二話 五公会議
燭台の蝋燭のみが光源である薄暗い空間に、五つの存在が輪を作っていた。その内二つは、その巨体さから明らかに人間ではないと分かる。
そしてより大きい方、つまり五つの中で最も巨大な存在である、二階建ての家屋を越す背丈の、髭を蓄えた巨人が口を開く。
「さて、此度の会議は……というより此度も八年前に崩御なされた魔王陛下に代わる新たな魔王の選出についてであるが、各々方の意見は前回と変わらずであるか?」
五つの存在は、この世界で覇を唱えんとする人間ならざる者達、魔族の支配者達であった。彼らは、五つに分けられる魔族の勢力圏を各々治めているが、皇帝たる魔王が崩御した今は、次代の魔王をここ魔都ファウダーに置かれた、五公会議と呼ばれる場で決める事に躍起となっている。
「無論、我が陛下の御長女であらせられるピュートーン殿下を推す事に変わりは無い。第二子なれど、実力を重視する魔族として、最も戴くに相応しい御方だ」
巨人の問い掛けに最初に答えたのは、巨人に続く巨体を持つ竜だった。そこへ嗄れた声が叩きつけられる。
「よく言うわ、自身の姉の子でもあるからであろう、シュルフト公。私情と自己利益に視野が狭くなるとは、竜も所詮俗物よの。その点、御長男ドゥルジ殿下は政を心得、王として必要な狡猾さもお持ちだ。現魔族最高の魔力も無視出来まい」
シュルフト公と呼ばれた、魔族勢力圏北西部を支配する竜族の王は、山羊を人型にした様な存在を、牙の如き目で睨み付ける。
棘のある言葉を発したそれは、雄山羊の頭を持ちながら、胸部には女性の特徴である膨らみが見て取れ、手足は人とロバをごちゃ混ぜにしたかのような風体である。
南西部の大悪魔スブムンド公は、気の弱い者なら失神しかねないシュルフト公の鋭い視線を受けて尚、嘲笑を浮かべていた。
「スブムンド公の仰る通り! 陛下の第一子であらせられるドゥルジ殿下が魔王の座につくは当然なり!」
山羊頭のスブムンド公に続いて発言したのは、仕立ての良い服を着た貴族然とした白髪の男だ。一見人間の様に見えるが、薄ら青い肌に血の気は無く、赤黒いシミがべったりと付いた包帯が両目を覆っている。
西部を治める吸血鬼ラトンク公は、口を開く度に長い牙を見え隠れさせた。
「それにピュートーン殿下は、将としてはともかく王として些か真っ直ぐ過ぎる」
「言葉が過ぎるぞラトンク公」
白い巻衣に身を包み、顔も一つ目が描かれた面布で覆った女性と思しき者が、横から窘める様に口を挟む。
「それと西部を守るお主の軍は人間共に苦戦続きと聞いておるが、のんびりと五公会議に出突っ張りでよいのかのう」
「カシィブ公……心配無用。我が軍は亡者の軍、補充は容易であり戦力に穴が空く事は決して無い」
「ふん、昨年はそなたの城が二つ落ちたが、今年は幾つ落ちるのかのう」
時折しゅうしゅうと妙な音を立てるカシィブ公は、ラトンク公の答えに嫌味を言うと、袖口から鱗を纏った腕を宙に伸ばし人差し指を立てる。
「妾は陛下の第三子にして次男、アポピス殿下を推挙する。知、技、魔力の均整が最も取れておられる御方じゃ、将来の伸び代も期待出来る。陛下に並ぶ程になるやもしれん」
魔族勢力圏の中で、最も豊かとされる南東部を治める砂漠の女王は、自信ありげに言う。彼女が携える蛇を形取った純金の杖が、蝋燭の灯りで妖しく光った。
「……スブムンド公もカシィブ公も、我をとやかく言える立場ではないな。ドゥルジ殿下はスブムンド公と関わり深く、アポピス殿下はカシィブ公一族の血族だ。結局は自身の益が一番か」
小さく呟いた竜が、腕を組んで呆れを含ませた鼻息をふーっと吹く。そしてふと思い出したかの様に、沈黙を守る髭を蓄えた巨人に目を向けた。
「ヴルカーン公は会議の度に意見を保留にしていたが、此度はどうだ? 三殿下のどなたを推すか決まったか」
これには他の面々も、ヴルカーン公の巨体に注目する。
「……儂は誰が新たな魔王になるかは特に関心はない。利権やら派閥やらはどうでもいいのである。そもそも魔王不在時の五公会議は全会一致が原則、どうせ儂が誰を推挙しても、意見が割れた現状では意味はあるまい」
――いやお前がこっちに同調してくれればこの均衡を崩して、ゴリ押しがやりやすくなるんだよ。
という四公の思いは喉元で止まった。
「しかし我ら五公の内、北東部のヴルカーン公は唯一人間共の国々と接してはおらん。我ら四公が人間共との戦の矢面に立ち続けている事は理解しておろう? 悔しいが先程カシィブ公の申した通り、西部ではやむなく戦線が後退した」
「ラトンク公の言う通り、いつまでも魔王空位のまま戦い続ける事は難しい。南西部の我が軍は奮戦しているがの。早う陛下の後継者を決めねば、魔族はばらばらになりかねん」
「珍しくスブムンド公と同意見だな、我もこのまま決議を先延ばしばかりするのはまずいと懸念しておる。北西部の我が竜軍は問題無いが、魔族全体は未だ不安を抱え士気が一向に上がらん」
「全くじゃの。妾の南東部は依然と財力も軍も衰えとらんが、他所の財政は怪しいものじゃ。ヴルカーン公、どうじゃ」
四公は自身の戦力を取り繕いながら、当たり障りの無い言葉で意見を引き出そうとしているが、これには当然訳がある。
魔族の勢力圏北東部を支配するヴルカーン公は、巨人族の王だ。そして北東部は北は海、東は山脈に囲まれている上、北西から南東までに広がる人間諸国と国境を接していない。
さらに人間諸国との戦闘も、魔王存命時の遠征軍が解散された今は小規模な海戦程度で、四公に比べて戦の被害はほとんどない。
つまり長引く戦で少なからず疲弊した四公にとって、ほぼ無傷の巨人軍団は、魔王亡き今では頼りになる味方ではなく、警戒すべき脅威でしか無いのだ。ヴルカーン公が、五公会議で議長面している事に他の四公が何も言えないのも、それが理由である。
シュルフト公率いる竜軍に並んで、精強で知られる巨人軍団を纏めるヴルカーン公が、長い顎髭を撫で付けた。それを見つめる四公は、それぞれ他の者に気付かれぬように小さく固唾を呑む。
「……そういえば庶子殿はどうするのであるか」
思わぬ答えに四人の魔族の支配者が、ぽかんと呆気に取られた。庶子殿とはイルムの事だ。かつて魔族が攻め滅ぼした国から連行された人間の女性と、魔王との間で産まれたのがイルムである。
庶子とはいえ魔王の子であるが、当の魔王によって王位継承権を認められず、魔族と敵対的な人間との子という事もあって誰も殿下と尊称で呼ぶ事は無い。
「庶子殿……ああ陛下と人間の間の子か」
「シュルフト公不敬じゃぞ、イルム殿は庶子といえど陛下の御子じゃ」
シュルフト公はカシィブ公の非難に鼻を鳴らす。ヴルカーン公はそこだと声を上げる。
「庶子殿は継承権を持たないとはいえ魔王の一族、未だ何の役職に就かないのも締まりがないのである」
「確かに三殿下は、陛下の指名で魔王軍の要職に就かれておられるのう。庶子殿は魔族として軟弱……おっと、未熟であると陛下から遠ざけられておったが」
「で、どうすると?」
スブムンド公の言葉を、シュルフト公は興味無さげに聞きながらヴルカーン公に問うた。ヴルカーン公はスブムンド公に顔を向ける。
「ナリカラの総督とするのはどうであるか」
聞き慣れない地名にシュルフト公は首を傾げた。
「ナリカラ……聞かんな」
「我が南西部のゴブリン共が巣食う属領よ。成る程、ここの所貢納も軍役も滞っておったし丁度いいわ」
「おお、ゴブリンは損耗を気にせずに済む上使い勝手が良いから、再び西部にゴブリン兵を供給して貰いたいと考えていたところであった」
スブムンド公の言葉通り、ナリカラはゴブリンと呼ばれる小人種族が暮らす山岳地域である。またゴブリンは高い繁殖力を持つため、魔王軍では専ら補充が容易な使い捨ての兵として扱われていた。
「ならそれでよかろう。では本題の三殿下のどなたが次代の魔王として相応しいかを――」
シュルフト公は余計な時間を取られたと、苛立ちを滲ませつつ会議を進める。そして再び各々が、自分が推す魔王候補が最も次の魔王に相応しいと主張し合って会議は紛糾したが、四公はヴルカーン公がその様子を、冷めた目で眺め続けていた事に最後まで気付く事はなかった。