10話 しない、しない、しない。
現れたのは金髪の少女だった。
だが、髪の一部に別の色彩が丸を描いていた。
橙、水色、黄緑に焦茶色。他に黒や白と言った六色の丸が、髪の光沢のように彩っていた。
そしてそれは後ろにまで行き渡っているところから、模様はまるで、冠の如く輪になっている。
瞳もまた、似たような特徴がある。虹彩が金色で、瞳孔が、あの六色がグラデーションを描いて、形作っていた。
服装もまた煌びやかな金色のドレスに、水玉模様の如く、夥しくある六色の円。
一言で言えば、色鮮やかな少女だった。
だが、その瞳には、光がなかった。
だが、その短めなおかっぱ髪は、ひどく乱れていた。
だが、その服は、ヨレヨレでシワが散見できた。
不協和音が形になった様子に、俺は思わず半歩後ろに下がる。
瞳や喉が痛み出す。極度の緊張で乾いたというのだろうか。
心臓の音に全身どころか、瞳が映す視界も揺れ、視界の縁がぼやけ出す。いつしか涙が滲んでいた。
だが、拭えない。下手な動きができない。
まるで、ライオンか、サメに鉢合わせたとでもいうのか。動きたくないと思えてしまう。
だが、相対しているのは人だ。
擬人化少女であれ、目の前にいるモノには、心があり、言葉を発し、行動を示してくれるはずだ。
先の言葉は喜びが感じられた。
微笑みからも感情の明るさ感じ取られたのだ。
それに恐怖していると自覚があるが、それでも、相手と対話し、心を通わせ、穏便に事を済ませることができるだろうと期待を描く。
何度もそれをぶち壊されていようとも、不安を抱いたときには決まって、そんな期待を持たずにはいられなかった。
それが、心の平穏を保てるからだ。
「ーーっ! バァアアアアジェエエエエッ!」
「ぶべぇえっ!?」
次には、少女が飛び込んできた。背丈は俺の胸の下あたりにあった少女の頭部が、俺の鳩尾を叩いた。
一瞬にして全身に伝播する、爆発的苦痛。
四肢が弾け飛び、目玉や歯が解放されて、宙を舞ったと思わせるほどの痛み。
幸いにも口は開いていた。衝撃は苦鳴となっていくらかは和らいだ。
口を閉ざしていたなら、駆け巡る痛みが反響し、衝撃がぶつかったのが歯で、想像が現実へと変わっていただろう。
一瞬途切れた意識でそんなことを思いながら、俺は口で荒い呼吸を再開する。
「会えたっ! やっと会えたよバジェッ! 会いたかった、本当に会いたかったぁっ!」
「ぶはぁ……はぁ……はぁ……っ! ち、ちょっと……待って……話を……聞いて……っ!」
こちらの様子などお構いなしに、少女は再開の喜びから、頭を左右にぐりぐりと擦り付ける。
こちとら、あなたの喜びの一撃で、生命の危機にも瀕していたというのに。
だが、そんな文句も言えない。呼吸を忘れていた俺は、文句よりも場を整えることが最重要。
俺は少しづつ呼吸を整えながら、彼女に対話のテーブルに着かせようとした。
まず最初は話し合いを、言葉を重ねれば相手が理解できて、相手も理解してくれるはずだ。
最悪、この名が最後まで納得されなかったとしても構わない。
だからこそ、鳩尾の位置で擦り付けてくる少女に話かけた。
「話を、聞く?」
「ーーっ!」
高い音がなるほど、勢いよく喉が閉まる。
なんの感情もこもっていない、冷たさそのものみたいな声音。
俺の胸元をじっと見つめる目は、ほかの何かを見ているようで、何も見ていないようにも思えて、恐怖から全身の産毛が逆立つ。
そんな瞳が、こちらに向いた。
ガチンと歯が鳴り、口を開く。必死に言葉を探すが見つからない。
今、目の前のどんな感情を抱いているのかわからない少女に、どう言えば望む結果になるのだろうか。わからない。怖い。言葉なんて、かけられない。
どれほど言葉が頭を過っても、次にはダメだと否定してしまう。
「ぁ! 私の話? いいよっ! 聞かせてあげるっ!」
「ぇ、ええ? ち、違、くて、俺のは」
「わぁーいわぁーい! バジェが話を聞いてくれるんだっ! えぇーとえぇーと、なんの話をしようかなぁーっ! そぉーだそぉーだ、この一年間の話をしーよぉーっと! もう何十年も離れ離れだったけど、それまでの話を全部聞かせちゃったら疲れちゃうもんねぇーっ! 去年の今日くらいの日はねぇーっ! 結構晴れ渡ってたんだよぉーっ? この『飴具街』に、『晴降雹糖』まで降ってきてねぇーっ! 内緒で貯めてみたら、すっごぉーく甘かったんだよぉーっ! あぁ、でぇーもでぇーもっ、ちゃーんと舐めたのは一つだけだよぉーっ! 食べ過ぎたらお腹壊しちゃうよぉーって、バジェの言いつけはちゃーんと守ってるからっ! ねぇーねぇー許して? 褒めて? 愛して? あぁ、それからそれからぁーっ! 次の節には、『桜玉』が降ってきてねぇーっ! 家の子とか、塔のとか、みんなと一緒に『桜見』をしたんだぁーっ! みんなといろんな色の、いろんな『桜玉』を食べてねぇーっ! すっごぉーく美味しかったんだぁーっ! ほかにもほかにもぉーっ! 次の次の節ではね、すっごーい暑い日が続いたんだけどねぇっ! 『夏塩玉』がころころ転がっててねぇ、この暑い日々をどぉーにかこぉーにか乗り切ったんだよねぇーっ! みーんなしょっぱいだけって言うけど、ちゃーんとほんの少しの甘みがあるって、私知ってるよぉーっ? だぁーってだぁーって、それもバジェが教えてくれたモノ、だもんねぇーっ! 次の次の、そのまた次の節ではねぇーっ!」
「……は、ははっ、は……」
顔が近い。
目と鼻の先を超え、鼻の先と鼻の先がくっつき、目の角膜と角膜が数ミリ前まで近づいている。
光が目がこちらの目の奥を覗き込んでくるのだ。
まるでその奥に心があり、耳ではなく、その心で傾聴しているかどうかを確かめるように。
もはや、彼女の美貌や鼻の奥まで満たされた、花の蜜よりも優しい甘さなど二の次になってしまう。
淡い桃色の唇が、どこまでも忙しなく動き、途切れることなく言葉を紡いでいる。
鼻や口から息を重ねる瞬間を見ていない。だが、どこまでも俺に過去の出来事を聞かせようとしている。
元いた世界に似た季節と、元いた世界にはない、この世界の、おそらくこの街の特色を兼ね備えた昔話などの好奇心など、二の次になってしまう。
俺のいの一番に抱き、今尚力強くなる感情。
だが、ひた隠しにし、一度でも姿を見せてはならない感情。
それは、恐怖だ。怖い、怖い。怖い!
見開き、血走っていて、瞳孔が大きくなったり小さくなったりする瞳が、怖い。
口が止まることなく動き、こちらが聞いているのか疑うように声が大きくなっているのが、怖い。
だが、怖がるな。
怖がっていると思わせてはダメだ。
硬い頬肉を潰してでも口角を吊り上げろ。
恐怖に瞳を映すな。彼女から離れようとする瞳を釘付けにさせろ。1秒たりとも、離れようとするのを許すな。
それだけで、命が危ない。
「へ、へぇ……う、嬉しいなぁ。俺がいないときでも、みんなと楽しく過ごせたんだね。すごくいい子だ。それじゃあ、今度は俺と一緒にーー」
俺は心臓から全身までもが伝えてくる断続的な警告と、本能から感じる危機についに自身で決めた戒めを破る。
見間違えている他人に、肯定するなと、なにがあっても否定しろと、自ら定めた決まりを。
だが、こうでもしなければならないと、肉体と精神が今も力強く叫んでいる。
1秒後、想像することもできない、想像するだけで、全身が震え出す恐怖が襲いかかってくるぞと。
必死に頭を高速回転させ、聞き心地が良く、なおかつ波風立たない返答をする。
ありきたりな、相槌だった。
「違う」
「……っ!」
だが、彼女の唇が止まった。
俺の目には映らなかった。視認するのも不可能にするほど早く、だが、耳で聞こえる大きさと速度で否定した。
「いつもの目の動きと違う。バジェはじっと見つめるけど、三秒もしないうちに照れくさそうに目を離して、ずっと、私の首元を見て、ときおり、胸元に吸い寄せられた目を、すぐに離してくれる。男の子だけど、凝視したりしない、真面目さで嫌われないようにする臆病さがある。だから、そんな見方は、しない。しない。しない。しない。私の話への相槌が違う。いつもなら言う。まずはごめんって。一人にしたこと。一人で過ごさせたこと。一人で悲しませたと、絶対に言ってくれる。自分がいないと悲しむとか、驕ったものじゃない。きっと悲しんでくれると、私を良い人のように想ってくれて、それは自分のせいだと、思い悩む繊細さがある。それで言う。次からはどうするかとか、今から埋め合わせをしてくれる。許されようとか、安い腹づもりじゃない。悲しませた分の楽しませようと、今すぐに実行してくれる優しさがある。また今度とか、曖昧な返しなんてしない。しない。しない。しない。しない。しない。私への褒め方が違う。私を褒めるときは頭を撫でてくれる。言いつけを守ったとか、みんなと過ごしたとか、些細なことでも、自分に幸福が訪れたように喜んで、頭をわしゃわしゃと撫でてくれる。髪型が乱れるのも構わずに、それでいっつも謝るんだけど、私がそれが好きと言うと、少し控えめにそれでも髪を乱しながら、撫でてくれて、最後にぎゅっと抱きしめてくれるの。さすがだって言ってくれるの。そんな言葉だけの褒め方なんてしない。しない。しない。しない。しない。私への接し方が違う。絶対に私の名前を呼んでくれる。呼びかけるときでなくても、どんな些細なお願いや会話でも、一言言葉を紡ぐたびに、私の名前を呼んでくれるの。ティアラって、くれた名前を。名前を一度だって呼び忘れたり、ましてや、呼び間違えたりしない。しない。しない。しない。しない。そんな貼り付けた笑顔はしない。そんな取り繕った言葉の発し方はしない。そんな立ち方はしない。そんな息の仕方はしない。そんな瞬きの仕方はしない。そんな手を手持ち無沙汰で動かしたりはしない。そんな足の開き方はしない。そんな抱きしめられ方はしない。しない。しない。しない。しない。しない。しない」
「ひっ……」
どこまでも、否定を重ねられた。
際限なく、細部に至るまで。
バジェは、今のお前みたいなことはしないと。
言葉が重ねられるたび、腹の肉を削ぎ取られるような痛みを錯覚する。
彼女のーーティアラの瞳が絶えずこちらを覗き込む。
だが、ティアラは口を閉ざし、首をゆっくりと傾げた。
今は、狂って見える愛だけではない、疑わしいという思いが、その悠然とした動きが見て取れた。
状況がどんどんと恐れた事態へと突き進んでいく。
このままでは、俺は、俺が、俺だと、バレてしまう。
「あなた、バジェじゃ、ない?」
「ーーッツ!」
言葉を別け、別けた言葉の節々を強めて、ティアラが俺に問いかけてきた。
俺の流れる血液が凍りつく感覚を覚え、額や頬、首元に冷や汗が滲み出る。
固くなる頬。取り繕った笑顔が消え、高速に重ねられた鼓動は、格段に遅くなる。
おそらく、次に心臓を揺らすのは、一分後かと思わせるほどに、遅く、遅く。
だが、俺はすぐさましわしわになった口を開き、イガイガする喉を無理矢理震わせて、言葉を振り絞る。
「い、いや……違うっ! 俺はバジェだ……バジェは俺だよ……っ! ティアラっ!」
ティアラの言葉を、否定した。
そして、俺はバジェであると、偽った。
いつしかそうして、後悔して、もうしないと固く誓って封じたものを、行ってしまったのだ。
だが、いつしか偽ったときも、きっとこうだった。
俺は、狂おしい愛を抱いた者に対して、強く出れない。
恐怖を抱かせられるほど、求められたときは、それを否定できない悪癖を、今一度思い知らされた。
対するティアラは光ない瞳を瞬かせるとーー、
「うんうんっ! やっぱりバジェだぁっ! 会いたかったぁーっ!」
と、今一度力強く抱きしめてきた。
「あ、あぁ……俺だ、バジェだよ、ティアラ。ごめんな、一人にして。今からずっと、一緒にいよう。一緒にいろんなところに行こう」
抱き寄せられた俺より小さな身体を抱き返し、内心で安堵する。
どうにか誤魔化した。と同時に、誤魔化してしまったと、後悔。
きっとこの後、もっと後悔することになると、心が曇り出す。
「えへへぇ……大丈夫だよ。わかっているから、そんな昔の服まで持ってきて、早着替えしなくたって、バジェはバジェだって」
「ーーへ?」
だが、直後、彼女の気遣う言葉に、俺は小首を傾げる。
昔の服? 早着替え? 彼女が何を言っているのか、わからない。
だが、疑問符だらけの頭でも、考えなく確かめようと身体が一人でに鏡付きの化粧台の方へ向きーー、
「……ぇ?」
と、喉の奥で、閉ざした口の中で疑問を呟いた。
あの、普段着ではなかった。
第二ボタンまで開けた黒の半袖のワイシャツと、そこから見える白い長袖シャツが、変わっていた。灰色のジーパンまでも。
今は、所々赤ちゃけたローブを着ている。
色褪せていない部分は金色で、元は黄金のローブだったのだろう。
そして、ローブの下は、中世の貴族様が着こなす群青色のスーツだった。
どうしてそんな変化が起きたのか、今でもわからないが、起きた変化はわかった。思い知らされた。
俺は今、バジェの服装へと様変わりしたと。
俺の肯定が、招いたことだと。
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