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一話 出会い

初の連載です。よろしくお願い致します。

 

 一人の線の細い青年が、小さく数冊の本しか置かれていない本棚を凝視しながら、鼻息を荒くしていた。


「や、やっと見つけた……」


 フードの付いた丈の長いマントを、頭から深く被っている為おおよその姿は分からないが、黒髪である事や首元から上へ覗く肌は死人さながらに白い事と、興奮のせいか頬は上気した様に赤みがある事は察することができる。

 その病人の如き様相と、僅かに荒い息に通りすがる人々は心配げに、或いは怪訝そうに青年へ視線を送るが、彼はそれらに全く気付かない程に一冊の本に釘付けになっていた。


 石畳の道を挟んで三階建ての木造家屋が連なり、上質な麻製のチュニックを着込んだ人々や、荷物を満載した馬車が行き交う上流市民の住む街の一角。

 都市を囲う城壁からは遠いそこに建つ商店の、開放された入り口を前にしていた青年は、興奮を落ち着けることなく商店に足を踏み入れた。


 『賢王レオンが記した戦の術』と題された羊皮紙製の古い写本を手に取ると、カウンターの好々爺然とした年配の店主に値を尋ねる。


「あ、あのこれ、いくらですか?」


 帰って来た答えは、古本とはいえ製造に手間の掛かる羊皮紙を使っている上、これまた手間の掛かる手書きの写本では妥当な、下層民からすれば目も眩むであろう値段だった。

 だが、青年は事も無げに腰に下げた革袋から、幾枚もの大判金貨をじゃらじゃらと店主の前に並べる。

 その際に閉じられていたマントの間から青年の衣服が覗いたが、一度店主の老人は目を見張った。

 目に入った服は、上級貴族のステータスであり誰もが羨む木綿製の物だったからだ。


 羊毛の成る木から収穫されると噂される綿は、東方にある砂漠の国々からしか齎されず、絹に勝るとも劣らない高級繊維として珍重されている。

 それで作られた衣服ともなれば、少なくとも城持ち或いは宮廷勤めの上級貴族か、都市参議会の席に手が届く程の富豪が着る物であり、店主の前にいる青年はそういった上位の者という事だ。

 よく見れば纏っているマントも、上質な麻布で出来ている。


 店主は元々温和な顔を、更に人の良い笑顔に変えて金貨を受け取ると、今後とも是非御贔屓にと丁寧な礼で客だった青年を見送った。



「アンタ、一体何処のモンだ?」


 洗濯物がいくつもぶら下がり、陽の光が遮られた小汚い印象を与える路地。

 そこで本を抱えた青年の前に、袖無しの布鎧を身に着け、左腰に剣を下げた背の高い男が立ち塞がっている。


 青年は本屋から去った後、突然横路地から伸びた腕に人気のない路地へ引き摺り込まれ、目の前の男に詰問を受けたのだった。

 男は剣の柄頭に左の手の平を当てながら言葉を続ける。


「中々の家のボンボンだろうが、それにしては見ない顔過ぎる。ここいらで名の知れた貴族、富豪連中に護衛も従者も無しでお忍びをする度胸はねえし、冒険者なら仕事柄顔も大体知っている。パトロン無しじゃ厳しいからな」


 男は冒険者と呼ばれる職種の人間であった。

 冒険者とは人々から依頼を受けて、この世界に存在する魔物と呼ばれる生物を討伐したり、未開の地や遺跡の調査、希少物の採集などを生業とする者達だ。

 そして彼らは殆どの場合、出資者或いは組合組織(ギルド)からの支援を受けている。

 依頼達成の過程で必要な装備や物資は、個人での調達や維持は難しいからだ。男は語気を強めて再び問う。


「もう一度聞く、お前は何モンだ。何処ぞから逃げて来た亡命貴族か? まさか黒魔術師か山向こうの魔族の手先じゃねえよなぁ?」


 青年は答えなかった。ただブツブツと何事か呟き続ける。男は答えが無い事に舌打ちし、青年の胸倉を掴もうとした。

 が、突如猛烈な睡魔が冒険者の男を襲い、瞼が石で出来たかの様に重くなり、焦点も定まらなくなる。

 青年は、自身が唱えた眠りの呪文が効力を発揮したのを確認すると、やれやれとばかりに溜息を吐き、男を避けて大通りに戻って行く。青年の背後で、人がゆっくりと倒れ伏す音が聞こえた。



 城壁に囲まれた都市を背にして、青年は手に入れた本を抱きしめる様に抱えながら固い土の道を歩く。

 顔を緩め、今にも鼻歌を歌い出しそうな軽快な足取りで、背の高い草原の中を進み続け、やがて流れの緩やかな幅の広い川が視界に入る。


 道の先には平たく加工しただけの石を重ね、木材で補強して作られた砦が川の側に鎮座しており、砦から川向こうへと橋が伸びていた。

 川を渡るには関所である砦を通らねばならず、通行税を支払う必要があるのだが、青年は砦が見えるやそれを避ける様に道を外れ、膝より高く伸びる草の中を足で掻き分け川を目指す。


 時折マントの下部に植物の種や虫が付くのも構わず運び続けた足を止めたのは、砦が視界から消えて幾分も経ってからだった。

 すぐ側から川のせせらぎを聞きながら視線の先に声を掛ける。


「随分と待たせてしまったかな?」


 川辺りには、青年と同じ様な年齢と思しき若い人間が、小舟と共に客を待っていた。

 簡素な服にぼろ布を頭から羽織った格好の渡し守は、立ち上がると青年の問い掛けにも答えず、櫂を手に小舟の上へ右足を掛けると、さっさと乗れと言わんばかりに櫂の先で小舟の縁を二度叩く。

 青年が苦笑しながら小舟に乗ると、渡し守りは左足で川辺を蹴って小舟を押し出し櫂を漕ぎ出した。


 砦の通行税や荷の検めを嫌う旅人などは、こうして渡し舟を利用する事が多い。

 街に出入りする際も税と検分があり、二重の負担となるからだ。

 砦の兵士達も、徒歩の者が渡し舟を使用するのを事実上黙認している。

 あくまで通行税の目的対象は、荷車や馬車などを使う商人や冒険者などである上、砦から視認出来ない場所は管轄外だからだ。


「また渡し守の真似事なんかさせて悪いね。行きの時と同じく、帰りの報酬も約束通り銅貨で払うから安心して」


 この渡し守は、青年が都市に向かう途中に川で漁をしていた処に出会い、渡し舟を依頼したのだった。

 青年は、本業では無い渡し守をさせる迷惑料を含めて小銀貨一枚を渡そうとしたが、渡し守は掌で制止して懐から銅貨を取り出しそれを指し示した。つまり銀貨ではなく銅貨で払えという事だ。

 青年は頭を捻りながらも要求通り、小銀貨一枚と同等の価値分の銅貨を支払って川を渡らせてもらい、都市へ向かった。


 そしてどうもこの渡し守は、すれ違いで青年を待たせない様、律儀に帰りの川渡しまで漁にも出ずに、同じ場所で待っていたらしい。


「ところで何で銀貨じゃ駄目だったの? 何か訳でもあるのかい」


 先程の軽い謝罪を含ませた言葉にも、何気ない問いにも渡し守は無視という形で答える。

 それに青年が小さく肩を竦めた時、一陣の風が川面を叩いた。

 小舟はぐっと風に押されるが、渡し守の巧みな操船によって、人が落ちかねない程の揺れになる事は免れる。

 しかし渡し守が羽織っていた布が、風に持ち去られてしまい、渡し守の顔が露わになった。そこで青年は初めて、渡し守の顔をはっきりと見る。


 癖のない黒味のある濃い栗毛、新雪のような肌に彫りの深い顔立ち、鷲の様に鋭くも品位を持ち合わせる冷たい眼差し、渡し守は薄幸の美青年にも見える麗しい女性であった。

 青年は石になったかの様に固まり、瞬きも忘れて彼女へ視線が縫い止められる。


 女性は風に乗って飛んでいくぼろ布に眉根を寄せて目を鋭くするが、ややあって溜息を吐きながら眼つきを緩めた。

 その憂げにも見える表情に、青年は頬を薄桃色に染め、普段は気にも止めない胸の内から響く音が彼の身体を揺さぶる。

 気が付けば青年の口は、脳を無視して動いていた。


「ね、ねえ! 僕はイルムって言うんだけれど、君の名前は何て言うの? ええと……一人で暮らしているのかい? その、暮らしに困っている様だったら僕――」

「覚えて置くと良い、私は屈辱に甘んじるより躊躇なく自らの死を選ぶという事を」


 女性は雪解け水を思わせる透き通った声色で、氷柱の如き言葉をぴしゃりとイルムに浴びせると、腰から魚を捌く為の短刀を抜いて切っ先を自分に向けた。

 イルムと名乗った青年は、心臓に氷を押し付けられたかの様に血の気が失せる。氷像宜しく固まる彼に、更なる言葉の氷柱が降り注いだ。


「上等なマントを着ておきながら、それが汚れる事も(いと)わないあたり、大方辺境の貴族の出か何かだろう? 家柄が良いことに、調子に乗っている世間知らずは心底嫌いでね。そういった輩に言い寄られるくらいなら、このまま首を突いて川に飛び込んだ方がマシさ」


 女性の言葉に貫かれ、死人の様な肌をこの上なく青白くしてイルムは、震えた小さな声で


「ご、ごめん……」


 と呟いた。彼の涙ぐんだ許しを乞う声は、幼気(いたいけ)な雰囲気すら醸し出すが、彼女に容赦というものは無かった。


「さっき何故銀貨は駄目なのか尋ねたけれど、町に住めず漁で糊口を凌ぐ人間が、銀貨何て持っていたら周囲に盗んだと思われるに決まっているだろう。そんな事も分からないとは、頭の中に詰まっているのは貨幣と宝石だけか?」


 打ち拉がれたイルムが、(しぼ)んだかの様に体を小さくさせると、その様子に満足したのか女性は短刀を腰の鞘に納めて、再び櫂を漕ぎ始める。

 氷の海に深く潜っているかの様な重い沈黙の中、小舟は向こう岸に辿り着いた。

 イルムは縮こまって、銅貨をびくびくとしながら渡す。そして自身が纏っていたマントを脱ぐと、それも差し出した。

 フードを外した際、光を通さないさらっとした漆黒の髪と、血の様な赤黒い色をした瞳が露わになる。端麗とまではいかないが目鼻はやや整った形をしていた。


「良ければさっき飛んでいった布の代わりにどうぞ……」


 女性はそれらをぱっと掴むと、無言で足早に立ち去ろうとする。


「あ、あの! 本当に不躾な事言ってごめんね……ただ君みたいに美しい人は亡き母上以来初めてだったから、その……」


 彼女は一度足を止めたが、それだけだった。



「イルム様、偽名も使わずに名前を明かすのは宜しくありません。御姿も晒してしまって、全く」


 彼女が小舟と共に去っていった川上から、イルムは視線を動かせずにいると、突然背後から少し甲高い声が掛かる。


「ああ、うん……」

「心ここにあらずですか。困りますねー、貴方様は庶子とはいえかの魔王陛下の御子息なのですから」

「分かってるよ……そんな事」


 イルムは力無く答え、背後に立つ者に顔を向ける。立っていたのは灰色の肌に、肩まで届かない短い薄紫色の髪を持つ、若い女従者だった。


「ならお忍びも終わりましたし、さっさとファウダーの都に戻りましょう。近々五公会議で、崩御なされた魔王陛下の後継者を決める議があるそうですし」

「……崩御から十年近く経っても未だに解決しない揉め事が、本当に今回で収まると思ってるか?」

「いいえー、内戦勃発が先じゃないですかねー」


 あっけからんに言う従者に溜息を吐くと、先程の彼女が去って行った川上を見つめる。彼は一度目を細め、やがて何かを振り切る様に川に背を向けた。


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