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百一話 洗礼

 

 晩夏の太陽がリオニ城に次ぐ石造建築物、ダヴィティ大聖堂の石壁を(あぶ)る。秋を迎える前の最後の足掻きとばかりに、暑さが振り撒かれているにも関わらず、ゴブリンの群衆が大聖堂に(つど)っていた。

 残暑で()だる空気とは対照的に、大聖堂内部は厳粛さで満たされている。

 ナリカラの最高宗教指導者、カトリコス総主教のサムタヴロを始め、ナリカラ教会の御歴々他、ナリカラ軍諸将に、エルガとティラムズ、更には白いマントを羽織る北方騎士団関係者の姿まであり、全員が一人の青年に注目していた。

 アミネの姿もあったが、どこか不愉快そうに壁際で佇んでいる。聖堂内全ての視線を一身に浴びる青白い肌の青年は、黒髪の下にある赤黒い瞳を伏して誓いの言葉を(うた)う。


「我、信ず。一つの神、全能者、天と地、見ゆると見えざる万物を創りし主を」


 それはオルソド教を信仰する告白であった。

 これはイルムがいよいよ正式に改宗する場、成人洗礼の儀である。


 改宗を望む“受洗者”として、祈祷書にある経文を唱え続ける彼の前には、正装の府主教が立ち、静かにその唄に耳を傾け続けた。

 やがて祈祷書が最後まで読み上げられると、一旦イルムが堂内を去る。集まっていた者達も大聖堂を出て、リオニの中を走る川の一部を引き込んだ水路へと向かう。

 水路両側はゴブリンが鈴生りとなって並び、イルムも再び姿を見せた。無地の白いチュニック状の貫頭衣に身を包んだ彼は、神品達に護衛されるかの様に水路の前へ進む。

 イルムは足を水路の中へ浸けて腰を下ろした。


 ざぶん。


 そしてそのまま水路に入る。続いて簡素な黒衣を着た二人の神品が水路に入り、イルムの背に手を当てた。


 目を閉じたイルムは力を抜いて背中から水の中に沈む。更に浮き上がらない様、その身体を神品らが押さえ付けた。

 全身が沈み込むと背中を支えていた手を一気に上げて、イルムを水中から引き起こす。


「ぷはっ」


 彼の顔面が水面を突き破って、その口が新鮮な空気を(むさぼ)るが、たった一度の息継ぎが為されると、すぐにもう一度沈む事になった。


 これは浸礼という洗礼の儀式である。

 三度沈み三度浮き上がる事で、“全能者”が経験した死と復活を身を以て体験すると同時に、洗礼前の古い自分を水の中に葬り、信徒として新たに生まれ変わるという意味を持つ。


 三度水に浸かったイルムが、神品のゴブリンと共に水路より上がり、いつの間にか用意されていた布幕の囲いの中へ消えた。ぐっしょり濡れて水の滴る白服から新たな洗礼服に着替える。

 布幕を出れば、黄金の後光を背負う“全能者”の聖像(イコン)が出迎えた。

 大聖堂でイルムの信仰告白を受け止めていたゴブリンの府主教に先導され、イルムはゴブリンらの歌う聖歌に包まれながら聖像(イコン)の周りを粛々と歩く。

 衆目の中で一周すると、府主教に一礼して目蓋を閉じた。府主教がイルムの前髪を上げ、聖膏(せいこう)と呼ばれる復活祭の最中に調整された、香り付き植物油を額に塗る。

 そして最後に斜めに十字を画き、斜交十字架の首飾りを掛けた。


「あーあ、本当に改宗しちゃいましたよ」


 陰から眺めていたアミネが、気に食わないという顔で愚痴(ぐち)る。両手を後頭部に当てて、もう見ていられないとばかりに、舌打ちをしてその場から立ち去った。



 イルムが洗礼を受けてから一週間後。

 リオニから随分南に離れた位置にある南部のメスキ城とその郊外は、ゴブリンの兵士で埋め尽くされ、数々の旗が波の様に広がっている。

 旗はナリカラ軍旗に加えて各諸侯の旗も並んでおり、その下に立つ兵は皆いつでも出陣出来る支度を済ませていた。


 遂にザリャン氏族本領へ攻め入る時がやってきたのだ。


 入念な準備の末の出陣を前に、イルムの滌浄(できじょう)が行われた。滌浄(できじょう)とは、洗礼の際に額へ塗られてそのままとなっている油を毛筆で(ぬぐ)う儀式である。

 本来、成人洗礼は復活祭に行うのが普通だが、イルムの場合は軍務などの事情もあって出陣前にずれ込み、復活祭の“光明の七日”を過ごしてから行われる滌浄(できじょう)も、軍を通してナリカラ中にイルムの洗礼を印象付ける為、この様な日程となっていた。


 メスキ城内に築かれた聖堂で、神品の持つ筆により、イルムの額から聖なる油が拭い取られる。

 そして、長い手順を踏んだ洗礼の最後の儀式、剪髪(せんぱつ)式に移った。新たな信仰者となった者は、神へ初めての奉納として自身の髪を捧げるのである。

 膝をついたイルムの頭に神品の手と(はさみ)が入り、金属が擦れる音を立てた。鋏が抜かれ、神品の手も抜かれると、その指はひとつまみの髪を挟んでいる。その髪は亜麻紙に包まれて聖堂の奥へ運ばれていった。


 こうして洗礼式が終わると、祈りを捧げる奉神礼の中でも特に重要な聖体礼儀が行われる。

 そして聖体礼儀の後に、領聖という儀式的な飲食にて、主教によって祝福されたパンと葡萄酒を頂き、これをもってようやく洗礼を終え、信徒の一員と認められるのであった。



「長かった……疲れた……」


 ゴブリンの兵士がずらあっと並んだ長大な行軍列の中央。鎧姿のゴブリンらに囲まれて進む馬車の中で、腰掛けに全身を預けるイルムが呻く。

 儀礼の間は神妙な顔で済ませていたが、出撃準備や物資とその輸送計画の調整、儀礼の手順確認など目が回る程の忙しさで、疲労が少なからず溜まっていた。


「……面倒なものは終わったけれど、これから行軍続きになるし、休めるのかな……」


 馬車の車輪が拾う衝撃は、構造上の問題で全てそのまま乗員に伝わっており、大変乗り心地が悪い。

 馬上で突っ伏しては外聞が良くない為に、馬車の中で出来る限り休むつもりではあった。が、元はイルムの天幕や着替え、装備などを運ぶ馬車であり、ただでさえ広くない車内が荷で更に狭くなっている。

 揺れに加えて窮屈なこの状況は、疲労が取れる要素がまるで見掛けられない。


「駄目だ、休める気がしない」

「仕方ないだろう。夜営までの辛抱だ」


 馬車の隣で馬を進めるエルガからの声に、イルムの顔が僅かに緩む。右手に握る、斜めに交差する十字架を下げる首飾りの感触が、より強く感じられた。


 ふと板戸の窓より入る光が、ぐっと減った事に気付く。窓に顔を近付ければ、大股で歩く巨人が目に映った。

 単眼巨人(キュクロプス)のクルダレゴンだ。彼はキュクロプスを代表してナリカラ軍に同行を願い出ている。中立を表明していた筈のキュクロプスから参陣するのは、ザリャン氏族長のカルスが原因らしい。


 全ての軍をザリャン本領へ引き上げさせた後、カルスはなんと王を自称した。

 リオニでのナリカラ王即位を諦める一方、内部の結束と大義名分の補強を図っての宣言だろうとイルムは推測したが、クルダレゴンはこれに激怒したのだ。

 曰く、ティラムズ王子を差し置き王を名乗るなぞ言語道断。御身の側に自身が立つ事でキュクロプスは王子こそ正統な王位継承者と認めている事を示さん。という事らしい。

 ただし彼は基本的に戦闘には参加せず、武具の修理や工兵の補助などに徹するつもりだという。


 長柄の金槌を担ぎ、小さな槌や()()()()などの工具が詰まった革袋を腰に下げて歩く単眼巨人から目を離し、イルムは馬車の天井を見上げて考え込んだ。


 現在、ナリカラ軍は二手に分かれてザリャン本領へ向かっている。まずイルムとティラムズが居る本軍。南部からザリャン氏族支配域を解放しつつ、本領に乗り込む予定である。

 もう一つはオルベラ氏族とディアウヒのスラミ勢を中心とした軍だ。

 二つの軍は、どちらも“(サドロショ)”部隊を基幹に編成されている。

 (サドロショ)の徴兵システムはまだ整備が不十分だが、軍組織としては既に体裁を整え、指揮系統が以前よりも纏まっていた。

 兵も諸侯の私兵に頼らず、総督府の予算で雇い入れた傭兵を中心としている為、諸侯は封建領主ではなくただの将として振舞わなければならない。軍の大将は今まで以上に円滑な指揮が出来るだろう。


 思考を打ち切り、イルムが身体を起こして窓より顔を出した。

 視界に映る地平の先よりも遥かに先まで続くゴブリンの太い列。その先頭に居る筈の、ナリカラ軍旗と共に黒い狼の旗を掲げるサディンを思う。


「サディンはナリカラ軍での信用は高くない。僕もまだ完全に信用するつもりはないし、緒戦で信を勝ち取って貰うまでこき使うからね。悪いけれども」


 それも期待の裏返しだからと、意地の悪い笑みが浮かんだ。裏切り、寝返った者は先鋒を務めて身を削り、その覚悟と実力を示すのが戦の習いである。

 正しく“洗礼を受けて”仲間と認めてもらう訳だ。頭に被るのは清らかな水でなく敵味方の血であり、額に付くは聖なる油でなく己の脂汗ではあるが。

 しかし、そうまでしなければ、元は敵だった者が受け入れられはしない。


 今は大人しい顔をしている彼の“黒狼(シャヴィマゲッリ)”はどうなるか。どうでるか。

 ゴブリンの大軍を率いる魔族の青年は、馬車の中で揺られながらそんな事を考えていると、進軍方向から軍旗を手に駆ける騎馬伝令が響かせる蹄の音が聞こえてきた。


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