旅立ち
五日、経った。
あれから何事もなく時間は過ぎる。それこそ、平和すぎるくらいに。
巫五の国は本当に平和だ。
戦争も紛争もない。
巫五の国の周りに他国は無いらしい。ただ、神域が広がるだけ。
時折、神域から異形の妖が現れると聞いたけど、それもなく。
本当に、平和だった。
シェンラル王国の周りでは、戦争ばかり起こっていた。
今は、それも懐かしい。
はやく、戻らないと。
早く、シャラに……。
「じゃあ、行こうか」
「はい」
出発の朝、やはりヤヅキ君はいなかった。
本当に、数えるほどしか会う事が出来なかった。
ここはヤヅキ君の家のはずなのに。
「夜月、行ってくるよ」
「お世話になりました」
誰もいない家。そこに声をかけてから外にでる。
町に行く道すがら、キースさんはふと思い出したように言った。
「そうだ、シエル。ちょっと寄りたい所があるんだが、良いかい?」
「はい?」
シキさんとホシナさんのところだろうか。
余り深く考えず、私は頷いた。
「海……?」
磯の香りが鼻をつく。
少しべたつく風が頬をなぜた。
キースに案内されたのは、町から外れた何も無い砂浜だった。
なぜか私達の元に海鳥が集まり始める。
「ちょっとね。久しぶりだな、呼んでくれるか?」
一羽の海鳥が海に向かって飛び立つ。
まるでキースさんの言葉を聞いていたようだ。
そして――
「キースゥっ!!」
誰かの声が聞こえた。
「え……?」
海の方から聞こえてくる。
なんでだろう。海に人なんていないはずなのに。
海を見れば、目の前に信じられない光景が広がっていた。
「そんな……マーメイド……?」
半人半魚の海に住まう種族。
私達の国では、伝説となってしまった彼等が、波打ち際に姿を見せていた。
「マーメイド、か。大和国じゃあ、人魚と呼ばれているよ」
「絶滅したはずじゃあ……」
何十年も前は人々と交流があったと聞いたことがある。でも、もうそれは過去の話。すでに絶滅したなんてシェンラル王国では言われていた。
そんな彼等が……姿を見せる。
「まさか。ただ、住みづらくなってこちらに移っただけだよ」
「え?」
その言い方は、まるで……。
「キースさんは、まさか……」
ありえない。
だって、キースさんには足がある。半人半魚じゃ、ない。
「久しぶりだね、カルミア」
キースさんは私の疑問に答えることなく、荷物を私の足元にほうると海に入って行く。
濡れるのも構わず、カルミアと呼ばれたマーメイドの少女達の元へ。
「はい。キースもお変わりなく」
青天の空よりも澄んだ青の長髪に水色の瞳。彼女が何かをキースに差し出した。
細長い棒状の……見覚えが、ある?
「なんだい。用があるって言ってたけど……剣……?」
「海の底でウィムが見つけましたの。もしやと思って持って来たのですが……」
こちらをちらりと見る。それに、私は気づけない。
それよりも、『ソレ』に目を奪われていた。
「そ、それっ、私のです! あ、いや、正確には預かっている物なのですが……ル、ルカ様の……」
黒い漆塗りのように艶やかな鞘。そこに納められた剣は、間違いなくルカ様の剣。
私がシェンラルから出た時に渡された物だ。
この広大な海に消えては、二度と手元に戻らないと思っていた。
「やはりでしたか。これは、お返しします」
「は、はい」
濡れるのをためらっていると、キースがそれを受け取った。
「あ、ありがとうございますっ」
「それで、これ以外にも言いたい事があるんじゃないのかい?」
「長様から伝言を預かってきました。どうか無事に戻ってくるように。と」
「……そうか」
優しくキースさんは笑う。
「すまないな、カルミア」
その謝罪は、何に対してなのだろうか。
わざわざ伝言と剣を持って来たことに対してか、それとも……。
それは、考えても解らないこと。
どうしてか、その姿に不安を持った。キースさんの笑顔が、どこか儚くて。
それは、この先の予感めいたモノだったのかもしれない。
「行こうか、シエル」
それでも、私は進むしかない。
進み続けないといけない。
シャラに、逢わないといけないから。
海から上がったキースさんに、
「はい――」
「ちょっと待ったああああっ!!」
「っえ?」
この声は。
「ま、まさかっ、流夢薙っ?!」
キースさんがそう言い切る前に、何かが海に墜ちた。
運が悪かったのか、深みに落ちたらしくばたつくその人は沈んでいく。
ま、まさか、ルムナさんが溺れたっ?
カルミアさんが慌てて助けにもぐっていく。
唖然とするキースさんは、なぜか私の方を見ていた。
「やあ、シエル君」
「えっ、えっ?!」
あれ?
な、なんで?
「ル、ルムナさん?」
「どうしたの、そんな驚いて」
「え、だって、いま、そこに……」
隣に、ルムナさん?
じゃ、じゃあ、いま溺れている人はっ?!
慌ててカルミアの方を見ると、カルミアさんが海からせき込む少年を引き上げているところだった。
「え……」
どうしてあの人が……。
「ごほっ、こ、このっ……くそったれ! 人を、海に落とすとは、ごほっどんな了見だっ!!」
「あ、ごめん。なんかさ、落ちちゃった」
「ふざけんなっ!」
息も絶え絶えに叫ぶのは、クレナイヤヅキ、その人だった。
「それにしても、まだ泳げないなんてね~」
「黙れ!」
「はっずかしい~」
「黙れっ! 本当に、黙りやがれ!」
「そう言ううちも、泳げないけどね」
「……おい」
海の中で、半眼になったヤヅキ君は無言で拳を握っていた。
ヤヅキ君とルムナさんは泳げないのか……。
実は、私も泳ぐのは苦手だけれど。
「それより、シエルちゃん。ちょっといい?」
いそいそとカルミアさんに助けられながらヤヅキ君が海からあがると、ルムナさんはこちらに笑いかけた。
それに、ヤヅキ君は頬をひきつらせる。
「それよりって、お前なっ、いきなり人を殺しかけといて――」
「はいはい」
「流夢薙っ、貴様っ」
「はいはい。ちょっと待っててね」
ル、ルムナさん、軽いです。
ヤヅキ君が起こるのも無理はないって言うか……。
「あぁっ、もう! なんなんだい。ほら、夜月は落ち着け。そんでもって、流夢薙は一体何なんだいっ」
キースさん、すごいです……。
二人を黙らせました。
「ちょっとね、ねぇシエル。君の旅に、この紅夜月も一緒に連れて行っちゃいなよ!」
「え?」
「は?」
「ちょっとまて、流夢薙! そんな話、聞いてないぞ!」
ヤヅキ君も、一緒に旅を?
え、な、なんで?
「むしろ、夜月、巫子様からの命令って事で」
「こんな時だけ、権力使うなっ!!」
言い争う二人。
キースさんだけが冷静にどうするのかと聞いて来たけれど、それに私は何も答えられなかった。
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素戔嗚尊
そう呼ばれてどれほどの年月が流れたのか。
海の神という存在になって、どれほどの年月が経ったのか。
生まれてこの方、どうしても会いたい人がいた。
長すぎる時の中で、幾度も接触を試みた。
それでも、会えなかった。
「それは、キミの事を知らないから」
対して驚かず、声の主を見た。
黒髪に群青の瞳。触れれば壊れてしまいそうな、危うい美しさ。
最近見つけた面白い少女とどこか似た容姿だった。
「どういう意味だ」
「そう言う意味ヨ」
くすり
くすくすくすくすくす
耳障りな哂い声が続く。
「ねぇ、本当にニンゲン達を信じているの?」
「……」
「本当に、カノジョがアナタを知っているのかしら?」
「なんだ、お前は」
「ねぇ、会いたいんでショ? じゃあ、会いに行けばいいじゃない? どうして、会いに行かないの?」
「行ける訳が無い」
行けるはずが、ない……。
「そうだったわネ。アナタのオカアサマは、この生の世界に居ないんですものネ」
少女はその顔に似合わない妖艶な笑みを浮かべる。
くすくす
耳障りな音。
それが、響き続ける。
「ねぇ、このままで、イイノ?」
少なくとも、このままなら何も起こらない。
「ねぇ、このまま、ヒトリでイイノ?」
一人じゃない。
そう、かえせない。
「しょうがないから、アナタに紅一族が秘密にしていたことを教えてアゲル」
「……っ」
「あのね、アナタのオカアサマはネ――」
くすくす
「あーあ、もう狂っちゃった」




