二十一話 不忠
北部に居座っていたザリャン氏族軍を排除したイルムは、二日掛けて捕虜の列と共にナリカラ軍を西へと進めていた。
ナリカラ西部はナリカラ最大勢力のエグリシ氏族の領域であり、ナリカラ軍が目指すディアウヒもエグリシ氏族の有力領主が治める都市である。
もちろん、イルムは事前に使者を送って、無用な警戒をさせないよう配慮していた。
しかし、それでもエグリシ氏族との領域の境に築かれた関所へ差し掛かると、完全武装したゴブリン達が緊張の面持ちでナリカラ軍を迎える。
門の前に立つ隊長格らしきゴブリンは硬い声で言った。
「お待ちしておりました、総督閣下。ただ……申し訳ありませんが、ディアウヒまでの道中に千を超える軍を養える余裕はありません。軍の縮小を願います」
開口一番の随分と単刀直入な言葉に、一ツ目馬に跨ったイルムは何でもないかのように返す。
「大丈夫、元より北の脅威が消えた以上は大軍を維持するつもりはないから、ここで半分程になるよ」
エグリシ氏族ゴブリンの要求にイルムはあっさり応えて、兵の半数近くを五百にも上った捕虜の内二百と共にオルベラ氏族領域へ帰還させる。
わざわざエグリシ氏族の領域まで大軍のままでいたのは、エグリシ氏族に一度見せつける必要があるとイルムが考えていたからだ。
ディアウヒの領主と面会する際に、自分から千三百の軍を率いてましたと言うよりは、領主の配下から見たことを報告させた方が自身の軍事力を正しく理解させやすい、と。
ナリカラ軍は八百の軍勢となって、残る捕虜三百を連れながらエグリシ氏族の領域に入った。
軍を縮小したことで、兵站への負荷は随分と減り、エグリシ氏族領主達から指示されたらしい村々から、食料の提供を受けられたことで、問題無くナリカラ軍はディアウヒ近郊に到着する。
道すがら出会うエグリシ氏族ゴブリンの大半は戦々恐々といった様子だったが。
「あれがナリカラ北西部の要、ディアウヒか」
ナリカラ軍の進路上に、丘陵の中から頭を出す二段重ねの岩山が聳え立っている。
台座の様な一段目の岩山には、山自体を椀状に下へ下へと削る事で岩の壁に囲まれる形になった街並みが広がり、二段目には木造の櫓を備えた石造りの城塞が築かれていた。
よく見れば街を囲む山肌に矢狭間、つまり壁の内側から矢で攻撃する為の穴がまるで毛穴の様にびっしりと設けられている。
岩山の中に通路や窓などを掘って、城壁とするのはソハエムスでも見られたが、ディアウヒは規模が違う。ソハエムスはあくまでも都市であったのに対し、ディアウヒは正しく要塞といった雰囲気だ。
「ナリカラは魔族の侵攻に何度も耐えたと記録で読んだけれど、納得だね。こんな難攻不落の城塞がいくつもあるなんて、そりゃ梃子摺るよ」
イルムは感心し切ったように何度も頷く。そんなイルムを、クムバトとノリスは複雑な面持ちで見つめていた。
ディアウヒに全軍が入るわけにもいかないため、ナリカラ軍は六百がディアウヒを前に野営地を築き、二百がオルベラ氏族の諸将と共にディアウヒへ入城する。
馬車も通れるよう加工された緩やかな坂を登って、岩肌を貫通して作られた門を潜り、台座状の岩山の内部に入った。
城門というよりトンネルというべき物を過ぎると、そこにはいやに広い目抜き通りが広がっていた。大通りは中心に聳える二段目の岩山へと伸び、上を見れば丸く切り取られた空が見える。
またこの空間を囲う岩壁は階段状に削られており、一段一段に街並みが広がっていた。よく見ればその階段状の岩も、くり抜かれて住居になっているらしく、窓と思しき穴がいくつも空いている。
「凄い、中はこんな風になっているんだ」
「はえー」
イルムだけでなく、アミネも思わず感嘆の声を上げる。そんな馬上の主従二人を余所に、不安気なエグリシ氏族ゴブリンが両脇を埋め尽くす大通りを、ナリカラ軍が行進していく。
こうして奇妙な空気の中、ナリカラ軍はディアウヒ中央の要塞化された岩山、ディアウヒ領主の城へと向かった。
岩山の麓は広場となっており、いつもなら市場が開かれているのだろうが、今は何も無い。ナリカラ軍二百はここで待機し、イルムを始めとする主だった面々が城の中へと入る。
城の内部は狭く入り組んだ通路ばかりで、広場から付いた案内人が居なければ、イルムらは確実に迷っていただろう。
一行を導くひょろりとしたゴブリンの案内人は、やがて大きな門扉の前へと立つ。案内人が丁寧な所作で扉を開けると、簡素な広間が現れた。
広間には簡単な机と申し訳程度の布が敷かれた椅子が並んでいる。そして机の向こうに身なりの整った五人のゴブリンが立ち、ナリカラ軍の一同を出迎えた。
五人の代表として、中央の背の高いゴブリンが口を開く。
「ナリカラ総督閣下、そしてナリカラ軍の皆様方、ようこそディアウヒへ。私はディアウヒを治めるスラミと申します、他の者は補佐のようなものです」
スラミと名乗ったゴブリンはイルムらに着席を促す。それを受けて、イルムは遠慮なく椅子に腰掛けた。ナリカラ軍諸将も座ったことを確認すると、スラミ達が腰を下ろす。
「早速ですが、ディアウヒもナリカラ軍に加わることに決めました。他のエグリシ氏族もナリカラ軍に参陣するに違いないでしょう」
スラミはそう言って笑顔を見せた。だが、クムバトが口を尖らせる。
「総督閣下への臣従がすっぽり抜けておりますが、どういう積もりでしょうか?」
スラミの笑みが固まった。オルベラ氏族諸将もクムバトと同じくスラミ達へ冷たい視線を送り、室内の空気が一気に冷え込む。
スラミは笑顔を固めたまま目が泳いでいたが、やがて苦悩を表に浮かべた。そして重々しく口を開くと、言葉を絞り出す。
「……総督閣下、大変申し訳ございませんが……我らエグリシ氏族は、その……貴方様に忠を誓うわけにはいかぬのです」
そこまで言うとスラミは、小さな額から汗を噴き出しながら必死の形相で弁明を行う。
「もちろん総督閣下、果ては魔族と事を構える積もりは一切ございません! ただ我らは、ナリカラ軍の一員として戦列を共にすることは出来ても……総督閣下個人に忠誠を誓うことは出来ぬのです」
これにクムバトが再び口を開く。
「未だに例の王子への未練が抜けませんか」
「我らエグリシ氏族はオルベラ氏族と違って不忠者ではないのでな、我らが主君はあの御方のみだ!」
「王子?」
イルムの疑問にクムバトが淀みなく答えた。
「ナリカラ統一を果たしたバグラティオニ大王の血を引く王族です、それも直系の。王族は皆、人質として魔都におりましたが、今はカシィブ公の元におられます」
「初耳……アミネは知ってた?」
「いやー、知らないですねー。でもあり得る話ですよねーイルム様?」
隣に座っていたアミネの言葉に、イルムは感情の色を消す。
「そうだね、母上もカシィブ公の保護下にあった。母上はカシィブ公の戦利品でもあったから」
イルムの母親は、元々東方砂漠にあった国の王族であった。魔王存命時にカシィブ公の侵攻でその国は滅ぼされたが、イルムの母親は戦利品としてカシィブ公から魔王へと献上される。
その結果、イルムが誕生した。その後イルムと母親は魔王から距離を置かれ、カシィブ公の保護下にあったのだ。
「……その……総督閣下は、カシィブ公のことを……」
クムバトは恐る恐るイルムへ声を掛けたが、イルムは気にした様子も見せずに快活に応じる。
「ああ、大丈夫。カシィブ公も負い目を感じたらしくて、随分と良くしてくれたからこれっぽっちも恨んでないよ。アポピス殿下と同じにしないで欲しいな、あの人は何十年も根に持つ性質だけど」
魔王の命で、イルムとその母の管理をカシィブ公に任された際、カシィブ公は当初親子をぞんざいに扱っていた。
カシィブ公からすれば、せっかく魔王へ献上したのに突き返されるとは、顔に泥を塗られたも同然である。しかしどういうわけか、ある日を境にイルムとその母を厚遇する様になった。
以降、カシィブ公は何かと気を回し、母が亡くなった時には立派な墓まで建ててくれた程だ。何故そこまでする様になったのかは、未だに分からないままだが。
イルムは常の態度を崩さずに話を戻す。
「で、エグリシ氏族は亡国の王子には忠誠を誓うけれど、僕に忠誠を誓うことは不忠になるからできないと、そういうことだね」
「はい……これはゴブリンとしての誇りに関わりますので、どうしても曲げられません」
スラミはオルベラ氏族の面々を睨みながら、そう吐き出した。暗に王族への忠誠を見せないオルベラ氏族は、ゴブリンの風上にもおけないと主張している。
するとイルムは大したことでもないとばかりに言う。
「ならナリカラ軍を王子に率いさせようか」
「は?」
イルムの一言でこの場の全員が間の抜けた顔をした。
「だから、王子をナリカラに呼び寄せてナリカラ軍の頭に据えちゃえばいいんだよ」




