二十二話 王子
「お、王子をナリカラに!? 真にそのようなことを!?」
「うん、だってエグリシ氏族は魔族と敵対するつもりはないけれど、僕じゃなくて王子に忠を尽くしたいんでしょ? なら王子をナリカラ軍の大将にしてしまえば解決するよ」
何でもないかのように言うイルムに、クムバトとずっと黙っていたノリスが思わず立ち上がる。
「閣下、御考え直しを!」
「閣下! そのようなことを簡単に決められては――」
「前に言ったよね? 僕は魔族の総督だと」
イルムが冷たく言い放つと、二人は顔を青くして椅子に沈んだ。途惑うスラミにイルムは話を続ける。
「あくまでナリカラの統治権は総督である僕が持ったままだけど、王子をナリカラ軍の総指揮官とすることは出来る。場合によっては僕が後見として王子に統治も任せられるようになるかもしれない」
スラミだけでなく彼の両隣に並んで座っている補佐役の四人も、イルムの言葉一つ一つに興奮した様子で頷く。
「是非そのように御願い致します、全エグリシ氏族は諸手を上げて総督閣下の御味方となるでしょう」
スラミはそう言って顔を上気させた。王子帰還の嬉しさの余り調子付いたのか、スラミの側近の一人がクムバトらオルベラ族へ向けて嫌味をぶつける。
「いやぁめでたい、裏切り者のオルベラ氏族は肩身が狭くなりそうですが。ははっ!」
「ねぇ、その裏切り者ってどういう事?」
オルベラ氏族の諸将は露骨に怒りの形相を作った。一方、イルムは他意のない本当に疑問に思っただけといった体で聞く。
嫌味を言ったスラミの側近は、イルムからの質問に多少戸惑うが正直に答えた。
「オルベラ氏族は魔族侵攻時、最初に寝返った氏族だからです」
これにクムバトが噛み付く。
「大王が死しては勝てぬという事実を元に、出来るだけ被害を抑えるための先祖の決断だっただけです。領主として領民を守るのは当然でしょう。それとも無為に犠牲を出した方が良いとでも?」
「だからといって魔族に擦り寄り同族を売るような真似が許されるものか! そんなだから王の一族から呪詛状を叩きつけられるのだ」
クムバトの強い口調に、スラミの側近はそう吐き捨てる。呪詛状とは文字通り恨み辛みを込めた呪いの言葉を書き連ねた追放状で、要は王の方から臣下とは認めずに保護下から追放する書状のことだ。
オルベラ氏族はナリカラが魔族の軍門に下った後、王族から呪詛状を送り付けられ、ナリカラの俗世間から追放されている。
この為、オルベラ氏族は他の氏族との交易もままならず、ますます魔族への依存を深める他なかった。厳しい軍役と、他氏族の更なる反感という大きな代償を払う事となったが。
オルベラ氏族とエグリシ氏族との間で言い争いになりかけ始めるも、スラミが側近達を押さえる。
「いい加減にせよ、総督閣下の御前で醜態を晒しおって」
申し訳ございませんと恐縮してスラミはイルムへ頭を下げた。イルムは苦笑を返す。
「なるほど、オルベラ氏族がザリャン氏族から真っ先に攻められたのも、青銅の原料である錫を西部から輸入出来なかったのも、ナリカラ中の嫌われ者だからかぁ」
クムバトとノリスがしゅんと萎み、オルベラ支族の面々が二人を白い目で見た。これは寝返りを決断したオルベラ氏族の氏族長の一族が、支族からすらも良く思われていないということだ。
「訳は分かった。でも、もうそういうのは払拭しないとね。帰還した王子にはオルベラ氏族への呪詛状、つまりある種の追放令を撤回してもらう」
「なっ!?」
「そ、それは……」
スラミ達は目を剥き、クムバトらオルベラ氏族は驚愕と喜色を見せる。特にクムバトとノリスは一族が白眼視されてきた原因である呪詛状の撤回に、期待を露わに身を乗り出した。
「ナリカラを纏めるには内部対立なんて論外。王子帰還の条件は呪詛状の撤回、いいね?」
異論は認めないとばかりにイルムは言い切る。どうするのかと視線で側近達に問われるスラミは、腕を組んで黙り込んだ。
しばし黙考したスラミは、大きく息を吐き出すと微笑を浮かべる。
「分かりました。他のエグリシ氏族諸侯にも私から書状を送ります。ただ、諸侯の賛同が得られるまではお待ち下さい。エグリシ氏族も一枚岩というわけではありませんので」
「もちろん待つよ。でもまあ、これで少なくともスラミ殿をナリカラ軍の一員として迎えられるね」
「ええ、このスラミ及び我がディアウヒは総督閣下に御味方します」
スラミはそう言って胸に手を当てて一礼した。側近達も迷いを見せたが、それを一呼吸で押さえてスラミに倣う。イルムは満足気に頷いた。
その後イルムは、スラミからディアウヒやその付近のこと、そしてエグリシ氏族についての詳しい説明を、懇談の葡萄酒を交えて受け始める。ただ、まだ酔ってもらっては困るからか、葡萄酒は度数が低めな上に薄めてあった。
「ディアウヒは見た目通りの城塞都市です。ここから西へ進めばナリカラと人間達の領域を隔てる山脈の隙間を通る峠道がありますが、それは人間達がナリカラに攻めてくる場合、先ずここが狙われることになります。それ故の城塞です」
「なるほど、国境防衛の要塞ということかな」
「そんなところですな。兵力は防衛に四百、自由に動かせるのは家臣や我が領地全てから召集して八百程度です」
イルムは流石と小さく漏らした。都市ディアウヒとその周辺だけでも、数だけで言えば都市国家の一個軍か、大国の大貴族が自前で用意出来る兵力に匹敵する。
「付け加えれば、他の種族の者も協力してくれる場合は更に二百から三百は堅いかと」
これにイルムは食い付く。
「他の種族っていうのはナリカラにいるゴブリン以外の種族? 詳しく聞きたいんだけど」
「ゴブリン以外の種族は、西部や南部を中心に住んでおり、大抵は自治を行なっております。バグラティオニ大王の時代は全て大王に従っていたそうですが、今では貿易程度の交流だけです」
そこまで言うとスラミは、木杯に注がれた葡萄酒を一気に飲んで息を整えた。ナリカラにおいて、酒は一息に杯を乾かすのが礼儀である。
「ディアウヒに近いところでは北のドモヴォーイですな、牧畜に長けた者達です。また火の魔法や魔術も扱えるとか」
スラミによるとディアウヒの北方にはスブムント公領との間に横たわる大山脈があり、その麓にドモヴォーイという小人達が暮らしている高原があるという。
「ねぇ、単眼巨人って何処に住んでいるの? 南部にいるって聞いたけれど」
イルムはゴブリン以外の種族について一番聞きたいことを尋ねた。スラミはああ、という納得した顔をする。
「キュクロプスは南部の山脈に住んでおります。ただ、岩のように頑固で貿易にも一苦労すると聞いておりますなぁ、彼らが作る武具は素晴らしいの一言に尽きますが」
そう言ってスラミは、腰に下げていた鍔の無い片手剣を外して机の上に置いた。剣の柄や鞘には細かい金銀の装飾が付けられ、きらりと美しく輝いている。
「これは……本物の?」
「ええ、代々受け継いだ物です」
イルムは断りを入れてから片手剣を手に取った。ゆっくりと煌びやかな鞘を外すと、装飾に劣らぬ輝きを放つ刀身が現れる。刃渡りはゴブリンの腕より短いが、その刃は並みの剣より遥かに鋭い。
「これが、キュクロプス製の武器……」
イルムはその剣に吸い込まれるかのように、目が釘付けとなる。魔族が挙ってキュクロプスの武具を求める理由がイルムにも分かる気がした。ふと、イルムはある事に思い至る。
「南部の状況は? キュクロプスがザリャン氏族に付いたらかなり厄介になるんだけど。まあ最悪、カシィブ公やスブムント公に介入を依頼するけども」
「御心配無く、南部がどうなろうとキュクロプスはザリャン氏族に付くことはないかと。彼らの頑固さは筋金入りで、バグラティオニ大王と結んだ古い契約を未だに堅守しています。王族にしか武具は卸さないという契約を」
スラミはにやりとした笑みを浮かべた。イルムも同じ様に口を歪める。
「ほほーん? 王子帰還の意味が随分と重いものになるねぇ、これは是非とも御帰還させないと」
イルムとスラミの会談は、日が沈むまで有意義さを失わずに進んだのであった。




