22話
高梨 雄介
物語は少し戻って、俺が増田さんに大切な話があると言って、教室に呼び出した日のこと。
俺が言葉を唱えると、増田さんの目から輝きが消えて、彼女はその場で立ったまま硬直した。凄い。本当に効いてるみたいだ。
「増田さん⋯鞄を⋯離して。」
俺がそう言うと、増田さんは鞄を床に落とした。俺は、そのままゆっくりと彼女に近付いた。試しに彼女の周りを回ってみる。増田さんは微動だにしない。
「大丈夫?」
「大丈夫。」
言葉は返ってくるけど、感情が籠っていない。まるでロボットみたいな、そんな感じだ。信じられない⋯母さんに習った暗示が成功してしまった。俺は近くの席に腰掛けて、ゆっくりと増田さんを見つめた。何とか呼吸を落ち着けてみる。
「増田さん。」
「何?」
「増田さんは⋯俺の事が好きなの?」
「うん、好きだよ。」
「えっ。」
やっぱりそうか。いや、何となくそんな気はしてた。ここ最近、よく視線を感じたし、俺と会話する時も緊張しているというか何というか、恥ずかしそうにしている事が多いから。予想通り、増田さんは俺の事が好きだったんだ。
「そうなんだ。ありがとう。」
「うん。」
俺の体が興奮がしているのが分かる。
「増田さん、キスして。」
そう言うと、増田さんは座っている俺に顔を近付け、そっと唇を重ねてくれた。彼女の温かくて柔らかい唇の感触が分かる。
「⋯もういいよ。ありがとう。」
そう言うと、増田さんはまた直立になったまま静止した。さて、これからどうしたものか。こうなると、増田さんはもう俺の物だ。俺の意のままに操れる。とはいえなあ。悩んだ末、俺は暗示を解く事にした。右手で指をパチンと鳴らすと、増田さんの目に光が戻ったのが分かった。
「あれ?」
増田さんは、今まで何をしていたのか、分かっていないようだ。
「大丈夫?増田さん。」
声を掛けてみる。大丈夫だろうか。
「大丈夫⋯あれ⋯えーっと。」
混乱している。無理もない。
「高梨君、なんか⋯大切な話があるって。」
「えっと⋯だからもう少しセリフの練習に付き合ってくれる?って。」
「そ、そうだっけ。」
「大丈夫?増田さん?体調悪い?」
「う、ううん!大丈夫!」
増田さんは無意識に自分の唇に触れた。少しだけ緊張が走ったけど、特に何もないみたいだ。
「セリフの練習⋯。」
「ううん、やっぱり止めとこう。」
「えっ。」
「増田さん、顔色悪いよ。今日はもう帰った方がいいんじゃないかな。」
「顔色悪い?私が?」
「うん。そう見えるけど⋯。」
「⋯実はちょっとだけ、頭痛いかも。」
「やっぱり!無理はよくないよ。来週から撮影も始まるし。」
「⋯分かった。高梨君の言う通りだね。私、今日のところは帰るよ。高梨君は?」
「俺はもう少しだけ図書室に寄ってから帰るよ。」
「分かった。ごめんね。」
「下駄箱まで送るよ。」
「ありがとう。」
暗示の影響かな。増田さんは確かに具合が悪そうに見える。初めてだから仕方がない。多分、慣れてくると思う。俺は増田さんを下駄箱まで送ると、外履きに履き替える彼女の事をじっと見つめた。
「じゃあ、帰るね。バイバイ高梨君。」
「うん。また明日。気を付けてね。」
そう言うと、増田さんは正門の方へと歩いて行った。成功した。成功してしまった。俺は無意識に笑みを浮かべていた。許されない事だって分かっている。でも、もう戻れない。
俺は学校がそんなに好きじゃない。人間関係を構築する事がとにかく面倒臭い。でも、それが学校生活において必要な事だし、平和に過ごしていくための秘訣だって事は理解している。だから、俺はそういった人間関係を、逃げずにちゃんと作ってきた。男子にも女子にも、分け隔てなく。そのおかげか、友達は多い方だと思う。
スクールカーストという物は、確実に存在している。教室の中を見渡せば、陽キャ・陰キャ・ヒエラルキーの上位・下位に、ほぼ全員を分類する事が出来る。例えば今、よく一緒にいるメンバーは間違いなく陽キャ組だし、ヒエラルキーの上位に分類されるメンバーだと思う。特に増田さんや中川なんかがそうだ。俺は別に、自分がその立ち位置に分類される人間だとは思っていないけど、彼らと一緒にいると、自分はそっち側の人間なんだと実感する事が出来る。ようは、自分は勝ち組だと思えるんだ。
俺は普段からあまり自分を出さないようにしている。自分の本質なんて誰にも知られたくないし、教えたくもない。だけど、周りから悪い人間とも嫌な人間だとも思われたくない。我ながら、面倒臭い性格をしていると思っている。だから、友達とは普通に話したりしてコミュニケーションを取るし、学内イベントにだって、ちゃんと積極的に参加する。ようは、そういった行動を取った方が、自分が良く見えるんだ。そして、高校生活をスムーズに送る事が出来る。俺はそう信じている。実際、スムーズに送れているし。
俺は昔から体が強くない。中学生の時、バスケ部に所属していたけど、自分には向いていないと感じ、すぐに辞めてしまった。結果、高校に入ってから、どの部活にも所属しなかった。だけど、読書は小さい頃から好きだったから、図書室で好きな本や気になった本を読んでいるだけで放課後ライフは充実した。勉強もそんなに嫌いじゃない。テストに向けて計画的に勉強する事は、割と好きだったりする。ようは、俺は帰宅部に合っていたのだ。
ただ、俺だって男だ。異性の事が、女子の事が気になる。当たり前だ。でも、俺は残念ながら背が低い。男にとって致命的な魅力の欠如だ。少なくとも、俺はそう思っている。
同じクラスの増田さん。可愛いと思った。美人だと思った。何より明るくて愛嬌があった。俺には無い物を沢山持っていると思った。ただ、彼女は背が高かかった。多分、俺よりも5センチくらいは高いと思う。俺なんか絶対タイプじゃない。眼中に無い。そう思っていた。でも、実際は違った。気のせいだと思っていた増田さんからの視線や反応は、気のせいじゃなかったんだ。増田さんは俺の事が好きだった。こんな事になるなんて思ってもみなかった!
増田さんを見送った後、俺はまた図書室に戻ろうと廊下を歩いていた。
「高梨君。」
後ろから声を掛けられた。篠宮さんだった。
「篠宮さん。」
篠宮さんは美術部だったはず。こんな所で何をしているんだろう。彼女は俺の事をじっと見つめてくる。
「ん、どうしたの?」
「あの⋯。」
どうしたんだ篠宮さん。なんか、怯えてる?
「さっきの⋯何?何をしてたの?」
篠宮さんにそう言われて、一気に体が熱くなる。でも耐える。何も知らないフリをして。
「何の話?」
「教室で⋯来佳美と⋯。」
マズい。まさか篠宮さん、見てたのか!?教室の外から?全く気が付かなかった!
「ごめん、何の話か分からない。」
篠宮さんは微かに震えてる気がする。
「こ⋯来佳美と⋯キス⋯してたよね?」
やばい。見られてる⋯!
「それは⋯。」
「付き合ってるの?来佳美と。」
色んな考えが頭の中でグルグルと巡る。俺は本当に大バカ野郎だ。爪が甘かった。母さんにも言われたのに⋯学校で試したのが間違いだった。
「いいの⋯ごめん⋯ごめんね。」
篠宮さんはそう言うと振り返って、歩み出そうとした。ちょっと待ってくれ。ここで篠宮さんを逃がしたら駄目だ。絶対に駄目だ。篠宮さんは、俺と増田さんが付き合ってると勘違いしている。キスしたところも見られている。でも、増田さんは何も覚えていない。増田さんと篠宮さんは仲が良いから、きっとこの話になる。だけど当然、話が噛み合わなくなる。増田さんからしたら、何の事かサッパリだ。そうなったら俺は⋯。
篠宮さんが行ってしまう。しかも早足で。駄目だ駄目だ駄目だ!俺はすぐに走って彼女に追い付いた。
「篠宮さん!待って!」
篠宮さんが俺の事を見る。え、泣いてる。篠宮さんが泣いてる。何で⋯?
「ごめん⋯私⋯。」
篠宮さん?えっ⋯まさか⋯えっ⋯。
「話があるから、来てくれない?」
そう言うと、篠宮さんは静かに頷いてくれた。どうする!?落ち着け!取り敢えず俺は篠宮さんを連れて歩き出した。すぐ目の前に御手洗いがある。仕方がない⋯!男子トイレの入口を通りかかった瞬間、俺は篠宮さんをトイレの中に押し込んだ。篠宮さんは驚き過ぎて、声も出ていないようだ。俺はそのまま力尽くで彼女を押し続け、1番奥の個室へ一緒に入った。俺はそのまま篠宮さんを強引に便器へ座らせた。
「なっ⋯なっ⋯なに⋯!?」
篠宮さんは怯えている。無理もない。
「静かに。篠宮さん。落ち着いて。」
「た⋯高梨君?⋯なんなのっ⋯!?」
「篠宮さん⋯俺の目を見て。」
そう言うと、篠宮さんは怖がりながらも俺の目を見てくれた。俺は彼女の両側頭部を、両手で優しく触れた。
「Dormire Nunc。」
俺がそう呟くと、篠宮さんはパタっと目を閉じて、後ろにもたれ掛かり、動かなくなった。静かに息を吐いて、自分の心を落ち着ける。落ち着け、落ち着け、俺。これからどうするか考えなければ。篠宮さん、まさか君は、俺の事が好きなのか?さっきの涙って、そういう事じゃないのか!?まあいい。今はそんな事どうでもいい。問題はこれからどうするかだ。
俺は眠る篠宮さんの耳元でさらに言葉を呟いた。彼女は目を開け、姿勢を正した。
「俺についてきて欲しいんだ。荷物は?」
「美術室。」
「じゃあ、そうだな⋯美術室に行って自分の荷物を取ってきてもらって⋯そしたら正門に来て。待ってるから。」
「分かった。」
篠宮さんはそう言うと立ち上がり、美術室へと向かった。俺は彼女を見送ると下駄箱に向かい、外履きに履き替えると、小走りで正門へと向かった。マズいマズいマズい⋯なんてことだ!こうなったらもう⋯家に連れて行くしかない⋯!しかも、誰にも篠宮さんと一緒にいる所を見られたくない!俺は仕方なくスマホを取り出して、母さんに連絡した。母さんは、ほとんどワンコールで電話に出てくれた。
『もしもし。』
「もしもし、母さん。助けて。」
『どうしたの?』
「マズい事になって。」
『⋯何をしたの?』
「とにかく⋯洗浄して欲しい人がいるんだ。」
『⋯誰なの?』
「学校の友達。お願い⋯誰にも見られたくないんだ。今すぐ車で学校に迎えに来てくれないかな?」
『⋯雄介。だから言ったじゃない。使ったら駄目だって。』
「ごめんなさい母さん。助けて。」
『⋯今すぐ行くわ。』
「ありがとう。」
電話を切ると、丁度向こう側から、篠宮さんかこちらへと歩いて来るのが見えた。




