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百三話 突破

 

 盛り固められた土の上に並ぶ木の柵から、横殴りの雨の如き矢が、薄紅帽子を被るゴブリンらへ襲い来る。

 しかし、その鈍色(にびいろ)の恐怖も、彼らには通用しない。

 真っ直ぐ突き進む紅冠隊(レッドコーム)は、斧で矢を振り払って突貫を続行した。払い切れずに身体を掠める矢にも反応せず、ただ瞳をぎらぎら輝かせ口角を興奮に歪める。

 あっという間に空堀まで到達した紅冠隊(レッドコーム)が、そのまま地面を足で蹴り、見事な跳躍を見せた。

 ひとっ跳びで決して幅が狭くない堀を超えてしまうその姿は、平素であれば思わず賞賛の手を叩く光景だったかもしれない。だが、柵越しにそれを見たザリャン氏族ゴブリンは、揃って小さく悲鳴を上げるか恐怖に顔を歪める。

 地獄から這い出た鬼が柵を掴んだ。


「う、うわぁぁ!」


 一人のザリャン氏族兵が叫びながら槍を突き出す。穂先が鬼の手に刺さる寸前、柵と槍が断末魔の叫びを上げた。


「え?」


 木片が飛び散り、突然綺麗に開けた視界に、槍だった棒を手にした兵士が呆然とする。数秒後にはそれが彼の見た最期の光景となった。

 顔面を真っ二つにされたゴブリンが倒れる。血が滴る斧を握った狂戦士が、邪悪な笑みを(こぼ)して一歩、また一歩と薙ぎ倒された柵の内側に足を進めた。その後ろに薄紅色の帽子を被る者達が、続々と土塁を越えてその凶悪な姿を見せていく。


「我ら紅冠隊(レッドコーム)が敵陣一番乗り! 暴れるぞ!」


 水を得た魚とばかりに、紅冠隊(レッドコーム)は眼につく敵へ襲い掛かって鮮血を飛び散らせた。最初に土塁を乗り越えたのは数十人程度だったが、突破口を確保するには十分過ぎた様で、彼らは周囲を真っ赤に染めて暴虐を体現する。

 破られた柵も、行儀良く順番待ち出来ない者達により、更に破壊されてその傷口が広げられていった。


赤帽子(レッドキャップ)だぁ! 助けてくれ!」

「奴ら裏切ったぞ畜生!」


 ザリャン氏族軍は一部が士気を崩壊させて敗走を始め、その周りも血に酔う狂戦士達を前に足を(すく)ませ、腰が引けていく。

 薄紅帽子の戦士が、武器を投げ捨てて遁走(とんそう)するゴブリン兵の背に怒鳴り付けた。


赤帽子(レッドキャップ)じゃねぇ。俺たちゃ紅冠隊(レッドコーム)だ! 覚えておけ!」


 紅冠隊(レッドコーム)は、逃げる者の背中を切り裂き、立ち向かう者の頭をかち割り、半狂乱で槍を振り回す者の首に斧を投げ当てて、(ことごと)くを屠り去る。

 彼らだけで全く手の付けられない状態であるザリャン氏族軍だったが、相手は薄紅帽子の戦士団だけではない。

 紅冠隊(レッドコーム)がこじ開けた突破地点を中心に、ナリカラ軍に付いた南部諸氏族を前衛とした南軍が攻め掛かった。


 戦場中央の土塁突破地点は、紅冠隊(レッドコーム)の活躍でかなり南軍優位に戦闘が進んでいる。しかし、これに反して両翼の戦況は(かんば)しくなかった。

 南部諸氏族のゴブリンらが降り注ぐ矢の雨を盾で(しの)ぎつつ空堀まで来ると、盾持ちの後ろに控えていたゴブリン達が、細木や枝を纏めた粗朶(そだ)(たば)を堀へ投げ捨てる。

 少しづつ堀を埋めていく彼らであるが、その代償に矢を受けて倒れる者も徐々に増えていった。

 中には粗朶束を盾にして空堀に突っ込み、そのまま飛び込んで土塁をよじ登る勇敢な集団も居たが、敢えなく全員射倒されしまう。

 ようやく積み上がった粗朶束と死体で堀を渡る橋が出来ても、犠牲は減るどころか増える一方だった。矢の中を走り抜けて空堀を超えても、土塁を登る途中で狙い撃たれ、柵に手を掛けたところで突き殺される。


 ザリャン氏族軍が築いた防御陣地は、土を盛って柵を立てただけとはいえ、攻撃の勢いを削ぐには十分であり、兵力差を物ともしていない。

 完全に攻城戦の様相だが、攻城兵器を一切投入していない事も苦戦の要因だ。


「組み立てに時間が掛かる投石機は難しくとも、弩砲(バリスタ)は出すべきでは?」


 土塁に押し寄せるゴブリンの波を遠目に見るイルムへ、そう進言がされるのも当然だった。しかしイルムは首を振る。


「今の状況じゃ、敵に当たるより味方に誤射してしまう可能性が高い。たとえ投石機を投入しても土塁には効果が薄いし、組み立てと解体に時を取られる。力攻めでいくしかないよ」


 淡々と言い切ったイルムは戦線中央に目をやる。白鳥が佇む緑の旗が見えた。公爵(エリスタヴィ)のエレクレ率いる緑旗軍である。


 統一王国時代の軍制復古により、ナリカラ軍の基幹部隊となった“(サドロショ)”だが、当時の物をそのまま復活させた訳ではない。

 元は北西、北東、南西、南東の大四旗と国王直属の王冠旗を主力に、公爵(エリスタヴィ)他、諸侯が率いる中小規模の(サドロショ)が加わっていた。

 が、現在のナリカラ軍の(サドロショ)は、公爵(エリスタヴィ)の地位に就く有力者が、定められた管区より兵を集めて編成した、千人前後の軍となっている。

 そして、それぞれ色分けされた旗の名で呼称されていた。これは兵士達が、自身の所属が色で簡単に判別出来る様にする為だ。


 その一つの緑に色分けされた旗の下、エレクレ率いる一千は、紅冠隊(レッドコーム)に続く形で中央へ順繰りに兵を送り込み、そのまま敵陣を蹂躙しつつある。正直、彼らだけで決着がつきそうですらあった。

 やがてナリカラ軍旗が土塁の上で振り回されて、ばっさばっさと(ひるがえ)る。中央は完全にこちらの手に落ちたらしい。


「この調子なら敵本陣にも雪崩込めそうだね。いや、もう切り込んでいるのかな」


 柵の向こうに(うごめ)くザリャン氏族ゴブリン達は、明らかに落ち着きが無く、右往左往する部隊杖も確認出来た。眼に見える程の動揺はやがて全体に広がっていき、両翼の戦況にも影響が出始める。


 南軍右翼はロムジア氏族長アスピンザ率いる青旗軍七百が、苦戦していた南部諸氏族の尻を叩き、左翼もサディン勢八百が援護を開始した事もあり、先鋒の南部諸氏族の兵がようやく柵を攻め越えた。

 中央を完全に突破され左右も抑え切れなくなってしまっては、もうザリャン氏族軍は兵力差で押し潰されるしかない。

 間もなく、イルムが直率の兵八百を背に見ている中で、ナリカラ軍旗が土塁の彼方此方(あちらこちら)に立てられた。



 堀を埋める粗朶束の上に土とぼろ布を被せ、更に板を乗せた仮設橋の上を、イルムが乗る一ツ目馬が歩く。門が無い為、土塁の一部を崩し傾斜を緩やかにして作られた、即席の道を通って盛り土の砦内部に入る。

 改めて間近に見ると、かなりしっかりした防御陣地だった。

 空堀はそう深くないが、幅は人がなんとか横になれそうな程で、敵の足を鈍らせ勢いを削ぐには十分過ぎる。土塁の高さもゴブリンの身長ぐらいはあり、柵も合わせて地味に攻め辛い。

 紅冠隊(レッドコーム)がいなければ、攻略に何日も掛かっただろう。


「ザリャン氏族もこっちの戦術から学んでいるか……これは調略を急いでますます楽に勝てる様にしないと。嫌な情報もあるし」


 イルムの顔は将兵の手前という事で表面状平静であるが、その内側の筋肉は強張っている。知らぬ間に恐れていた事態が起きていたのだ。


 人間諸国によるナリカラ内乱への介入である。

 ナリカラの西と南側を接する大国、キーイ大公国が動いたというのだ。


 ボガードによれば、初夏を過ぎた頃よりザリャン本領南端と大公国(キーイ)との境を分ける山脈に置かれた要塞に、大公国(キーイ)の大軍が攻め寄せていたという。

 当初は険しい地形と堅牢な守りで持ち堪えていたが、一向に攻め手を緩めぬ大公国(キーイ)軍にとうとう息切れし、落されてしまった。

 陥落直前はしきりに氏族長カルスへ援兵要請が出されていたが、リオニ攻めの準備を進める彼は、本領で対応せよと突っ()ねている。


 そのツケの結果が、リオニ前面での総撤退だった。


 要塞陥落の報に、カルスも流石に本領を丸ごと見捨てる訳にいかぬと、断腸の決断を行ったのである。

 もし国境要塞を落とした大公国(キーイ)軍が二千か三千であれば、カルスは迷いつつもリオニ攻撃を強行していただろう。

 だが、国境を越えて踏み込んで来た大公国(キーイ)軍の数は――


「一万に届く勢い……か」


 イルムが苦い呟きを漏らす。

 直接ボガードが大公国(キーイ)軍を確認したのではなく、あくまでザリャン氏族内で言われている錯綜(さくそう)気味の情報でしかない。大なり小なり誇張されているだろう。

 しかし、五千で済む数ではない可能性は十分にある。カルスが本領に慌てて引き返すのも当然だ。


「このままだと三つ巴になるかも。上手くザリャンと大公国(キーイ)が消耗し合ってくれれば良いんだけれど……」


 イルムは吐きそうになった溜息を飲み込む。そう万事都合良くいくなら苦労はしない。

 後が怖いなぁと心の中で嘆息しつつ、口の代わりに鼻から憂いたっぷりの息を吐いた。


 土塁陣地を落とした南軍は、追撃を終えると土塁を解体して堀を埋める。ある程度整地を行って道を復旧させた頃にはもう陽が傾いていた。やむなく前進を諦め、陣地跡で野営に入る。

 翌朝、進軍を再開した南軍はザリャン本領への浸食を開始した。


 ボガードより「大公国(キーイ)軍、国境後方に敷かれたザリャンの防衛線を突破。南端地域は火の海と化している」との急報が入ったのは、それより五日後の事である。


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