Mother Mayhem
Mayhemといったら、あれだね。レミングス思い出すよね。
ネクとDBの家は近所なのでさほど遠くない。歩いて十分もかからない。晴れていればDBの家からネクの家の屋根を見ることもできる。しかし何十年と使い、慣れた道もいまでは異質で危険な道となっていた。
「なんか忘れものでもあるの?」
「うん。君は気づいてないと思うけど、俺はずっと病衣なんだよ。動きやすくていいんだがそろそろ普通の服もいいと思ってね。それに母さんも心配だ」
「ママンか。確かにそれは心配だ」
「ああ、まだ生きていれば良いんだが……」
一瞬、沈黙が訪れた。
「その」DBがおずおずと声を出す「もしママンが『ゾ』のつく生き物になってたら……」
言葉は続かず、ふたたび沈黙が訪れた。
「……やることやるだけさ。さぁ、準備しろ!」
数時間後
武装したネクとDBは机をはさんで向かいあう。ネクはシャベルを手に持ち、果物ナイフを一丁足にくくりつけただけの簡素なものだ。対してDBはレジョンの軍服に防弾ベスト(レプリカ)、イギリス軍のガスマスクに中学生時代のヘルメットという出で立ちだった。ヘルメットは頭のサイズが変わったためか入りきらず浮いている。
「なんでそんなもん持ってんだ」
「いつかサバゲーで使うと思って」
「それにしてもせめて統一しろよ。肩からぶら下げてるのは89式だろ。しかもモデルガン。必要ないから持っていくならCD持っていけよ」
肩をすくめるDB。数分後、CDをリュックに詰め込んで戻ってきた。
「よし、確認したいんだが家に行って母さんを救出、その後ホームセンターで食料、武器の調達でいいな?」
「ふん。問題ない」
「家に車があるから足はたりるとしてだ……その後はどうしよう?」
「ふん。どうだろうね? ネクはホームセンターに立てこもるのが嫌なんだよね?」
「うん」
「じゃあ……どうすんのさ?」
「……一つ当てがあるんだが……聞くかい?」
「う、ん。聞こうじゃない」
「時代は……刑務所だ」
ネクは案を語り始めた。要約するとまず刑務所には塀があり、立てこもることに向いていること。食料の備蓄もあり長期の立てこもりにも対応できることが主な理由だった。
「問題は堀の中の敵だな。人間にしろそれ以外にしろ、やっかいな問題だ。いっそ全員食い殺されてくれればいんだけどな……」
「うーん、どうだろう。悪人の生命力は強いからね。囚人が生きていた場合どうするの?」
「そうだなぁ。さすがに生身の人間に手を出すのは憚られるよな……。檻に閉じ込めておくぐらいしか思いつかないな」
「なるほど? ちなみに狙うとしたらどこだい」
「まぁ、近場のスガモプリズンだろうな」
戦後、旧巣鴨町に設置されていた巣鴨拘置所はGHQに接収されスガモプリズンと呼ばれるようになった。後に日本に返還、東京拘置所に改名される。しかしスガモプリズン時代の建築物や看板は戦争遺跡として保存されており一般公開されているため、現在ではスガモプリズンの名前でも通っている。
「うん、いいんじゃない? 刑務所という考えは確かに悪くない、気がする。多分」
「とりあえずそこで熱いコーヒーでも飲みながら事態の収束を待とうじゃないか」
「うん! なんだかサヴァイブできるような気がしてきたよ!」
「そうだろう!」
恐怖と緊張はアドレナリンやホルモンの分泌を促し人を興奮状態に導く。生き延びるために他者と戦わなくてはいけないからだ。そして二人は気づいていないが、アドレナリンの過剰分泌によって、相当『ハイ』になっている。そして二人は知らないが戦場で危険なのはこういった気づかぬハイ状態になることである。
「よし準備だ! まず母さんを助けに行くぞ!」
さっきまでの勢いは消え去り、玄関の前で二人は借りてきた猫の前のねずみの如く縮こまっていた。扉の向こうから漂う強烈な殺意と腐敗臭が、ドアノブを握る手を汗まみれにする。カップラーメンが三つできる時間、二人は玄関で立ち往生していた。今、ドアノブはネクの汗まみれの手によって握られている。
「……よしいいか。開けるぞ」
「……うん、いいよ。早く開けてくれ」
「奴らはとにかく凶暴で残忍なヤク中と同じだ。油断するなよ」
「うん、三回聞いたよ。早く開けてくれ」
「やつらを無力化するには頭部の破壊だ。他に方法があるのかもしれないがとにかく襲われたら頭を狙え」
「1978年にロメロが『ドーン・オブ・ザ・デッド』を発表してから知ってるよ。早く開けてくれ」
「……たとえ俺が襲われても──」
「ネク! 早く開けてくれ!」
「うるさいな! 開けるときぐらい俺に決めさせてくれよ! 見ろ! この手の汗を! ナイアガラが再現できそうだ! お前が『僕が扉を開けるぐらいなら今ここで死んでネクを食う』って言うから俺がやっているんだろ! 今開けるよ!」
扉に向き直るネク。手の汗をぬぐいドアノブに手をかける。後ろのDBの鼻息がうるさい。
「……」
ゆっくりと力をこめて、扉を──開けた。
「!」
来るべき敵を想定してシャベルとCDを構える二人。しかし、扉の向こう側には誰もいなかった。
「……よし行くぞ」
通りに出る。あたりを見渡すが誰もいない。二人は周囲を警戒しつつ、小走りにネクの家へと向かった。心配していたような出来事は起こらず。二人は無傷でネクの家までたどり着いた。
「なんだ、意外とあっけなかったな」
「ふふん。特殊部隊相手に喧嘩売るほど脳みそは腐ってなかったてことかな?」
「運がよかっただけだ、連中からしたらお前は脂の乗った食料だからな。よし入るぞ」
扉を開け我が家に入る。懐かしい匂い。もう何年も家に帰っていなかったような望郷の思いが湧き上がってきた。
「母さん! 母さんどこだい!」
リビングを覗く。いない。キッチン、トイレ、風呂場を覗く。そのどこにもいなかった。
「あとは母さんの部屋だけだな……」
「家の中に居ないってことはないの?」
「いや、母さんの靴があった。家の中に居るはずだ」
ネクとDBは母の寝室の前に立つ。ノックを鳴らす。
「母さん? いるのかい?」
返事はない。もう一度ノックをする。やはり反応はない。
「……開けよう」
ゆっくりと扉を開ける。木製の扉が小さく唸り寝室への道が開けた。中に足を踏み入れる。
「……」
そこには母の後姿があった。いすに腰掛けており顔は伺えない。微動だにしない。
「……母さん?」
小さく声をかけるが反応がない。二人は顔を見合わせる。ネクはシャベルを構えゆっくり母に近づく。DBは後方からCDを構えその時に備える。
「……」
ゆっくり。ゆっくり。一歩一歩確かめるように近づいていく。近づくごとに心臓は早鐘を突く。シャベルを握る手からはすでに汗が漏れている。ネクからは見えないが、きっと自分の顔は真っ白だろうと思った。呼吸が荒くなり、だらしなく舌を出しながら犬のように息をする。のどが干からびて喘息のような息が漏れた。今、ネクは母親の真後ろに立った。何も考えられない。果たして白か黒か。真っ白な世界で母を殺すという文字が何百も廻っていた。
「母さん──」
限界まで腕を伸ばし、母の肩に手を──置いた、と、同時にものすごい勢いで立ち上りり二人に顔を向ける母。真っ白な顔と獣のような叫びが部屋に響いた。