百五話 夜戦
ザリャン本領の南部がキーイ大公国の餌食となっている。
それを知ったナリカラ軍主力、南軍は進軍を急いだ。同時に、敵を減らしつつ味方を増やす努力を重ねる。
中心となっているのは、ザリャン氏族に従わせられているファハンと雇われのバグベアに対する調略だった。
ナリカラ南東部と中央部の境界に近い地域に、単眼単足の種族ファハンの自治領が存在する。ザリャン氏族に武力制圧されて強制的に従わせられている彼等は、時期が来ればと以前から離反に前向きであった。
北と西から攻めるナリカラ軍によって、ザリャン氏族の影響が低下した今こそ、その時期であるとイルムは彼等へ参陣を呼び掛けている。
ザリャン氏族の軍中に居るファハンらとは十分に連絡が取れていないが、自治領の方は待っていたとばかりに蜂起。抑えに置かれていた少数のザリャン氏族軍部隊を八裂きにしたという。
一方の傭兵勢力バグベアであるが、こちらの調略は当初ほとんど見込みが無かった。
金で雇われた傭兵といっても、いくら大金を積まれようが、負けが決まっている馬には乗らない。ザリャン氏族が攻勢で主導権を握っていた過去の状況では、袖の下に銀塊や砂金を送り込んでも鼻で笑われて御仕舞いだった。
しかし、最近になって急に態度をころりと変え、向こうから傭兵契約を持ち掛けて来ている。
「ザリャン氏族は今、北と西から僕らナリカラ軍が、南からはキーイ大公国が迫って窮地にある。そりゃ見限るか」
ランプの灯りが仄かに照らす天幕の中で、イルムはボガードを通じて送られた書状を手に呟く。現在の南軍は、小山の腹という巨大な緩斜面に夜営中だ。
イルムの居る本陣を山頂側に置き、そこから扇状に四千強の軍勢が、布の壁と細い木の柱で出来た小屋を密集させて一つの町と化させている。
ザリャン氏族は本領に戻った事と、東隣のカシィブ公領から傭兵として派遣していた者達を引き上げさせた事で、かなりの兵を用意出来ていた。
ボガードによれば優に八千を超えるそうだが、その内情は中々に悪い。
リオニ攻略を断念した事実が氏族長カルスの威信を傷付け、更にナリカラ軍と大公国の侵攻もあって、内部が激しく動揺している。そんな状況で三方を守らねばならないのだ。
おまけに……。
「サディンの造反も随分効いたみたいだね。怒ったカルスの忠臣達が所領を攻撃したけれど、返り討ちにされて今も攻めあぐねているとか」
「備えも無しに、こちらへ恭順するなぞやらんだろう。あの黒尽くめはそういった事に長けた奴の筈だ。所領が攻められるのも、計画の内だろう。敵戦力の一部を釘付けに出来るからな」
薄暗い空間の隅から布音と共にエルガの声が飛ぶ。油を湛えた皿に灯る小さな火が、彼女の顔を露わにした。
「夕餉の時に紅冠隊の一部が馬鹿をやったらしくてな、叱り付けていて遅くなった」
天幕内に入って来たエルガは、そう言ってイルムの対面に腰を下ろす。構わないといった風にイルムが軽く首を振った。
「どうせ酒での騒ぎでしょ? まだ可愛い部類だよ。略奪に比べればね」
イルムは赤黒い瞳に嘲りを混ぜる。
南軍はザリャン本領に侵入して以降、度々兵士が狼藉を働いていた。兵力が四千を上回る大軍ともなると、末端までの統制や把握が不十分になりがちである。
加えて参陣して間もない南部諸氏族はナリカラ軍の軍律にまだ馴染んでおらず、何よりサディンの兵を除けば、誰もがザリャン氏族に大なり小なり怨恨を抱えていた。
報復を兼ねた略奪が多発するのも無理はない。
が、イルムはナリカラ総督としての立場から、ザリャン氏族領での狼藉は看過出来るものではなかった。ザリャン氏族は滅ぼすべき仇敵ではなく、鎮圧後はやがては支配しなければならない相手なのだ。
「物資の現地調達は仕方ない。いくら輸送体制を整えても、食料だけは賄い切れないからね。だから原則購入だと散々言い聞かせてきたのに……」
ナリカラ軍の現地における物資調達は、購入という形を常に取るよう定められている。穏便に済む事もあるが、大抵は現地住民に物資を強制的に売らせていた。
背後に兵を並べ立たせ、「奪われるか、買い取られるか選べ」といった意味の言葉と金を投げ付けては、半ば強引に物資を運び去るといった具合である。大分乱暴ではあるが、略奪よりはマシと現地の反発も少ないと見られていた。
しかし、その荒っぽい手段すら満足に熟せず、考え無しに私怨で行動する輩が一向に減らないのが現状だ。
面相を不愉快一色の形にして、イルムが歯を軋ませた。
軍の綱紀粛正にはエルガも少なからず関わっている。この為、兵の暴走は自身どころかエルガの顔にも泥を塗るに等しいと、彼は憤る。
「略奪や虐殺を主導した者は毎度斬首しているっていうのに、まだそういう奴が出て来るか」
「ふむ、ならば紅冠隊を使うか? 連中を処刑人として表に出せば、ザリャンへの怨恨深い兵らも流石に背筋を正すだろう。統制には恐怖が一番手っ取り早い」
「なるほど……そうしよう」
物騒な会話が終わり、しばらく沈黙が居座った。二つの人影の片割れが、何故だか急に赤みを増していく。
夜中、天幕に男女が二人きり。婚礼を済ませてはいないが、婚約を交わし、婚儀の前提である改宗も行った。婚前である事を除く全ての条件が整っている。
桃色になっている青年が、ちらちらと背後の寝床を振り返った。藁に布を被せただけの寝台が二つ並んでいる。
ここ最近は、イルムの洗礼も済ませたという事で、二人は一つの天幕で共に寝起きする様になっていた。人間との融和と、エルガの高貴な血から来る箔付けをより強調する、演出の一つである。のだが……。
「あああ、あの……」
急に、ぼっと体温が上昇したイルムは、桃色の顔を更に赤くさせて口をぱくぱく動かした。エルガは小首を傾け、彼の目を見る。
「その……おやすみ!」
それだけ言って、彼は弾かれた様に藁の上へ駆け込み、上掛けを引っ被って全身を隠す。完全なる逃げであった。
それを無表情で見ていたエルガは、短時間で出来た繭をそのまま数秒見つめてから、ランプを手にゆっくり立ち上がる。そして繭の隣にある寝台に腰掛けた。暫し布に包まれた婚約者を眺めると、やがて灯りを吹き消し自分も横になって上掛けを引き上げた。
暗闇の中、静かな寝息が一つだけ上がり、その隣では蒸気が立ち昇る。
厚い布一枚を隔てた外で、深い溜息が生まれた。夜闇に薄紫が浮かんでいる。
「へたれ……婚前とかお構い無しにやっちゃえばいいじゃないですかー。つまんないー」
天幕に耳を当てていたアミネが、顰めっ面で文句を言う。
「接吻の一つも無いもなんて。いくらエルガ……様自身が恋慕の欠片も無いとはいえ、イルム様の方から攻めはあるべきでしょーがー」
「何してるんですか、総督副官殿……」
胡座をかいてぐちぐち言うアミネへ、通り掛かりの見張りが呆れ顔を向けた。彼女は半目を三白眼に変えて、見張りのゴブリンに言葉の矛先を突き付ける。
「どー思いますー!? あんのへたれ野郎の事! よく考えたら好きの一言も直接言えてないんですよ!」
「いや、あの」
「あぁーもう、飲む! やってらんない。飲むのに付き合って下さい」
いきなりそう言い出して、傍らに置いていた酒壺を引き寄せた。おそらく盗み聞きを肴に飲む予定だったのだろう。
不運なゴブリンが、まだ一滴も口にしていないのに悪酔しているかの様な女屍食鬼に迫られる。
「お、落ち着いて下され副官殿……いてっ」
突然、ゴブリンが右頬を小さく庇う。二人して頭に疑問符を浮かべるが、少々耳障りな羽音で合点がいく。
「何だ虫か」
偶然体当たりしてしまったであろう虫の羽が奏でる不快音に、ゴブリンは目を細め頬に当てた手を下ろした。しかし、一方のアミネは顔付きをほんの少し険しくさせる。
「なんか聞こえません?」
「え?」
耳を澄ませてみるが、特に異音は聞こえない。見張りのゴブリンは首を傾げてアミネを見やる。珍しく彼女はいつもの気怠げな雰囲気を全く出さず、聴き耳に集中していた。
これはただ事ではないと、ゴブリンも改めて耳をそばだてる。途端、アミネが一点を指差し叫んだ。
「あそこ!」
彼女の指が指し示す先には、南軍主戦力の一つ緑旗軍の野営陣地がある。篝火が点々とたかれ、小山の麓に築かれた、夜の街並みを思わせる天幕の群生地。だがそこには篝火とは別の明かりもぽつぽつと灯っていた。それらはゆらゆら動き回っている。
アミネの傍でじっと立てていたゴブリンの小さく尖った耳に、やがて喚声の様な響きが薄っすら聞こえてきた。
「……まさか!」
見張りのゴブリンが顔色をさっと変えた瞬間、アミネの手から漆黒の空へ火の玉が打ち上がった。空中で炸裂し、派手に音と光を撒き散らす。
「敵襲! ほら突っ立ってないで警報を!」
「はっ、はい。敵襲ー! 夜襲だぁ! 緑旗軍が襲われているぞ!」
その声に地を埋め尽くす幕屋の数々からゴブリンが飛び出した。篝火の近くで舟を漕いでいた兵士も慌てて顔を上げ、何が起きているのかと首を振る。
アミネの背後にある天幕から、足を取られそうにしながら駆け寄るイルムと、ゆっくり落ち着いた歩みで近付くエルガが現れた。
少し顔色が赤いイルムが状況を問い質す。
「何が起きてるの?」
「エレクレ殿の陣が襲撃されています。既に乱戦になっているかと」
女屍食鬼の従者から放たれた素っ気ない報告に、主人である魔族の青年が鼻白んだ。
「緑旗軍が? 敵の数は……分からないか。とにかく全軍を叩き起こして厳戒態勢に。その後、敵勢を包囲に掛かる。やってくれたね、敵将はいったい誰だ?」
命令を飛ばした後に漏れた最後の呟きは、騒々しさを増す周囲の空気に掻き消される。
長い夜が始まった。




