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百二話 黒と紅

 

 ナリカラ南西部地域の東端。この地はエグリシ氏族とザリャン氏族の間に挟まれた中小氏族の領域である。が、ザリャン氏族の侵攻を受けて以降、その支配下にあった。


 木立の中を少人数のゴブリン兵が行く。軽装の動きやすい格好をした彼らは、辺りを探る様に見渡しながら進んでいる。

 (しば)し歩き(づめ)ると、やがて足を止めて休息に入った。見張りとしてか、一人が木に登って進行方向を見遣る。手で(ひさし)を作った彼が眼を細めた、その時。

 彼の喉元に矢が生えた。


「ゔあ゙……?」


 濁った声を漏らして真っ逆さまに落ち、どさりという小さくない音を立てる。何事かとゴブリン達が振り返った瞬間、何本もの矢が茂みの陰から襲い掛かってきた。続いて手斧を手にする襲撃者達が飛び出し、腰を下ろしていたゴブリンらの命を次々に刈り取る。

 ゴブリン兵のほとんどが武器も振るえずに全滅したのは、数分にも満たぬあっという間の出来事だった。


 十人以下のゴブリン兵全員を皆殺しにした二十人程度のゴブリンの襲撃者達は、黒布で口元を覆っており、その人相は分からない。その内の一人がくぐもった声で言う。


「これで敵の斥候は全て潰した。後は死体を隠せば我らの仕事は終わりだ。とっとと済ませるぞ」


 彼らは地面に染み込んだ血を土ごと削り、枝葉で覆った。手慣れた様子で襲撃の痕跡を綺麗に消し、これまた慣れを感じさせる手際で、二人一組のゴブリンが死体をさっと持ち上げる。

 死体を運ぶ襲撃者達は、足跡を丁寧に消しながら何処(いづこ)かへ去って行った。




 ナリカラ軍は現在、南北の二手に分かれて、ザリャン氏族本領に向けて進軍していた。

 そして南部を進むイルムの南軍四千は、その本領外縁に広がる旧諸氏族領に居座る敵軍と接触する。斥候からの報告を受けたイルムは、先鋒として軍の先頭に居たサディンに強襲を命じた。

 “黒狼(シャヴィマゲッリ)”は喜び勇む様に、はきはきと指示を飛ばして手勢の陣容を整えると、ナリカラ軍本隊から先行して突き進む。

 一気に前進したサディン勢八百が敵の姿を認めたのは、それから二日も経たない内だった。


 南軍の進路上には城塞が存在し、五百のザリャン氏族軍が駐留している。

 しかし、彼らは篭城して迎え討っても、いずれ兵力差ですり潰されると見てか、城から討って出た。一撃を加えて出鼻を(くじ)き、損害を抑えて離脱するつもりだったのだろう。

 だが、彼らの一撃離脱策は早々に(つい)える。相手が悪過ぎたのだ。


 狐がどうして狼に敵おうか。


 サディンは敵の偵察を徹底的に排除して、ザリャン氏族軍の目と耳を奪い、自軍の位置を掴ませなかった。逆に自ら放った斥候により、敵方の位置と状況を正確に把握する。

 戦闘に入る前から、既に勝敗は半ば決していた。



 ナリカラ軍旗の隣で黒い狼の横顔が(ひるがえ)り、地響きと雄叫びを連れて突き進む。

 “黒狼(シャヴィマゲッリ)”のサディンは剣を鞘から引き抜くと、小型馬(ポニー)の腹を蹴って最先頭を突っ走った。


「者共奮いに奮え! 我らの力を世に、閣下に示せ!」


 サディンの檄に彼の手勢は蛮声で応える。突然現れた敵に慌てふためき、行軍の縦列から横隊に急いで隊形を変えようとするザリャン氏族軍へ、サディン勢が猛然と襲い掛かった。

 矢が空気を切り裂き、ザリャン氏族ゴブリンに降り注ぐ。

 瞬く間にゴブリンの兵士達がばたばたと倒れ、整っていない隊列が更に乱れた。そこへ騎兵を引き連れたサディンが突撃。呆気も無く敵の隊列を正面から喰い破る。


 中央を分断されて大混乱に陥ったザリャン氏族軍に、今度は群れ成す後続の歩兵が突っ込んだ。

 鎖帷子(メイル)を身に付けたゴブリンらが、手斧で敵の頭蓋を割り、盾で刃を防ぐと同時に槍で相手の喉を貫く。

 縦隊のまま突進したサディン勢は、隊形変更の途中で不完全な横隊だった敵の陣を突き破り、半刻もせずに敵軍を崩壊させてしまった。


「追撃せよ。完璧な戦果を上げるのだ」


 サディンは剣を振って(まみ)れていた鮮血を払い、そう冷たく配下に命じる。

 騎兵は逃げ回る敵兵の背に容赦なく槍の穂先を埋め、引き抜く度にその(きっさき)を赤く染めていく。

 歩兵も騎兵に続きつつ、敵陣後方の小荷駄を次々捕らえていった。荷物を満載する毛長山羊や猪豚、荷車にそれを()く、長い毛に覆われた牛までもが確保される。


 一刻半の短い戦闘で、五百のザリャン氏族軍は壊滅した。逃げ遅れた者は(ことごと)く討たれ、逃れた者も散り散りとなって、部隊どころか兵としての体裁すら保てなくなっている。

 十分と見たサディンは追撃を止めさせ、手勢を再集合させると、そのまま軍を進めた。

 最後にザリャン氏族軍の拠点であった城塞に攻め寄せ、これを陥落させてしまう。極僅かな守兵と逃げ戻っていた敗残兵しかいない城など、この黒い狼にとって、羊以下の楽な獲物に過ぎなかった。


 岩山に石造りの砦を埋め込んだ様な城の、塔という塔に、黒地に赤色斜交十字を描いた旗が立てられている。入城したイルムをサディンが出迎えた。片膝を付いた彼に、イルムは馬上から労いの言葉を掛ける。


「敵勢を粉砕するだけでなく、城まで鮮やかに奪取するその稲妻の如き戦振り、見事だった」


 格式めいた言葉が終わると、気取っていたイルムの表情が緩んだ。それと同時に声量を落とす。


「黒狼という異名が()に落ちる活躍だよ。お陰で今後の進軍が随分楽になる。正直諸将からの評判はまだまだだけれど、少なくとも僕は信頼に値すると思ったからね」


 その言葉に、サディンは伏せて見せない顔を更に下げた。


「ありがたき御言葉、身に余る賞賛にございます」


 イルムは小さく頷き、自らが跨った一ツ目馬の脚を進める。その日の夜は、城と郊外に駐留して過ごす。

 一夜明、五百程の兵を城とその周辺の支配、維持に回して、サディン勢含む南軍三千五百の進軍が再開された。


 その進軍の合間に、イルムは諸氏族へ蜂起や参集を呼び掛ける。

 既にザリャン氏族は、戦力のほとんどが本領に戻っており、その支配も最早形を崩していた。一度誘えば、乾いた草原に火を放つが如く、反ザリャンの勢力が続々と立ち、イルムの元へ馳せ参じる。

 南部諸氏族からは合計八百程度の兵が集い、南軍の総兵力は四千を超えた。


 その行軍列は、もし先頭から振り返れば、ゴブリンの兵士と荷を運ぶ獣と荷車が列が、地平の果てまで伸びているのが見える程に長大だ。ある程度蛇行して行軍しているにも関わらずである。

 そんな状況では、ゴブリンの小柄な体躯故の小さい歩幅も相まって、進軍速度はまるで振るわず、ザリャン本領に差し掛かるまで半月以上も費やしてしまった。


 まるでモシニクスの戦い直前のザリャン氏族軍の様に。



「迎撃の用意がすっかり整ってるねぇ……」


 布陣を終えて戦闘態勢にある南軍の中心で、馬上より眺める遠景にイルムがぽつりと漏らす。

 ホラケルトの森と呼ばれる森の側に広がった、やや起伏のある平原に足を踏み入れた南軍の前には、獣の頭骨を長杖に取り付けた部隊杖の森を囲む陣地、いや土と木柵で構築された要害が待ち構えていた。

 掘り起こされた土を盛り上げて築かれた土塁が街道を塞ぎ、その上に柵が巡らせてある。更に、盛り土を得る為に掘られた地面は、そのまま空堀として機能していた。


「モシニクスの意趣返しかな……篭ってる敵は少なくとも一千はいる。厄介だ」


 厄介と言う割に、彼の面持ちは平静である。やがて、隣に立つエルガへ首を回し、胸に手を当てる礼をした。

 一礼された彼女は、一度イルムに新雪の面を相対させ、やがて冷たい瞳を正面の敵へ向け直す。


「承知した。要請通り露払いをやらせよう。紅冠隊(レッドコーム)、前へ」


 彼女の命令に、薄紅色に染められた尖り帽子や円柱帽を被る武装集団が、二人の背後より前進した。斧を手にする彼らはエルガの前で歪に整列すると、眼をぎらつかせて彼女を見る。


「喜ぶが良い。貴様らに一番槍の栄誉をくれてやる。活躍次第でそのみっともない帽子の色を、より濃い赤に変えてもいいぞ。分かったなら、突っ込んでこい」


 乱暴とも言える彼女の指示に、二百はいる薄紅帽子のゴブリン達が斧を掲げて大喊声を上げた。そしてくるりと身体を回し、脇目も振らずに駆け出す。

 興奮も露わに疾走する彼らの行く先では、ナリカラ軍のゴブリン兵が慌てて道を開けていった。目の前を駆け抜けた、どこか狂気すら感じる集団に兵士の一人が呟く。


「まさか赤帽子(レッドキャップ)が味方になるとはなぁ……」


 そう、紅冠隊(レッドコーム)は、かつて赤帽子(レッドキャップ)であったゴブリンより編成された部隊である。

 エルガによって滅ぼされた赤帽子(レッドキャップ)だったが、その戦闘能力は決して無視できず、エルガを強く畏怖している事もあって、元赤帽子(レッドキャップ)から彼女の親衛隊が結成された。

 それが紅冠隊(レッドコーム)である。

 彼らは自分達を完膚なきまでに滅ぼした相手に、怯え恐れると同時に強者への崇拝を向けており、その為に、彼女(エルガ)にはこの上なく忠実であったのだ。

 これにより、冷酷なる総督顧問官の威はいつにもなく増している。


 紅花で染め抜かれた帽子の戦士達が、敵陣地目掛けて突進していくのを見ながら、イルムは全軍へ前進命令を出した。


「各隊、順次前進せよ。全能なる主と聖女ニヌアの加護があらん事を!」


 目の前に斜め十字を()き、自らが跨る一ツ目馬を歩ませる。

 ナリカラ軍旗と、白布を被る女性が正面を見据えた凱旋旗、そして様々な意匠の紋章旗の群れをたなびかせて、四千強というゴブリンの海原が動き出した。


 後世においてホラケルトの戦いと呼称される戦いが始まった。


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