よろしいですね?
オレの名は若林。41歳にしてマンガ家志望という兵者だ。ビューティフル・ドリーマーだ。
オレはいま東京・神田のとある喫茶店で人と会っている。
高橋という中年男性で、彼は某大手出版社でマンガ雑誌の編集をしている。ようするに彼はオレの「担当さん」なのだ。
マンガ家志望と担当者。立場は違えど、おっさん同士である。そのふたりが喫茶店で向かい合ってコーヒーをすすっている。もちろんデートではない。
たまに、こうして高橋と会ってネームを見てもらっている。いわゆる打ち合わせというやつだ。
「若林さん、なにか面白い話はありませんか?」
ネームを読み終えた彼は開口一番にそう言った。
「え、」
オレは戸惑った。それはオレのネームが面白くないという意味だろうか。だから代わりのネタを用意しろ、という意味だろうか。
「面白い話……それはマンガの?」
「いえ、マンガにかぎらず。笑い話でも、なんでも」
さらにオレは戸惑った。どうしたんだろう高橋さん、飽きちゃったのかな。だから暇つぶしに笑い話でも聞かせろってことなのかな……。
まあ、いいや。担当さんと会うときはつねにネタ帳を持参している。ほかのネタを要求されたとき、すぐ対処できるようにね。
だがオレはネタ帳を開くことをしなかった。そうしなくても、諳んじて言えるネタがひとつだけあった。
「むかし、テレアポの仕事をしていたときのことなんですが」
「ほう、テレアポ」
「テレアポってゆうか、ただの電話をつかったセールスですね。自己啓発とか言って高い教材を売りつけるアレです」
「はいはいはい」
そう言って高橋さんはアイスコーヒーのグラスを手に取った。ちょっと食いついてくれたようだ。
「セールストークってのがあって、それがもう一字一句きまっているんです。ちょうどレポート用紙一枚分くらいですかね。それをただ読むだけの簡単な仕事です」
「ほう、それで契約が獲れるんですか」
「獲れます、ある一定の確率で。下手な鉄砲も数撃ちゃ当たる、の理論です。世の中には向上心の高い人たちがいて、そういった方がたはこちらがセールス原稿を読み上げるのを電話の向こうでただじっと聞いていてくれます」
「驚きですね」と高橋さん。「ふつうは(電話を)即切りされるんじゃないですか?」
「もちろん、大半は即切りです。こちらも即切りしてもらったほうが助かります。目のないお客に長々と説明するのは時間のムダですから」
「なるほど」
「で、ですね。こんなシンプルな仕事なんですが、やっぱり営業成績に差が生まれます。ダメな営業はぜんぜん契約が獲れなくて、バタバタと辞めて行きます」
「どの世界もキビしいですね」とエリートの高橋さんは宣った。
「ええ。逆に優秀なテレオペは面白いくらいポンポンと契約が獲れる……まあ、それでも一定の確率内ですが」
「その差はなんです? コツでもあるんですか」
「あると言えば、あります。……なんだか、まるでオレが優秀なテレオペだったみたいですね」
「いやあ、若林さんは優秀だったでしょ。話し方にキレがある」
それはアレか、オレのネームにはキレがないということを仄めかしているのか。まあ被害妄想をしてもしょうがないので、話をつづける。
「ひとつは、セールストークを厳守すること。自己流の禁止です」
「ははあ」
「ダメなテレオペほど自己流に走りやすい。余計なアレンジをせず、ひたすら原典に忠実なトークをするのが最善です。ゆうたら聖書と一緒です。……なんかオレ、こわいですか?」
「いいえ」と高橋さん。「自己流って、例えばどんな?」
「世間話とか……とにかく、原稿に書いてある内容以外はいっさい喋らないことです」
「すごい、徹底していますね」
「ええ。マシーンのように無機質でいい。でも、だったら自動音声でいいってことに、なるじゃないですか」
「たしかに……」
「そこで、もうひとつ大事なのが強気のクロージングです」
「クロージングって、まさに契約するかどうかの『締め』のことですよね?」
「ええ。ですがテレアポ業界では、とくに営業側が上から目線でモノを言うような口調を指します。あべこべに思うかもしれませんが、こんな素晴らしい商品を売ってやってるんだぞ的な言い方です」
「すごい」と高橋さんは目を丸くした。「お客さんに媚びないんですね?」
「けっして媚びません。お願いして買ってもらうようではダメなんです。それが自己啓発のコンセプトでもあります。……なんかオレ、こわいですか?」
「ちょっと、こわくなってきました。引き込まれそうだ」
「あはは」とオレは笑う。「ご心配なく。これから笑い話になりますから」
「オレの同期に白石さんという男性がいました。同期ゆうてもお互い中途採用ですよ。大量に辞めるのを見越して大量に採用するってわけです」
「もしかして、そこブラック企業ですか」
「もしかしなくてもブラックです。で、当時オレは25歳で白石さんは40を超えていました。彼はまあ自己流が激しかった」
「じゃあ営業成績は芳しくなかった、と」
「そうですね。オレ自身はたまたま契約が立てつづけに獲れて、一瞬で白石さんの上司になっちゃった」
「たまたま、じゃないでしょう。若林さんはコツをつかむのが速かった。対照的に白石さんのほうは自己流にとらわれて、なかなか上達しなかったわけですね」
「まあ、そういうことです」
オレは満足してコーヒーに口をつけた。さすが高橋さんは飲み込みがいい。
「それで、ひょんなことから白石さんより上の立場になったオレは、彼を指導する役目になりました」
「だいぶ年上の、人生の先輩を指導する羽目になったわけですね」
そう言って高橋さんはうふふ、と笑った。
「ええ、まあ……彼の指導役はオレだけじゃなかったですが。オレにももちろん上司がいて、その課長はオレより若い女性でした」
「すごい、完全実力主義の会社だったんですね」
「典型的なブラックです。まあでも、研修という名の特訓は面白かった。チームのみんなで白石さんを特訓したわけです」
「まさか、イジメたんじゃないでしょうね?」高橋さんが眉根を寄せる。
「まさか」オレは一蹴した。「さっきお話したとおり、仕事の内容はいたってシンプルです。基本的にセールス原稿を読み上げるだけ。それと……」
「強気な口調でしたね?」
「ザッツ・ライト」
オレは笑顔で高橋さんを指さした。この担当さんは本当に飲み込みがいい。
「強気のクロージング、強気な口調にはちょっとしたコツがありました。それが『よろしいですねえ!』です」
「……はい?」
「ちょっと聞き比べてみてください。よろしいですねえ!」
「は、はい」
「よろしいですね?」
「あ、もうはじまってたんですね……」
「前者と後者のちがいが、わかりますか」
「うーん」と高橋さんは顎に手を当てた。「前者は高圧的で、後者はソフトな感じでした」
「そのとおりです。電話営業においては、強気で高圧的な口調が正解なんです。相手に質問する余地を与えない、そして絶対にノーと言わせない」
「なんだか、ちょっと非常識ですね……」
「そうですね」高橋さんが引いてしまわないよう、オレは適当に手綱を緩める。「そんな非常識な世界に浸かっていると心身のバランスが崩れてきます。オレもけっきょく耐えられなくて、一年もたたずに辞めてしまいました」
残りのアイスコーヒーをずずっと啜ってから高橋さんが質問した。
「で、白石さんはどうなったんですか?」
「オレが辞めた後のことはわかりませんが、すくなくとも一緒に特訓していたあいだは、とくに進歩も成長も見られませんでしたね」
「それほど自己流……ってゆうか、我が強かったんでしょうか」
「それもあるでしょうが、たぶん、単純に音感の問題だと思います」
「音感?」高橋さんは目を丸くする。
「ええ。オレは営業のセンスなんてありませんでしたが、『よろしいですねえ!』と『よろしいですね?』の音のちがいは、わかりました」
「はあ、なるほど」
「白石さんは……白っちゃんは、いつまでたっても『よろしいですねえ!』が言えなかったんです。彼が言うと『よろしいですね?』になってしまう」