第二の生、私はもう迷わない
皆様、明けましておめでとうございます。本年も宜しくお願い致します!
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「クドミ様!お待ち下さい!」
姿が反射する程に磨かれた乳白色の廊下を、床とは対照的な黒い服に身を包んだ少女がゆったりとした歩調で歩いていた。
緩く結われた髪に大輪の赤薔薇のコサージュを付け、上質な布地で作られたゴシック調の漆黒のドレスは裾や袖、首元にたっぷりとレースやフリルがあしらわれとても機能的だとは言い難いが、露出の少ない少女の白い肌を際立たせ、花の顔を持つ少女の美しさと儚さを他に知らしめる。
名前を呼ばれて振り向けば、少女、クドミの漆黒の双眸が二人の女性の姿を捉えた。
「イルイアンナにディンヌ…?そんなに息を切らしてどうしたの」
クドミは見た目に反して落ち着いた雰囲気と口調で目の前に居る自分付きの侍女達の名を呼んだ。
右手に居るのは群青色の長いおさげをこしらえた小柄な可愛らしい女性、イルイアンナ。
そして左手に居るのは中性的な顔立ちに真っ赤な短めの髪と冷たい印象を醸し出し、左目の辺りを白い包帯で覆った隻眼の長身女性、ディンヌだ。
二人は、正確に言えばイルイアンナは顔を若干赤らめながら何か怒っている様子で、それと対照的にディンヌの表情は変わる事無く無表情のままだ。
「どうしたの…ではありませんわ!今クドミ様は城の外へ出ようとしていたのではありませんか!?外へ向かう時は、供を必ず付けて下さいと言った筈です!」
イルイアンナのあまりの剣幕に押され、クドミは無意識のうちに口を引くつかせて後ずさった。
それを好機と言わんばかりにイルイアンナは畳み掛ける。
己より少し高いだけの筈のイルイアンナが何十倍にも大きくみえるのは何故だろう。
腰に両手を当てて上から見下ろされ、クドミは冷や汗をかいた。
「わっ!」
イルイアンナにじりじり押されていた刹那、突然身体を持ち上げられる感覚と共にクドミの低かった視界が高くなった。
今度はクドミがイルイアンナを見下ろす形となり、クドミは己が誰かに抱き込まれていると理解し、己を抱く人物を見ようと首を捻る。
「ディンヌ!邪魔をしないで!」
ツンと仄かに香る独特のアルコールの香りと、首を捻ったクドミの視界一杯に映ったのは白い包帯。
無表情面のディンヌの端正な顔がそこにあった。
ディンヌに抱かれたままクドミはイルイアンナに目線を戻す。
「邪魔をするつもりは無い。しかし、クドミ様を苛めるのは許さない…」
少し低い、耳に心地良く響くディンヌの声音。
鼓膜を震わすディンヌの声音は中性的な顔に良く合うハスキーボイスで、ディンヌの首筋に顔を埋める形で抱かれているクドミの鼓膜に直接響く。
女性でありながらまるで男性に抱かれている様な感覚に襲われ、クドミの頬は無意識に高潮した。
「普段滅多に話さない貴方が、クドミ様の事になると突然饒舌になるのね…。でもね、いい事!?私だってクドミ様が嫌いだからこんな事言うんじゃないわ!寧ろその逆です!大切、大好きだからこんなに口煩くなるのですわ!!」
イルイアンナの言葉を聞いて、クドミは急に申し訳ない気持ちになった。
イルイアンナを怒らせたのは、紛れもなく己の浅はかな行動のせいだ。
それに、もしも己に何かあれば責を問われるのは間違いなく身近にいるイルイアンナとディンヌだろう。
クドミの侍女を外され、解雇されるだけならまだマシだ。
しかし、きっとそれだけでは済まされない。
そう断言出来る程の確信がクドミの中にあった。
「…ごめんなさいイルイアンナ。もう二度と一人で出歩かないわ。天気が良かったから少し風に当たりたくて…貴方達を困らせるつもりは毛頭無かったの」
しょんぼりとした表情と声音で詫びたクドミを前に、我を取り戻したイルイアンナは両手を己の真っ青になった頬に当て、ずしゃりと両膝をついて絶叫した。
「わ、わっ私ったらなんて事をぉおおおおーーーっ!!!我が主であるクドミ様を説教するなど、私は一体いつからそんなに偉くなったと言うの!?私はたかが一介の侍女…魔王様の…魔王様の妹君になんて無礼を働いたのでしょう!もう死刑しかないわ!魔王様!この愚鈍なる私の首を撥ね、死刑に処して下さいませ!!!」
床に額を擦り付け、否、額を床に打ち付け始めたイルイアンナにまたかと思いつつ、クドミはディンヌの腕から飛び降りた。
「い、イルイアンナ?!もういいから!そんなに続けるとイルイアンナの額が割れちゃうから!」
謝り続けるイルイアンナの肩に手を当て動きを止めると、イルイアンナの瞳がこちらを見た。
イルイアンナの瞳から大量に流れ出た涙と、既に割れていた額から流れ落ちる血液をクドミは己の袖を使って拭ってやる。
すると、イルイアンナの美しい肌に付いていた痛々しい傷跡が綺麗さっぱりと消えていた。
イルイアンナは暫くしゃくりあげた後、皺の寄った黒いスカートを叩きながらよろりと立ち上がる。
「く、クドミ様…なんてお優しいの!……取り乱してしまい申し訳ありません。クドミ様の侍女失格ですわ。イルイアンナ、一生の不覚!」
落ち着きを取り戻したイルイアンナを見て、クドミは安堵の溜め息をついた。
普段のイルイアンナはしっかり者の常識ある人物に見えるが、一旦ネガティヴモードに突入すれば地獄の底まで止まる事無く転がり落ちて行くだろう。
イルイアンナの口癖である"一生の不覚"も、何度耳にしたか解らない。
初めて会った時から今までの間で何度か経験したせいか、イルイアンナの行動とあしらい方に慣れてしまった己が居た。
「慣れとは怖いものね…」
クドミはぽつりと呟き、天井を仰ぎ見た。
そう、慣れとは怖いものである。
クドミは今己が置かれている状況になんの違和感も感じなくなりつつあった。
否、本当の理由は己の魂がこの世界を受け入れたといった方が正しいのかもしれない。
この世界、ストルムフィストにやってきたクドミの最初の記憶は水にたゆたっていた所から始まる。
そして、忘れもしない強烈な力を秘めた何処か懐かしくも悲しい紅蓮の瞳を持つあの人。
出会った月日はとても短い。
しかし、今のクドミには誰よりも大切で、誰よりも愛しい存在となった。
無条件で己を愛してくれる存在、このストルムフィストの闇を統べる存在。
人は彼を、魔王と呼んだ。
そして、己はその魔王の妹としてこのストルムフィストに第二の生を受けた。
何故転生以前の記憶が残っているのか解らない。
そのお陰で、この状況、世界を受け入れるのにとても時間が掛かったのは記憶に新しい。
日本に、クドミの魂が昔存在した地球に"魔法"は存在しない。
空飛ぶ島もなければ、歪な形をした凶暴な魔物も勿論存在しない。
初めて己の置かれた状況を理解したのは、初めて魔法を目にした時だ。
己の掌から炎の塊が現れた時のクドミの表情は、周囲が言うにとても傑作だったらしい。
そうして未知なる経験を重ね、周囲に助けられながらクドミは漸くこの世界と己の置かれた状況を受け入れる事が出来た。
「所で、貴方達私に何か用があったんじゃないの?」
現実に意識を戻したクドミは、イルイアンナとディンヌを見る。
イルイアンナは思い出しましたと言わんばかりに目を見開き、口元に手を当てて大きく叫んだ。
「わ、忘れていましたわ!!宰相のキエフ様がクドミ様をお呼びです!」
「キエフが?分かった。今から行くわ」
クドミは意識を集中し、目的の人物の魔力を探す。
広い城の中に居る何百何千もの力を感じるが、目的の人物の魔力は強大で探す事等容易い。
次の瞬間には、クドミの小さな姿はその場から掻き消えた。
それを追う様に、イルイアンナとディンヌの姿も消えて無くなっていた。