021-2-2_ ダニールとマリーナ
夕食を食べ終わった後、焚火の火をぼんやりと見ていると、ダニールが、マリーナとの馴れ初めを話し始めた。
「……実を言うと、マリーナは僕の初恋の人なんだ。まさか、あんな形でマリーナと再開するなんて、思いもしなかったよ……」
ダニールの横顔が、焚火の火にほのかに照らされる。炎の黄色い光が彼の瞳に反射してゆらゆらと揺れていた。
まつ毛長いね。
彼女の話をする彼は、とても優しい眼差しをする。
「……マリーナのことは小さいころから知っていてね。近所で評判の美人だったんだ。僕はずっと彼女に憧れていた。彼女も僕の気持ちに気づいていたと思うんだ……」
彼はいつか一人前になったとき、マリーナにプロポーズするつもりだったらしい。しかし、彼女が二十歳のとき、町の有力者の倅に見染められ、マリーナは、突然、結婚してしまったのだそうだ。彼女はその倅のことを知らなかったようだけれど、噂では彼女の家が有力者の遠い親戚に当たるということだった。その倅は世間でも有名な遊び人で、彼女のことを知る人間は、みな、彼女のことを心配していたらしい。
「……あの時は、なんであんな奴と、って思っちゃったけどね、今思えば、マリーナにはマリーナの事情があったんだろうし、彼女も同意の上だったからね。でも、僕は、マリーナが結婚した後も、彼女への想いを、長いこと断ち切ることが出来なかったよ……」
「本当に、そのマリーナさんの事が好きだったんだね」
「ああ、大好きだったさ。もちろん今もだけどね……」
彼が焚き火に薪をくべる。
「……ところが、僕が店を継いだ頃、彼女の母親が店に食事にやってきたんだ。彼女の母親は嬉しそうに、孫が可愛くて仕方がないと話していたよ。それを聞いて、やっと、自分の気持ちにけりを付けることができたんだ……」
「本当に一途だよね。結婚した相手のことを随分と引きずっちゃったんだ?」
「おかしいだろ?」
「いや、そうじゃなくて、そんなに好きになれる人がいて羨ましいよ……」
僕は、そもそも彼女いない歴が年齢の恋愛未経験者ですから。
ダニールは話を続けた。
「……ところが、今から一年ほど前のことだ。町に変な噂が流れだしたんだ」
「噂?」
「ああ、幽霊騒ぎさ。有力者の家に夜な夜な女の幽霊が出るっていうね。でも、真相はすぐに判明したよ。幽霊の正体はマリーナだったんだ……」
「マジで? それは心配だったでしょ?」
「もちろんだよ、初めて聞いた時は、居ても立っても居られない気持ちだったし、随分と彼女の事を心配しちゃったさ……」
ダニールは、後になってマリーナから聞いた話だと言って幽霊騒ぎの事情を話した。マリーナは、夫の浮気に愛想をつかし、一人娘を連れて家を出ようとしたけれど、使用人に見つかってしまい、それから彼女は娘とも引き離され、屋敷の離れに追いやられてしまったらしい。そうした状況が数か月続き、彼女は精神的に追い込まれていったのだった。
「それは酷いね」
夢遊病かな? 子どもの事が忘れられないんだね。でも、そんなの、当たり前だ。
「エリアも、そう思うだろ?」
「うん」
「……それからしばらくしてさ、マリーナが突然僕の店にやってきたんだ。今から半年前の話なんだけど。僕はとても驚いたよ。最初、マリーナだとは気が付かなかったほど彼女はやつれていたんだ。それから、彼女は使用人の女と一緒に僕の店を度々訪れて、食事するようになった。それは、彼女の望みだったのかは良くわからないけど、僕の店は彼女が育った地区にあるからね。彼女のためにそうしたのかもしれない。僕も彼女が来るのを楽しみにしていた……」
その後、ダニールは、様子を見てマリーナに声を掛けた。マリーナは、そこがダニールの店だと知っていたのだけれど、使用人の手前、彼に声を掛けるのをためらっていたらしい。しかし、ダニールから声を掛けられ、彼と少しづつ言葉をかわすようになったようだ。それからマリーナは、ダニールの店に週に一、二回訪れた。彼女はずっと使用人と一緒にやってきていたけれど、ここひと月はマリーナが一人で来るようになっていたそうだ。
「じゃぁ、ダニールがマリーナさんの支えになってたんじゃない?」
「それはどうかな? でも、確かに彼女は体調が良くなってきたみたいで、僕はそれが嬉しくてさ。それから、マリーナは、少しずつ自分のことを僕に話してくれるようになったんだ。彼女は子どもの事ばかり話していたよ。僕はただ、彼女に寄り添って、彼女の話を聞いていただけだけどね……」
マリーナには、話せる相手が自分しかいなかったのかもしれないと、ダニールは言った。しかし、事件は、突然起きたのだった。
「三日前のことだよ。マリーナが僕の店で食事をしていると、いきなり二人の男が店に入ってきて、彼女を拘束した。そして、彼女は強引に店の外に連れ出されたんだ。僕は咄嗟に彼らに掴みかかったけど、奴らの後ろには官吏がいてね……」
ダニールは長い薪を半分に折りながら、呟くように言った。
「……どうしようも……できなかった……」
焚き火にくべられた薪が小さく爆ぜ、パチパチと音を出す。彼を見ると、その表情からはいつの間にか笑顔が消えていた。
彼の話では、官吏というのは、国の役人のことだそうだ。マラケスはメルーズと同様に、アトラス共和国という大国に属する街で、そこの執政官はアトラス共和国から派遣されている。そして、執政官がいる館、つまり、アトラス共和国行政府のマラケス辺境出張所で執務を行っているのが官吏なのだと。
ダニールは、辺境出張所に行って官吏から事情を聞いたようだ。それによると、マリーナの夫はマリーナを浮気の咎で辺境出張所に告発し、それが受理されたとのことだった。そして、夫の権利として、妻を奴隷として売却する許可が下りたのだ。ダニールの話では、アトラス共和国の法律に、妻が浮気をした場合、夫は妻の生存権を自由にすることができるという規定があるらしい。当然、彼は抗議したが、浮気相手がダニールである疑いがあると脅され、彼は引き下がるしかなかったと言った。
ダニールは話を続けた。
「僕は、このことがあって、やっぱり彼女のことを愛していると自覚したよ。だから、僕は店を形に入れて金をつくり、こうして彼女を追いかけてきたっていうわけさ。ハハハ!」
彼は、虚しく笑った。
そうなのか。それにしても、父親から継いだ店をあっさりと形に入れるなんて思い切ったもんだね。それとも、無計画なだけなのか。どちらにしても、ダニールは、それほど彼女を愛しているってことだよね。
僕が荷馬車で初めて彼女を見た時には、もう人生を諦めていたような顔だったけれど、彼女が奴隷市場でダニールの顔を見たときは、ほんの少し、目に輝きが戻ったような気がした。彼女にしてもきっとダニールはそういう大切な人なのだろう。ただし、穿った見方をすれば、マリーナがダニールと仲良くなるよう、ワザと仕向けられたというようにも取れる。ダニールは素直なようだから疑ってないのかも知れないけれど、マリーナは夫に嵌められて売られた可能性だってある。
真相は分からないけど、妙な違和感を感じるんだよね。
せめて、僕が男爵の家に買ってもらえることができれば、彼女は、新しい人生を掴めるかもしれない。それにしても、レムリアさんも言っていたけど、女性の社会的地位は無いに等しい世界だよ、ホント。
「さぁ、明日も早い。今日は、もう眠った方が良さそうだね。僕が見張をしているから、エリアは眠るといい」
彼はそう言って、僕に彼が羽織っていたマントを掛けてくれた。
ホント、優しいね、ダニール。
僕は僕で、探知魔法を自動化して一晩中発動することにした。
これで安心だ。
そうして、その晩は何事もなく無事に朝を迎えることが出来た。
「面白いかも!」
「続きが気になるぞ!」
「この後どうなるのっ……!」
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