今年も何も起きなかった〜すべて君と、事もなし。〜
今年は本当にたくさんの方に拙作をお読みいただいた一年でした。
ありがとうございます。
皆様が愉快な新年をお迎えくださいますよう、祈念しつつ。
王国にも年の瀬が迫っている。
若き王子エドワードは、婚約者のジル嬢と二人で、今年最後のお茶の時間を過ごしていた。
「今年も何も起きなかった」
王子の唐突な一言に、ジル嬢は平然と返す。
「何も、とおっしゃいますと」
「決まってるだろ!」
王子はダン、と机を叩いて立ち上がり、吼えた。
「冒険だよ!!」
彼の行動を予見して、ティーカップを両手に一つずつ持って退避させていたジルは、それをそっと戻しながら確認した。
「冒険、ですか?」
エドワードは座り直した。
「僕は王子だし、腕っぷしもあるし、見た目も悪くないし、そんなに馬鹿じゃない、さらには、王子だ。なのに冒険譚の一つも転がりこんで来ないのはおかしいんじゃない?」
「はあ……」
あからさまに気のない返事だが、エドワードは気にした様子もなく、話を続ける。
「うん、冒険譚。たとえば……ドラゴン退治、とかのさ」
そういえば、とジルは頷いた。
「ドラゴンなら、武術大会の折に召喚されましたね」
「……そうそう!」
それは、春の御前武術大会での一幕である。
初出場の魔術師が、聞き慣れない呪文を唱えたかと思ったら、赤い鱗の大きな──二階ほどの身長のドラゴンが会場に出現したのだ。
「あの時の審判はかわいそうだったな。全身ガクガク震えちゃってさ」
王族用に設けられた席からもその動揺は明らかだった。
「動揺というか……あれは恐怖のほうだった気もしますが」
「かもね。それが、誰かが走ってって耳打ちしたら──」
審判はガクガク震えながらもレッドドラゴンに毅然と言い渡したのだ。
『自分の身長よりも大きな魔物の召喚は、ルール違反となっております』
ドラゴンはそれを聞くなり、頷いた。
『そうか。それは大変な失礼をした』
そして煙のように消え去ったのである。
「律儀なドラゴンで、ようございました」
「契約は守るものだしね、ドラゴンって。……それにしてもあの耳打ちした人、見覚えがあるんだけどな──」
エドワードは首をひねっている。
こほん。ジルは咳払いをした。
「それで、冒険譚とは、他にはたとえば?」
「……そうだった! うーん、困ってる女の子を助けるとかさ!」
ジルは思い出して、口にしてみる。
「そういえば、夏のご視察の折に、悪漢に襲われそうになっていた男爵令嬢をお助けになったとうかがいましたが」
「あったなあ、そんなこと! ああ、でも彼女、助けた直後はキラキラした目で見上げてきたんだけど……」
エドワードはモヤモヤと語尾を濁す。ジルは容赦なく追及した。
「『けど』? いかがなさいました」
「……その後めっちゃ他人行儀なお礼状が届いて、それっきりなんだよねえ……」
「あら、それは残念でございますね」
「うん。僕が王子って聞いて、気が引けちゃったのかなあ」
ジルは肩をすくめた。
エドワードがその場を去ったあと、事後処理を任された騎士がめちゃくちゃイケメンで。
しかもその彼が、男爵令嬢を助けた王子は十六歳になった現在まで、鏡の前でキメ顔とかっこいいポーズの研究に余念がない……などと『うっかり』口を滑らせた──なんてことは、王子は知らなくていいのである。
ご愁傷さま。
めげない王子は気持ちを切り替えたようだ。新たな妄想を口にしている。
「あとは、武具が呪われててそれを解くために旅に出る、なんてのもいいよね」
「呪いなら、秋頃にお受けになったじゃありませんか」
「うっ……あれはしんどかった……」
王族に伝わる宝物を収めた蔵で、エドワードがうっかり触った腕輪が勝手にはまり、抜けなくなったのだ。
「確かに呪いだったけどさー。あれ、何代か前のご先祖様の呪いじゃん……」
「呪いに良し悪しがあるんですか?」
ジルはそう突っ込んだが、ちょっとは気持ちがわからないでもない。
腕輪に宿っていたのは数代前の王妃で、夫である王の多情に振り回されたことで有名な人の怨念だった。
これはもう、どう考えても、アレである。
「きみのアドバイス通り、浮気しないって誓ったら怨念は消えて、外れたけどさあ……」
「ふふっ。……あれはちょっと、嬉しかったです」
「……それならよかったけど」
なんとも言えない空気になった。
互いに茶を一口ずついただき、仕切り直したようにエドワードが口を開く。
「そういえば、秋には城下町で疫病も流行ったじゃない」
「ああ……、ございましたね」
さらっと忘れられかけているが、かなりの大事であった。
「でさあ。今度こそ特効薬を求めて旅に出る流れなのかと思ったんだけどさ」
「特効薬はたまたまご滞在だった友好国の王弟殿下がご存知でしたわね……」
と返しながら、あの時ばかりはさすがに冷や汗をかいた、とジルは思い返す。
人間関係ぐらいならなんとでもなるが、天災のたぐいはそうもいかない。
「結局、王弟殿下に『高くつくぞ』とふっかけられた御恩をどうお返しするか、という悩みに着地したのは幸いでしたね」
「そんなこと言って、殿下がお好きそうな詩人とか楽師をまとめて送りつけることでさっさと解決しちゃったでしょ」
エドワードはジト目である。ジルはさっとお茶請けのクッキーを手にとってスルーした。
自分も、とクッキーを口にする王子に、ふと尋ねかける。
「そういえば、冬に入った頃に隣国の王女殿下がいらっしゃったじゃないですか」
「うん、それが?」
「事件にカウントされないんですか?」
隣国の王女とは、自国はもとより、近隣諸国に名の知れ渡った美少女であった。
誰からも愛されるとされる容貌に、しとやかな物腰、実際、父親である国王から溺愛されているという後ろ盾。
非の打ち所のない彼女は、我が国を訪れるなりエドワードに一目惚れしたという。
ジルは自他ともに認める、可愛げのない貴族令嬢である。髪も目も見栄えのしない色だ。後ろ盾もそれなりの国内貴族。
王女の果敢なアタックが続くと、国同士の関係のためには、ジルに退いてもらって婚約者をすげ替えるべきでは、という意見が宮廷でも起こっていた。
「は? なんで?」
──それらの意見は、このようにエドワードに一刀両断されたのだが。
「僕が求めてるのは、事件じゃなくて冒険。それに、あれは事件にもならないでしょ」
「……と、おっしゃいますと……」
ジルにとっては、それこそ『なんで』、だ。
男爵令嬢からのお礼には期待していたようだったのに。
エドワードはあっさりと答えを明かした。
「だってあの女、きみのこと排除しようとしてたじゃん。そんなの、目をくれる必要もない」
「……………………」
お茶が美味しいなあ。今年の収穫も順調だったようだ。
冬の空は青く、よく澄んでいる。
「あーあ。今年も何も起きなかった」
隣の席で、婚約者が嘆いている。
そしてこちらに視線をやり、ニヤッと口の端を持ち上げた。
「来年も、何も起こらないんだろうなあ」
ジルは音を立てずにカップをソーサーに置き、静かに返した。
「よいお年を」




