第1話 目覚めの衝撃と再会した誰か
打撃にも稲妻にも似た衝撃が走る。
脳を直接掴んで振り回されるような振動と、頭蓋骨に反響する鋭い金属音。
か細い声が漏れると同時に、俺の瞼はいつの間にか開いていた。
視界は揺れ、しばらく焦点が合わない。
重なりを失った真っ白な視界が、万華鏡のように左右反対にぐるぐると回り出していた。
思考がゆっくりと動き出すと、キーンと鳴り響く金属音は次第に小さくなっていった。
白く二つに分かれた揺れる景色は次第に重なり、見慣れぬ景色を映した。
ザ・童話と形容したくなるような、色とりどりのレンガ造りの家々。
その合間を縫って、表面を滑らかに磨いた飴細工のようなタイル道が、まるで川の流れのようにゆるやかな弧を描いて続いていた。
その色鮮やかな景色の突き当たり、街を見守るようにそびえ立っていたのは、陽光を跳ね返すほどに純白な、気高くも美しい城だった。
ふと、足元へ落とせば、見慣れていた服装が目に入る。
黒の半袖ワイシャツの下に白の長袖シャツ、灰色のジーパン。いつも通りの服装が。
一瞬にして思考は理解する。
都合がいいような判断かもしれない。
だが、それでもいい。そうとしか思えない。
それしかない。
これは、この世界は、この世界こそは、
俺たちが求めた異世界だ。
「やった! 異世界に来たぁーっ!」
念願の異世界。よく見る物語が、今目の前にある。ラノベ好きの俺はすでにハイテンションだった。
人目も憚らず叫び、握りしめた拳を上下に振って、その場で飛び回った。
今までの人生で今が一番だと思えるほど、身に余る喜びを噛み締める。
想像よりも色鮮やかなこの異世界に、想像よりもずっと胸がときめいていたのだ。
「お、おい! みんなっ! 着いたぞ! 俺たちの目的の異世界にだっ! 街にいるっ! みんなーー」
すぐさま耳に手を当て、興奮冷めやらぬまま声を張り上げる。
きっと友達もこの事実に喜んでいるはずだ。
大郷は無論、大喜びなはずで、笹下ももしかしたら涙を浮かべるほど、嬉しくなっているかもしれない。
なんだかんだ、倉本がいつもの調子のままでいるのが想像がつく。
もしかしたら、俺が一番はしゃいでいるかも。
それくらい、今は語りたい。
喜んで、喜びを共有したい。
今すぐに、彼らと望んだ異世界で会いたい。
「ぁ……」
しかし、途中で気づく。
耳元から声が聞こえない。
無音、誰も何も声を発さない、訳ではない。
砂嵐めいた音が流れるばかり。
イヤホンジャックの故障、と考えるよりもーー、
「圏外……か」
スマホを取り出して、確信は強まる。
異世界に電波などあるはずがない。スマホが繋がるわけがなく、電話なんてもってのほか。
これが異世界の洗礼か。
ただ一人、召喚者も不在。
持ち物も使えないスマホとワイヤレスイヤホンのみ。
本当に、嘘みたいだ。
さっきまで鼓膜を震わせていた親友たちの笑い声は、今ではノイズ混じりの静寂に塗りつぶされている。
届くはずのない電波を探すように、イヤホンはただ虚しく、冷たい沈黙を流し続けていた。
「いやいや……これこそ異世界さ! こんな幻想的な世界で、スマホが使える方がノイズだ!」
込み上げてくる目元を寄せさせる思いを納得させる。むしろ、大満足だと手を叩いて、
「こっからだ! こっから始まるんだ! 俺の異世界がここから始まるんだ! 合流を目指しながら、この世界を堪能するんだぁ!」
元気を振り絞り、拳を突き上げる。
俺は吸い付くようなタイルの感触を足裏で噛み締めた。
一歩踏み出すごとに、その場所から足を離すことを惜しむように。
ザラメを撒いたような、硬質でざらついた感触。……いや、磨かれた砂糖の結晶を踏みしめているような感覚だ。
色彩や見てくれも相まって、舌から甘さを感じてきた。よだれまで出てくる始末だ。
異世界の空気を肺いっぱいに吸ってみる。
空気は意外と甘さはなく、どこからか塩の匂いを感じる。どこかに海でもあるのだろうか。
海は透明感ある青なのか、別の色なのか。
どんな魚がいるのか、海藻物はどんな形をしているのか。ぜひ、行ってみたい。
なんて、妄想を膨らませながら、俺は歩みを続けた。望んだ友達を、いるはずの住人を。
「いるはず……なんだけど……」
気付けばずっと下向きの目に映るのは、無数の汗の後。
尋常な滴りように、肩を揺らす呼吸もゼーゼーという過呼吸ぎみなものに変わっている。
おかしい。絶対におかしいと俺はスマホを徐に取り出した。
圏外といえど相変わらず、でかでかと表示される時間は動いている。
この世界でも一秒が同じ長さなのだとしたら、と不吉な予感を抱きながら、元の世界基準の時間を確かめた。
自身が歩き出して、何分が経ったのかと。
「ーーはぁっ!? も、もう歩き出して一時間経ってんのっ!? う、うそっ!? 俺だって、え! えぇえっ!?」
自分の目が信じられなかった。
だが、軋む胸と一向に落ち着くことない発汗が否応なく思い知らされる。
お前は一時間、誰もいない街を歩き続けたのだとーー。
「う、嘘だろ……異世界だぞ。これが夢見た異世界だっていうのかよ……っ、もはや夢であってくれって思い始めてきたぞ……っ!」
ひりつく顎を手の甲で拭い、汗を拭き取りながら視線を左右に巡らす。
俺は何回やったのだろうか。もはや何も期待はない。
だが、出来るならばこの普遍的な景色を変えて欲しい。
気持ちと対立するような願いを込めたときだ。
ボガンッツ!
「ーーっ!?」
突如の炸裂音に、俺の肩が揺れた。
行動ではなく、反応として視線が動き、異変を目の当たりにする。
「なんだ、あの煙は……?」
思い浮かぶのは、先の爆音。
火災か? だが、複数の家をノックしてお邪魔したとき、火事になるようなものはなかった。
人もいなければ、コンロもない。
寝具と棚と、服を入れる用のタンスがあったくらい。
タンスは空っぽ、他の家具も新品同様で人が使った形跡はまるでなかった。
だからこそ、あんなボヤ騒ぎが起きるだなんて思わなかった。
だからか、俺の思考は別の予想を考え出す。
火の不始末でないのなら、黒い煙を発する火などの投下なのかもしれない。
なんであれ、なんの考えもなく近づくべきではないだろう。
色々と考えた思考は最終的に身の安全を優先するよう、鼓動を高鳴らせて警告した。
離れるべきだと、思考は結論づいている。
だが、相反する気持ちが思考を押し留め、ついには勝る。
「行くしか……ない、よな……避けてもまた途方もなく歩くだけだもんな……」
虎穴に入らずんば虎子を得ず。荒事に首を突っ込まねば進展はないはずだ。
意を決して、煙立つ家の先へ。
不安の色が歩を進めるたびに強まっていき、煙の発生源を見て確信した。
嫌な予感は、実現しやすいのだと。
緑色の一軒家。その屋根や窓、壁から三つ黒い煙が立ち上がっていたのだ。
心臓が忙しなくなるが、迷うことなく俺はドアに飛びつき、ドアノブを捻る。がーー、
「は!? あ、あかない! なんでッ!? 今までの家はなんなく開いていたのにっ!」
なぜ、この家だけ開かないのか。
鍵がかかっているわけではないようだ。扉はわずかに前へ動く。
だが、動きはわずかですぐに止まってしまう。
火災でドアが歪んだか? そんなことがあるはずがない。なら、どうして、ドアが開かない?
「クソ……! なら、窓からッ!」
火の手が上がっているが、俺は迷いなく走って飛び込み、砕け散った窓に背をぶつけーー、
「ぐっ……! ぇあ?」
光線銃にも似た甲高い音が轟き、透明な波紋が広がって、俺の体が弧を描き、跳ね返した。
それを、地面に叩きつけられた後で思い知る。だが、信じられなかった。
なにせ、壊す覚悟で身をぶつけたのに、だ。
それはまるでーー、
「魔法……か? だとしても、なんで今なんだ……っ!? 俺は、そこにいるはずの人を……ッ!」
邪魔立てする不条理に怒りを抱き、拳を打ちつける。
透明な波紋が、なおも殴打の数だけ拳を跳ね返そうとも。
「……ぅ」
「ーーっ!? ぅ、あ!」
闇雲な手段を続けていた、その直後だった。
小さな呻き声が、俺の鼓膜を震わせ、追いかけるようにやってきた白光に、視界が塗り潰される。
目の内側が焼ける感覚に両目を抑え、何度も何度も瞬きを繰り返す。
そうして、ゆっくりと白みがかった視界がゆっくりと色を取り戻し、俺は目撃する。
緑色の少女が倒れている姿を。
膝を折り畳んでおり、座った状態で後ろに倒れたような倒れ方だった。
髪や瞳だけでなく、腕やお腹付近がズタズタになった長袖の服も、少し濃い色調の長袖のスカートも緑だ。
加えて彼女の服が裂けた箇所にある傷口からは、血が流れる代わりに、不気味な黒い煙が静かに噴き出していた。
痛々しい見た目。そんな少女の震えに、聞いてしまった呻き。
どれ一つとっても、一刻を争う事態だ。
「おい! 君! 大丈夫かッ!?」
俺は状況を理解しようとする思考を押し除け、彼女へと駆け寄り、肩を揺さぶった。
黒い汚れに、煙を上げる肩を掴み、必死に声をかける。だが、煙を触れても熱さはない。
これもまた、魔法的な、超常的な何かなのか。
見た目は、高校三年の俺よりも一回りも二回りも若い少女。
元いた世界なら小学三年生ほどの、幼女だろう。
そんな子が大怪我を負い、傷を負うほどの喧騒に巻き込まれているのなら、今すぐに無事を確かめて退避をーー、
「……ぅ」
再び唇からこぼれた、か細い呻き。
震える睫毛に導かれるようにして、ゆっくりと瞼が持ち上がった。
髪の色や服の色よりも、透明感のある緑色の瞳がこちらを見つめた。
「ぁ……」
「よかった……っ! 無事か!?」
深く深く安堵のため息を溢し、俺は怪我がないのかと確認を取る。
「ーー」
「え、えと、状況がわかってないよな……? なんというか……ヤバい状況なんだ! と、とりあえずここから俺と離れよう! 動けるか? 動けないなら、俺がーー」
言葉もなく、目を大きく見開く少女。おそらく、突然の事態に困惑しているのだろう。
どうにか話をつけて、一緒に逃げてもらおう、そうして俺は説明する言葉が途切れた。
どんっ、と体を揺らす衝撃によって。
身体を柔らかく締め付ける感覚。
胸元で揺れる、鼓動にも似た振動。
今の今まで鼻腔を苛まれていた焦げ臭さに加わった、花の蜜のような優しい甘い匂い。
ゆっくりと視線を落とせば、足先が少女の頭のてっぺんで隠れていた。
つまり、隠れるほど近づいていて、彼女の両腕は俺の後ろに伸ばされていてーー、
胸と胸が重なっている。つまり、ハグ。抱擁。抱きしめられてる。抱きしめてられているッ!?
「は……、へぇ……あっ!?」
「やった……やっと、やっと……会えた……っ!」
わ、わからない。
なんで、こんな状況になっているのか。
てか、やっと会えた? 俺、初対面ですけど!?
瞼をぴくつかせる俺を見据える彼女の瞳の端には涙が溢れていた。
感動、している。再会を涙するほどに喜んでいるのだ。
あれ、これ、なんか、俺知ってるぞ。この感覚、この、嫌な感覚はーーッ!
「え、えと、ですね。自己紹介しましょうか、俺ぇっ!?」
「やぁっと会えたぁっ! スィエルにぃいっ!」
「はぁあああっ!?」
絶叫。抱き寄せる力を強めて、彼女は感動を呼ぶ者の名を呼んで大いに喜んでいた。
その涙に、身に覚えのない温もりに、言いようのない忌々しさが込み上げる。
ーーああ、これだ。俺の人生を何度も台無しにしてきた、あの最悪の『人違い』だ。




