目に真剣味を宿す。イルムはすぐに、初めてバゼー修道院を訪れた際にクムバトが語った、ナリカラ教会の影響力は大きく低下しているという話を思い出した。


「人間諸国との繋がりを持ち、それをもってナリカラ教会を立て直す事を御考えなのですね?」


 サムタヴロは深く頷く。


「ええ、我らゴブリンと人間はかつて同じ信徒として交流が為されていました。教会を通じてゴブリンが鉱物を人間に齎し、人間は技術を齎すという関係が、両者を発展させて来たのです」


 元々地下や洞窟に住んでいたゴブリンが、建築技術や農畜技術を手に入れて地上に進出して文明を興し、最後にはナリカラ統一王国という大国を築く事が出来たのは、間違いなくオルソド教による文化交流と技術の保護、向上のお陰であろう。

 ナリカラ教会は、ゴブリンの発展を支えた一大後援者(パトロン)だったのだ。サムタヴロはそれを復活させようとしている。


「人間を無条件に敵視する事がない貴方様が総督ならば、再び過去の関係を蘇らせる事が出来るのではないかと考えているのですよ」

「……なるほど、教会が人間との仲介役に返り咲ければ、ナリカラの発展は教会の権威回復と同義になりますね。教会なくして発展なし、といったところですか」


 サムタヴロは何も言わずに笑みを深めた。イルムも彼の考えに頷いて賛同する。

 ナリカラ総督の責務はナリカラを安定的に統治する事、安定化の為に人間と和を結ぶのは、総督の職務に矛盾しない。そうイルムは自身の立場を解釈した。


「人間との完全な関係修復は無理でも、僅かな繋がりぐらいは持てる筈です。総督府は全面的にナリカラ教会に協力しましょう。教会関係者と例の冒険者達との会見の場も用意します。ああ、顧問にも来てもらわないと」


 頭の中にエルガの顔を浮かべながら、イルムは頬を緩める。サムタヴロは皺を深める笑みを見せて一礼した。


「御礼申し上げる、総督閣下。さて、これ以上の長居は執務の邪魔になってしまいます。此度は大変良い会談でした」


 黒衣姿のゴブリンらが運ぶ椅子に座ったまま、サムタヴロが退室する。サムタヴロを見送ったイルムは執務机に戻ると、机の上にある小さなベルを鳴らした。


 彼は、手元にいる冒険者達をどう人間諸国との外交に繋げるか、思案を巡らせる。

 上手くいけば、後背を気にせずにザリャン氏族を平らげる算段がつく、と。


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