第18話 『異世界の特殊認識・誤認と否認』
恐怖。あぁ、恐怖だ。恐怖に恐怖し、恐怖は恐怖が恐怖と恐怖した。恐怖、恐怖恐怖、恐怖。
目の中心に入り恐怖し、目の端でも恐怖した。
あの真っ黒なシルエットを、モヤモヤと左右に揺れる黒いモヤを。
何者かわからない。いや、何者なのかもわからない。わかって良いわけがないと、全てが拒絶するようだった。
どういう姿かわからない。姿が視認できない。だが、視認したくない思いも増幅し、目にすることも、目から分かろうとしたくもなかった。
「ぁ……っ! ーーっ!」
口の端から言葉が漏れ、だが、次には口の中にある歯が唇を噛むほど、口を結んで離さない。
恐怖から漏れた言葉。恐怖のあまりに漏れてしまった言葉。だが、今はなにを言うのも、声を発するのも怖い。
あの身の毛もよだつ存在が、こちらの声に反応するのも、恐怖した。
なにに気づき、なにを思い、なにを発するのか、そんな姿を想像するだけで、心臓も臓腑も血管もなにもかもが凍りつく思いをした。
もうなにも喋りたくない。できれば吐息すらしたくない。そして、もう二度と聞きたくない。
あの、男の声と女の声が交互に発したみたいな、だけれど低く暗く発すること強いられているような、陰鬱になるような、あの声を。
「……っ!」
見たくない、聞きたくない、発したくない、感じたくない、忌避感。
だが、自身のなかにある矜持や意地で、それを次第を押さえつけていく。
できないわけではない。できるはずだ。そして、それはできなければならない。
きっとここで現れるとすれば、あの『獣魔縫包』をけしかけた存在だ。怖い。
だとすれば、ここで暴動することがはずだ。魔導具少女たちを手籠にするために、大暴れするのやもしれない。嫌だ。
もしかしたら、単なる破壊衝動を満たすためやもしれない。泣きたい。
イタズラに命を奪われ、彼女らが壊されることをよしとするのか。立ち去りたい。
「言ぃ、わけ、な、ぃ……」
歯の震えが止まらず、舌と喉奥が痛くて、水を必要とするほど、乾燥していた。
だが、発した。発して、臆して震える心に弱々しく消えかけの決意を宿す。
一歩ずつ、歩き出す。
足は震え、ときおり、足裏が地を踏み締めるのを拒み、横を向くのを矯正しながら、距離を詰めた。
「ーーっ!」
恐怖が色濃くなる。強まっていく恐怖が。
靄はより鮮烈な黒を宿し、渦巻く靄に包まれたシルエットは人型だが、時折り歪に形を変える。
肩口から黒の闇が二つ吹き出して、上下に揺れたかと思えば肩口におさまってゆく。
顔が二つに割れて、上部が向こう側に消えたかと思えば、パカパカと箱のように動き、開き分けれた下部とくっつき、切断面が嘘のように消える。
腕には無数の触手が腕から出たり入ったりを繰り返し、時折り全身に巻きつこうとする。
それを足から現れた口だけの何かが咆哮を上げて殲滅、鎮静を繰り返す。
「……ぃっ!」
して、1番の恐怖が駆り立てられた。
次には、そのシルエットが消え、新たな姿を見せつけてきた。
無数の口や触手でも、切断したものの姿でも、元の人の姿でもない。
それらすらない。これをなんだと一言では言い表せない。形容し難いシルエットだ。
一本の黒い針めいた細い胴体らしきものに、黒く小さな球。
絵で表すのが容易いそれが、時折り素早く位置を変える球によって真っ直ぐにある針が、曲がり歪む。
ギョロギョロと音を立てるそれは、まるで目玉だ。そう思って、その思いを抱いてしまって、俺は考えなく目を凝らしてしまう。
「……ぅ、あっ!」
見てしまった。見てはならなかったそれを。見ないでいたほうが、幸せだったそれを。
黒い球は、休憩を形作る黒よりもドス黒い線が中で無数に走っていた。
まるで、血走った目の線のように。
これはこちらを見つめ、それは憎悪のように見えた。
「……っ!」
呻き声しか発せず、目を見開き、表情を険しくするしかなかった。
「悲シい、ナぁ……」
「ーーっ!」
「初メまシて、ナのニな」
その靄の存在は、本当に悲しげだった。
男の声も、女の声も、更に声音を低めて、悲しさげに言葉を吐き、啜り泣くような声も漏らす。
両手を顔の部分に持っていき、泣くようなポーズをとっていた。
だが、その一瞬、あの線と球が姿を見せて、その茶目っ気のある仕草がすぐに恐怖を抱く動作へと変わる。
「……っ、ご」
「ゴ?」
「ごめん……」
「ぷッ、あハはハはハはハッつ!」
思わず、怖さを必死に抑え込み、頭を下げると、頭部を上に向けて高笑いを始めた。
タイミングよく頭部が割れ、高笑いをすると同時に上部が下部と分かれ、音を立てて開閉する。
恐怖に心が染め上げられるも、残されたか細い決意を再認識し、今一度逸らした視線を向ける。
「あァ、此方コそ、謝罪スるヨ。悪カっタな」
「い、いや。謝る必要ないだろ。俺が勝手に怖がっているだけだし……」
「あハは……そッかソっか。オ前、知ラねェんダな? 此ノ異世界の有リ様を」
「異世界の……有り様……?」
笑いながら叩いていた手を合わせて、頭を下げる奴。
その腕から触手が踊り、足元の口が嗜める姿が見せながら。
それでも、俺は一方的に怖がり、悲しませたのは、自身でもよくわかっている。
だからこそ、謝罪するのはこちらだと言うも、奴は含みのある言葉を口にした。
異世界の、有り様。
それが、俺のこの恐怖にも影響をもたらしているらしい。
恐怖することが、異世界の仕組みの一部だと言うのか。
だが、ありえなくもない話だ。いや、むしろそうでしか、思えない。
話が出来て、姿が見えない。人であり、いや、人とは思いたくない容姿。
人ですらなく、この世のものとは思えないと思わせるものがあるのだ。
これが単なる特殊な容姿というだけで、片付いていいわけがない。
最初こそ信じられない言葉だったが、今では一番有力視できる言葉だった。
「つまり、それが君が視認できない理由に繋がるのか?」
「ご名答。シて、心シて聞ケよ? ーー『オ前の名ハ? 周りハ何と呼ンでイる?』」
「……俺は、空谷 新居吾。周りはーー」
ここで俺は言葉を詰まらせる。
他の人であれば、下の名前か上の苗字。もしくはニックネームをなんなく伝えられるのだろう。
だが、俺は言えない。なにせ、俺はーー、
「オーけー。了解。分カっタ分かッた。オ前、『異世界ノ誤認者』だナ? よク見間違わレるンだロ?」
異世界の者に、誤認されている。
それを的中させた、存在に、俺は目を見開き、口から「ぇ?」と聞こえないくらいの驚愕が漏れた。
だが、その存在はこちらを見る。
その顔が一瞬、箱のフタみたいに開いて、向こう側に行ってしまうが、関係ない。
「な、なんでそれを…….」
俺は誰にも理解されない『体質』を言い当てた存在に問いかける。
今の今まで誰一人もわかってくれなかった。わかろうともしなかった。
ただの一人も俺ではない誰かの名を口にして、俺ではない誰かとして、俺を見た。
思い出される、元いた世界での日々。
別の名前を呼ばれるたびに心が否定した。
別の者として語られる話に、耳が聞くことを拒絶し、口や舌は言葉を紡ぐことを放棄した。
別の者として向けられた視線に、いつしか目を合わせられなくなっていた。
そんな俺に、目の前の存在は初めて、それを理解したのだ。
背けた目は穴が開くほど見つめ、舌は言葉を探して自分のものではないように口の中で揺れ蠢いている。
だが、口は必死に言葉の出入りを閉ざした。
下手なことを言って、相手の語る意思を無くさないよう、勤めていた。
「決マっテる。此の異世界ニ居る転移者ハ須く異世界カら、特殊な認識ヲ受けチゃッてル。そノ判別方法が、先ノ問いダよ」
「なら、あんたは……」
「ん?」
躊躇いはあった。葛藤が生まれた。だが、それ以上に問わねばダメだと、意思を強く持てた。
言葉を返して怪訝な顔をされるよりも、言葉を返さず言葉を噤まれるのが怖かったのだろう。
別の恐怖に対抗していた俺は、その恐怖には抗えなかった。抗う気もなかった。
振り絞って声を出したと言うのに、未だに歯がぶつかり音を発して、声まで震わせるほどビクつきながら続ける。
「あんたは、なんなんだ? この怖さは、一体……異世界からどういう認識を受けているんだよっ!?」
「簡単ダよ。今一度、問イかケてみレばイい」
「ーー君、は」
腕から飛び出す触手めいたモヤが、指を曲げて、こちらに促すジェスチャーと連動する。
この指示に従い、俺は彼と同じ問いかけを口にして、
「ーーんぶっ!?」
途端、恐怖が粘質的な液状となって、喉奥から込み上げてきた。
思わず口を塞ぎ、ぶちまけそうになるのを、なんとしてもと食い止める。
「ホらね。俺ノ体質も、健在ミたイだ」
「体質、まさかに君の存在をに認識できないみたいな……?」
「正解ッ! 先の呼ビ方で言ウのナら、『異世界ノ否認者』、ダね」
「否認者……?」
聞き慣れないフレーズに次第に穏やかになった不快感を胸を摩り宥めながら問う。
否認。よく聞くのは、容疑者が罪を否認するだとか、疑われたものがその疑いを否定する時に聞くものだ。
それを認めず、それは違うと言う意味合いで。
なら、異世界が、否認しているとすればと、思考を巡らせ、さっと血の気が引いた。
「世界からの……否認? 世界から、存在を認められないってことなのか、これが……っ!?」
「そウだトも」
頷いた。頷かれてしまった。
こんな恐ろしい風貌が異世界から見放されたことによるものだと言う最も恐ろしい事実を。
一人称から、男性で、口調から若々しく親しみやすい存在だったと受け取れる。それが恐怖でしかない自分がいる。
そう思わされ、そう思うほどの声音や姿見を強制されているものというのが、何よりも恐ろしかった。
それを頷いた彼も、頷くに至るしかなかった今日に至るまでの彼を取り巻く全てをも。
「俺ハさ、本当ナら普通ノ少年ダっタはズなンダ……でモ、気が付キゃコんナ姿デ、コんナ声デ、皆、俺ヲ否認しタ。俺の存在ヲ認めヤしナかッたンだ」
「そ、そんな……っ、 そ、れは、ご」
「謝ンなヨ。其レが一番苦シいッてあンたガ一番わカっテるハずダ」
「ーーっ!」
想像するだけで恐ろしく、その一端となっている自身にも悍ましさを感じる。
彼はどこまでも普通の少年なんだ。
俺と同じで、普通を望み、普通をできる限り演じ、普通を得られなかった少年なんだ。
だというのに、俺はまだ恐怖している。
化け物のように見えてしまっている。
開閉する頭が、腕から出没する触手が、足からそれを喰らう口が、謎めく姿を見せるなにかが。
彼をそうさせてしまっている。
少年なんかじゃない。人なんかじゃない。この世のものなんかじゃない。化け物でしかないと。
もはや、化け物というカテゴライズに嵌め込むことすら否定して、もっと恐ろしく形容し難い、否認すべき、なにかだと訴える思考がある。
だからこそ、俺は恐怖する。
それは全て、一切合切に。
「父ヤ母は、マだ其ノ形を保ッてクれテいタ。常ニ嫌悪や憎悪に似タ視線を向ケらレてイたケどネ」
「他の、人たちは……」
「筆舌ニ尽クし難イ仕打ちヲ受けタよ。中ニは当タっタだケデ、今モ動けナい人モ居るカら、仕方ナいノかナ? まァ、『化け物討伐』なンて言ワれテ、散々斬らレたシ、殴らレたシ、火を付ケらレたリもシたカなァ?」
「ーーッ!」
聞くだけでも、心が苦しくなり、ギリィッと音を立てて、捩じ切られる痛みを覚えた。
だが、それは俺の精神的な苦痛だけ。彼は現にそれ以上の痛みを肉体で味わっているのだ。
こんな、同情だけの痛みなど、自身可愛さで味わっているだけだ。だから、俺は手を差し伸べて。
「改めて、ごめん。怖がったりなんかして。謝る」
「イいッて、気ニしテ無い」
「俺が気にするんだ。俺が嫌なんだ! 君が苦しんだままだなんてっ!」
「……優シいナ」
「口にしているだけだよ。現に今だって怖がっているけど……でも、怖がりながらでも、出来ることはある。友達になろう。君の名前は?」
「君コそ、君カら名乗ッてヨ」
「俺は新居吾。空谷 新居吾だよ。ニーゴって呼んで」
「……ニーご。か、よロしク。俺ハ、きョーが。きョーがト呼んデもイいヨ」
「キョーガ、か……」
差し伸べられた手に、もう一つの黒い手が近づき、握手が交わされて、
「そンで、バいバい」
「ぃッツ!?」
全身を迸る痺れが、口の端から泡を吐かせ、視界が赤く白くに明滅し、俺を地に倒れさせた。
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