悪役令嬢絶対殺すマン
久しぶりに短編小説を書いてみました。
物騒なタイトルですが、暴力的表現はありません。ファンタジー要素も含みます。
それでもよろしければ!
「どうしてこんなことも出来ないんですのっ!?」
甲高い声が響き渡る。荘厳な宮殿にはどう考えても似つかわしくない。
「す、すみません!すぐにお取り替え致します!」
そばにいた召使いが慌ただしく食事を取り下げる。ここでは日常茶飯事だ。しかし今はパーティの真っ最中。会場にいた貴族たちは初めて体験する令嬢の癇癪に目を丸くしていた。
「噂では聞いていたが、ここまでとは……」
「どうやらメインの肉料理が気に入らなかったらしい」
「そんなことで!?レーナ様のお嬢様気質も大概にして欲しいもんだな」
会場はざわつき、至る所でひそひそと陰口が飛び交う。
私は周りの陰口を意に介さず、向かいに座るもう1人の令嬢に目線を向けた。
それは真っ白なドレスを身に纏った麗人。落ち着いた、丁寧な所作で料理を口に運んでいる。
「アリナさん。あなた、よくこんなものが口に出来ますわね。所詮は市民階級の成り上がりということかしら」
嫌味たっぷりに呟くと、アリナと呼ばれたその女は少し震えながらも、こう答えた。
「え、ええ…。私は大変美味に感じておりますわ。それに、出されたお料理を残さず頂くのは市民の頃マナーとして教わったものですので……」
いつもは黙って俯くだけのアリナからの、予想だにしない皮肉に、うっと息を詰まらせる。
「ああ、アリナ様は心までお美しいんだな」
「そうだなあ、レーナ様も黙っていれば綺麗なんだが、性格はまるで正反対だ」
「アリナ様はいつもレーナ様にいじめられている。権力の差っていうのは残酷なものだねぇ」
ざわついた宮殿の一角では、どこぞの貴族がそんな会話を繰り広げている。丸聞こえの陰口にふつふつといら立ちがこみ上げる。
「もう我慢なりませんわ、お部屋に戻らせていただきます!」
勢いよく席を立ち、止めにかかった数人の侍女を無視して会場の外へと飛び出す。
本っ当に無能ばっかり。だからパーティは嫌いなんだ。
煌びやかな青いドレスの両裾を持って早足で歩く。お母様がどうしてもって言うから出てあげたのに、もう全部が台無しだ。
広い廊下を少し行くと、見慣れた自室についた。勢いをつけてベッドに飛び込むと、ばふっという音と共に軽い反発を感じた。
そのままうつ伏せで倒れていると、カンカンに熱せられた頭が徐々に冷静さを取り戻し始める。
どうして声を荒げてしまうのだろう。今ならあんな些細なこと、気にならないのに。どうして我慢できないのだろう。1人の時は冷静でいられるのに。
今になって、後悔の波が押し寄せる。
枕にぐっと顔をうずめる。洗ったばかりの白い枕に口紅がべったりとついた。
アリナを目の前にした時は特にそうだ。無性にむしゃくしゃしてしまう。
彼女には今までかなりの嫌がらせをしてきた。時には罵倒して、時には無理難題を押しつけて。でもその度に彼女は負けじと這い上がる。天すらも彼女に味方しているようで、私に劣等感を植え付ける。世界が、この世の主人公はアリナだと見せつけてくる。
「私だって……アリナみたいに……」
その言葉の続きはついに発せられることはなかった。口に出してしまったら、自分で自分を否定してしまう気がした。そしてその後に溢れる涙を止める方法を、私は知らない。
ふと窓を見ると、大きな満月が浮かんでいた。
「綺麗……」
いつの日か、絵画好きの貴族の自宅に招かれたことがあった。部屋には高名な画家の絵がびっしりと並べられていて、やれこの絵は千年に一つの名画だの、あっちの絵は十億はくだらないだの、解説されたのを覚えている。
でも私が気に入ったものはそのどれでもなかった。隅の方にポツンと置かれていた小さな絵に惹かれたのだ。それは他の華美な絵から隠れるように、ひっそりと佇んでいた。
質素な木製の額縁に、真っ黒に塗りつぶされたキャンバス。その真ん中には大きな満月があった。
一目見た瞬間、引き込まれた。誰がいつ描いたのかも分からない、偶然そこに紛れ込んでしまったかのような絵だった。
今、窓から見えている月は、まるであの時の絵だ。大きな月が、周りの星を全部隠してしまっているみたいだ。
そんな月明かりが照らす窓際の一等地。そこに居座るように、一枚の紙切れが横たわっていた。二つ折りにされていて、内側に文字らしきものが見える。
「手紙……?どうしてこんなところに」
ベッドから起き上がってゆっくりと近づく。拾い上げてみると、書かれていた文章は実に簡潔で、衝撃的なものだった。
『悪役令嬢レーナ様。明日の夜、あなたを必ず殺しに参ります』
産まれて初めての殺害予告だった。
結局、その夜は一睡も出来なかった。布団にくるまったまま一晩中ガタガタと震えていたからだ。
朝日が部屋を照らし、小鳥たちのさえずりが耳に入るようになって、ようやく布団を手放すことができた。
コンコンとドアが鳴る。物音に敏感になっていた体は、思わずビクッと震える。
「おはようございます、レーナお嬢様。朝食のご用意が出来ております」
侍女の声。数時間ぶりに聴いた人の声は、恐怖に染まった心を少しだけ和らげた。
──殺害予告。真剣に考えるなら、十中八九宮殿に仕える者のイタズラだ。私の横暴に嫌気がさした誰かが、私をこらしめようとしているのだろう。そもそも、もしあの文章をお母様にでも見せれば、この宮殿は一晩で要塞と化す。私の命を狙う者が、わざわざそんな殺しにくい状況を作るだろうか。
そうやって大慌てになっている私たち一家を見て、どこかでほくそ笑むつもりなのだろう。悟られてたまるものか。あんな子供じみたイタズラ、効いてると思わせてはいけない。いつも通り、気丈に振る舞うべきだ。
ただ、憔悴しきった心は正直で、さらなる安心を求めてしまっていた。
「ねえ、あなた……。少しだけそこに居なさい。もうほんの少しだけでいいから……」
そんな言葉が出たことに、私が一番驚いた。いつもなら、そっけない返事をしてそれで終わりだったから。驚いたのは侍女も同じだったらしく、わずかな沈黙が流れる。そうして
「……かしこまりました。」
名も知らぬ侍女は、静かにそう言った。
扉越しではあるが、近くに人がいるというだけで、心は随分と落ち着きを取り戻す。なんて単純なのだろう。
チラリと鏡をみる。
そこにいたのはまるで荒野の魔女。パーティを抜け出してからそのままベッドに伏していた私は、想像以上にやつれていて、とても人前に出られる姿では無かった。
パチン、と両頬を叩く。
私はお嬢様。私が何をしようが、何を言われようが、この地位は揺るがない。こんなことでビクビクしていたらレーナの名が廃る。くだらないイタズラのことは忘れて、いつも通り過ごそうじゃないか。
ああ、なんだか前向きな気持ちになってきた。なにをくよくよしていたんだろう。さっきまでの私がバカらしくなってくる。
顔を洗って、慣れた手付きで肌を整える。少しだけ化粧もして、軽装に着替えると、あっというまに、いつもの美しいレーナが出来上がった。
「ありがとう、もう行っていいわよ。さっさと立ち去りなさい」
ドア越しの侍女に声をかける。返事はない。何も言わずに去ってしまったのだろう。どうせ顔も名前も知らないのだから、どうでもよい。そんなことより朝食を食べに行こう。すっかりと恐怖は昔のこととなって、私だけの部屋にお腹の虫がぐうと鳴った。
食事、特に朝食はお母様と一緒に食べる決まりだ。お母様はもう既に食事部屋に来ていて、長いテーブルの真ん中の席に座っていた。
「レーナ、昨晩はごめんなさいね。料理長とアリナには私からキツく言っておいたから」
お母様は私が部屋に入るやいなや、心配そうな目で語りかけてきた。
「いいえ、心配なさらないでお母様。私も取り乱し過ぎましたわ」
広々としたテーブルの中で、お母様の正面の席に座る。左右にはまだ数個の空席があるが、これが使われた日はまだ見たことない。
「ところでレーナ、今日のお昼のダイン王子のお茶会にはなんとか顔を出して欲しいのだけど、大丈夫かしら?」
「少しだけ寝不足ですけれど、問題ないですわ」
ダイン王子はこの国の第一王子である。頭脳明晰、容姿端麗で民衆からの人気も高い。
そんな王子のお茶会は大層人気で、ほとんど雑談しかしないのに、出席するだけで箔がつく。基本は大貴族しか招待されないのだが、王子へのアピールの為に皆こぞって出席権を得ようとする。そんな中で私の一族は多額の税を納めているからか、このような会合には招待されやすい。
「それは安心したわ。あなたもそろそろ婚約者を決めないといけないでしょう。ダイン王子なんかとっても素敵だと思わない?」
お母様は何かあればすぐこの話に持っていく。もしあのダイン王子と婚約できたなら一族は将来ずっと安泰でしょうけど、期待させすぎてもいけないから、いつも小さく笑ってやり過ごすのだ。
「どちらにせよ、母の思いとしては、あなたに幸せになって欲しいのよ」
お母様はうっすらと笑みを浮かべながらそう語った。
「ありがとう、お母様……」
おせっかいな母の愛に少し恥ずかしくなってしまって、目を逸らしてつぶやいた。
それから他愛のない話を数回ほど繰り返すと、朝食の時間は終わりを告げた。一度部屋に戻った後、着替えと本格的な化粧、そして侍女に髪のセットをさせているとあっという間に出発の時間となった。
宮殿の中庭に出ると大きな馬車が二台、私を待っていた。足の太い馬にけん引された客車には、金の細工があしらってある。
「ご乗車ください、レーナお嬢様。ダイン王子の元までお送り致します」
馬車の先頭に乗っていた、上品そうな男が下りてきてそう言った。彼はサッと台座を置くと、柔らかく腰を曲げて右手を差し出した。
「お迎え、ご苦労様。帰りもよろしく頼むわ」
彼は手を取りながら、ええ、と頷いた。
これはダイン王子の所有する馬車。王子はお茶会に参加する人全員に迎えを用意している。こういう細かな気遣いができる余裕が、彼の人気の秘訣なのかもしれない。
私が座席に座ったのを確認すると、男は扉をゆっくりと閉めた。付き人の侍女二人も、もう一方の馬車へ乗り込むと、彼はパチンとムチを鳴らして馬を歩かせた。
カタカタとした揺れにも慣れてきた頃、馬車は王宮までやってきた。
当然ながら王の住まいは、壮観だった。広大な庭に国中の花々が咲き誇っていて、立ち並ぶ銅像は、来客者を歓迎しているようである。天に突き上がるような宮殿には、建築師たちが魂を削ったであろう装飾が細部に散りばめられていた。
もう既に王宮の敷地内だ。中庭まで迎えに来た執事に、会場まで案内される。道中には大小様々な部屋が見えたが、通されたのは、こぢんまりとした簡素な客間だった。
長いティーテーブルの中央に金色の髪を携えた、一人の美男が座っている。
「ごきげんよう、レーナお嬢様。お越しいただけて光栄です」
彼はふわりと立ち上がると、頭を下げた。白手袋の上からでも分かる長い指が、滑らかに曲がる。耳にかかっていた金髪がサラリとこぼれる。たった一つのお辞儀が、彼の品位を物語っていた。
「ごきげんよう、ダイン王子。今日という日を楽しみにしておりましたわ」
軽く膝を曲げて応える。
「さあ、こちらへどうぞ」
促されるままに、彼の右隣へ座る。部屋の前で頭を下げたままだった侍女たちは、別室へと移動していった。
王子と言葉を交わす間もなく、すぐに他の貴族たちも姿を見せた。誰もが名家のお嬢様たちで、鮮やかなドレスを纏っている。深みのある緑、宝石のような黄色。白を基調としたこの部屋は、さながらキャンバスに絵具を撒いたように、鮮やかな色で満ちていく。
ごきげんよう──、ごきげんよう──。
王子は1人1人、律儀に挨拶して回る。
席もほとんど埋まったころ、執事がティーカップとスコーンを運んできた。暖かな紅茶が注がれると、自然とお茶会は始まった。お茶会と言っても、やはりただの雑談会である。それでも他貴族や王子との貴重な交流の場であることに変わりない。
「本日のお足元は悪くなかったですか」
「ええ、この日にふさわしい、爽やかな天気でしたわ」
「それは良かった。北の方では通り雨で馬車が立ち往生したらしく、おひとり参加が遅れるとの報を受けたもので」
王子は少し目を伏せてそう言った。
不運な人だ。きっと気合を入れていただろうに、文字通り天に見放されるなんて。
「それは残念ですわね。……それよりも──」
各々もざわざわと話し始める。
「先日の舞踏会は──」
「庭園のバラの咲きが──」
「都で流行の劇場が──」
他愛無い話題の応酬。
「来賓の方々も絶賛して──」
「庭師の方々が精を出して──」
「スウォル氏演出の劇場で──」
その全てを慎ましく受け止め、返していく王子。誰も不快にさせることのない、圧倒的な技量で、どこを切り取っても隙が無かった。
「レーナお嬢様は、今度の劇場はご覧になられるのですか?」
会話の流れに沿って、彼は私に尋ねてきた。
「もちろんですわ。今回の劇は新進気鋭の脚本家が担当と聞いておりまして、特に楽しみにしておりますのよ」
「お嬢様が期待するほどとは、さぞかし良い劇なのでしょうね。私もぜひ拝見したい」
にこりと微笑む彼の顔を正面から見ると、思わずドキッとしてしまう。
「よろしければ、感想など語り合いたいものですわね」
「素晴らしいご提案だ。ぜひ会を用意いたしましょう」
ダイン王子の言葉に、私も、私も、と群がる女たち。
「それでは、また皆で集まりましょう。語りがいのある良い会になりそうですね」
彼はふふと笑う。陽光のような笑顔に、心がほだされる。
心地よい時間が過ぎていく。ピアノの旋律のように会話が弾み、笑いも増える。なんて良い時間なんだろう。人と衝突しがちな私にとって、この場は久しぶりに素の自分を出せている気がする。それも王子の技量のおかげなのだろうか。
注がれたお茶もすっかり冷めた頃。
──コツ、コツ、コツ。
一定のリズムを刻む足音が聞こえてくる。妙に存在感を纏っているようで、会話の隙間にスルリと入りこむ。その雑音に気を取られた瞬間、それは部屋の前でピタリと止まった。部屋の全員が音の主へ顔を向ける。
「ご無礼をお許しくださいませ。参上が遅れましたこと、心よりお詫び申し上げます」
純白のドレスに身を纏った、美しい女性が膝を曲げる。耳の横で巻かれたブラウンの髪に、聖女のような容姿。胸にある銀のブローチは、決して高級品には見えないが、彼女が付けるとその価値以上の輝きを放っているように見える。
「ア、アリナ……?」
なんで、アリナがここに。
「アリナお嬢様!お待ちしておりました」
逡巡する私の横で、王子がニコリと笑う。
──違う。
彼の笑顔。ついさっきまで見せていた、美麗で完璧な笑顔じゃない。ほんのわずかに頬を紅潮させた、青年らしい、年相応の笑顔。
「どうして……」
漏れ出た言葉を、王子が拾う。
「以前、地方の舞踏会に参加した時、躓いた私を助けてくれまして。もう一度お会いしたかったのです」
さあ、どうぞ。彼はそう言ってアリナを空いていた席に座らせる。彼女は私に小さく会釈だけして、何事も無いようにふるまった。
すぐに執事がやってきて、アリナに暖かな紅茶を注ぐ。
そこからは、彼女の独壇場だった。どんな会話をしていても、王子の興味はアリナへ向く。王子も気付かれないようにしているが、私には些細な言動の差がよく分かってしまった。
これがアリナでさえなかったら、王子とお似合いだなと思っていたか、もしくは倒すべきライバルとして、燃え上がっていたかもしれない。
でも、どうしてか。アリナを前にすると、ふつふつと、感じたことのない黒い感情で胸が満たされていく。
皆が会話に夢中になっている隙。指の先でティーカップを滑らせる。
──カチャン。
カップが倒れ、アリナの純白のドレス、ちょうど膝のあたりが紅茶色に染まる。
「すみません……アリナさん。手が当たってしまいましたわ」
自分でも白々しい演技だった。
「……いいえ、問題ありませんわ」
彼女は騒ぎ立てるでもなく、静かにそう言った。
「お怪我はありませんか、アリナお嬢様。すぐに着替えを用意させます」
王子は手早く執事を呼ぶと、彼女を別室に案内させた。
アリナに嫌味の一つでも言われるだろうと思ったが、彼女は顔をすら向けること無く、ただ優雅に、歩き去っていった。
「アリナ様も行ってしまわれたことだ。日も傾いてきましたし、この辺でお開きにしましょう」
王子がそう言うと、お茶会はすぐに解散となった。間もなく執事が迎えに来て、来客たちを馬車まで案内する。私の元にも執事が来たが、アリナに改めてお詫びしたいと伝えると、彼女がいる部屋まで連れて行ってくれることになった。
本当に詫びたいと思っているわけではない。彼女の、お茶会を台無しにされた、というその表情を見てやりたかった。
そもそも元平民が王宮なんぞに出向くから悪いのだ。それでもドレスの弁償くらいはしてやろうという気になっているのだから、まだマシである。そう思って別室へ着くと、扉越しに男女の会話が聞こえてきた。
「アリナ様、本日はご気分を悪くされなかったでしょうか」
「とんえもないですわ、ダイン王子。このような場に参加できただけでも光栄に思います」
「しかし、貴方ともっとお話がしたかった。後日、改めてここに招待させて頂きたい。そして──」
──その時は、どうか二人きりで。
しんと響く静寂の中で、音もなくうなずくアリナを容易に想像できた。
ああ、そうか。結局、最後はこうなるんだ。
執事を押しのけ、足早にその場を去る。
惨めだった。彼女は私が故意にカップを倒したことを分かったはずだ。それなのに、一つの嫌味も言わず、ほころびも見せず、挙句の果てにチャンスに変えてしまった。
「アリナのくせに……」
ぽつりと出た言葉が、もはやどんな感情からなのか分からなかった。
待機させていた侍女を呼んで、行きと同じ馬車で帰路につく。馬車窓から見える夕陽を眺めていると、少しだけ気持ちが収まった。
──どうして、アリナのことがこんなにも気に入らないのだろう。
──どうして、アリナを貶めようとしてしまうのだろう。
いつもより赤い、赤い夕陽だった。
宮殿に帰り着いた頃には、辺りは暗くなっていた。馬車乗りの手を借りて降りる。別の扉から、侍女たちも同じように降りると、馬車はガラガラと宮殿を後にした。
華美なドレスが月明りを反射して、昼とは違った顔を見せる。露出した肩と腕が冷たい風に触れる。
「後は1人で構わないわ。あなたたちはもう行きなさい」
後ろに付いた侍女にぶっきらぼうに伝える。
失礼します、彼女たちはそれだけ言うと、荷物を抱えて去っていった。
他に迎えは無い。いつもなら怒りたくもなるが、今日は誰とも顔を合わせたくなかった。わざわざ回り道をして、側面の小さな扉から中へ入る。そこから狭い通路を渡って、なるべく人と鉢合わせ無いように自室へと向かう。一人になりたいときはいつもこの道を使っていた。
自室へ入って初めて、張りつめていた心が弛緩した。
「ふぅ………」
服飾の侍女に嫌な顔をされるだろうけど、ドレスはまた後で脱げばいい。今はただ物思いに耽っていたかった。
私はいつだって独りぼっちだ。好んで私に寄ってくる人なんていやしない。確かに、人に好かれたいと思ったことはない。だけど人に嫌われたいと思ったことだってない。何がきっかけで、こんな怒りっぽくて陰湿な性格が根付いてしまったのだろう。どこでこじらせてしまったのだろう。昔は侍女にだってもっと優しかったはずだ。
……………ア、ア、アリナのせいだ。思い返してみれば、私の晴れ舞台には必ず彼女が現れる。そしてみんなの注目をかっさらっていくんだ。だから私は注目を取り戻すために、必死になる必要があった。そして二度と私の前に現れないように、彼女を貶めてきたんだ。
でも、それでもアリナはまた私の前に現れる。
ああ、ああ。アリナが憎い。アリナさえいなければ、私はもっと違う人生を歩んでいたはずだ。
ふと窓を見ると、大きな満月が佇んでいた。昨日も満月だったな。二日続けてこんなに綺麗な月が見られるのも珍しい。
………真っ黒に塗りつぶされたキャンバスに、大きな満月。
また、あの絵のことを思い出した。そういえば、あれは月もさることながら、その背景の夜空も特徴的だった。紺でも藍でもない、星さえない黒色。作者は何に思いをはせながらあの絵を描いたのだろう。今見ているような、美しくて大きな満月に惹かれたのか。それとも、その月から産まれた黒い夜空に惹かれたのか……。
だって、あんなに真っ黒な、真っ黒な、真っ黒な、真っ黒な、真っ黒な………。
なんだか思考がまとまらない。窓の隙間から侵入してきた、黒々とした夜空に吸い込まれそうになる。
だって、こんなに真っ黒な、真っ黒な、真っ黒な、真っ黒な、真っ黒な、真っ黒な、真っ黒な、真っ黒な、真っ黒な、真っ黒な、真っ黒な、真っ黒な、真っ黒な、真っ黒な、真っ黒な、真っ黒な、真っ黒な、真っ黒な、真っ黒な、真っ黒な、真っ黒な、真っ黒な、真っ黒な、真っ黒な、真っ黒な、
「そこまでです。レーナお嬢様」
背後からポンと肩に手が置かれる。いるはずの無い人の影に、現実に引き戻される。
「誰……!?」
振り返ると、既に人影はない。
「お伝えはしておきました。本日、悪役令嬢レーナ様を殺しに参りました」
今度は窓の方から声。そこには月明りを背に、長身の男が佇んでいた。逆光で顔はよく見えない。白いタキシードと白い手袋をつけた彼は、まるで執事の挨拶のように頭を深く下げた。
綺麗だった。私を殺すと宣言した男が目の前にいるのに、彼の所作が、彼の声が、妙に心を落ち着かせる。本当なら、もうとっくに叫び声をあげているはずだ。だが彼の柔らかな雰囲気がそれを妨げていた。
「もしかして、昨日の手紙のことかしら……?趣味の悪いいたずらだと思っていたけど、どうやら本物だったみたいね」
「覚えていてくださり光栄です」
彼はまた深く頭を下げる。
「忘れるわけないわ、あんな悪質な手紙」
じりじりと下がりながら、目だけで何か武器になりそうなものを探す。
「誰に雇われたか知らないけど、さっき後ろから殺しとくべきだったわね。大声を出せばすぐに家の者が駆け付けるし、それまで必死に抵抗させてもらうわよ」
精一杯強気な声を出す。
「それは困りますね……」
彼は本当に困ったようにそう言った。
変な奴だ。いや、変な奴だからこそ殺害予告なんてしているのかもしれない。少しの沈黙の後、彼はまた口を開いた。
「……レーナ様は、自分の意思に反して、特定の誰かを貶めてしまった経験はおありでしょうか」
突然何を言い出すのだ、この男は。律儀に答える必要もないが、その質問はあまりにも私の心に直球だった。
「………」
「癇癪でもなくて、もっと心の内側にある、得体のしれない黒い感情で染まってしまう。そして、その攻撃性が“誰か”を貶めるために働く。レーナ様の場合、その誰かとは──」
──アリナ様ですね?
彼は飄々と言った。
「……何が言いたいの?」
心の中を不躾にのぞき込まれたようで、気持ちが悪い。私の何を知っているというのか。
「アリナ様にとって、レーナ様はまさしく“悪役”でしょう。そんな悪役令嬢の行く末を知っていますか?」
彼は少し顔をうつむかせた。
「大方、ある日突然、まるで誰かに乗っ取られたように人格が変わる、のです」
彼はそのまま続ける。
「それは今まで固執していたしがらみから抜け出し、全てを解消して第二の人生を歩んでいるとも言える。ただ、私にとってのそれは、この世界の人間が一人、無駄死にする事となんら変わりない。家族でさえも、“元の彼女”が既に死んでいることに気が付かないとは、なんと虚しいことか」
急な話に頭が追い付かない。しかしただのデタラメにしては、彼の話し方は真剣そのものだった。
人格が変わる?全てを解消して第二の人生を歩む?そんな都合の良い話は聞いたことが無い。さらに当の本人は悪役というのだ。もし本当だとしても、そんな悪役がその荷を下ろせるのなら良いことではないか。
私は、アリナの悪役……。
アリナは、私がいなくなれば清々するのだろうか。何事も意に介さないように見えて、腹の中では私を憎んでいるのだろうか。当たり前だ、今まで相当の嫌がらせをしてきた。
……そうか、私は悪役だったんだ。だから、殺されるんだ。今報いを受けるんだ。
性格が悪いのは分かっている。自分の感情すら制御できなかった私に落ち度があるのは間違いない。
ただ、好きでこんなことやってるわけじゃない。アリナを前にすると、泥のような感情がまとわりついて、私の思考を邪魔する。いつしかその泥がこびりついて、本当の私を閉じ込める。
普通でありたい。みんなと仲良くしたい。でも、ほんの少し欲を言うなら、
私だって、アリナみたいに──。
──眩暈。視界がぼやける。そういえば、昨日から一睡もしていない。きっと頭が疲れきってしまったのだ。不審者の話をこうも真面目に聞いているのが何よりの証拠だ。
目をやった先、棚の上に小さな果物ナイフを見つけた。
男との距離も十分にある。拾い上げて大声を出せば、うかつに近寄れないだろう。
全身にぐっと力を籠める。一息でナイフを取ろうとした瞬間。
「──だから“悪役令嬢レーナ”を私が殺します」
気が付けば、彼は私の体を抱えていた。
月明りに照らされたきらびやかなドレスと純白のタキシード。傍から見れば、幻想的なダンスを演じているようだった。
ただし、彼の右手には銀色の短刀。それが私の胸に深々と突き刺さっている。
「貴方は悪役です。なぜかは分かりません。……その方が都合がいいのでしょう」
声が出ない。冷たい感触が胸の中に広がる。心の奥底で縛られている、魂みたいなものが抜け出していくのを感じる。それと同時に、固まった泥が熱でゆっくりと溶けていくような、心地よさをも感じる。
「“悪役”は殺しました。あなたは“令嬢レーナ”です。これからはもっと自由に生きてください……」
──カラン。
冷たい夜風と共に、彼は消えた。残ったのは銀色の短刀。それも既に胸から抜け出て、床に落ちている。
そっと胸に指を沿わせる。
傷も無い、血も出ていない。ただほんのりと熱がこもっていた。
悪役って、結構理不尽に悪役を着せられているなあ、と感じる事がありますよね。そんな悪役はどうやったら誕生するんでしょう。もしかしたら、本人もその悪役を望んでいないかもしれない。ましてや転生先に選ばれるなんてとんでもない!と思っているかもしれません。
そんな妄想が1つの作品になりました。(実際には悪役令嬢で憑依+転生系の作品は憑依先がゲームキャラクターだったりするので、人格云々はあまり触れられないみたいですね)
後半の怒涛のファンタジーで読んでる側は何が何やらと言った感じですが、一人の悪役令嬢が救われた(?)なら良かったです。タキシードの男はこれからも世界の悪役令嬢を悲惨な運命から救ってくれるでしょう。




