私の幸せ(第一王女の場合)
最期に思うのは、どうしてあんなに懸命に働いてしまったんだろうって事だ。
確かに働けば働いた分の見返りはあるけれども、会社は何もしてくれないのだ。
自分の身体は自己管理するのが当たり前で、ボロボロになっても責任何て取ってはくれない。サビ残休出当たり前、金で解決すれば終わりってだけの、機械と同じように扱われるだけの存在だったのに。
ああ、生まれ変われるのなら、絶対親を選んで生まれたい。
私が働かなくても生きて行ける財力があって、出来れば社会的地位もあった方が望ましい。そして、いつまでも幸せに暮らしたい。
そんな親の元へと生まれたいと、最期にそう願った。
神様は本当にいるらしい。
生まれ変わりなんてある訳ないと思っていたけれど、願い通りに社会的地位のあるお金持ちの家に生まれたのだから。
「あねうえー、えほんよんで下さい」
「いいわよー」
物凄く座り心地の良いカウチに、ほぼ寝そべるようにしていた私は、そう言いながら入って来た三歳年下の弟が抱える絵本を見てにっこりと微笑んだ。
弟マジ天使。超可愛い。ラブリー。
日の光りに当たってキラキラ輝くブロンドに、深い青の瞳は大きくて、うっすらピンクの頬はちゅうちゅう吸い付きたくなるぐらいに艶々してる。膝小僧もつるつるしてて、つい撫でてしまう私は変態。
「んー、どれどれ。あら、これはツンデレラのお話ね」
「はいー。べ、べつにあねうえがこのお話が好きだからじゃないですよ?ちょうどこれがとりやすい所にあったから持って来たのです」
「うん、正しいツンデレ。さすが私の弟ね!」
「わあい、うれしいです、あねうえ」
隣に腰を下ろした弟をぎゅっと抱きしめ、頭を撫でると嬉しそうに笑う。
弟を堪能してから持って来た絵本を読み聞かせ、それが終わると弟とのラブラブタイムである。お茶を飲みながら美味しいお菓子を食べる弟に、これも食べなさいとお菓子を取って口に入れて上げるのだ。
嬉しそうに口を開ける弟が可愛くて、ついついたくさん食べさせてしまう。
「ジュディス様、その辺でお止め下さい」
「え……、あら、お菓子が減ってしまっているわ」
「ハロルド様が食事を摂れなくなってしまいます」
「まあ、それは大変だわ。ごめんなさいね、ハロルド」
「いいえ、僕はあねうえが下さるお菓子が大好きですから」
「でもね、食べ過ぎは駄目なのよ。ハロルドが可愛すぎてついつい、たくさん食べさせてしまったわ」
ごめんなさいねハロルドと言いながら、ハロルドの頭を撫でればハロルドは嬉しそうに目を細めて私を見上げて来る。これがまた可愛くて可愛くて、またぎゅうっと抱き締めてしまった。
「あねうえ、僕が食べさせてあげます」
「え?」
「はい、あーんしてください」
差し出されたお菓子を口に入れてもらい、その美味しさを堪能するとハロルドが美味しいですかと目を輝かせながら聞いて来る。
「とても美味しいわ、ハロルド」
「ではもう一つどうぞ」
「あーん」
私の弟はやっぱり可愛いわ。
最高、ずっと愛でたい。
そんな風に思いながら、弟の、まだぷくぷくしてて可愛い手でつままれたお菓子を口に入れてもらって咀嚼するこの至高の時。ああ、いっその事今ここで時が止まってしまえば良いのにと、何度思った事か。
どうやら私は、生まれ変わる時に運と言う物を全て使い切ったらしい。
願い通りに大金持ちで、社会的地位のある家に生まれ変わる事が出来た私は、自意識が芽生えてそれに気付いた時に狂喜乱舞した。ちょっと騒ぎすぎて侍女たちに遠巻きにされたりはしたけれども、仕方の無い事だろう。
だって一国の王女だよ、王女!しかも第一王女!
すごいわあ、さすがにここまでは願ってなかったわあ。
まあでも、三歳になった時に生まれて来てくれた弟は、物凄く、物凄おく可愛いし、めっちゃ天使だし、大満足です。
これ以上何かを願う事は無いと思ってたけど、人間って欲張りだからね。
男の子の可愛さは本当に子供の時だけって知ってるからこそ、このまま時が止まれば良いのにって何度も願ってしまう。だけど、成長を見守りたいとも思っている。
だって、絶対イケメン確定だもの。
超絶イケメンな王子様とか、見たいじゃない?
弟のモテっぷりを傍で堪能したいわあ。
その為には、私も第一王女って言う地位に胡坐をかいていちゃいけないのよね。
とりあえずお金が潤沢である今の内に、更にたくさんのお金を稼いで、弟に注ぎ込もうと決意した。幸い、お約束なのか何なのか、剣と魔法の世界に生まれ変わった私には、ちゃんと魔力が備わっていたし、それを使いこなせるだけの技量も持っていた。
まあ、王族だから優秀な遺伝子継いでるんだろうなと思いつつ、まずは法整備をしてもらって特許と言う概念を作り上げてもらった私は、それから魔導具を次々と開発して行った。
第一王女の為の研究チームってのが発足されたので、こう言うの作ってねえと、細々と注文するだけで出来上がると言う仕組みである。何と言うか、あれば便利な社会的地位ですよ。持ってるなら使わなきゃ損ですね。
そうして作り上げた魔導具を、ハロルドが目をキラキラさせながら「あねうえ、すごいですーっ」と言ってくれるのがまた堪らない、ご褒美である。
ありがとうと言いながらむぎゅっと抱き締めて堪能し、ご褒美にほっぺに吸い付かせてもらうのだ。至福。
そうして儲けたお金は、ハロルドの為に使おうと貯め込んでる。
だってね、王太子だし世継ぎだし、ハロルドの予算ってすっごい莫大なんだよねえ。まあ、豊かな国の王太子だからこそって感じで、衣食住は勿論、教育にもかなりのお金が使われてるから、私が稼いだお金なんてそれに比べたら微々たる物だし。
まあ、後々何かに役に立つかもと思いながら貯めている。
社交界デビューをしてから公に出るようになった私は、中々ハロルドとの時間が取れない事が悲しくて、ハロルドの寝室に突撃する事もあった。寝ているハロルドはまさに天使で、寝顔を見ながらハアハアしてたら侍女のアデルに寝室から連れ出された。悲しい。
「ジュディス様、そろそろ弟離れをされた方が宜しいかと」
「そんな事したら死ぬ!ハロルド不足で死ぬっ!」
自他共に認める変態ではあるけれど、表立って行き過ぎた行為は無いのだ。
これでもきちんと分別は持ち合わせている為、外ではハロルドを見てハアハアしたりしないのだ。いいじゃないか、小さなハロルドの絵姿を見てハアハアするぐらい許してくれよ、ちゃんと第一王女としての義務は果たしているのだからと、アデルに懇願する。
「ですが、そろそろハロルド様も婚約者をお決めになられますし」
「あ、それは大丈夫。ちゃんと解ってるし」
「え」
「何て言うのかな、ハロルドの事はずっと愛でていたいのよ。それだけなの」
「……え?」
どうも誤解されているようだが、私はハロルドを男として見た事など一度も無いのだ。確かにハロルド至上主義ではあるが、何でもかんでもイエスと言っている訳ではない。
駄目な事はきちんと駄目出ししてるし、良い事はめっちゃたくさん褒めているだけである。
お蔭で凄く良い子に育っていると思う。
身内の欲目かもしれないけれど、ハロルドにケチ付ける奴は死んでしまえと思うぐらいだ。
「それ駄目です、アウトです」
「なんでっ!?」
そして、そんな私に物凄くショックな日がやって来た。
「姉上。今日もご機嫌麗しくいらっしゃるようですね」
公務と魔道具作成に勤しみ過ぎて、碌な休日を取れなかった私はその日、庭の片隅でお茶を楽しんでいた。そんな私の所へやって来たハロルドは、私より頭一つ分背が高くなっていて、声が低くなっていたのだ。
「ハ……、ハロルド……?」
「はい」
「え?」
そう言えばここ半年ほど起きているハロルドと会っていなかったなあと思い出しながら、震える足でハロルドに近付いて行く。魔導具の作成がやっと落ち着いて、ほっとしながらお茶してた私は、あまりにもショックで呆然としてしまった。
「姉上、どうされましたか?」
ヨタヨタと歩きながら縋りつくようにハロルドの腕に手を伸ばすと、ハロルドが手を伸ばして私を支えてくれる。その手の大きさにギョッとして、思わず伸ばして手を引っ込めてしまった。
いつの間にか可愛さの欠片も無くなった体付き。そう言えば剣の稽古が楽しいと言っていたっけ。肩幅が広くなってて、何と言うかゴツゴツしてる気がする。
丸みを帯びていたあのぷっくりとした可愛い頬は、シュッとしたラインに引き締まって随分と男らしい。
見上げていたら、ハロルドの喉仏が目に入ってそれもまた、男を強調している気がして。
「あああ、私の可愛いハロルドが、ハロルドがああああっ!」
「姉上?」
「いいいつのまにこんな、逞しくなっちゃって。あああ、忙しさにかまけてハロルドを愛でる時間が無かった姉を許してっ!一番美味しい時期を見逃したあああっ!」
一人ショックを受けていた私はその後、シクシクと泣いてしまうとハロルドが慰めてくれた。
「ハロルド、ごめんなさい。貴方が男の子から青年になるその美し過ぎる時を一緒に過ごせなかった姉を許して……」
「ジュディス様、それアウトです」
「だって、だってええええ!蛹が蝶になるように、その美しい羽を広げる様を存分にこの目に焼き付けようって、ずっと決めていたのにいいいっ!」
ハロルドは、そんな変態発言をする姉を優しく慰めてくれるとっても良い子である。
「姉上、これからは共に過ごす時間も作って下さいね?」
「勿論だよ!絶対作るよ!もう魔道具作るの止める、ハロルドと一緒にいる!」
「それは良かった。ところで、ディーン・ガネルと結婚すると言うのは本当ですか?」
「え?……誰?」
「ああやはりそうですか。いいんです、姉上は何も心配せずに過ごして下さい」
「え……っと、わかった」
「はい。ああ、姉上」
「なに?」
「はい、あーん」
「あーん」
大きくなったハロルドの指につままれたお菓子を頬張り、それをもしゃもしゃと咀嚼して飲み込めば、相変わらずキラキラと輝く目で「美味しいですか?」と聞いて来る。美味しいわハロルドと答えれば、嬉しそうな顔で笑うのだ。
ああ、私の弟は天使から神へとジョブチェンジしたに違いない。
何と神々しい笑みなのだろうと、ぼうっと見惚れているとアデルの咳払いで我に返る。
「アデル」
「失礼しました、ハロルド様。少し喉の調子が悪いようで申し訳ありません」
「…………まあいいよ」
何故かハロルドの声が低く、アデルを責めているように聞こえて首を傾げた。
「大丈夫なの、アデル?」
「大丈夫です、ジュディス様」
風が冷たくなってきましたねとアデルが言うので、部屋の中へと入る事にしてハロルドと別れ、自室に戻った。
「ジュディス様、先程のディーン・ガネル様ですが」
「ああうん。誰なのか知ってる?」
「勿論です。ジュディス様の第一婚約者ですから」
「………………え?」
「ディーン・ガネルは、ガネル公爵家嫡男。第一王女の降嫁先として最適かと」
「えー。公爵家とか面倒」
「…………第二婚約者はパラシュ侯爵家です」
「ん?待って待って、第一とか第二って、なに?」
「ジュディス様の婚約者候補の事ですね。有力者から順に第一、第二と付けられております」
「え……、ちなみに、何番までいるの?」
「今の所第十二までおります」
「全員切って!いらないからっ!」
「駄目です。全員気に入らないのであれば再び選考に入ります」
「一人で生きて行けますっ!」
「駄目です。第一王女が結婚しないなど、それはいけません」
「嘘でしょ?」
「いいえ、嘘ではありません。なるべく早くご決断頂きたいと、既に半年前に国王から通達されていますよ」
「聞いてないよっ!」
「いいえ、きちんと聞きました。ジュディス様も了承済みです」
「してない!」
「しました。ですので、なるべく早くお決めになられてくださいね」
全然自分の結婚なんて考えてもいなかったから寝耳に水の状態だった。
このままハロルドを愛でながら年老いて朽ち果てるのだと、そう思っていたのに。
「……結婚しなきゃ駄目なの?」
「第一王女殿下ですからね。見栄もあります」
「結婚したらハロルドの事を愛でられなくなるっ!」
「例え降嫁されたとしても、殿下の姉である事に変わりはありませんから」
「傍にいて愛でたいのにっ!愛でたいだけなのにっ!」
「アウトです。そんな姉がいる方の所へは誰も嫁いでくれませんよ」
「それは駄目っ!ハロルドは結婚しなきゃ駄目よっ!」
「解っているのであれば、ジュディス様が早々にお相手をお決めになられる事です」
まさか、自分がハロルドの結婚に邪魔になるなんて、全然気付かなかったとショックを受けている私に、アデルは淡々と婚約者候補の説明をしてくれた。
「……私がハロルドを愛でる事を許してくれる人と結婚する」
「ジュディス様。ご自分の事を第一に考えてくれる人にして下さいませ」
「私の事を考えてくれるなら、ハロルドを愛でる事を許してくれるはずよ」
「……確かに。では、その条件で進めますよ?」
「そうして。それさえ許してくれるなら誰でもいいわ」
ハロルド三歳の肖像画を見つめながらそう返事をした私は、それからの毎日をハロルドを愛でる為だけに費やした。王太子として仕事をするハロルドは、キリッとしていてとても素敵である。これならば年頃のお嬢さんがたくさん目をハートにして見つめる事だろう。剣の稽古をしている時のハロルドは、目が真剣でとても気迫があって素晴らしい。
稽古が終わって爽やかな笑顔を見せるハロルドに、年頃のお嬢さんたちは心臓をバクバクと鳴らすこと請け合いである。
まだ成人前なので公の場に姿を出す事は無いけれど、仕事をしているハロルドを見る為だけに年頃のお嬢さん達がたむろっているのを見付け、ついついにんまりとしてしまう。
その気持ちが良く解るだけに、もっともっとハロルドを見れば良いと思う。
「何て言うか、私、ジュディス様の事を見誤っていた気がします」
「ん?」
「……本当に愛でたいだけなんですね」
「当たり前じゃない。どうしたの?」
「いえ。本物なんだなと」
アデルにそう言われたけれど、そんな事は言われずともちゃんと解っているのだ。
そう、私は弟が生まれ落ちたその瞬間から、変態になったのだから。
そして、どうやら弟を愛でる私は相当目立っていたようで、第一王女が王太子に懸想しているなどと言う、下賤な噂が城中を飛び交った。お蔭で私の婚約者候補たちが辞退してくれたらしく、私にとっては幸運以外の何物でもない。
「ジュディス、お前は本当にハロルドを愛しているのか?」
「当然です!ハロルドこそ至高の存在です!」
「…………本気か?」
「勿論本気ですよ、お父様。しかしそこに、男女の愛はありません」
念の為にそう付け加えれば、父は訝し気に眉を寄せて私をじっと見つめて来た。
「私はハロルド至上主義者ですが、愛でたいだけであり、それで満足しております」
家族として、弟として愛している。
それはもう、異常な程愛していると理解してもいる。
けれどそこに、男女の愛は存在しないのだ。
「あの、国王陛下。発言をしても宜しいでしょうか」
「……許す」
「ありがとうございます。ジュディス様は、本物です」
アデルの言葉に、父が愕然とした顔をして私を見て来るが、はっきり言って今更である。ハロルドが生まれたその瞬間に矯正されるならばともかく、これだけ育ちに育った変態思考を今更変えられる訳が無いのだ。
「……そうか」
そうして愕然とする父の前を辞した私は、変わらずハロルドを愛でまくった。
いつか、ハロルドから離される日がやって来ると、ちゃんと理解したからこその行動である。ハロルドは、そんな私の行動を解りきった上で見せてくれていたのだ。
そして、少年の殻を破り切ったハロルドは、無事に成人を迎え、初めて夜会の場へと姿を見せた。
この時のハロルドはもう、何処の王子様ですかってここのだよ!と脳内で大興奮するぐらいに格好良くて、年頃のお嬢さん達の視線を釘付けにしまくり、心臓を鷲掴みにしたに違いない。
ハロルドの婚約者候補は私の時より随分多くて、三十四人もいるそうだ。
なので、最初のダンスを婚約者候補でなく私と踊ったハロルドは、本当に本物の王子様だった。
「ああ、我が生涯に一片の悔いなしっ!」
「ジュディス様、まだ夜会中ですから」
「そうね、そうだったわね」
婚約者候補のお嬢さんたちと踊るハロルドを眺めながら、そろそろ城出でもしようかなとふと思った。今まで稼いで来たお金はあるし、市井に降りて一人で生きて行く分には何の不都合も無いのだ。というより、普通の人よりずっと贅沢な暮らしが送れてしまうのだ。
ずっと、ハロルドを愛でていたかったけど、第一王女と言う立場はそれを許してくれそうにない。
確かに社会的地位がある両親のもとに生まれたおかげで、何不自由ない生活を送って来たし、贅沢な生活を送って来たと自負してもいる。それに、そのお陰で魔導具を開発してお金を稼ぐ事だって出来たのだ。
感謝している。
「アデル」
「はい」
「貴女がいてくれて、本当に良かったわ」
「え……、今度は何です?」
「言いたかっただけよ」
夜会だと言うのに、第一王女である私は遠巻きにされている現状を見るに、やっぱりハロルドを愛でたいだけの私の愛は、理解されなかったのだろう。
夜会の翌朝、まだ外が暗い内に起き出した私は、手紙を残して城を出た。
お忍びで城下に遊びに行っていたのが役に立っていて、いつも付き合わされてヤキモキしていたアデルには、迷惑料として作り出した魔導具の権利の一部を譲る書類を置いて来たし、ハロルドには幸せになって貰いたいから。
黒いマントで身を包み、城の通用門から外へと出ようとして門番に止められたけど、こんな時の言い訳は、解っている。
「ちょっと、騎士様と遊んでただけなのよ」
そう言うだけで溜息を吐かれながら門から出られるのだから、警備大丈夫かと思ってしまうけれども、それを正すのは私の役目じゃないので放置だ。そうして城下に出た私は、そのまま街外れまで歩いて行く。
綺麗に舗装された大通りから、徐々に砂利道へと変わって行く。
丈夫な靴は、街中で買った物で頑丈さだけが取り柄の物だ。着古した服や古ぼけたバッグを持っているのは、それが珍しいからという理由で揃えた物で、アデルには顔を顰められたけど、お忍びグッズとしてならばと納得してもらって購入したのだ。
まさか城出に使われるとは思わなかったに違いない。
アデル、怒るだろうなと思いながら歩き続け、城下の外れまで歩いている内に空が白み始めていた。
「ひっ!」
「……ジュディス様、どこへ行かれるおつもりですか?」
まだ薄暗い道を一人歩いていた私の前に立ち塞がったアデルは、般若みたいな顔をしてた。思わず変な声を上げた私に、アデルは遠慮なくジロリと睨み付けて来る。
「ア、アデル、え、なんで?」
「ふう……、見縊られた物ですね。私がジュディス様の行動を読めないとでも思いましたか?」
「へっ!?や、で、でも気付かれなかったよね?」
「気付いてましたよ。服も靴も揃え、入念に城下を歩き回って下調べをし、尚且つ城下の外れの小さな家を購入した事などとっくに知っております」
「……えええええっ!?」
「声が大きいですよ。まあいいです、とりあえず行きましょうか」
「あの、アデル、怒ってる?」
「当然です」
ひいいと、心の中で悲鳴を上げながらも、アデルと二人で城下の外れの小さな家まで無言で歩いた。
早く開けろと無言で促すアデルにビクビクしながら鍵を開け、ドアを開けるとアデルはさっさと中へと入って行き、私の荷物を家具へとしまい込んで行く。
「あの、アデル?」
「なんです?」
「ええと、その……」
「私も一緒に暮らしますから」
「えっ!?いや、でも私、」
「暮らしますから。それに、魔導具の権利、頂いて宜しのですよね?」
「もも勿論ですっ」
「なら、これだけで働かずに暮らせますし、ジュディス様に迷惑を掛ける事もありませんから、安心して共にいる事が出来ますね」
「あの、でもね」
「不満でも?」
「な、無いです!」
どうやらアデルはこの小さな家に、私と一緒に暮らす気満々であるらしい。
それが、何故かとても嬉しかった。
「あ、そう言えばお伝えしていない事が一つ」
「えっと、何だろう?」
「私、こう見えて男ですので」
そう言ったアデルを繁々と眺め、首を傾げて言われた言葉を反芻し、そして。
「やだ、アデルったら」
「まあ、そう言うと思いました」
そして、着ていたシャツのボタンを外し、胸元を開いて見せてくれたアデルに、私はもう一度しげしげと眺めて首を傾げた。
「……大丈夫よアデル。絶壁だって需要はあるはずだもの」
「そう来ますか。まあ、ジュディス様ならそうなのでしょうね。しかし、ハロルド様は気付いていらっしゃいましたよ?」
「何に?」
「私が男だと言う事に」
「……えっと?」
首を傾げたまま、もう一度よくアデルを眺めた。
確かに、私より背が高く、ハロルドと同じように頭一つ分高い。けれど、ハロルドみたいなゴツゴツした感じは無くて、どちらかと言えば線が細い。しなやかな感じと言えば良いのか、声もあまり低くはないので男と言う感じがしないのだ。
「もう一つの秘密を明かしますが。私は暗殺者です」
「……暗殺者って、ええと、人知れず誰かを殺す人の事よね?」
「そうです」
「アデルが?」
「はい、私がです」
「……人を殺すの?」
「はい」
「…………へえ」
そう言う以外に返事のしようが無くて困ってしまった。だけどアデルはそれが面白かったらしく、クツクツと笑い出す。
「さすがジュディス様ですね」
「え、どうして?」
「いえ、ハロルド様の事以外、どうでも良い感じがとても素敵ですよ」
「それは当然だわね!」
「……では、これからは少しで良いので、俺の事も見て下さいね?」
時間はたっぷりありますからねと言って笑ったアデルに、心臓がちょっとだけドキドキした。
それからのアデルは、昼間は女装してて夜は男装をするようになった。
男装をするとちゃんと男の人に見えると言ったら、アデルが苦笑しながら私の頭を撫でた。
「ところで、ジュディス様」
「なに?」
「一人で市井で生きて行こうと思い立ったのは良いのですが、食事はどうされるおつもりだったんです?」
「買い食い一択!」
「…………まあ、その方が安全でしたね」
「う、うるさいわね、竈なんて使った事なかったのだから仕方がないでしょうっ!?」
「火も点けられないのに市井で暮らそうなんてね」
「ちっ、コンロ作ってやるわよっ!」
あったら便利な魔導具はたくさん作って来たけれど、暮らしに密着した魔導具は作っていなかった事を後悔している。掃除機とかコンロとか、たくさん作るべきものがあったじゃないかと思っても後の祭りだ。
「俺がこれからも料理しますから」
「……ありがとう」
「どういたしまして」
そう言って優しく笑いながら、私のおでこにキスをする。
その度に真っ赤になって「何をするっ!?」と言って五歩ほどの距離を開ける私に、アデルはおかしそうに笑うのだ。
「そう言えば、ハロルド様。婚約者が決定したそうですね」
「えっ!?」
「あれ、知らなかったんですか?」
「し、知らなかった……」
「城下ではその噂で持ちきりだったじゃないですか。どうしたんです?」
「ど……、どうしたんだろう……?」
全然気が付かなかったなんてショック過ぎる。
嘘だ、あんなに可愛いハロルドの事が全く耳に入らなかっただなんて、私病気かもしれない。
「俺の事の方が気になってる、何て事だったら嬉しいのです、が……」
そう軽口を叩いたアデルの顔を見上げ、私は顔を真っ赤に染めた。耳まで真っ赤になってる自信があるぐらい、一瞬で物凄い速さでかあああっと血が上ったのが解った。
「み、見ちゃダメっ!」
「…………え、本当に?」
咄嗟に逃げた私が直ぐに捕まるのはまあ、暗殺者のアデルからしたら当たり前の事のようで。
「ジュディス様?」
「見ちゃダメ……、見ないで……」
玄関ドアを開けようとして阻止された私は、ドアにおでこをくっ付け、後ろからアデルが覆い被さるようにして私を見ているのが解る。あああ、何て事だ、私はいつの間にこんなにアデルを見るようになってしまったのだろうと、頭の中は大混乱だ。
「嬉しいです、ジュディス様」
「……ち、違うから!別にアデルの事見てたんじゃないしっ!」
「はいはい」
お腹に回ったアデルの腕がそっと私を抱き寄せる。
その腕は確かに男の人の腕で、ピタリと当たった胸も、確かに男の人の胸で。
「俺はジュディス様の事、好きですよ」
「…………なんで」
「ハロルド様の寝顔を見て鼻息を荒くしてるのを見た時には、ちょっと、あれかなと思いましたけどね」
「し、仕方がないでしょうっ!?ハロルドは至高なのよっ!」
「そうですね。俺はそんなジュディス様が至高です」
そうしてぎゅうっと抱き締められた私は、もう、ハロルドの事を考えられなくなってた。
「俺の事考えてくれてます?」
「っ!?かかか考えてないわよ?」
「そうですか。じゃあ考えてもらえるように努力しますね」
そう言って頬にそっと添えられたアデルの手に促されるように振り仰いだ私の唇に、アデルの唇が降りて来た。
そっと触れ合って離れて行った唇に、確かにハロルドの事が頭の中からすっ飛んで行ってしまって、アデルの事しか見えなくなる。
「俺の事、考えてくれてます?」
そう聞かれた私は、素直にコクリと頷くしかなかった。
アデルは、嬉しそうに笑った後、もう一度唇を合わせた。
いつの間にか抱き合う形になっていた私は、ぼうっとしながらアデルを見上げる。
「……あの、そう見つめられると、色々とヤバいんですが」
そう言って顔を逸らしたアデルの、顎のラインがすごく綺麗だなとか、喉仏があんまり出てないんだなとか、そんな事を考えてた。
「ジュディス様。俺は貴女の変態な所も好きですよ」
「……私、いつの間にかアデルの事ばっかり見てたみたい」
美味しそうなチョコレート色の髪とか、少し垂れた目が可愛いなとか、左目の下の泣きボクロがセクシーだなとか。黒いエプロンをして料理をしている後ろ姿とか、ゴロゴロしている私を物ともせずに家中をピカピカに掃除している姿とか、女装して愛想を振り撒いておまけしてもらってる敏腕さとか。
「それは嬉しい告白ですね」
そう言って嬉しそうに笑って私を見下ろすアデルに、私は自分からキスをした。
「あの、それってゴーサインですか?いいんですよね?」
「…………え?ち、ちがっ」
「ありがとうございますっ!」
「違う!ちょっと待って、いや、違わないけど待ってっ!」
「ジュディス、愛してます」
「それ……、ずるい」
きりっとした、真剣な顔でそう言われれば、もう誤魔化せなかった。
いつの間にかアデルを見ていた私には解るのだ。
「アデル。私、変態なのよ」
「知ってます」
「……観察日記付けちゃう変態なのよ」
「知ってますよ。偶に読み返してニヘニヘ笑ってるじゃないですか」
「し、知ってたのっ!?」
「勿論です。ああ、それで言ったら俺も変態ですね」
お揃いですねと言って笑ったアデルに、私は観念した。
弟が好き過ぎて、一人で生きて行く物だと思っていた私は、それでも良いと言ってくれる人と巡り合ったのだ。
「俺も観察日記付けようかな?」
「後で見せっこしましょう」
「ああ、それもいいですね」
そして、めでたく結ばれた変態な私達は、実は父とハロルドにアデルがきちんと報告していたのだと後から聞いて悶絶した。
神様は、ちゃんと私の最期の願いを聞き届けてくれたのだ。
ならば私は、精一杯今の幸せを生きて行こうと思う。




