生涯の美貌(ショートショート)
その女は美しかった。だが、人間は歳をとる。彼女の美貌も、少しずつではあるが衰えていった。もちろん、涙ぐましい努力を欠かさなかったものの、こればかりはどうしようもない。
「あぁ。これまでは毎日鏡を見るのが楽しかったけれど、これからは憂鬱になりそうだわ」
世間的には、まだまだ美人で通る自らの顔を鏡で眺めながら、女は呟いた。
その時、鏡に映る彼女の後ろにぼんやりとした影が立ち昇る。驚いて振り返ると、そこには悪魔然とした姿の男が立っていた。
「大丈夫、騒がないで。お察しの通り、私は悪魔です。本物ですよ? 今日は、あなたの悩みを解決するために参上いたしました」
彼の意外なほど紳士たる物腰に、恐怖よりも興味の方が勝った女は、自分でも意外なほど冷静な心持ちを保っていた。
「どうやら、お話を聞いていただけるようですね。
お忙しいでしょうから、手短にお話し致しましょう。失礼ながら、あなたは”老い”について悩んでいらっしゃる。
老いれば、あなたの美貌も衰えざるを得ないからです」
悪魔が、淡々と話し始める。
「えぇ、そうよ。で、あなたはそれを解決してくれるっていうの? 魂と引き換えに」
老いという絶望的な状況に抗えるチャンスを得たかと思うと、女は度胸をすえた。
「お分かりが早い。さすが、私の見込んだだけの方であられます」
見え透いた世辞も、悪魔の口から出るとまんざらでもないと女は思う。
「では、早速条件を申し上げましょう。まず、若さを保つといっても、寿命そのものは伸ばす事が出来ません。
よろしいですか?」
”まぁ、そうだろうな”と、女は納得する。それに自分は、寿命を延ばしたいのではない。美しさを持続させたいのだ。
「では、次に……」
女が軽くうなずいたのを見て、悪魔は更に話を進める。
「保てるのは見た目の若さだけであり、肉体の健康は歳相応のものとなります。体まで若さを保てたら、寿命そのものが延びてしまいますからね」
女は、それでいいと思った。たとえ年をとって寝たきりになっても、美貌が維持できれば毎日手鏡でも見て自らを慰められるだろう。
そのあと、如何にもつまらない数点の注意があってから、悪魔は定番の言葉を口にした。
「どうです? 魂と引き換えに、契約をなさいますか? 」
「お願いするわ」
女は躊躇なく答えた。
彼女は分厚い契約書の最後のページにサインをし、悪魔は満面の笑みを浮かべ去って行く。
「さて、夢のような話だったけど、まさか白昼夢を見ていたわけじゃないでしょうね」
再び自分一人になった部屋で、彼女は自問自答した。
だがそれから何年か経つ内に、女は自分が本当に悪魔と契約をしたのだと確信を持つ。あの日より、彼女の美貌は一向に衰えを知らずにいたからだ。
死後に魂を渡さなければならないものの、女は後悔しなかった。それだけの価値があると思った。
ところが更に数年が過ぎる頃、ある異変が起き始める。それまで全く変化のなかった美貌が、少しずつではあるが衰え始めてきたのだ。最初は気のせいかとも考えたが、それは加速度的に進んでいく。
とうとう我慢の出来なくなった女は、悪魔との契約書を引っ張り出し、とある呪文を唱えた。一度だけ悪魔を呼び出し、契約内容をただせるという約款があったからだ。
呼び出された悪魔は、今回の呼び出しを予想していたかのように少し困った顔をしていた。
「あんた、何で呼び出されたのか、わかってるんでしょうね?」
「……と、言いますと」
女の詰問に、シレッと答える悪魔。
「契約はどうなったよ。あんたと契約してからまだ十年も経っていないのに、どんどん見た目の歳も取っていくじゃない!」
「あぁ、その事ですか。それはですね……」
悪魔は、クレーマーのようにがなり立てる女に向かって口を開く。
「契約は、実行されています。ただ、同様の契約をなさった方が、余りにも増えすぎまして……」
「同様の契約?」
悪魔の言葉に、女は意表をつかれた。
「はい。これは契約書にきちんと書いてありますが、ご契約者様の願いを叶える”やり方”の問題なのです」
女の顔が、にわかに曇る。確かに契約書は受け取ったがその内容は膨大で、途中までしか読まずにサインをしてしまったのだ。何せ、当たり前すぎる話が、延々と続くものであったのだから(それが悪魔の手だとも知らずに)。
「もちろん、契約書の方は良く読んでいただいたかと思います。なので、これはお客様が確認した内容の繰り返しになりますが……」
相手が契約書をまともに読んでいないと見越したうえで、悪魔は話を続ける。
「どうやって見た目の若さを保つのかと言いますと、それは他の人間から、ほんの少しずつ若さを採取するのでございます。
いえいえ、大量には頂きません。ほんの一日分程度、見た目の歳が進むくらいでございます。それも一年に一回ほどですので、採取された方が、急に老け込んでしまうような事はございません。
また採取の対象は、最初の内こそ”契約者以外の全人類”だったので、途中までは何の問題も生じませんでした。しかしお客様と同様の契約をなされる方が爆発的に増えまして、既にご契約している方からも、若さを採取しなければならない事態となったのです。
それも、一回に一日分の若さの採取とはいかず、十日分、一ヶ月分と増えておりまして、更には採取の間隔もどんどん短くなっております。
となれば、ご契約者様は、ご自身が他人から得た若さ以上の若さを採取される事となります。その結果として、見た目が老け込んでしまうのです。
これは契約書の第205条 第3項に記されております」
女は慌てて、分厚い契約書をひっくり返す。
そこには確かに若さの取得方法が書いてあり、特例免責事項として、
【契約者が多数に上った時は、契約者自身も採取の対象となる。その場合、未契約者よりも優先して若さが採取される。
ただしこの免責事項は、契約後八年が過ぎてから有効となる】
との細則が、大変小さい文字でしっかりと書かれていた。
「ちょ、ちょっと。そんなインチキが……!」
女が叫ぶと、悪魔は、
「契約書には、きちんと記されてありますよ。当然ながら、お客様はそれをご承知の上で、契約なさったのでしょう?」
と、したり顔で言う。
女は説明書の類を殆ど読まない自らの性格を激しく悔いた。
「……それじゃぁ、私はこれからどうなるの……」
女は、恐る恐る悪魔の顔を覗き込む。
「はい。このまま契約者が増え続ければ、お客様が既に経験なさっているように、どんどん年齢以上に年を取った容貌になっていくでしょうね。
お気の毒とは思いますが、仕方ありません」
そう言い残すと、悪魔は霧のように姿を消した。
女は二の句をつぐ事も出来ず、フローリングの床に膝から崩れ落ちる。
「あぁ、なんて事。醜くなるだけの人生なんて耐えられない。それならいっそ、もう悪魔に魂を渡してしまおうかしら……」
そう呟く女の顔は、実際の年齢よりも二十は老けて見えた。
【終わり】




