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第5話 久しぶりのはじめまして


 ほんの少し、この景色はもう見れないのかと、諦念させた光景。


 元いた世界も今いる世界も変わらない、白い雲が散らされた、どこまでも澄んだ青い空。

 前者では、時に雲が空を覆い、それに涙するような雨や、雪に雷を降らせていたが、後者でもそうなのだろう。そう信じたい。信じている。


 人々の頭上を彩る景色。それを今一度目にすることができた。


 十七という歳月から得た経験か、考えずも体は手で庇を作り、久しぶりの感覚を覚える日差しの眩しさを軽減させる。


 加えて、周囲には、色とりどりの円形の石畳に、少しの空間を開けて、ずらりと建ち並ぶ無数の家。向こう側にある純白な城も全てある。


 あの、異世界の外に、舞い戻ってきた。


 たった数分間の拘束。

 だが、その前から繰り広げてきた逃走劇の疲弊から、本当に久しく思えたのだ。


「外に、戻って来れたのか……っ!」


 実感と共に、俺は喜びを拳にする。

 心にジワリと染み出す、蜂蜜めいた重く甘い、達成感。だけではなかった。

 

「だが、問題も一つ連れて来ちまったか」


 背中になおも感じられる、形ある重み。

 振り返ると、悲しげに表情を歪ませる扉の少女が、今だに首筋に腕を回し、行かせまいと抵抗している。


「さぁーっさぁさぁ! どーだい! 少年君! 外に戻って来たって、感想は? どう? どう!?」


 目の前に立っていた少女。

 

 俺を見下ろす少女――いや、女性は、俺よりも頭一つ分は背が高い。ゆうに180センチはある、モデル顔負けの長身だ。

 だが、口調や性格が子供じみている。それだけが顔負けか。


 冬の風物詩を唄う果実を彷彿とさせる腰まで伸ばされた長髪に、相反する夏の花と思い浮かぶ、黄色と黒の瞳。


 茶色く光沢のあり、膨らみがありながら密着感も兼ね備えた、スカートとジャケット。

 ベルトに装着された、銀色の小道具から、冒険者じみた装いだと感じた。


 そんな彼女は今、屈めた身体を左右に振って、俺の顔色を忙しなく伺っていた。


「外に戻って来たって、あんたに言われちまったんですが……」


「あっはははぁ! そりゃあ、すまない。なにせ私は多くを語らないと気が済まないたちなのさ! おっや、謝罪と性格を示す言葉が上手い具合にマッチしたねぇ! あっはははぁ!」


 腹を抱えて高笑いをし、残る左手で俺の肩を力一杯に何度も叩き、そして肩を引き寄せてきた。


 否応にも感じてしまう、女の子特有の柔さと匂い。だが俺は喜ばない。むしろ、悲しくなる。


 少しだけ、ほんの少ーしだけ期待した自分に、悲しくなったのだ。

 横文字やら俺の言葉へツッコミを入れる様子から、少しだけ、似ている部分があると思った。


 だが、断言しよう。

 俺とは違う。性格というか、性質というか。

 

 彼女は人の気持ちに煩悶せずふざけ倒し、人目も憚らず笑い飛ばせる性格。


 一言で言おう。陽キャだ。陰キャである俺とは違う。


「てか、この子はどうするんだ? まだまだ諦める気ないみたいですけど。どんどん首締まってきてますけど……ッ!?」


「真っ直ぐ歩いてみ? そうすりゃすぐに解決するからさ」


「えあ、はぁ? どうして、それだけで……」


「ばぁーっかばかばか! ちょっと聞く前に考えれぇ! スーパー物知りお姉さんでも、頭を抱えるぞ、おいぃ! ほらほら、この子はなに!?」


 真偽を問うも考えたらずと叱られ、俺は頭を働かせる。


 なぜ前進が有効だになるのか。もしくは、前進がなぜ彼女を離せられるというのか。


 重ねた質問が助言になり、二つの問いの答えが脳裏に浮かび、俺は指を鳴らした。


「扉の子、だから? でも、さっきまで他の少女もこの子も歩いてたぞ?」


「あれは家の子だよ! 扉の子とは別人だ」


「なら、家の子はどこに……今は君を封じるため、扉の子に変わってるってことか……?」


 少女はその応答に満足したのだろう。

 白い歯を見せ、親指で人差し指を弾いたとき、ゆっくりと歩き出した。

 俺も後を追い、ゆっくりと歩を進める。一歩一歩進むごとに、背後で短い悲鳴が聞こえた。


「……ごめんな。それでも、俺は、何度でも言う俺は、スィエルじゃないんだよ」


「ーーなん、で」


「わからない。俺には、君の知る人と似る理由も、原理も、わからない。……否定しか、できない」


 首筋で組まれた手が離れ、肩に乗せられて爪を立てられる。

 痛みが走り、流血をも確信したが、構わず続けて、ーー直後、背後で小鐘が叩かれる音がした。


 視線で追えば、黒い光が彼女を周囲で舞う。


「なっ! おい、しっかりしろ! おい……おいっ!」

 

 地面に落下するのをすんでのところで、掬い上げるよう抱き抱える。

 見開かれた紫色の少女の瞳には、光も色もなかった。どんなに揺さぶっても、反応もなかった。


 無一色な表情から、人形を抱いていると思えてしまう。

 せめてと地面に降ろし、黒いワイシャツを掛け布団がわりにした。


 白シャツ一枚、時折吹く微風が寒いが仕方ない。


「んで、あんたは一体誰なんだ。なんで、助けたんだ? 自己紹介もまだだったはずだろ?」


 問題が片付き、ようやく本題へ入る。

 問題解決に一役を買ってくれたのは感謝している。だが、それはそれとして俺は彼女を怪しんでもいた。


 あまりにも、タイミングが良すぎる。

 まるでここまでを企て、助けて俺の懐に入る算段を立てていたと言われたほうが、納得できる。


 それほど、彼女の登場、救出には怪しさがあった。だからこそ、

 

 俺は問う。答えが分かりきった問いを。


 あんたは一体誰だ。ーー俺の知らない『別の誰か』に救われた人。

 なんで、助けたのか。ーー俺という『別の誰か』を救うため。再会を目で見て、喜び合うため。


 そんなところだろうと、見切りをつけ、目を伏せた数秒で諦めと適した言葉を探り、答えを待つ。


「そっりゃあ、もちろん。少年君! このスーパーお姉さんは君にこう聞きたいのさ! 君、カエルムだろう?」


 はい、案の定、決まりきった問いかけをいただきました。

 俺は勢いよく空気を肺にため、悲しいを覆い隠すよう、見せかけのハイテンションを作り出す。


「ーーっ! だから俺はぁ」


「やっぱり、違うんだね」


「へ?」


 だが、予想外の断定が、俺の否定よりも早く告げられた。

 目を大きく見開く俺。同調するようにカエルムとやらを知る彼女は、目を見開いて近づいてきた。


 目と鼻の先、よりも近く、目と目の先がくっつきかねない距離まで寄ってきた。

 交差する鼻や、わずかに開いた口から漏れた吐息で、俺は遅れて反応し、距離を取る。


「あっはぁーっあはあはっ! 初々しい反応だねぇ! まるで、初めの頃のカエルムを見ている気分だよぉっ! ま、最後はふっつーにあしらわれたんだけどねっ!」


「お、俺だって慣れればチョップであしらってやるよ……って、違くてっ! さっきの反応はなんだよっ!」


「んっと言うと?」


「違うってどういう意味だ!? お前はさっきカエルムか? って聞いたじゃないか! お前は俺が、カエルムってやつが思ったんじゃないのかっ!?」


 俺はこの数時間で、この異世界に存在する少女から口にされた名前は、こぞって俺と間違われてきた。


 だからこそ、目の前の少女が前もって否定されたことに驚かずにはいられない。

 なんで、『人違い』が発動されていない。なぜ、彼女だけが『人違い』をしない。


 する、しないの境界線はどこだ?

 する、しないと定めたものは、その理由は、と、疑問が溢れ出してくる。


 だが、それらから選別して、その二つを口にした俺に、少女はニヤニヤと、あからさまに冷やかすような笑みを浮かべた。


「あっれぇーっあれあれ? もしかしてぇ、この俺ちゃんまぁーた間違えられちゃうーって、思っちゃいましたぁー?」


「な、なんだろ……辱めを受けてる気分だ……っ! あぁ、そうだよ! そうですよっ! 俺は『人違い』に遭うだろうって思ったんだよっ! くそ、例外があるんかいっ!」


 口元に軽く曲げた手を添えて、こちらに指先ながら、閉じた白い歯から嘲笑が漏れ出していた。

 俺の顔がみるみる赤く染まり、我慢ならず吠えた。


 経験則が裏目に出てしまったと、今回は『人違い』を別の意味で恨んだ。

 例外があるなんて、思わなかったが、なら、その例外はどういうーー、


「んっや、その通りさ。私は君の言うとおり、君をカエルムだと思ってしまったし、今だってそう思っている。だが、違うんだろ?」


 だが、判明した事実に苦心する俺に、またも彼女は左右に首を振って否定した。

 思っていたのは、事実だと。だが、違うとわかっているのだと。


 ますます、俺の頭の中が疑問符で埋め尽くされた。

 なんで、今なお、カエルムという存在だと思っていながら、その思いを否定できるのかと。


「あ、あぁ……そう、だけど、なんでそう思えるんだよ……? 周りはみんなその認識を信じて疑わないのに、なんで、君はそう思ってくれるんだ……?」


「んっとね、最後にカエルムと別れる際に言われたのさ。『次に俺と会うことはない。会えたと思ったならそれは、別の誰かだ。仲良くしてやってくれ』ってね」


「……っ!」


 例外は、見え方や感じ方ではなく、見えて感じるものからの断りによるものだった。

 どうやら、カエルムという人物は、まるでこうなることが予想できたように、最後の別れに再会はないと告げていたようだ。


 俺は複雑な心境に陥る。


 確かに、最初は俺を慮るような言葉に有難いと思ってしまった。

 だが、彼女と彼女を作った、ある種の創造主との関係を思えば、そんなこと口が裂けても言えやしない。


 推測もできない事情も、思うのも憚れる心情や感情があったのだろう。


 彼、いやもしくは彼女が、どんな思いで、この少女に会わないと断言したのか。

 少女はどんな思いで、大切な人の言葉を受け入れ、その人に酷似した俺に相対しているのか。


 駆け巡る問いが自責の念へ変わり、目にも見えない心の水槽に、蛇口を際限なく捻られた水がとめどなく注がれてゆく。

 

 そのままじゃ溢れ出すか、水槽が砕け散ってしまうが、それぐらいはーー、


「いっやぁっ! カエルムも変わった趣味あるよねぇ! 他人のふりしてくれぇだなんてっ! 予想にもできないことするねぇっ! あっははぁっ!」


「は?」


 俺の喉奥から気の抜けた声が漏れた。

 なんだ? なんで言った? なんで笑ってる? 


 他人の、ふりだと? 変わった、趣味だって?


「けっこうあれこれやってたけど、今回は随分と変わった趣向だねぇ! どーいう効果があるの?」


「……っ!」


 奥歯を噛み締める。

 どうやら、例外はなかったようだ。


 なんで期待し、なんで心を痛め、なんでこうも手の上で踊られていたのか。


 彼女の創造主に非はない。

 ちゃんと伝えたのだろう。


 非があるとしたら、彼女に変わった行動と思わせた、あらゆることに手を出した行いだろう。

 だが、それも彼女の判断に非がある。


 そして、その非がまた、俺を俺とたらしめた。

 

 あぁ、俺はまた、間違いに遭った。

 人違いに、遭ったのだ。

 


「ねーぇっねぇねぇ! カエルムっ! こっから私はどーすればいいっ? 別人として接すればいいんだよねぇっ! ぁ、なら、カエルムじゃなかった! えっと、次の名前なんだっけ?」


「ーーッツ!」


 奥にある上と下、両方の歯に力が込められて、カリカリカリと軋む。

 だが、俺はその力を解き、ゆっくりと口を開いて空気を取り込んだ。


 鼻から取り込むときと異なり、腹が膨らむほど空気を入れて、苦しさを覚えると同時に吐き出す。


「うあああああああああああああああああ! くそっ、たれがぁああああああああああ」

 

 と、濁音まみれの絶叫を轟かせて。


「うぉっ、はははっ! すっげぇでっけぇ声だねっ!? どうしたの? 叫びたくなった?」


「あぁ、そうだよ……お前のせいでね!」


「そぉーっかそっかそっか、なら、すかっとしたかな?」


「するかっ! まだまだ心はドス黒いまんまじゃっ!」


「はっはははぁっ!」


 よく笑い、よく茶化す人? だとため息をつきながら、俺は微笑み手を差し伸べる。

 そうして、目をぱちくりさせる少女に俺はーー、


「俺は、空谷 新居吾だ。君は?」


 と、名を明かし、名を聞いた。

 彼女にとっては、カムエルが考えた偽名とでも思われているのだろうけれど。


「ーーマフォルだよ。はじめまして、って言ったほうが言ってておこうか?」


 彼女ーー、マフォルも白い歯を見せ、手を取り握手を交わしたのだった。

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