二十六話 短慮
エルガは悠然として、イルムと相対する。しかし、真っ直ぐ見つめられたイルムは、顔に薄紅を浮かべて目を逸らした。
アミネはそんな二人を見て、小さくおーおーと囃し立てるように言いながら、僅かに口角を上げる。
だが、どこか甘酸っぱい空気を、ヘンリクら冒険者達が引き裂く。
「ま、魔王の子だって!? というか魔王って子供いたの!?」
ヘンリクが激しく動揺する一方、マーリアは思い詰めた表情で、両手で持つ槍の穂先をイルムに向ける。
「ヘンリク! ここは奴を討つべきよ! 例え私達が命を落とす事になろうとも、魔王の一族なんて見逃せない!」
マーリアの言葉にヘンリクではなく、背負っていた弩を下ろすペーテルが答えた。
「いや、結構ひ弱そうだから人質にしてゴブリン共から逃げよう! カタジナ、女の方の魔族からやるぞ!」
そう言ったペーテルは、地面に向けた弩に専用のレバーを取り付ける。
梃子の原理によって鉉を引くレバーを引き起こして、鉉を機械仕掛けに繋がる引っかかりまで引っ張った。
「馬鹿っ! 無闇に動くな!」
イーゴルの警告にも関わらず、カタジナは杖を掲げて詠唱を開始する。唱えられる呪文と共に、杖の先に取り付けられた宝玉が薄ら輝き出した。
魔族は己の身体一つで魔力の操作及び解放を行えるのに対し、人間は魔杖などの魔道具を介して魔力の収束を行い、呪文で魔力を目的の属性に変容させる必要がある。
この種族としての差故に、カタジナの魔術が放たれるよりも、のんびりとした動きで手を伸ばしたアミネが放った魔法が、カタジナに降り掛かる方が圧倒的に速かった。
「え? ア"ァ"ッ!」
カタジナに向けて飛んだ紫の稲妻が、彼女に触れた瞬間、凄まじい電流が暴れ回る。悲鳴かどうかも分からない短い叫びを上げたカタジナは、白目を向いてそのまま崩れ落ちるように倒れた。
「カタジナっ! よくもぉ!」
激昂したヘンリクが、アミネへと駆け出す。ヘンリクに続いて、マーリアがイルム目掛け突進し、ペーテルは太矢を装填した弩を構えた。
弩から、通常の矢より遥かに短く太い矢羽根の無い矢が放たれる。アミネは頭を横に傾け、難なくそれを避けた。
だが、その間にヘンリクは間合いを詰めて、馬上のアミネに斬り掛かる。焦りの欠片も見えないアミネは、一ツ目馬を巧みに操って蹴り出される馬脚で牽制し、瞬く間に攻守を逆転させた。
しかし、アミネがヘンリクに対処した事で、マーリアがイルムへ攻撃する事を許してしまう。
「うわっ」
イルムは腹部に飛んで来た槍の穂先を、身体を捻って懸命に避ける。マーリアが槍を引き戻し、再び突き出そうとした時、雄叫びと地響きが聞こえた。
冒険者達を包囲しつつあったゴブリンの軍勢が、戦闘を見てか包囲を狭めるべく動き出したのだ。
イーゴルが悪態を吐く。
「だぁっ、クソ! だから動くなっつったのに」
「突破を図るか?」
ドミトリーは冷静さを失わずに、イーゴルに尋ねた。イーゴルは機嫌が悪そうに返す。
「無理だろ。あの話の通じそうな魔族に何とか場を収めてもらいたいが、逸った馬鹿共の所為でどうなるか分からん」
北海密貿易事件をきっかけに明らかになった人魔の交流は、冒険者の間でも知られているし、中には関わった者までいる。
イーゴルも冒険者の間で流れる情報から、魔族全てが人間に敵対的であるとは限らない事を知っていた。故に、先ずは様子見をしていたのだが……。
呆れ顔でヘンリクらを見ていたイーゴルは、いつの間にか自分達の側に来ていたエルガに視線を移す。
「イルムとは一応面識がある。私の近くに居れば、手出しされる可能性は低いぞ」
エルガは堂々とした態度で言う。アントンは不安気味な面持ちで、迫り来るゴブリンの大群を見ながら、ホントかよと呟いた。
「彼奴らはどうする? 加勢するか?」
「いや、一応は穏便に済ませようとしてた彼方さんの機嫌損ねてどうするよ」
戦闘中のヘンリクらへ顔を向けたドミトリーの問いに、イーゴルは呆れた様子で答える。ふとマーリアの槍を避けていたイルムを見て、イーゴルは首を捻った。
「しっかし、あのイルムって魔族、どこかで見た様な……?」
戦闘に参加しないイーゴルらとは打って変わって、イルムとアミネへ集中していたヘンリク達は、ゴブリンの軍勢が動き出した事に反応するのに一拍の遅れがあった。
ゴブリン達の動きに、思わず視線をイルムから離していたマーリアがイルムへ意識を戻した時、既にイルムは一ツ目馬を駆って遁走していた。
「あっ、逃げるな!」
「マーリア、俺に任せろ!」
ペーテルが弩でイルムを狙う。
両目を細めてじっくりと狙いを定め、弩の下から伸びるL字を横に倒した様な、引き金の役割を果たす棒を握り込もうとした。
その時、ペーテルの両腕が弩ごと切断される。
両断されて血が吹き出す腕を、呆然と眺めていたペーテルは、接近しつつあるゴブリン達が射った矢を何本も受けて地に伏せた。
ペーテルの両腕を風魔法の刃で切り落としたアミネは、その魔法を今度はヘンリクに向ける。最早アミネは、ヘンリクらを完全に敵と認識していた。
放たれる疾風の刃を、歯を食い縛ったヘンリクは屈んで避けると、アミネの胴体目掛けて横薙ぎに剣を振るう。
アミネは背を大きく反らしてそれを躱すと、一ツ目馬の馬首を返してその場を離脱した。
当然ヘンリクは後を追おうとするが、前方から飛来した矢の雨にヘンリクが盾を構える。
しかし、全ては防ぎ切れずに右の太腿へ矢を受けた。ヘンリクは姿勢を崩し掛けるが、何とか堪える。
「くっ、ゴブリンめ……」
一方でイルムを取り逃がした為、ヘンリクに続こうとしていたマーリアは飛んで来る矢を見て、避けられないと察した。咄嗟に両腕で顔を庇い、身体を縮こませる。
彼女の身を守る鎖帷子が、鏃が深く突き刺さる事を防ぎ、鎖帷子の下に着込んだ鎧下という分厚い布鎧が、勢いを失った矢を受け止めた。
「痛っ……たぁ、ヘンリク! 私はまだやれる! 行こう!」
無傷とはいかずとも、戦闘を続行するには然程問題無い。そう判断して、マーリアは槍を握り直す。
ゴブリンの軍勢は、もうお互いの顔を認識することができる距離まで押し寄せていた。一度後退してゴブリンと合流したアミネは、右手を挙げる。
それを見たヘンリクは、マーリアと共に駆け出した。
「お前だけでも討つ!」
アミネは自分に向かって来る二人の冒険者を、無感情に睥睨すると、挙げていた手を振り下ろす。
三方から一斉に矢が放たれ、ヘンリクとマーリアへと降り注いだ。
身体から十数本もの矢を生やして転がる男女を横目に、イーゴル一行とエルガはイルムの姿を探す。イルムとエルガが知り合いとはいえ、ゴブリンはそうではない。
イルムがゴブリンを抑えておかないと、イルムとエルガの関係は意味がないのだ。
やがて、ゴブリン達に何か叫びながら一ツ目馬で駆け回っていたイルムが、エルガとイーゴルらの元へ戻って来た。
イルムはわざわざ下馬してから、一行に話し掛ける。
「お待たせしました! ゴブリンの一部が勝手な事をしてしまいましたが、ゴブリンには事情を説明して置きましたので、御安心下さい」
イルムはエルガだけを見てそう言って、次のように続けた。
「これよりディアウヒの町へ向かいます。どうぞ、馬へお乗り下さい」
「そうか、では行こう」
あっさりとエルガは、イルムの言う通りに一ツ目馬へ跨る。イルムは轡を掴んで、まるで従者のように誘導した。
「あ、皆さんも付いて来て下さい」
イルムは忘れていたといった様子で、イーゴルらに顔を向ける。イーゴルは何とも言えない面相をしながら、従士の三人と共に、イルムとエルガの後に続いた。




