第20話 間違われる俺が、正しく俺だと言えるもの
「……ぁ」
胸の真ん中を鋭く突く痛み。
ピンポイントで心臓目掛けて拳で殴られた痛みに、遅れて気がついた。
「ぅ……ぇあっ!」
口から漏れた赤い血溜まり。込み上げる衝動を抑えられない。
あれだけ必死に恐怖に抗い、今やなんなく戦えるようになった。そう思っていた。
だが、キョーガは自身の『魔力』の意図しない特徴から弱点を見透かされた直後に、あの姿を現したのだ。
最後の奥の手、切り札のように。
あの人の身とは思えない、細い黒い線に、血走る目玉に酷似した音と色彩、形状をした黒い球体。
「ぇっほ、ごっ、ぅう……っ!」
押さえられない衝動はまるで、壊れた防波堤をなおも叩く、荒れ狂った海。
次から次へと、背中に迸る痛みと共に喉奥伝って、赤黒い体液が排出されてゆくのだ。
黒い線が折れ、その先がこちらに向いたのを見たときには、胸元を貫かれていた。
針に糸を素早く通す、職人技めいた一撃だ。
『ニ……くんッ! だい、ょうか……っ!?』
胸の奥、心を響かせて会話をし、一心同体となって戦っていたマフォルの声がよく聞こえない。
耳の奥からもキーンと耳鳴りが響いている。
視界も断続的に黒く染まり、元に戻るものの端から徐々に砂嵐のような模様が見える。
視界不良に、聴力不調。それを客観視している、普段よりも遅く流れる思考。
確実に、命が終わりへと向かっていた。だってそうだろう。キョーガは確実に心臓をーー。
「あ、っぇ……っ!?」
貫いたと見下ろしたが、今も痛む左胸は血で赤く染まっているどころか、傷口一つない。
「ーーっ! う、そだ。どこにも……傷一つないっ!? な、なんで……っ!?」
黒いワイシャツのボタンを剥ぐように外し、白い長袖シャツをめくって胸元を確認する。
それでも、血に濡れてなくて、傷口も無い。
今までの痛みは錯覚で、あの衝撃も身体の不調も、重度の思い込みによる症状なのか。
だが、確かに目にし、確かに全身が痛みと衝撃に襲われたのだ。
今だって、全身の内部からあらゆる臓腑や肉を爆ぜる勢いで叩かれた痛みがこだましている。
それが、全部、気のせいだったというのか。
「言ッたロう? 俺ハ『否認者』だ。其レをも『否認』サせル位、お茶の子さイさイさァ」
「そ、んなこと、まで……っ!?」
ありえない、と言いかけて、思い出す。
貫かれた直後、キョーガは呟いていた。
認めない。否、『認め否』と。
口ぶりからまるで、認めないことを強制するよう、働きかけているみたいだ。
「イいネ。君は実ニ頭の働キが速クて、話シ易い。君ノ考えタ通りダよ」
「だ、けど……っ! じゃあさっき本当に心臓を貫いて、異世界に否認させて、その事実を何もかも無くしたっていうのか……っ!? そんなこと……」
「ーー信ジらレなイ? なラ、体感すル方が速クて確実ダ。そレに」
ーーまた、あの姿へと変わった。
一瞬にして、思考全てがごっそりと刈り取られ、身体が硬直し、頭と身体の動きを封じられる。
意図せず無抵抗になってしまった俺ができたのは、どこから発しているのかもわからない声を聞きーー、
「ーーんゔっ!?」
「閃キはヤや不正解ダ。もウ一度、改めテ考えゴらン。『認め否』」
直後に襲われる痛みに耐えることだけだった。
「ぶぇ……っほ、っ! かっ……ぅえぁっ!」
やはり、痛い。激痛だ。吐血する。二、三度と続く咳とともに。
胸の鋭い痛みだけではなく、全身へ刹那のうちに行き渡る衝撃だけでも、意識を飛ばしてしまいそうだ。
衝撃の残響だけでも、内部が焼けているのではと思わせる熱さを伴っている。
鋭い痛みも二度目も健在。
瞬時に驚愕し、一瞬にして死を察せられるほどの威力だった。
一度目で味わった視界と聴力の不調、そこに四肢の痺れが加わって俺はそのまま地面に突っ伏す。
俺は目を落とし、胸元を食い入るように見つめる。だが、やはり失血は無く、傷跡もない。
『認識』による、攻撃という事実を『否認』された。
攻撃が無かったことになった、というべきなのだろうか。
頭の中で固まりかけた考えが引っかかる。そして、次第に疑念が強まり、確証へ変わった。
「確かに……『否認』はされた。けど、攻撃全てが無くなったわけじゃない……っ! わざとなのか……? わざと遅くして、痛みや衝撃を覚えさせて、吐血させているのか……っ!?」
『イいヤ、わザとジゃナいヨ。利用しテいルけドね。俺の『否認』は異世界ノ認識だ。攻撃ヲ受けタ者の認識まデは変エらレなイ』
「傷や出血は、この異世界の認識って? まだ、肉体の衝撃と、それに伴う肉体や五感の不調はそれで説明つくだろうよ。でも、吐血は?」
「吐血、モそウだト言ったら?」
「嘘つけよ。吐血は内臓の出血によるものだろ。だったら、傷と出血と同じだ。普通なら出ないじゃないか? もしくは、ズレでもあるのか?」
「ゴ名答と、言ッてオこウかァッ!?」
「ーーッ!」
睨んだ通り、『否認』にはズレがあり、異世界に『否認』させるまでの時間が、吐血してしまう原因になっていた。
だが、それを喜べる猶予は与えられなかった。
再び姿を変え、いつしか胸を突き刺す痛みに俺は目を剥き、身体をくの字に曲げる。
通算、三回目になる刺突だが、一向になれない。
当然か。心臓を貫かれる痛みをなれるなど、そもそも、人には出来ないはずだ。
一度でも心臓を貫かれれば人は絶命する。
それこそ、使われた凶器の刃物が細かったり、処置が早かったりで命辛々助かるケースもあるだろう。
だが、それで慣れることなどできない。そんな奇跡を積み重ね、経験を重ねたって、トラウマにるくらいだろう。
故に、俺は覚えのある衝撃、痛み、押さえの効かない吐血、身体的不調を今一度経験する。
かろうじて地面に倒れなかったが、それでも、反撃どころか、まともにキョーガを見据えることもできない。
「ンで、俺ガわザわザ攻撃を教エる真似ヲしテいルか、分カるカ?」
だが、頭上に降ったのは意外にも追撃では無く、問いかけだった。
俺はキョーガに目的があるのだと思いながら、働かない頭で浮かんだ言葉を口にする。
「きょ、ぅしゃ……ぉ、よゆう?」
「違ウな。ダっタら、今コうシて、話シてイるノが不自然ダ。手の内ガばレたンだ。モう手ハ抜けナいダろ?」
「そう、ぅは見え、ね……けど」
「カもナ。ダが、俺ハ違う。俺ハ此の戦イの勝チ負けナんテ、どウでモいイ」
震えてまともに動けない俺の前に、キョーガは手を差し伸べた。
今戦っている立場として、不自然な行動に思えた。
「俺ノ仲間にナれ。ソうスれば、望ンだ普通ヲ得らレるンだ。其ニ此処は俺タちノ世界じャなイんダ。心を苦シめル必要なンかナい」
「断るって言ってんだよ……ッ! ゔぁっ!?」
「ナら、攻撃ヲ繰り返スだケだ。オ前の選択肢ハ二つニ一つダ。『認め否」
「ぅ……えい、れろ……ぇかっ!?」
「其レ以外にオ前の生キる術ハない」
強引で強制的な選択肢。俺は仲間になるつもりはないが、ならなければまたあの一撃を喰らう。
だが、喰らったところでまた奴は『否認』を行使する。
痛みや衝撃に気を遠くさせるけれど、歯を食いしばり耐えれば、なんとかやり切れる。
問題は耐久戦がどこまで続けられるか。
主導権はキョーガにある。
今は俺を同士と見ているが、いつまで同志と思ってくれるかが問題ーー、
「……っ!」
だと、気を確かに持とうとした途端、視線がぐらついた。
片膝をつき、重ねた息が肩を弾ませるほど荒くなっている。
「出血多量。今ノ君の死因ニ成り得ルだロうナ。ドうスる? 死ヌんダぞ。昨日今日ヤっテきタ異世界にソこマで執着スる理由ハなイだロう?」
「……ぃや、だ。ぜっ、たいに、……あき、らめる、か……っ!」
下向きに、左右に揺れる視線。重ねても苦しむ息。軋む身体。決意を揺らす、黒ずむ意思。
それらを一切合切無視できる。というには、やや意識が引っ張られている気がする。
だが、唯一曲げられないものがある。
俺が俺であるもの。人違いに遭い、誰も彼もが俺を間違っても、正しく俺と言えるものがある。
「ーー俺が、望んだ異世界だ。人違いが健在だろうと、関係ない。望んだんだ。だから、人違いを解決できようと、異世界は壊させない」
「……ソうカい。残念ダ。俺は仲間ニ成れルと思ッてイたノに。同士ヲ手にカけネなケれバ、ナらナいナんてナ」
決意と決意が互いに定められた。
改めて固めた決意と、止むなく抱いた決意が。
俺と、キョーガの決意が。
仲間になろうと歩み寄って手を払われて、仲間になってくれと歩み寄られて手を振り払った。
結局は、ここに戻ってきてしまった。
相容れない。だから、戦わなければならない立ち位置に。
だが、言いたいことは言えた。すっきりしている。俺の肉体や心はまだ軋んで、痛むけれど。
「今此処デ、仲間にナらナいナら、殺すヨ」
「殺してみろ。絶対に仲間になんてなるもんかッ!」
俺は吠えた。声高らかに。再度告げられた脅しには屈したくはないと。
屈するくらいならば、命を捨てて戦ってやると。
ふうっ、と息を吐く声が聞こえた。
キョーガの吐息。それが、最後を語り、戦いを再開する合図となる。
「『認め否』」
「ーーっ!」
姿の急変を確認しつつ、俺は大きく右に回り、キョーガに遠回りをしながら、接近する。
黒い閃光が周囲を眩ませ、光線が放たれる。
十回にも及ぶ心臓を穿った一撃は、マフォルの機転で俺が放った光線と似て非なる代物だった。
相手のものは出力がそこそこで、速度が桁違いの攻撃。
光線と光線をぶつけ合えばなんとかとも思ったが、まずそれが不可能。
なにはともあれ接近を。あの攻撃を今背にできているのは行幸だ。今はその好機を逃すわけにはいかない。
「マフォルッ! 魔力をッ!」
確実な一撃を叩きつけるためと、俺は一つとなった仲間であるマフォルに呼びかけた。
「『全員、彼を守れ』」
直後、俺の鼓動とは違う脈拍が胸元からこだまして、全身を包み、キョーガにも伝播し、周囲へと広がっていった。
誰でもない。マフォルの声だ。
だが、この感覚、言葉が広範囲に広がる音波に変わる力はまるで、ティアラの『王権』に似ていた。
「な、なにを……っ!」
思わず足を止め、穿つ轟音が耳裏まで迫った。
はっとして目の端に捉えたときには、すでに遅く。
「『扉』ッ!」
次には、視界が変化した。
見覚えのある、あの紫統一の部屋に俺はいた。
「な、なにが……っ!?」
『大人しくしてッ! 今から逃げるからッ!』
部屋全体から発せられた大音量の静止。
聞き覚えのある声音。やはりあの紫色の家の少女だ。
「ど、どういうーーちょ、う、わわぁっ!?」
状況整理をさせてくれない異変が俺を襲う。
部屋全体の振動。遅れてそれが、少女の全力疾走によるものと、荒い彼女の吐息で理解する。
大体だが、マフォルの指示で魔導具の少女たちが俺を守ってくれているのだと、察せられた。
「ーーがっ!?」
ようやく理解が追いついたとき、またも理解し難い状況に追いやられる。
目の前に地面があった。着地もできず顔を打ち付け、顔で直立したのちに、背中を地面に叩きつけた。
思考が少し鈍り、すぐさま疑問が溢れ、少しずつ理解できる情報を視覚や聴覚から拾い集める。
荒い息に紛れる苦鳴。視界右側に映る、突っ伏した紫色の少女。それを見下げるキョーガ。
少女はキョーガに致命傷を受け、俺を止む無く脱出させた。
「キョーーッツ!」
体温で火を起こせそうなほど上昇させる怒りを怒号として発した。だがそれはまたも、かき消される。
「起きてッ! パンドラッ! 仲良しな皆だけを食べてぇッ!」
腹の向こう側が見えるほど大きなひび割れを手で押さえた紫色の少女の叫び声に。
そしてーー、
「あああああい、あああああむっ!」
地面から突如現れた、大きな口に咀嚼されて。




