第3話 逃げて逃げて逃げてーーここどこ?
「はぁ……はぁ……っ! マジで死ぬ。冗談抜きで、酸欠で死んじまう……っ!」
一心不乱に動かした手と前進を続けた足を止められたのは、美少女との大量遭遇から体感時間一時間後のことだった。
今は、どの家よりも大きな真っ黒な柱めいた建造物に身を隠している。
漢字の三、の逆バージョン。真ん中の線が一番長く、上下の線が同等の長さで短い。
それを一本の串で貫いたようなモニュメントだ。
背中を押しつければ氷のようにひんやりとして、気を抜けば、滑って尻餅をつくほど滑らかな質感だった。
おそらく、この異世界における神聖ななにかなのだろう。
そんなものを壁にし、周囲を噴き出す汗と滴る唾液で汚す俺は、一番の罰当たりな野郎かもしれない。
だとしても、そうせざるを得ない。なにせーー、
「スィエルはどこに行ったのっ!?」
「さっき走る人影を見た! こっち!」
「すぐに捕まえてっ! あんな一方的な別れ方、私たちは許していないもんっ!」
「今度は絶対に離れないようにしなきゃっ!」
柱の向こう側、かつてあった住宅地帯を小柄な少女たちがきた走る音が響く。
聞こえる声は、一見大人気アイドルを追いかける少女たちみたいだ。
黄色い声にも聞こえる可憐な少女の声が、今は獲物を追い詰める猟犬の遠吠えのように聞こえる。
その愛らしさが、俺には何よりも恐ろしかった。
なにせ、彼女らは血眼になり、スィエルーー、に似た俺を探している。
俺の全身が急激な寒気を覚えたように、足から頭へと震えが登る。
捕まれば、きっともう否定する自由も与えられない。
彼女たちに雁字搦めにされ、望むことしかできなくさせられてしまう。
そんなのはごめんだ。
今まで窮屈を再三感じてきた人生だが、その少しの選択権をも取り上げられてしまっては、生きながら死んでいるのも同義。
「……対話は、はぁっ、望めない。なら、逃げながら、ぜぇっ、倉本たちに会わなきゃ……っ!」
揺れる肩や荒い呼吸から肉体がまだまだ休憩を必要だと訴えかけている。
だが、意思は今すぐにでもここから立ち去るべきだと決めた。
長居をすればそれだけ居場所がバレる確率は高まってしまう。
リスクを負ってでも、居場所を変えていくほうがいい。
「問題はぁ……はぁ、どこに逃げるか、だよなぁ……」
このモニュメントを見つけられたのは奇跡だ。
壁を背にして息を整えらようなど、少女たちからの逃避中じゃ、考えられなかった。
咄嗟の判断であれ、隠れ蓑を得られたのは大手柄。
こうして、少しでも頭を整理に次の行動を考えられたのだから。
「でも……変だよな。なんだって急にあんな女の子たちが現れた……?」
座り込み、息が穏やかになったとき、簡易的な状況整理と大雑把な目的を決めた頭に疑問が浮かぶ。
なにせ不自然な出会いだった。
緑色の少女は鍵のかかった家の所で倒れていたのだ。魔法的な遮断もあった家に変わるように、だ。
あまりにも不自然だ。彼女の傷も理解に苦しむが、少なくとも何かがあったとわかる。
強盗か、殺人か、強姦か。
どちらにせよ、なぜあんなところに倒れていて、あの家に接触してから視認できたのか。
ーーわからない。
軽く握った拳の人差し指に下顎を乗せ、俺は考えを巡らせる。
だが、徐々に眉間に皺が寄っていく。わからない、だけではない。
俺はどうもこういう推理や分析が苦手だ。
ごちゃごちゃ考えるより、行動して結果からどうするかを学ぶ質なのだ。
だがーー、いや、だからこそ、目の辺りにし、あの出来事を遭遇して、わかったことがある。
先の考え、どれも間違えだと思うのは、俺とスィエルと間違えた彼女の行動。
助けてとも、やっつけてとも言わなかった。
言えなかった、とも考えられる。
だが、大怪我を負って、負わせた相手がいるなら、いくら感動の再会をした相手とて、それを真っ先に話すのではないのか。
「まるで、誰かに見つけられるのを待っていたような……いや、あのタイミングで俺の前に『配置』されたような。そんな、台本じみた作為を感じてしまうんだよな……」
それを裏付けするように緑色の少女から逃げ、道を引き返した俺は何人もの少女に出会った。
少女に出会う前は、人一人も出会わなかったというのに、だ。
「あれがあったから……見えるというのか……?」
視界を白い光に塗りつぶされたから、少女を視覚できるようになった合図とでもいうのか。
「それに、だ……」
不思議に思う点はまだまだある。
俺は近くに転がる小石のいくつかを手に取り、似たような色の石を横に二列に並べる。
「同じ家があったところに、同じ色の少女がいた」
規則性があるように、全員が全員、同じ色の家に変わるように、髪色と瞳の色の少女がいた。
見間違えがあったかもしれないが、だが、大半の家は見ており、なんとなく覚えている。
大体の家の並びと、少女たちの並び一緒だった。
誰か一人でも違う色の家の場所にいれば、この可能性は浮かび上がらなかった。
どこか一つでも、家があったならこの考えはもっと他の考え方もあったやもしれない。
だが、緑色の少女から出会ってきた少女たちの規則性。
どうして見えたのだとか、見えなかった理由は今のところわからない。
でも、わかったこととして、俺は並べた小石の色が等しいものを重ねて呟く。
「きっと……この異世界には人はいないんだ」
思い至った結論を呟き、口の中がコーヒー以上の、泥水を啜ったような苦々しさを覚える。
きっとこの事実を、俺が認めたくないのだ。
夢見た異世界で、『人違い体質』は健在で、人違いをする相手は、人ではない存在だなんて。
だが、脳内で否定が浮かぶほど、相反するように確信は強まっていく。
だから、思考の限界からか痛む目をぎゅっと瞑り、ゆっくりと口にする。
「きっとこの異世界は……モノが擬人化できるんだ。あの少女たちは、あの色鮮やかな家そのものなんだ」
擬人化。
元いた世界のキャラコンテンツの一つで、俺自身、その系統の美少女キャラを好きになったこともある。
だが、この異世界での出会い方は最悪すぎる。
「せめて、はじめましてができるようにしようよ……初対面の印象は大事だよ……」
項垂れながら、ようやく落ち着きを取り戻したと形だけのユーモアを保ちながら嘆く。
できるなら、誤解でした。はじめまして、これからよろしく。と始められたらとよかったのに。
誤解は解けず、何人もの少女、何棟もの家の擬人ならぬ擬女たちに追い回されてしまった。
「まずは逃げ道の経路だ。同じ道は進めない。家である女の子と鉢合わせる可能性があるし……」
ともかくと、座り込んだ膝を叩き、辺りを見回す。
それだけでも何十人の少女の姿を目視できるが、使えそうな逃げ道はなかなか見つからない。
まぁ、家がごった返したところで、家が少女になるのなら、逃げ道になり得そうな場所など見つける方が難しいと思って、
「ーー待て」
俺は声にして思考の流れを止めた。
どんでもない予感が、今後の予定を立てる考えの中に潜り込んできたのだ。
「擬人、化が家だけに留まるのか……?」
こぼした疑問が体温を急激に下げ、サーッという血の流れが首筋から感じられた。
「いやいや、いやいやいや、まさかまさか、まさか、ねぇ……?」
巡らせる思考は確信を強める。
ない。お前が会ってないだけ。視認してないだけ。頭に入ってないだけだろうと。
先んじて、断定しようとする考えを潰されていく。
ならば、ここにある代物全てが人となる。
限界だと思えば、道路や空、海くらいか。
から、それ以外のものはまとめて人となれるものでありーー、
「まさか……背にしたこれも……っ!?」
口内の唾液が一気に溢れ出す。
だというのに、喉の奥は薄皮が渇いて剥がれ落ちそうなほど乾いている。
ゆっくりと背にしていたものへ顔を向けて、その真偽を確かめた。
どれほど断定的で、どれほど否定できない状況でも、真実を見ずには決められないと、
「だ、大丈夫ですかぁ……?」
真っ直ぐに削られた黒曜石めいた真っ黒なモニュメントはなかった。
代わりに少女が一人現れた。
上から下まで、何から何まで真っ黒な少女だった。
頭に被ったウェディングベールめいたヘソの上まである被り物も、前も後ろもそれ以上に長い髪も黒。
重たげで今にも閉ざされそうな瞳も、袖も裾も長く身体の輪郭が薄ら見える特徴的なドレスも黒。全てが黒なのだ。
確信に太鼓判を押された気分になりながら、それでも、平静を装う。
いつ変わったのか。変わる兆候の光はないのかとか、思い浮かぶ愚痴めいた疑問を抑えてーー、
「い、いやぁ、ちょっとした立ちくらみだよ。で、でも大丈夫。ありがとうお嬢さん、俺はーー」
「タイヴァス様ぁ……ですよねぇ……?」
ベールが前にありながら、全く隠れていない瞳の輝き。
どう見ても頬が赤らんで、口の端から笑みがこぼれ出てしまっていて。
なんちゃってシスターな格好をした少女は、俺の確信をものの見事に再現してみせた。
きっとこれは擬人化しうるもので、擬人化した存在は俺に『人違い』をすると。
俺は少し思考を休ませて、すっと息を短くたくさん吸い込むとーー、
「って誰ェッ!? ちっとも掠ってじゃんッ! 『スィエル』ですらねぇのかよッ! 増やすなよバリエーションをォッ! てか、どこをどう見たら、様付けされるようなやつに間違えられるんだァッ! 俺は空谷 新居吾なのッ! そんなやつ知るかぁああァッ!」
「ぇ、ああっ!」
絶叫。して、逃走。
まただ。またしても、『人違い』にあった。
そうして曇り腐る心境も、もはや慣れたものだ。その変化すら、心地よく思えるほどに。
結局のところ、俺はこの『体質』を切り離すことはできないようだと、諦めて俺は喉奥で出かかった呻きを引っ込める。
ここ一番精神的に痛んだのだろうか。
思わず胸元に手を添え、目を強く瞑りながら、曲がり角を曲がる。
逃げ道など考えもしなかった。
どこだっていい。逃げて、逃げて、逃げ続ければそれでいい。
誰に見つかろうが、そうすれば、
「待って! スィエル様!」
「次はそっちか、ぃいっ!?」
関係ないと曲がった先で、胸にぶつかる衝撃と聞き覚えのある別人の名前に目を開く。
見下げれば、紫色のお下げ髪に紫色のロングスカートを着た少女が抱きしめていた。
花畑で無邪気に走り回る絵が容易く想像できそうな少女が、だ。
悪質な再放送か、あるいは神様が服のデザインでもサボったのか。
だが、その時点で怪しみ、危ぶみ、離れるべきだった。
「扉」
「ーーんぁ?」
あの緑色の少女も何かを仕掛けようとしたではないか。
俺が何度も否定し、俺がスィエルと名乗り、再会を喜ばなかったことに業を煮やした彼女が。
だが、捕まえられず逃げた。それが知られたから、周囲の少女が捜索を始めたのだ。
なら次、捕まえることができたなら、相手は手段を選ばず逃げ道を封じるだろうと。
「なに、が、起きた……!?」
今の自分のように。理解などさせまいと。




