20話
増田 来佳美
放課後になった。さあ、今日もこれから映研の映画撮影が始まる。高梨君と泉屋君と中川君は、先に撮影場所へ行ってしまった。私はというと、皆が帰った後の教室に残って、あやちゃんにまたメイクをお願いしていた。今日のお弁当に入っていたオカズのトマトパスタみたいなやつを、制服に落としそうになってヒヤヒヤした。制服も、今となっては大切な衣装だ。うっかりカレーうどんなんか食べられなくなっちゃった。
自分の席に座って、姿勢を正す。あやちゃんが顔にパフパフしてくれる。で、その姿を横の席に座るしのっちに見られている。しのっちは、私の事をじーっと見つめているみたいだ。
「しのぴー、怖いんだけど。」
あやちゃんが私よりも先にツッコミを入れた。
「あ、ごめん。」
「もうしのっち、最近どうしたのよ?」
「どうしたのって?」
「そのまんまの意味よ!なんか元気ないんじゃないのー?」
「そんな事ないよ。」
「もうしょうがないなあ。特別に私のおっぱい、揉んでいいよ!」
「じゃあ私も揉ませて!」
「あやちゃんは駄目です!」
「お願い!乳を体験したいのよ!」
私とあやちゃんがくだらない話でワチャワチャしていても、しのっちは凄く冷静だ。表情も何かも冷たい感じがする。なんなんだよぅ、しのっち〜。
「私、高梨君とキスしちゃった。」
しのっちがそう呟くと、私とあやちゃんは硬直した。ん?何て言った?はい?
「しのぴー、今何て言った?」
「高梨君とキスしちゃった。」
私の頭の中がフリーズする。えっ?えっ?えっ?
「⋯マジ?」
あやちゃんが何とも言えない表情を浮かべている。私もだ。今、どんな表情をしてるんだろう。
「な⋯何で?」
私の第一声はそれだった。そりゃそうだよ。
「何でだっけ。」
しのっちは意味分かんない事を言い出した。“何でだっけ”ってどういう事!?
「しのっち、何言ってんの?」
「だから高梨君と⋯。」
「それは聞こえてるよ!」
思わず大きな声が出ちゃった。
「あの。」
もの凄いタイミングで高梨君が教室に入って来た。
「泉屋に言われて様子を見に来たんだけど⋯。撮影の準備が出来たよ。」
私達3人は高梨君の事を見た。何て言ったらいいのか分からない。どうしよう。
「高梨君。」
あやちゃんが切り込んだ。
「しのぴーとキスしたの?」
「えっ。」
あやちゃんらしいや。高梨君にどストレートで質問する。
「ごめん、何の話か分からない。」
しのぴーは少し俯いているように見える。あやちゃんも、それに気が付いているみたい。
「何の話か分からないって、それマジなの?」
「うん。本当に分からない。何でそんな話になってるの?」
「しのぴーがそう言ったから。」
高梨君は、すぐにしのっちの事を見た。
「篠宮さん、何でそんな事言ったの?困るんだけど⋯。」
「じゃあ、しのぴーが嘘ついてるって事?」
「あやちゃん。」
そんな言い方、なんか嫌だ。私はつい会話に割って入っちゃった。
「そうなるね。」
高梨君もそう言った。何でこんな事になってるんだ?今、教室はとんでもない空気になっている。
「しのぴー⋯何で。」
あやちゃんがそう言いかけると、しのっちは突然立ち上がって教室を飛び出していった。声を掛けるスキもないくらい、しのっちの動きは素早かった。残されたは私達に、気まずい空気が流れる。私はドキドキして、悲しいような淋しいような、そんな気持ちになった。
「高梨君、しのっちと何かあったの?」
「何もない。」
私がそう尋ねると、高梨君はソッコー否定した。
「本当に?」
あやちゃんが念を押す。
「本当だよ。篠宮さんは嘘を付いている。だから逃げたんじゃないの?」
高梨君の言葉には、少しだけ棘があるように感じた。でも、しのっちが本当に嘘をついているのなら⋯高梨君はたまったもんじゃない。そりゃそうだ。高梨君は困ったような、悩んでいるような、そんな風に見える。あやちゃんは⋯何か怒ってる?
「私はしのぴーも、高梨君の事も信じてる。」
「何が言いたいの?本当にキスなんてしてないって。」
「信じるよ?」
「うん。」
「じゃあ、まっすー。さっさと化粧終わらそう。」
「あ、うん。」
「大丈夫?まっすー。」
「⋯大丈夫。」
何が大丈夫なんだろ。あやちゃんがまた私にメイクをし始める。私は黙ってされるがままになった。
「先、戻ってるから。」
そう言うと高梨君は教室から出て行った。あやちゃんは何も言わずに、ただ私に、淡々とメイクをしてくれた。私も話す言葉が無かった。
軽音部に行くからと言われ、あやちゃんとは教室で別れた。撮影現場は校舎の3階、廊下でのシーンだ。私と中川君の出番で、物語の時系列的には、告白されるシーンよりも前のシーンになる。廊下に行くと、すでにいつもの映研メンバーが勢揃いしていて、泉屋君と中川君の姿もある。そして、高梨君の姿も。
「やっと来たか。メイクバッチリだな。」
「うん。まあねー。」
何も知らない中川君は、いつも通りだ。
「増田、セリフは大丈夫?」
「ちょっと待ってね。」
私は手に持っていた脚本を開いて、撮影シーンのセリフを確認する。でも何でだろう。読んでも頭に入って来ない。大丈夫かな私。モロに動揺してる気がする。
「さあ、撮るぞー。」
泉屋君が皆に声を掛ける。私と中川君は廊下に決められた立ち位置に移動して、告白シーンの時みたいに向かい合った。
「カメラ前でこうやって増田と向き合うの、なんか照れるんだよなあ。何でだろ。」
「あはははははー。私もだよ。」
笑っているけど、笑ってない。今の私、そんな感じ。カメラが私と中川君に向けられて、皆の視線が集まる。いつもなら恥ずかしくなるのに、今はなんか、それどころじゃない。
「よし行くぞー。カメラ回して。よーい⋯ハイ!」
中川君がセリフを言ってくる。私はそれを聞いてる演技をして、その後⋯なんだっけ。
「カット!増田セリフ!」
「あ、ごめん。ぼーっとしてた。」
「ぼーっとしないでくれよ。」
「ごめんごめん!お腹空いてて。お菓子の事考えてた。」
そう言って誤魔化すと、映研の何人かが笑ってくれて救われた。
「増田、大丈夫か?何かあった?」
中川君が気にしてくれる。よく見てるなあ。もう私の異変に気が付いたのか。
「大丈夫だよ。何でもない。」
「何かよく分かんないけど、もしもの時は畠中とかに言えよ?」
「え、うん。」
中川君、もしかして私の生理を疑ってる?違うわ!
「さ、もう1回行くぞー。カメラ回してー。」
またまたカメラが録画を始める。いかんいかん。今は集中しなきゃ。今の私は映画のヒロイン・鈴木ミナミ。やる事はやらなきゃ。
「よーい⋯ん?」
泉屋君がスタートの声を掛けない。どうしたんだろ。私と中川君は思わず見合って、カメラの方を向いた。泉屋君が険しい顔をしている。
「どうした泉屋?」
「あれは⋯。」
泉屋君が何か言った。私と中川君が反対側の廊下の方を振り返った。誰かがこっちに向かってくる。かなりのスピードでダッシュしてくるぞ。あれは⋯ええっ!英語の小林先生じゃん!何何何何!?小林先生はもの凄い形相で、私達に向かって突っ込んでくる。
「小林先生!?」
中川君が驚きの声を上げだ次の瞬間、小林先生は強烈なドロップキックを中川君に喰らわせた。中川君はその勢いで後ろに軽く吹っ飛んで、カメラの方まで転がった。私は思わず壁ギリギリまで後退りした。意味分かんない!どういう事?
中川君は苦痛の表情を浮かべている。映研メンバーも動揺を隠せない。カメラマンの峯岸君は小林先生の事を撮影してるみたいだ。いや、撮るんかい!
小林先生の顔はとんでもない事になっている。普段の、穏やかなご高齢の先生なんてイメージはそこには無かった。目がすんごい充血していて、口を開いて“シャー”とか唸り声を上げている。ヤバくない!?
小林先生はそのまま倒れ込んで痛がっている中川君に飛び掛かって、馬乗りになった。
「何するんですか先生!」
小林先生は中川君の顔を触ろうとしているのか、シャーシャー言いながら両手をバタつかせている。中川君は必死に抵抗している。
「ちょっと!離れろって!」
映研の男子1人(ごめんなさい名前が分からない、でも多分1年生)が、小林先生を後ろから捕まえた。でも、小林先生は凄い力で肘を突き出して、その子の顔面に肘を入れた!彼はうめき声を上げながら、床に倒れた。鼻血が凄い出てる!ちょっと待って、これ本当にヤバいやつだ。
「離れろっ!」
中川君が思い切り小林先生の腹に蹴りを入れると、小林先生はようやく後ろに下がった。でも、すぐに態勢を整えて、今度は映研メンバーの方に突っ込んだ。ある男子に小林先生は飛び付いて、しっかりとしがみついた。そして、その子の首にガブッとかぶりついた。男子の絶叫が響き渡る。小林先生は完全に首の肉を噛み千切ったようで、その男子の首から血が⋯血がピューピュー飛び出ている!
えっ、何なのコレ?現実?ドッキリ?泉屋君を見ると、なんかとんでもない顔をしている。あ、これドッキリじゃないわ。皆は阿鼻叫喚。とんでもない事になった。
小林先生の顔面は返り血で真っ赤だ。私は怖くて、ゆっくりと後退し始めた。ああなんてこった。小林先生がシャーと叫びながら、私の方に振り返った。
「先生!マジで何してんすか!」
中川君が私の前に立ちはだかった。小林先生は肩で大きくゼーゼーと呼吸をして、まるで中川君を脅してるみたいだ。
「先生⋯落ち着いて。何があったか知らないけど⋯。」
中川君がそう言った瞬間、小林先生はまた中川君に向かって飛び掛ってきた。中川君は咄嗟に左フックを放って、小林先生の顔面にめり込ませた。小林先生は殴られた勢いで方向を変え、教室の扉に激突!そのまま扉を外してしまい、扉ごと教室の中に倒れ込んだ。衝撃で凄い音がする!
でも、小林先生はまたすぐに立ち上がって、倒した扉の上で、某蜘蛛のヒーローみたいなポーズを取った。そして再び中川君に向かってきた!
「おらあっ!」
中川君は右足で、小林先生の顔面に蹴りを入れた。痛そう!小林先生は後ろに下がるけど、倒れるまではいかない。中川君はそのまま勢いを付けて、小林先生にまた拳を放った。その拳はまた小林先生の顔面に直撃する。ひええ!
小林先生はもう、顔面血だらけだ。返り血と自分の血で真っ赤っ赤。それプラス鬼の形相だから、もはや普段の優しそうな小林先生の面影はゼロだ。
中川君が小林先生に近付く。よく近付けるよほんと!
「先生⋯落ち着いて⋯今すぐ⋯。」
中川君がそう言いかけて、小林先生はまた中川君に向かって突撃してきた!中川君は、今度は右アッパーを小林先生の下顎に直撃させる。顔面狙い過ぎじゃない!?小林先生はぶっ飛んで、その衝撃で後頭部から壁に激突、バタンと倒れて動かなくなった。
私は恐る恐る廊下から教室に入って、中川君に近付いた。
「大丈夫!?中川君⋯。」
「大丈夫。増田は?」
「大丈夫。おしっこチビッたかもしんないけど。」
「じゃあ大丈夫だな。」
中川君と私が動かなくなった小林先生を見つめる。
「死んで⋯ないよね?」
「分からん。でも、正当防衛だろこれ。」
廊下の方で“救急車ー!”とか叫び声が聞こえる。首を噛まれた子、大丈夫だろうか。凄い血が出てたよ。
「中川、増田さん、大丈夫?」
高梨君も教室に入ってきた。
「俺達は大丈夫。首噛まれた奴は?」
「⋯救急に電話したんだけど。」
「けど?」
「繋がらないんだよ。」
「そ、そんな事ってあるの?」
「ないよ。ある訳無い。」
すると、いきなり校内放送が流れ始めた。凄い音量で女の子の声が聞こえる。
『誰か助けて!放送室で!先生が!きゃああああああああ!』
絶叫と何かがぶつかるような物音が聞こえると、放送はブチッと途絶えた。ねえねえねえ!一体何が起きてるの!?
「おい!あれ見ろよ!」
中川君が窓から校庭を見ている。私と高梨君も窓に近付く。外を見ると、野球部が慌ただしく校庭を走り回っている。でも、それは練習しているからじゃない。顧問の長嶋先生が、金属バットを振り回しながら、部員を追い掛け回しているからだ。よく耳を澄ますと、長嶋先生も小林先生みたいに奇声を上げているのが分かる。
「長嶋先生、あれイッちゃってるよな?」
「イッちゃってるね⋯何なのあれ?」
頭の理解が全く追い付かない。ただ、奇声を上げながら金属バットを振り回し、教え子達を追い掛ける長嶋先生の姿は、なんかシュールだ。
「駄目だ!血が止まらない!うおっ、小林先生⋯気失ってんのか⋯?」
泉屋君が教室に入って来た。その後ろには、カメラを回し続けている峯岸君の姿もある。
「こんな時に何撮ってんだよ!」
中川君が峯岸君に、もっともな怒りをぶつけた。
「こういう時だからこそ撮ってんですよ!知らないんですか?ブレア・ウィッチ・プロジェクトとかRECとかクローバーフィールドとか!」
「知らねぇよ!」
峯岸君が興奮してる。君、そんな声だったのね。
「取り敢えず、職員室に行くべきだろ。」
「もう何人か向かったよ。帰って来ないけど⋯。」
「小林先生⋯一体どうし⋯きゃああああ!」
小林先生が、私の足にしがみついて来た!
「やめろ!」
「増田さん!」
高梨君と中川君と泉屋君がすぐに小林先生を振り払ってくれた。だけど小林先生は体を大きく動かして、3人から脱出した。小林先生はまた突撃してくる。今度は泉屋君に!
「ぐおおおおっ!」
机がひっちゃかめっちゃかになる。泉屋君を床に倒した小林先生が、彼の顔面を何度も殴り始めた!
「泉屋!」
高梨が小林先生を後ろに引っ張るけど、ビクともしない。中川君も蹴ったり殴ったりしてるけど、小林先生は全く動かない!何で!?
「お前!撮ってないで手伝えっ!」
「凄い!凄いよこれ!あははははっ!」
峯岸君は、笑顔でカメラを暴走する小林先生に向け続けている。この人やばい人だ!確かに映画であるよ?主観映像みたいなやつ。でも、この状況で何で撮ってんだよ!?っていうツッコミがあるじゃない。そのツッコミを現実で覆してるよ、この子!
私は咄嗟に掃除箱に向かう。中から長い箒を取り出して、持ち手の棒の所で思い切り小林先生の頭頂部を殴った!うう⋯人を殴るって嫌な感触だ⋯。
途端に小林先生が動きを止め、私の方を見た。ヤバいヤバいヤバいヤバい。小林先生は一目散に私目掛けて突っ込んできた!なんちゅうスピード!
「増田危ない!」
中川君が叫ぶ!小林先生がジャンプして飛びがかかってきた!
「いやぁぁぁぁっ!」
私は、もの凄い瞬発力で、その場にしゃがみ込んだ。小林先生が窓に突っ込んで、窓ガラスが粉々に砕け散る。そしてそのまま下へと落下していった。
私の右足がジンジンしている。無理をしてしまったからだ。少し落ち着いたら、痛くなってきた⋯。
「大丈夫か増田!?」
「増田さん平気!?」
「⋯大丈夫。」
足下にガラス片が少し落ちているけど、幸い怪我はしてないみたい。
「いっ⋯てぇ⋯。」
泉屋君がゆっくりと立ち上がった。唇から血が出ている。
「大丈夫?泉屋君。」
「何とか。」
「お前、血出てるぞ。」
「やっぱりか。むっちゃ殴られた。」
「ボコスカやられてたもん、泉屋君。」
「大丈夫ですか、泉屋先輩。」
峯岸君はカメラを泉屋君に向けた。
「お前いい加減にしろよっ。」
中川君が峯岸君に詰め寄る。
「いいんだ中川。峯岸の事はほっとけ。」
「何でだよ!?お前を見捨ててたんだぞ?」
「いいんだ。峯岸、撮るならちゃんと撮れよ。」
「分かりました。」
泉屋君、君ってやつは。
「小林先生は?」
泉屋君にそう言われ、私達は粉々になった窓ガラスに気をつけながら、下を覗いた。コンクリートの地面に、小林先生が大の字で倒れている。見間違いじゃなければ、先生の周りに血溜まりみたいなのが出来ている。
「うわぁ⋯。」
「あれは⋯死んだか?さすがに。」
「死んでるかも。」
「私のせい?ねえねえ!」
「増田さんのせいじゃないよ。避けただけだもん。」
「そうだよね?私のせいじゃないよね?」
次の瞬間、学校が揺れた。文字通りの意味で。大きな縦揺れと横揺れ。地震だ!
「きゃぁっ!」
私は思わず叫び声を上げてしまった。でも、大きかった揺れは一瞬だけで、すぐに収まった。
「こんな時に地震か!?」
「何なんだよ一体!?」
中川君と泉屋君が悪態をつく。
「あっ。」
高梨君が外を見て何かに気が付いたようだった。私達も外を見た。
何あれ。遠くの方で何かが歩いている。ビル郡の中を、歩いている。巨人だ。ほんとに巨人が歩いている。高さ⋯何メートルあるの?あれ。人の形をしているけど、全身真っ黒だ。真っ黒な人体模型が歩いてるみたいに見える。歩く度に、ドシーンドシーンという足音が遅れて僅かに聞こえてくる。
「峯岸⋯撮ってるか?」
「撮ってます⋯泉屋先輩。」
「何だよあれ⋯増田。」
「私に聞かないでよ。」
私達は、本当に映画の世界に入ってしまったのかな。目の前の光景が信じられないよ。
「早いな。」
高梨君がぼそっと呟いた。私は、思わずすぐに反応してしまった。
「早い?」
「本当は文化祭の後だと思ってたんだけど。」
高梨君が何を言ってるのか分からない。
「高梨君、何の話しをしてるの?」
高梨君は、街を歩く巨人の事をずっと見つめている。ごめんね高梨君。今、高梨君の事を不気味に思ってるよ?




