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125-7-6_サリィの記憶

「はい。特に、妻の方からの虐待です。そして、夫の方は全くの無関心を示しておりました……」


 アリサは、サリィの髪の毛を優しく撫でている。


 アラクネは、話を続けた。


「あの子の心は、とても愛情に飢えていました。ですから、妻の行為を愛情だと理解してしまったのでしょう。その事が、さらに問題を長引かせてしまったようです……」


 アラクネによると、学者夫婦は、最初の頃にはサリィをとても可愛がっていたようだ。彼女は、学者夫婦に優しい愛情を向けられ、彼らを本当の両親のように慕うようになっていったのだそうだ。そして、サリィの愛らしい顔立ちは、近所でも評判になり、周囲にもとても可愛がられる事となったらしい。

 ところが、サリィが成長していくにつれ、夫の様子が変わっていったようだ。


「……学者である夫は、もともと、他人には無関心な性格で、妻との会話でさえ多くはありませんでした。ところが、サリィを養子に迎えると、夫はサリィの事を過剰なほど過保護に扱うようになっていきました。恐らく、これまで他人に向ける事が無かった関心が、一気にサリィに向かってしまったのでしょう。その事が夫婦の間に亀裂を生じさせていったのです……」


 アラクネの話では、それまでほとんど外出もしなかった様な夫が、サリィが来てからは三人で積極的に外出するようになったらしい。そして、その度に、夫は、彼女に洋服を買い与えたり人気のレストランで食事をしたりなどと、妻に対しては行ってこなかった事を、サリィには、まるで新しい恋人でも出来たみたいに振る舞うようになっていったらしい。一方、精神的に幼さが残るサリィは、夫のそうした態度が、傍にいる妻のストレスに繋がっているとは、到底、理解出来る訳もなく、妻の嫉妬心が膨らんでいったようだ。


「そして、とうとう、その事が起きてしまいました……」

 

 ある日、サリィは戸惑いのあまり、夫から口止めされていた事を妻に話してしまったそうだ。それは、夫から渡されたサリィへの誕生日プレゼントの話だ。


「サリィも、あまりに高価なプレゼントをもらってしまって、どうすればいいのか分からなかったのでしょう……」


 ……。


 本当のサリィの誕生日はいつなのか分からない。そのため、孤児院では、彼女がやってきた日を誕生日としていたそうだ。それは五月。ところが、サリィを引き取った夫婦の間には、もはや、お互いの誕生日を祝うという気持ちが失われていたらしく、サリィを引き取ってからも、家族で誕生日を祝うことは無かったそうだ。しかし、夫は、サリィが十七歳になった時、突然思い立ったように、五月の誕生石であるエメラルドのネックレスを彼女にプレゼントしたのだった。


「……サリィは、夫からのプレゼントを、決して嬉しそうに妻に報告したのではありません。ただ、彼女の表情に少し恥じらいがあったのは事実です。そんなサリィの胸に美しく光るエメラルドを見て、妻は、一気に、その嫉妬心に火を着けてしまったのでしょう。何故なら、妻の誕生日もサリィと同じ五月だったからです……」


「うわぁ〜、それはちょっと……」


 学者の妻による虐待が始まったのは、それからすぐの事だったようだ。妻は、サリィが言いつけを理解できなかったり、忘れていたりしたときに、躾だとして、「あなたのためにするのよ。私も辛いの」と言いながら、虐待を行っていたようだ。夫は、そんな妻の態度から、サリィに対しても無関心になっていったそうだ。


 アラクネは、悲しい顔をしたまま説明を続ける。


「学者の妻は、あの子の肌に、焼けた火箸を当てたのです……」


「火箸だって!? そんなの拷問じゃないかっ!」 


 アラクネは、そのような状況も、当然、知っていたそうだ。しかし、本来、非物質存在である精霊や妖精は、契約関係にない人間の人生には直接の干渉をしないらしい。サリィに対しても、アラクネは、ただ、配下の蜘蛛を通して見守ることしかしない。それが、妖精の有り様なのだと言う。


「少し、冷たいとお感じかもしれませんが、私は、夢を通してこの子の意識に働きかけをしていたくらいです。女神様であればご理解くださるでしょう」


 アラクネの言っていることは分かる。世の中には全てにおいて自然な流れがある。もし、人間が自然に直接干渉すれば、返す波のように逆からの流れが生じてくる。しかし、人間が人間社会の中で何をしようと、それは、直接的な自然への干渉では無いということだろう。そうした人間の行為が余程の大きな問題に発展しないかぎり、自然は人間の自由意志に任せるのだ。

 サリィが子どものときに蜘蛛を助けた行為は、例え小さなことでも、自然への干渉だった。だから、アラクネは行動を起こすことにした。しかし、この虐待については、そうでは無い。


 アラクネは、何もしなかった訳じゃ無いと思うけどね……。


 その後、サリィは、酷い火傷を負いながらも、普段は優しい学者夫婦と十八歳を迎えるまで一緒に暮らしたのだそうだ。しかし、養母の虐待は、過酷さを増していったらしい。そして、サリィの十八歳の誕生日の夜、彼女が寝ていると、突然、妻が部屋にやってきて彼女の着ていたスリップを剥ぎ取り、サリィの胸に焼けた大きな火バサミをあてた。その時に妻が叫んだ言葉を、サリィは今でも覚えているそうだ。


 ”あなたにも分かって欲しいの。私の心は、これよりも、もっと痛いのよっ!”


 その時、サリィは、恐怖と痛みで身体が動かなくなり、気を失ってしまったらしい。その後程なくして、学者夫婦は、サリィを奴隷商に売り渡したと言う。


「酷いっ! 酷すぎるっ!」


 結局、学者夫婦は、自分たちの感情のはけ口として、サリィを引き取り、挙げ句の果てに彼女への虐待を行っていたのだろう。サリィは、その後、ボズウィック男爵家にやって来た。身体の割に精神が幼いサリィ。


 さっき、サリィは、お母さん、赦してっ、て言っていた。もしかすると、彼女の心は、まだ、学者夫婦の下にいるのだろうか……。


 アラクネは、一歩前に進み出ると、六本の足を折って床に腹を付けた。


「女神様、どうか、この子に祝福を下さいませ」


 アラクネは純粋な非物質存在の妖精だ。その妖精が、一人の少女のために頭を下げた。


「うん。そのつもりだよ」


 サリィの身体と心を回復させるには、それしか無いだろう。ただ、女神の絆の権能については、事前に説明したほうがいい。


 実は、アリサにも、まだ、言ってないんだよね。


「アリサ」


 まずは、アリサに説明する必要がある。彼女に向き直ると、彼女の両手を取って微笑んだ。


「アリサにも、キスをしたけど、実は、僕がキスをすると、女神の加護が付与されることが分かったんだ……」


 そう言って、アリサに説明をした。


 女神の絆の加護を受けると、妖精や精霊と契約し魔法使いになることができる。さらに、本人が望むなら精霊化することも可能だ。そして、精霊化した場合は、僕と人生を共に生きることになる。もちろん、妖精や精霊の同意が必要なのだけど。


「アリサにも、女神の絆が与えられているんだ。知らなかったとは言え、勝手なことをしちゃって、ゴメ……」


「嬉しいですぅっ!」


 そう言うと、アリサが飛びついてきた。


「ほ、本当ですか? 私、絶対、精霊になりたいですっ! ずっとエリア様と同じ時を過ごせるなんて、ゆ、夢のようですっ! 私! 何の精霊になれば良いのでしょうっ!」


「わ、分かった。ちょ、ちょっと、アリサ、離れてもいいかな?」


 アリサの興奮が治まらない。彼女は、胸の前で手を祈るようにして組み、目を潤ませ、中空を仰ぎ見ている。


「ま、まぁ、そうだね。何の精霊になるかは、ゆっくりと考えようね」


 そう言って、アリサの肩に両手をやって、そっと、彼女から離れた。


「あの、それでね、アリサ。サリィにもこれからキスをしようと思うんだけど、アリサの意見を聞いておこ……」


「そんなの、喜ぶに決まっていますっ!」


 即決っ!


「で、でも、一応、サリィにも聞いておこうね」


 そう言うと、アリサが、「絶対、喜びますよ。この子だって」と言いながら、サリィの身体を揺すって彼女を目覚めさせた。

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