九話 アミネのひと時
「アミネドノ! ヤリマシタ! ソハエムス、トリカエシタッテ、シラセ!」
ノリス配下の戦士ゴブリン八十が守備するバゼー修道院。その修道院の中で、喜色満面のノリスが片言の魔族共通語を叫びながら、アミネの元へ駆け寄る。
だが、椅子に寄り掛かるアミネは、大した反応を示さずにぞんざいな返事をした。
「そうですかー、じゃあそのことをオルベラ支族を中心に触れ回りましょう。書状作っておいて下さい」
「エ? ア、ハイ」
何でもないかのように振る舞うアミネに、呆気にとられたノリスだったが、すぐに持ち直して自分に割り当てられた部屋へと走り出す。
修道院の普段は使われていない部屋を間借りしているアミネは、ノリスが走り去ると小さな亜麻製の紙と羽毛が除かれた羽根ペンをどこからか取り出し、机に向かって素早く文書を認め始めた。
「ザリャン氏族軍をオルベラ支族で拘束……都市ソハエムスを奪還……と」
同じ内容の文書を二枚書き終えるとそれらを巻いて、開け放たれた窓際に立っていた二羽の烏の脚にそれぞれ結び付ける。
「はい、いってらっしゃい」
アミネの見送りを受けながら、二羽の烏がほぼ同時に外へ飛び立つ。問題無く飛んでいった烏たちから視線を外すと、アミネは座っている椅子の背もたれに身体を預ける。
「予定通りですね、我が主人」
アミネは遠くを見つめてそう呟いた。しばらくそのままにしていたが、ふと机の上に視線を落とす。
そこにはインクの入った小壺と羽根ペンの他に、一枚の羊皮紙が丸まっていた。
イルムがソハエムスに向かう前に渡されたそれを、アミネは徐に開く。そこには、イルムが不在の間に何らかの事態が起きた場合の指示書だった。
「……細かっ」
アミネは箇条書きされた内容に思わずそう言うと、羊皮紙をくるくると巻く。そしてぽいっと机へ投げ落とした。
「はぁー、イルム様は相変わらず変人だー。全然魔族らしくない……いや、ちょっと魔王の血を引いてるなって思うことはたまーにあるかな」
アミネは椅子から立ち上がると、部屋を出て修道院の中を出歩く。
あちこちで修道院に勤めていると思われる、だぼっとした黒衣姿のゴブリンが忙しなく動き回っていた。
「アミネドノ、どちラへ?」
他のゴブリンとはどこか違う、黒い衣服を身に付けて首飾りを下げたゴブリンが、流暢とまではいかないものの、中々の魔族共通語でアミネに声を掛ける。
「修道院長殿、ただぶらぶらしてるだけですよー」
背中と肩へ垂れるベールが付けられた円柱形の黒い帽子、修道帽と呼ばれる物を被った修道院長のゴブリンは、穏やかな表情を浮かべた。
「サヨウでございマスカ、なラば我ラノ祈祷ヲ御見学されてハ如何デショウ?」
アミネは特にやる事もないので、修道院長の誘いに乗って祭壇のある聖所という広間に招かれる。そこでは、既に黒い修道服姿のゴブリン達が、胸の前で斜めに十字を描く祈祷を行っていた。
ゴブリンらは、高らかに祈りの言葉を歌い始める。相変わらずアミネには何を言っているのかさっぱり分からないが。
しかし、アミネはある違和感に気付いた。
「あれ? ゴブリンの言葉で祈るんですか?」
アミネの言う通り、ゴブリン達はゴブリンの言葉で歌っている。修道院長はゆっくりと頷いた。
「オルソド教ハ現地語でノ祈りヲ重視していマス。何故なラば教義ノ理解ハ、頭だけでなく心カラ理解するべきであり、借り物ノ言葉でハなく自身ノ言葉でノ祈りこそ、神へと真に伝わる祈りなノデス」
修道院長はそう言うと、祈祷を行うゴブリン達の前で、手に持った鎖にぶら下がる香炉を揺らすゴブリンを見つめる。
「あれハ炉儀という儀式デス。オルソド教でハ頻繁に行われ、使われぬ時も香炉ノ火ハ常に絶やさぬようにしておりマス」
その後歌が終わり各々が斜めの十字を描くと、次に厳かな雰囲気の中で行われたのは、祈祷書に書かれた祈祷文を輔祭というオルソド教の聖職者――正確には神品という――が唱えるものだった。
が、朗々としたそれは、唱えるというより、歌っているように見える。
「歌と祈りは密接に関わって来たとは聞きますが、ここまでとは思いませんでしたねー」
暇潰しとしか思っていなかったアミネも、思わずそんな事を口にした。修道院長は常に浮かべていた微笑を深くする。
輔祭の歌が終わると、ゴブリン達は再び胸の前に斜交十字を描いた。
「おっといけない、馬の様子を見るのを忘れてた。修道院長殿、ありがとうございましたー」
ふとアミネは一ツ目馬達の世話がまだだったことを思い出し、修道院長に礼を述べてその場を離れる。
修道院長はほんの少し残念そうにしながらも、修道院の外へ向かうアミネを見送った。
修道院の外へ出たアミネは、荷車に繋がれた二頭の一ツ目馬へ歩み寄る。
年老いて如何にも動きが鈍そうな一ツ目馬らは、近付くアミネをちらっと見ると、やっと来たかと言いたげに鼻を鳴らした。
「遅れて悪うござんしたー」
アミネは一ツ目馬らにそう言うと、馬達の肌を撫でで体調を確かめる。異常がないことを確認した後は、井戸から魔法で水を操って汲み上げると、宙に漂わせるそれを一ツ目馬らの元へ移動させた。
二頭の一ツ目馬は、浮いている水の塊に口を付け、喉を鳴らして飲む。だが、すぐに頭を上げて不満気にぶるるっと鳴いた。
「あーもう、分かりましたよー」
水を井戸に戻して頭を掻いたアミネは、修道院を囲む石垣の外側へと出る。
修道院は草に覆われた丘の上に建ち、周囲は木々に覆われて俗世間と隔離されているような風体だ。しかし、その背中側には修道院の土地である農地が広がっていた。
そこでは小作人である平民ゴブリン達が、土地を耕したり家畜を育てているが、それらの多くは修道院の所有物として吸い上げられている。
俗世から離れ、清貧と信仰に生きる修道院といっても、その修道生活は結局、世俗的な権力と財力によって成り立っているのだ。
とはいえ、自給自足の清貧な暮らしも、数人ならば問題なくとも組織として大きくなると、どうしても土地や資金が必要になり、権力さえ行使して本来は忌避される蓄財に精を出すという矛盾は、あらゆる宗教が抱える共通の悩みではあるのだが。
アミネは森の中にある道を突っ切って、農地へと向かった。森を抜けると、点在する雑木林の隙間を埋めるように、耕された土地が横たわっている。
だが、バゼー修道院があるナリカラ北東部は、山岳が多い地であり、農耕に向いているとは言えない土地だ。アミネの視界に映る風景も、農耕地より丘の斜面に並ぶ葡萄の木が目立っている。
「修道院の金のなる木ってところですか」
葡萄はオルソド教の儀式に欠かせない葡萄酒に使われるが、自己消費だけでなく都市部への出荷で大きな利益を齎す重要な産物だ。中には、信仰よりも酒造に熱を入れてしまう修道院すらあるという。
農地の中を進んだアミネは、農道から離れた場所に建ち並ぶ家畜小屋を訪れ、そこで豚に餌をやるゴブリンに、屠殺予定の豚又は最近潰した家畜がいないか聞く。
今朝方一頭屠ったばかりだという答えが返って来ると、すぐさま家畜小屋から離されている屠畜場へ足を運んだ。
屋根と柱だけと言っていい開放的な平屋の中に斧が転がる屠畜場は、もう既に粗方掃除されていたが、アミネには関係ない。体内の魔力を操り魔法を発動する。
すると、屠畜場の床や血を流す為の排水溝、天井との間に大きな隙間がある申し訳程度の低い壁や天井を支える柱から、赤黒いものが蛆虫の様に湧き出した。
得意の魔法で、掃除しきれていなかった乾いた血などを、浮かび上がらせて搔き集めたアミネは、足早に修道院へと戻る。
待ちくたびれた様子の一ツ目馬らの前に立ったアミネは、集められた血で出来た小さな玉を馬達に見せ付けた。
「これでどうだー」
血の玉を見た二頭の一ツ目馬は、同時に及第点とばかりにぱたぱたと耳を動かす。全く生意気な、と愚痴りながらも、アミネは再び井戸水を操って宙に浮かべると、血の玉を放り込んでよく混ぜた。
赤黒く濁った水の塊へ、一ツ目馬らが口を突っ込んで勢いよく飲み干していく。
アミネは短いため息を吐くと、一度腰を伸ばした。別に腰に負担が掛かるようなことは、何一つしていないのだが。
一ツ目馬らの世話を済ませると、急に暇になってしまったアミネだが、先程のように祈祷などの見学をする気分でもない。
何時ものアミネなら昼寝するところなのだが、ここは修道院。鐘楼から鐘の音が響くことがあっては昼寝など通常は難しい。
「あー、どうしましょ……寝るか」
……アミネに掛かれば、鐘の音程度はどうとでもなるようだ。のっそりとした足取りで、修道院内へと戻った。
しかし、今の彼女が知る由も無いが、やがて襲い来る事態によって、自身の昼寝の時間どころか、就寝時間さえも削られる事となる。




