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即興小説

踏みこんだ非常識の線上のふたり

作者: 西おき

お題:とびだせエリート 制限時間:30分

「エリート君が背中を押してほしいといっているので、しばらく家を留守にします」


 自宅の電話に一言伝言を残し、私は地元を後にした。

 遠出に必要なあれこれを詰めたリュックを背負い、歩くこと三時間。

 ジャングルみたいにうっそうとした誰だか知らない地主が管理する林に到着した。


 男の人の腕くらいに太い胴体をした蛇がぶら下がる木の横を私は通りすぎてさらに奥へと進む。


 途中小腹が空いたので青い幹の木になった真っ赤なかぼちゃのような果物をかじった。熱くて甘くておいしかった。半分食べたらお腹もふくれた。

 途中急勾配の小山を上り、坂道の左右から伸びるトンボの羽みたいな葉が寄り集まったトンネルをぬける。えんえん上り、黙々と進むと激しい水音を響かせて下り落ちる滝の真上に到着した。


 どうどうと流れ落ちる水の横、断崖絶壁のその場所に一人の青年が立っている。たぶん彼がエリート君だ。SNSで出会った私達はネットを通しての会話しかしたことがなかったので顔は知らなかったけれど、生真面目そうなその顔立ちは私の中のエリート君イメージそのままだ。

「本当に来てしまったんだね、クマちゃん」

 思いつめた表情で青年は言った。たぶん。滝の音が大きかったのでたぶんそう言ったのだろうと私は脳内で補足した。

「まだ迷ってるの? 信じてないの? そもそもエリート君が頼むから、私ここまでやってきたのに」

「だって、ありえないじゃないか! 僕これから日本とは別の世界に行こうとしているんだよ。だけど本当にそんな非常識なことが現実におこるわけない!」

 私は目を丸くした。

 エリート君は今まで何を見てきたのだろう。ここまで来れる度胸があって、体力があって、非常識な常識を装備しているというのに。

 私はまっとうに言ってみた。

「とりあえず、ここってもう半分以上日本じゃないと思うんだけどな」


 エリート君は目を見開く。

「そんなばかな。だってこの林にある滝から飛び降りるのが異世界へ行く鍵だって僕は聞いたんだ」

 誰に聞いたんだ。

 まったく、「そんなばかな」は私が言いたい。私の知る限り、エリート君は真面目で頭がいい。それにけっこう前向きな男の子っていう印象だ。同時に右も左も上も下もちょっと隙間が空き空きで、つっこんでくださいとばかりの抜け加減なのだ。

「そんなエリート君だから、こんな人気のない異次元まで私は着ちゃったわけだけど」

 息を吸い込みまた吐き出し、私はエリート君と向き合った。

「エリート君、林の入り口からここまでどうやって来たの?」

エリート君は一瞬きょとんとしてそれから生真面目に答えた。

「男の人の腕くらいに太い胴体をした蛇がぶら下がる木の横を通りすぎて、急勾配の小山という名の超マウンテンを上り、その坂道の左右から伸びるトンボの羽みたいな葉が寄り集まったすばらしくきれいなトンネルをぬけて、えんえんえんえんえんえん上っているとたどり着いたのがこの滝だったよ」

「途中に青い幹の木がなかった? 真っ赤なかぼちゃのような果物が実ってるの」

「すばらしくいい香りがしたね。思わずかじったら熱々で甘くてすごくジューシーだった」

「しっかり食べたね」

 それら全てが異世界に片足以上つっこんでいる動かぬ証拠だよ! 私は滝の音にも負けず叫んだ。私の地声は大きいから、エリート君はその声量に驚いて目を丸くした。--マーモセットみたいな小動物感が垣間見えてなんだかちょっとかわいかった。

 

--異世界人だと名乗る人からメールが来て、滝から飛び降りて異世界に行くことになった。


 二日前、そんな突飛なセリフをエリート君が言い出した時は、私いよいよエリート君はご両親の期待という名の重圧に耐えかねて人生をドロップアウトしちゃう気になってしまったのかと大いに焦った。

 一人で遠出をするのはいささか心細いし、尻込みしちゃいそうだからよければ途中まで付き合ってくれない? と誘われたのは昨晩のこと。

 これは放っておけないと、私は一も二もなく我が家を飛び出したわけだ。

 林という名のジャングルに分け入り、登山に勤しみ、謎のフルーツにお腹と心をみたされ、太陽の光にきらきら輝くトンネルを抜けて進み続けるうち、私の意識は変革した。私の中にあった常識はエリート君と対面する前に生まれ変わってしまったのだ。

 ところがエリート君は奇跡の人だった。これだけ時間をかけて非常識の中を闊歩してきたというのに、あたかも自分は日常生活の同一線上にいるのだというゆるがなさ。鉄壁の常識辞書に守られて、崖っぷちに立っている。ここまで来た動機がすでに非常識だと言うのにだ。

 飛び散る水滴をあびながら吹けば飛びそうに立っているエリート君はだけどなんだか輝いて見えた。あんな薄っぺらで貧弱そうな体格をしているのにここまで辿り着いた彼の執念を思うと畏怖の念さえ覚える。そう、そんな彼に足りていないのはあと一歩踏み出す勇気なのだ。それが必要な勇気なのかどうかははなはだ疑問だけれど、私一人踏み込んでしまった現実の異常さを悟っちゃっているのは切なかった。


「毒を食らわば皿までなんだよ、エリート君」

 私は真剣に言って、エリート君に向かって一歩踏み出した。

「クマちゃん。本当にこの滝から飛び降りて異世界なんてものに行けると思う?」

 エリート君の顔には「行けるものならやっぱりちょっと行ってみたい」と書いてある。不安げなのに好奇心隠せませんって顔だ。目の前の非常識は信じていないのに見えない非常識はなんだかんだいいつつ信じているエリート君。そのややこしさにSNS上のやりとりより更に面白みを感じてしまった私だ。もしかして私もとんでもなく非常識だったりするのだろうか。

「大丈夫。どこに行ってもどうなっても、とことん私がエリート君を守ってあげるから」

 はちきれそうに詰まったリュックを背負い直し私は本気で請け合った。

「付き合ってくれるの? 一歩間違えたら僕ら死ぬんだよ」

 言うエリート君は崖っぷちで風に煽られ、ふらふらしていて危なかしい。

 普通は死ぬだろう。一歩間違えなくても踏み出したが最後墜落死間違いなしだ。

 だけど大丈夫。だってここはもはや異世界。エリート君言うところの異世界への入り口は、大口開けて、開け過ぎに開いちゃってる全開状態なのだ。

 そして私は愛に生きる女だ。顔も知らなかった、だけど気になるエリート君のためだけに、こんなところまで来ちゃうくらいには愛に満ちた女なのだ。

 そんな私がいたことに気づかせてくれたエリート君の、好奇心がちらちらしてる背中を押してあげるのが今私にできる唯一のこと、なのかもしれない。たぶん。きっと。もしかしたら。

 残りの距離をめいっぱい駆けて、飛び込むように私はエリート君の首に腕を回した。

 ぐぇっと、アヒルのような声をエリート君があげる。

 勢いに任せてバランスを崩した二人の体重が水しぶきの向こう側へと飛び出した。

「きゃーーーっ」 

 耳元で女子かというほど甲高い悲鳴をあげるエリート君。勢い余って、落ちるというよりスカイダイビングしているみたいな滑空ぶりで滝壺に向かって落ちていく私達。

 滝壺が見えるはずの場所がなぜか暗い。ブラックホールにふんだんに星屑をまぶしてかき混ぜたみたいな世界が広がっている。

 きれいだ。きれいだけど怖すぎる。怖すぎてドキドキする。隣りで風に煽られて口をぶるぶるさせているエリート君を見ると彼も私の方を見た。「こりゃ、まじかも」と顔に書いてある。「まじなら仕方ない」って顔を今している。空中で私達はきつく手を握り合う。

 私達は、ただ勢いに任せて来るところまで来ちゃったわけだ。

 誘ったのはエリート君で、引かずに飛び込んじゃったのは私。どうしようもないのであとはもうとにかく落ちてみるしかない。

「思えば遠くまで来たもんだ」

 なんて言い切れちゃうくらい遠くへ行ってみるまでは。

 風に衣服を全力ではためかせながら、私達はなんだかもうよくわからないにやにや笑いを浮かべて常識外の滝壺を目指した。




 



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