百四話 足音
質素な印象を受ける髭と痩せた頬が特徴的な“全能者”の顔が、旗の中から感情の起伏を表さずにナリカラの地を見つめている。だが背後には、その荘厳なる尊顔に相応しくない光景が広がっていた。
家々が燃え落ち、赤黒い液体に塗れたゴブリンが幾人も転がっている。滅ぼされた村には鳴り止まぬ進軍の音が満ち、途切れぬ兵の列が血を吸った地面の上を行く。
キーイ大公国軍はナリカラ南東部の南端域を蹂躙しつつ北上を続けていた。
その軍中に、かつて都市クロムで“鋭鋒”と呼ばれていた元冒険者の男の姿があった。
少し先が尖った椀型の兜に、陽光で輝く鋼鉄製の鱗鎧を装備した偉丈夫、イーゴルは兵に囲まれながら馬を進める。
彼の近辺で行軍するのは、鎖帷子や小札鎧姿の精兵ばかり。布鎧や私服同然の格好をしている雑兵は、前後に遠く離れていた。
それもその筈、彼はこの大公国軍を率いる司令官の一人なのである。
「伝令! 伝令ー!」
進軍方向より、旗を掲げた騎兵が二騎の護衛を連れて、イーゴルの元へ軽やかな脚取りで駆け寄った。その馬の速度と騎手の顔色から、悪い報告ではない様子だ。
「ドフクス公より伝令! “ゴブリンの軍勢を撃破、これより進軍先の城塞都市を包囲する。五日で落とす故、後続は急がず荷運びの牛に合わせて進むべし”との事です」
「……ムスチフラフの爺さんめ、余裕綽々だな。分かった。そっちも進軍は程々に、隊列を伸ばし過ぎぬ様にと伝えてくれ」
伝令が引き返していくのを眺めながら、イーゴルは手綱を握り直す。視界の果てのその更に果てより先まで続く軍列が、ただただ足音と金属が擦れて立てる、がちゃがちゃという音だけを合唱させていた。
太陽が一番高い位置に登ると、大公国軍が昼の大休止に入り、行軍を止めて炊事の煙を立ち昇らせる。
牛やロバなどに牽引させていた荷車から麦袋や豆が詰まった袋を下ろし、中身を鍋で煮て粥にしていった。鍋を囲む兵士達は、塩だけで味付けされた粥を木の匙で掻き込む。
イーゴルも愛馬が秣を喰む横で、粥に匙を突っ込んでいた。特に美味そうでも不味そうでもなく、黙々と作業の様に食事をしていると、突然視界が薄暗くなる。
見上げれば、筆の様に真っ直ぐ伸びた髭を生やした顔が見下ろしていた。
「ヴォストク公、何か?」
「何かとは失礼な。話し相手になってやろうと思うたのに。どうせ暇であろ」
一千の兵を率いてこの軍に参陣しているヴォストク公が、身に付けた鎖帷子からがしゃりと音を奏でさせながら、イーゴルの隣に片膝を立てて座る。
キーイ大公国の影響下にある分領公国の一つ、ヴォストク公国を治める男は小さく溜息を吐いた。見咎めたイーゴルが口を開く。
「ヴォストク公、軍中で溜息は厳禁ですよ。将兵の士気に関わります」
「分かっとるわ。だが吐きたくもなろう。我らの力も落ちたものだと、この軍を見ているとそう思うてしまう」
ヴォストク公は粥を口にする兵士らを見遣り、そうどこか力無い言葉を漏らした。イーゴルもそれには否定せず、沈黙で暗に肯定する。
ナリカラへの遠征を行なっている大公国軍の内訳は、いくつかの分領公国の連合軍だ。その兵力は八千にもなるが、輜重などの非戦闘員を除けば、純粋な戦力は六千を超える程度でしかない。
これはかつての大公国を思えば、少し情けないのではないかと言われても仕方なかった。
「魔王軍と争っていた頃は万を超える軍が当たり前であったというに、今やこの様。我がヴォストクも、三千は出せていたのが今ではたった一千。口惜しいのう」
寂しさと悔しさを混ぜた面持ちで、ヴォストク公は遠くを見る。昔日を振り返る彼に対し、イーゴルはふんっとそっぽを向いた。
確かに往時の大公国に比べれば、この遠征軍も大分霞んでしまうかもしれない。本隊より先行して活躍しているドフクス公ムスチフラフの軍も、精一杯揃えた数が二千程度である。
だが、それは魔王軍との戦から復興に励んでいるが故の事だ。
ただでさえ豊かとは言い切れない上、戦で荒れ果てた国土を必死に立て直しつつある中での、今回の大遠征。その負担は決して小さいものではない。
それを十二分に分かっているイーゴルは、ただ栄光の過去を振り返って今を非難する態度には全く同意出来なかった。
ふとヴォストク公も、顔を逸らしたイーゴルの胸の内を察したのか、気まずそうに視線を落とす。
無言の時間が進み、食事を終えて行軍再開に備える者が増えてきた頃、陽気と鈍りを含む声が飛んで来た。
「辛気臭い顔して、どした? ずっと勝ち戦だっちゅうに」
声の主は異質な格好をしている男だった。前合わせの長衣を着て毛皮の帽子を被り、その下から編み込んだ髪が顔の両脇に一本ずつぶら下がっている。
それは、キーイ大公国の南に広がる“黄色平原”に住む遊牧民、トルチェク人の姿そのものであった。
馬術に長け勇猛で鳴らす彼らは、大公国とは和戦を繰り返した仲で、今は同盟関係にある。
小柄な馬から降りたトルチェク人の男に、イーゴルは片眉を上げて疑問をぶつけた。
「コチー・カン殿、何故ここに」
トルチェク人を纏める候、コチーは気持ちの良いにかっとした笑みを溢す。
「どんどん前に行け言われたのよ。公子様に。お前らなら敵中に孤立しても問題なかろ、てな」
「……確かに。六百騎のトルチェク人騎兵であれば、ゴブリンの大軍に囲まれても巧みに抜け出せそうだ。先行するドフクス公も、ゴブリンは騎兵をほとんど持たぬ様だと報せを遣しておるし、余裕であろう」
顎髭の先を摘んだヴォストク公が、じとりとした目を向けた。その目が如実に主張する。
まさか目ぼしい手柄を全て先に取るつもりかと。
三白眼に晒されたコチー・カンは、からから笑う。
「そんな目しなさんな。ただのでっかい斥候隊みたいなもんよ。城攻めは全部お任せするて」
そんじゃあと去り際に手をひらひらさせて、コチー・カンは馬に颯爽と飛び乗る。弓矢を腰に下げた騎兵隊をぞろぞろ連れて、彼は先に北へ進んでいった。
その背中を鋭く見ていたヴォストク公が、立ち上がるなり従者を呼び寄せ馬を用意させる。
「ドフクス公やトルチェク人の奴らばかりに戦をさせてたまるものか。イーゴル! 先に行かせて貰うぞ」
瞳を吊り上げた彼はイーゴルにそう言い放ち、馬を走らせて自軍の元へ駆け去った。行軍再開を急かしに行ったのだろう。
「……俺も行くか」
イーゴルも立ち上がって愛馬の轡を引く。どこか薄暗い表情を無理矢理持ち上げて地面を踏み付けた。
「始めから決まってた事だ。ナリカラからクロムに戻った時には」
彼は大公国が企てた計画を思い返す。
イーゴルがクロムからの依頼でナリカラ調査隊を指揮し、結果として逃げ帰った後、彼から送られたナリカラに関わる情報を大公国は使えると判断した。そして、二つの計画を立てる。
クロムとナリカラの間で戦になった事を察知した大公国は、目敏く動いた。
クロム救出を名目に大軍を動かし、その威容を以てゴブリンを不戦で退けてクロムに恩を押し売り、代金としてクロムの自治に手を突っ込み実権を奪うという第一の計画を開始する。
が、これは想定より遥かに早くナリカラ軍がクロムを降した事で、空振りに終わった。
北への玄関口たり得るクロムを手に入れるべく意気揚々と振り上げた拳が、空中で止まってしまったものの、南の大国は焦らず騒がずもう一つの目標に目を移す。
ナリカラ本土、その南部だ。
第二の計画にして本命。内乱状態のナリカラに介入し、その国土をもぎ取る侵攻計画である。
まずナリカラの目がクロムなどに向いて南から外れている内に、南の国境を一気に越える。そして奇襲による混乱から敵勢力が立ち直る前にナリカラの三分の一を、可能であれば半国を貪って、ナリカラ総督府というナリカラの中心勢力と不可侵の交渉を申し出るのだ。
向こうは大国キーイを相手にはしたくないだろうし、たとえやる気でも正面から戦える程の力が無い事は、イーゴルが齎した情報から感じ取れる。交渉が決裂しても、国力差にモノを言わせれば良い話。さしたる問題は無い。
ナリカラ総督府は国土の多くを掻っ攫われておきながら、不可侵条約でその奪還を諦めざるを得ないという理不尽を被り、大公国は新たな土地を手に入れる。鉱物が豊富だというナリカラの地は、大公国に多大なる益を齎すだろう。
またゴブリンが文明を持ち、剰え人間と同じオルソド教を奉じている事も、大公国の野心を誘っている。
それらはゴブリンを民として支配下に置く事が出来る事も意味していた。
現地に巣くう魔物を追い払って一から開拓する必要も無く、都市や村をそのまま併呑して支配してしまえば、資源どころかゴブリンからの税収すら見込める。人間対魔族の構図が長く続き、他国から新たな土地を獲得する機会が乏しくなっていたこの世界において、これほど優良な侵略先は無かった。
そして、大公国という飢えた大熊に、節操というものを弁える余裕もまた無かったのである。
「……悪く思うな、そういう世界だろうが……」
言い聞かせる様に呟いたイーゴルの顔は、いやに複雑な色をしていた。
行軍を再開すべく、兵士達が武器を担いで列を作る。その際、顔を合わせた者達の間で弾む会話が起こった。
「お、その毛皮どうしたんだ?」
「ゴブリン共が持ってたやつさ。中々のモンだから頂いたのよ」
略奪品の毛皮を羽織る男が自慢げに口角を上げる。その毛皮にはノミやシラミが集っているのが目に見えて分かるが、誰もそれを指摘する事はない。
毛皮は洗うと肌触りが悪くなってしまう。更に衛生に関する知識がまだ乏しいこの世界において、毛皮を洗う、清潔にしておくという発想はゴブリンどころか人間にも無いのである。
毛皮の他にゴブリンから奪った品々をタネにした話で、兵士達が盛り上がった。時折笑い声も上がる。中には盛り上がり過ぎてむせたのか、咳をする者もいた。
それを遠目で見たイーゴルはまた、面相を複雑な形に歪める。戦で荒れた土地を嫌という程見てきた。しかし、今は自分達がそれを起こしている。
それでもこの行いは結果的に、魔王軍侵攻で傷付いた故郷を癒し潤す事に繋がる筈だ。
相反する二つの思いがぐるぐると一つの胸の中で煮込まれているのを感じつつ、イーゴルという名を持つシヴェール公の長子は愛馬に跨って声を張り上げる。
「行軍再開! 進めぇ!」
素朴さが感じられる髭を生やした“全能者”の顔が翻り、数え切れない程の足音が鳴り始めた。




