十五話 決着
「ナリカラ総督にして魔王の子が一人、イルム。バガラン将軍、勝敗は決しました。投降して下されば名誉と生命は保証します」
今は戦塵を被ってはいるが、よく磨かれ整備されていたことが分かる質の良い鎖帷子を身に纏い、赤目のロバに跨るゴブリンへ、イルムはそう丁寧に声を掛けた。
「断る」
バガランは短い拒否の言葉を強い語気で言う。
左肩に火傷を負い、満足に左腕を動かせない様子でも尚、力強い覇気を放つバガランにイルムの胸から感嘆の念が湧いた。
「……敵として討ち取るのは大変惜しいと思わざるを得ません……が、ザリャン氏族随一の将に情けは無礼でしたか」
味方であればどれほど心強かっただろうと、イルムは残念そうに眉を下げながらも、右手だけで剣を構える。
一方のバガランは、火傷を負ってまともに動かせない左腕が、だらりと下がったままで、手綱も握れず足だけで馬上の体勢を保っているが、ふらつく様子を見せない。
それどころか、バガランは不敵に笑って見せた。
「二つ言わせて貰おう。儂はカルス様以外へ忠を誓うことは無い、そしてザリャン随一の将とは儂でのうて我が主よ」
そう言って、無骨な斧を手にした右手を掲げる。
両者にはもう言葉は必要ない。
「我が戦士達よ、手出しは無用!」
バガランは自身が乗る赤目ロバの腹を蹴る。すると主人の意を汲んだ愛馬が、イルム目掛けて走り出した。
「こちらも手を出すな! 一対一だ!」
イルムも真正面から向かって駆ける。
互いの距離が縮まるとバガランは、赤目ロバから身を乗り出すように、右手の斧を上から振り下ろした。イルムは左へ跳んでそれを避ける。
すぐさまバガランがロバを止めると、同時に向きをイルムへと素早く直し、右手の甲をくるりと体の内側から外側へ回す。そして馬首を左へ向けさせ、その勢いを乗せて斧を斬り上げた。
イルムは剣の切っ先でそれを受ける。金属同士が激しくぶつかる甲高い音が響き、イルムの剣と右腕が跳ね上がった。
「もらった!」
バガランは、右手首の捻れを戻すと袈裟斬りに斧を叩きつけ……ようとしたところで、右肩に痛みを感じて動きが鈍ってしまう。
イルムは隠し持つように右腰に下げていた小振りの短剣を投げ付けた左手を、右手で握る剣の柄に添えると、剣を思い切り振り下ろす。
「ぐっ……舐めるな!」
右肩に突き刺さる短剣もそのままに、バガランは斧を振り落として、イルムの一太刀を叩きつけるように弾いた。衝撃が剣を通じて、イルムの両手を痺れさせる。
イルムは地面を蹴って、一度距離を取った。
その間に、バガランは右手に持つ斧を、右肩に刺さる短剣の鍔に器用に引っ掛けて引き抜く。肩から噴き出す鮮血を気にも留めずに、バガランが笑みを浮かべた。
「暗器を持つとは、見た目に反して中々だな」
「お褒めの言葉として受け取っておきます」
両者は武器を構え直す。先に動いたのはバガランだった。赤目ロバの腹を蹴って突進し、斧を振りかぶる。
左足で地面を蹴り付けたイルムは、大きく右へ一歩踏み出してロバを避ける形を取ると、バガランの左足を狙って剣を横に振った。
だが、ロバの首を急転換させたバガランによって、その斬撃はあっさり避けられる。と同時に、ロバの鼻先がイルムの頭を殴った。
「うっ!?」
まさかの攻撃に反応出来ず、もろに受けてしまうが、幸い大きな打撃とはならずに済む。いや、そんな事で怯んでいる場合ではなかったというべきか。
自身目掛けて斧の刃が唸りを上げながら迫っていたのだから。
イルムは咄嗟に膝を崩して、身体を低くする。僅かに頭に遅れた髪先が、刃に切り取られた。はらりと髪が宙を舞う。
「――ッ!」
背中に冷たい物が流れるのを感じながら、イルムは無我夢中で身体ごと振り返った。背中を見せたら即座にやられる、という悪寒が背骨を舐めたからだ。そして、その通りの光景がイルムの目に映る。
既にバガランが馬首を返して突撃の態勢を取っていた。振り上げられた斧がぎらりと光り、赤目ロバが駆け出す。
その時、額に汗を浮かべたイルムの左手に炎が現れた。
「はぁっ!」
左手から放たれた炎は、塊としてバガランへと突っ込んだ。バガランは目を見開き、咄嗟に斧を身体の前へ寄せる。炎は斧の付け根に当たると、爆発した。
「ぐぉ!」
バガランは思わずバランスを崩して落馬する。彼の右手は斧と共に弾け飛んで、手首より上がほとんど無くなっていた。
だが――
「ぬおぉぉ!!」
碌に動かない左腕と手を失った痛みに喘ぐ右腕を総動員し、バガランは気力で立ち上がった。
「御見事……」
冷や汗塗れのイルムは、心底感服の言葉を述べながら両手で剣を思い切り横薙ぎに振り抜き、バガランの首を刎ねる。
宙を飛ぶバガランの首は、不敵な微笑を湛えていた。
地面に転がるゴブリンの首を見ていたイルムは、急にどっと溢れた疲労感に伸し掛られ尻餅をつく。
それが合図であったかのように、突然オルベラ氏族ゴブリン達が大声で叫んだ。
「ザリャン氏族の大将バガランを、イルム閣下が討ち取ったぁ!」
その宣言に、戦場に踏み止まっていたザリャン氏族の兵士達が、恐慌状態に陥って逃げ出す。
一騎討ちを見届けていたバガランの戦士団は、戦意を喪失した様子で、膝から崩れ落ちて項垂れた。そんな戦士達にイルムは固い声で告げる。
「バガランの戦士達に告ぐ、降れ」
「……どうせ本領には帰れん、おめおめ主を失った者が帰れる場所があるはずが無い、殺せ」
戦士の一人がそう力無く返すと、イルムは激昂した様子で怒鳴り散らした。
「バガラン将軍の名誉に泥を塗るつもりか! 良いのか!? オルベラ氏族にバガラン将軍の最期を語らせて、ザリャン氏族に将軍の最期を語り継がなくて良いのか!?」
「そ、それは……」
バガランの戦士達はどよめく。
敵に自分達の主の最期を語らせる、それは敵にとって都合のいいものになってしまうだろう。敬服する主を不当に辱められる事になるだろう。
そんなことは認められない、自分達が誹りを受け続けるより遥かに嫌だ。
諦めに支配されていた戦士達の心にそんな思いが渦巻いた。イルムは彼らの心理を見透かしたように、次の言葉を紡ぐ。
「ならば、このイルムに降ってほしい。バガラン将軍の姿を語り継げるのは諸君だけなのだから」
台詞は少し演技臭いが、目は真剣なイルムを見た戦士達はお互いに目を合わせると、全員が武器を置いて跪いた。
「閣下、バガランとの一騎討ちはいずれ来るザリャン氏族統治のためですか」
追撃も一段落した頃にクムバトがイルムの元へ来る。クムバトの言葉にイルムは流石、と返した。
「察しが良いね、バガランを兵で囲んで討ち取ってしまうとザリャン氏族はこっちに憎悪を抱く。でも敬意を払い、一騎討ちの果てにって形なら納得させて戦士団を捕虜として取り込める上に、堂々とバガランを破ったとしてナリカラ中から称賛を得られて、総督としての権威も高まる。ザリャン氏族も僕を憎い相手ではなく、良き敵と認識してくれる可能性も出て来る」
そうなれば余計な怨恨を生まず、後々ザリャン氏族を支配した時に都合が良い。そうイルムは楽しそうに語った。
「後はオルベラ支族と共に、残る千五百のザリャン氏族を片付ければ、とりあえずナリカラ北東部は落ち着くね」
イルムは自分の言葉に、何度も満足気に頷いた。
血や土埃で汚れたゴブリン達が、息を切らしながらも懸命に走り続けている。そのザリャン氏族ゴブリンの敗残兵集団を纏めているのはアニであった。
「肺が裂けようとも構わず走り続けろ! 追撃が収まったからといって油断はできん!」
そう叫んだアニは、悲痛に顔を歪める。
――何故こうなった!?
アニは言葉にならない思いを抱えてひた走った。
オルベラ氏族軍接近の報を受けて、バガランから修道院の包囲を任されたが、突如として修道院籠城軍は一点に集中して突撃して来たのだ。
包囲軍の半数が、士気の低下した鉱民兵だったこともあり、そのまま包囲を突破され、あっさり蹴散らされてしまう。
混乱の中、何とかある程度の兵を再集合させたが、その頃には戦局は最早決まっていた。
バガランの死も遠目にだが、見てしまった。
自身に出来ることは残存戦力と共に本領へ逃げ帰る事だけ。それだけがバガラン将軍への恩義に答えるせめてもの行為だと考え、今に至る。
「何としてでも本領へ戻り、カルス様に何があったのかお伝えするのだ!」
傷だらけ汚れ塗れのゴブリン達に、発破をかけたアニは、痛恨の表情を浮かべていたが、やがて悪鬼の如き顔で喉から絞り出したように唸った。
「必ず、バガラン様の仇は討つぞ……必ずだ……奴のそっ首刎ねて晒してやる!」




