017-1-17_クリトリアの種
女性は、優しく諭すような話し方で、僕にその種を呑ませた理由を話した。
「……エリアさん。あなたは、心が男性ですわね。しかし、そのままですと、いくら女の身体でも、いつまでも男性のままですわ。それはそれで一つの表現ですから良いのですけれど、女神ガイアは、エリア様のために生まれて成長してきたその身体の事を、深く深~く、感じて欲しいと考えておりますわ。そうすることで、女神の祝福加護の、真の恩恵を得ることができますのよ。クリトリアの花は……」
女性の性質を引き出すことに、とても役立つらしい。
「……では、少し、試してみましょうか?」
「えっ? 何を?」
「もちろん、種の効果ですわ。まぁ、イメージトレーニングみたいなものですわね。少し、目を閉じてくださいな……」
女性は、そう言って手を翳す。そして、言われた通り目を閉じた。すると……。
ん? あー、何だか、い〜い匂いがするぅ〜。温かくって〜、……なんか、柔らかぁ〜い……。う〜ん? あ、あれ〜、ちょっと……何だろう……?
胸の中から湧き上がってくる感覚。前に出ようとする意識が影をひそめ、自分の繊細な部分、少し、弱いと感じていた控えめなところ、そんな性質が前世の記憶と共に甦る。
……そうだ、僕は、黒い水筒よりも……そっちのピンク色が……欲しかったんだ……。
……?
えっ!
「な、何だっ、今のっ!?」
「……どうやら良さそうですわね。エリアさん、これであなたは、身体の成長に合わせて女性の心を取り戻す事ができるでしょう。クリトリアとともに、あなたの女性の側面を引き出して存分に女を磨いてくださいな。フフフッ」
女性は、しゃがんだまま頬杖をついて、艶めかしい笑顔を浮かべた。
「ど、どういう事? こ、これから、僕は、ど、どうなるのっ?」
「心配には及びませんわ、楽しめば良いだけの事です。女の身体は、とても素晴らしいものですわよ」
女性は、そう言って舌なめずりをした。
ゾクッ! お、悪寒がするんだけど……。
それにしても、今のは何だったんろう? 聞いても教えてもらえないところを見ると、聞かない方がいい事なのかもしれない! いや、でも、もしかしたら、身体が成長すると女の子の性格が出てくるって事じゃないよね? ムムム、そんな事になったら大変だぞ! だ、だって、ほら、い、いろんな事が……ん? どうなっちゃうんだろう? あっ、でも、あれだね、身体の成長に合わせて、とか言ってたか。それなら、徐々にって感じかな? 心の準備期間ある? いやいやいや、そんなの聞いてないし、やっぱ性格まで女の子になっちゃうなんて、無理っ!
彼女が立ち上がった。
「私を覚えておいてくださいませ。それでは、またお会いしましょう、エリアさん。フフフ」
彼女はそう言って手を小さく振った。
この人、この先も僕の人生に絡んでくるのか? できるなら遠慮しておきたい。でも、忘れたいけど、忘れられない。あんな禍々しい覇気なんて……。
彼女が歩きかけると、僕との話が終わるのを待ちわびていたのか、奴隷商の案内役の男が、手揉みをしながら彼女に近寄った。
「どうです? マダム。あの娘、お安くしときますぜ」
そう言うと、案内役の男は、小さなボードを彼女に見せた。しかし、彼女は、案内役の男に声を掛けられても、「安すぎますわ」とだけ言って男を相手にしようとしない。そこで、男は、しつこく彼女の前に回り込んだ。
「流石はマダムですぜ」
男がそう言うと、彼女は、カツンと靴音を立てて立ち止まった。そして、男をチラッとだけ見ると静かに言った。
「消し炭にいたしますわよ」
ゴクリッ!
息を呑む! 彼女の所作は優雅だけれど、案内役に向けられた言葉には、その通りの意図以外に何もないという冷徹さが込められていた!
彼女の言葉を聞いて、男は固まったように沈黙した。どうやら、男は萎縮してしまったようだ。それを見て、彼女はまた入口に向かって歩き出した。
「ふう〜。き、緊張したよ、まったく……」
彼女が行ってしまった後で、ようやく我に返った案内役の男は、顔を青ざめさせながら奥へと下がって行った。もし、もう一言男がしゃべっていたら、彼女は、本当にあの男を消し炭にしていたに違いない。
何だろう? あの人に感じる感覚って、恐怖? いや、畏怖? かな。
結局、彼女が何者なのか、肝心なことは教えてもらえなかった。けれど、僕の事情も良く知っていたし、少なくとも、あの女性が人間でない事は間違いない。
あんなの、お頭の比じゃないよ。いやいや、そんなレベルでは決して無いよね。もっと、こう……何だろう、そう、世俗的な世界には存在していないような……。美貌も人間離れしてたし着ていたドレスだって地球のデザインっぽかった。もう、あんまり関わらない方が良さそうだよ。次、また、何されるか分からないからね。あの口ぶりからして、多分、レムリアさんの知り合いだろう。ただ、どんな存在なのかは気になる。
彼女の気配が無くなると、辺りは元の内覧の雰囲気に戻ったようだ。彼女がいる間は、みんな彼女を見ていたのだろう。それほどの存在感だった。
ようやく辺りが落ち着き、ゆっくりと内覧の様子を見ていると、変態貴族どもが求める娘奴隷のような需要はむしろ少なく、一番の目的は労働力の確保だろうということが分かってきた。客の振る舞いが、どちらかと言えば実務的だったからだ。中でも人気なのは大人の女奴隷で、その檻には客が何人も見に来ていた。家政婦などの需要が高いのかもしれない。僕のことを気にかけてくれていた向かいの女性奴隷の檻にも、複数の客が来ていたようだ。
気の毒なのは、大人奴隷はみな、内覧の客の前で全裸にされることだ。その上、口を開けさせられて歯を調べられている。病気やケガなどがないか見るためだろうけど、女性奴隷には特に酷だ。僕の向かいの彼女もブラウスとスカートを脱がされて下着姿になっている。さすがに触られたりはしてないようだけど。
「可哀そうに、屈辱的だな」
しばらくすると一人の若い男が焦ったように入ってきた。その男は脱いだマントを小脇に抱えながらシャツとズボンという何処にでもいるような平服を着ており、腰に巾着袋を吊り下げて、奴隷の檻を足早に見て回っている。そして、僕の向かいの彼女のところに来ると、駆け寄って女性の名前を言った。
「マリーナっ! よ、良かった! 間に合った! もう会えないかと思った!」
すると彼女は驚いたような顔をして、檻の鉄格子に飛び付いた。そして、二人は鉄格子を挟んで手を繋いだ。
「あの男は彼女の知り合いかな?」
しかし、間が悪いことに、お頭がこちらに歩いてきている。大きな湾曲刀も腰に下げたままだ。
「ちょっと、やばいかも。お頭に見つかっちゃうよ」
ところが、二人はそんなことに気づく様子もない。一方、お頭は、もう二人に気づいているようだ。奴は、真っすぐに彼女の檻に向かっている。
「ヤバい!」
お頭の左手が刀の鞘にかかった!
「どうする? どうすんの? あー、どうしよう?」
魔法を使えばこの場は凌げるかもしれない。しかし、僕が魔法を使えることがバレてしまう。
「マズイぞ~」
お頭が剣に手を添えて構えたっ!
「あ~もう、こうなりゃ仕方ないっ!」