009-1-9_魔法?
前方の御車台には、男が二人が座っている。奴隷商の奴らだ。その内の一人が幌を少し開けてこちらを覗いた。
「ガキは目が覚めたようだぜ」
覗いたのは髭面の男だ。
あいつだっ!
僕を攫ったのはこの男に違いない。あの髭面は記憶にはっきりと残っている。幌から覗いた男に、もう一人の男が話しかけた。
「暴れてねえですかい? まあ、突然、攫われて何も分かっちゃいねえでしょうがねえ、アニキ」
「そうだな、まぁ、俺たちが通りがからなかったら、どのみちアルミラージに食われてただろうけどな。命拾いしたんだから感謝してもいいんだぜ。へへっ。まぁ、でもよ、このガキは上玉になるぜ、きっと。俺たちに捕まらなきゃ、いいとこの妾くれぇにはなれたかもなぁ」
「アニキ、分かるんですかい?」
「ったりめぇだ! この稼業を続けたきゃ、俺のように目を養っとかねぇと大損しちまうことになるぜ」
「流石はアニキ!」
僕のことを言ってるんだな、クソ野郎どもっ! ガキじゃねぇっ、つうの! これでも十八だ、馬〜鹿! 誰が妾になれるだぁ? 人攫いどもめ、地獄に落ちちゃえっ!
あんな苦しい目に遭わされたことは、絶対、忘れないっ!
そして、男は幌から手を放し前を向いた。
「それにしても、早く仕事終えて、一杯やりてぇですねぇ、アニキ」
「そうだな。まぁ、明日には市場に着くだろうさ」
ん? 市場? 奴隷の市場ってことか?
辺りはもう随分と暗くなっていた。荷馬車の中も、明かりがなくて目が効かないし、それに、夜になって少し肌寒むくもなってきた。
転生初日が終わって行くね。この後どうしようかな?
いろいろと不安もあるけれど、とりあえず、生活の拠点をなんとかしないといけない。
魔法は、まだ使えないし……。
呪文とかも知らないけど、適当にやれば何か起きるように思う。しかし、しっかりとコントロールしないと暴走するって言われていたし、使うには練習が必要だ。
今、ここで魔法を使うのは危険だな。
それに、もし、ここから逃げ出せたとしても、今は、その後のプランが全く無い。
市場に行くっていうことは、そこには町があるってことだよね。う〜ん、町までこのまま行くっていうのもありかな。
その後、荷馬車はどこかで止まり夜を明かした。
ーーーー。
朝が来た。
荷馬車は朝まで同じ場所に留まっていた。外は晴れていて朝日が荷馬車を照らし、荷台の中まで明るい。しかし、床板は固いし、荷馬車でなんて眠れるようなもんじゃない。
「出発するぞ。もう少し行くと川がある、そこで馬に水を飲ませろ!」
アニキの方が、御車の男に指示を出した。それから三十分ほど走ると、荷馬車は川の近くで停車した。そこで、奴隷たちには、水袋を一つと硬い乾燥したパンが五つ、檻に放り込まれた。
「パンが食べられるだけ贅沢だぜ!」
奴隷商の男はそう言うけれど、パンはパサパサしてまずいし、水は川の水だ。奴隷たちはパンを分け、水を回し飲みした。その後、奴隷商の男たちは排泄の時間を取った。彼らは、奴隷の扱いに手慣れていて、一人づつ縄をつないで荷馬車から降ろし、用を足させた。アニキの方が、「逃げるなよ」と言いながら、魔法の杖を奴隷たちにちらつかせている。そして、奴の腰には、巻き束ねた鞭がぶら下げられていた。
こんなに縛られて、逃げられるわけないだろっ!
男の奴隷の後、メイド服の女性が呼ばれて、そして次が僕の番だ。
ドキドキする! どうやってするんだろう? さっきの女性についていけば良かったな~。しゃがんでするんだよね? ちゃんと出来るか不安だな~。見られるのも嫌だし。でもやるしかない!
アニキに急かされて草むらにしゃがみ込んだ。
急かさないでよねっ! 緊張すると出ないだろ、まったく。リラックスリラックス……。
ふぅ~。
終わってみれば、心配する程でも無かったけれど、女の子の身体で初めてだから、ちょっと戸惑ってしまった。まぁ、感覚はよく似たもんだ。でも、この体で外でするのは、ちょっと恥ずかしい。
そして、最後は、僕を抱きしめた女性の番だ。しかし、彼女は立ったままで、一向に草むらに入ろうとしない。その時、アニキが御車男に向けて、右手の人差し指と中指の間に親指を差し込むハンドサインをして言った。
「ちょっと待ってろ!」
「お頭にどやされても、知りませんぜ、アニキ」
何だ、何する気だ?
御車男が、めんどくさそうにそう言うと、アニキは、「バレやしねえって!」と言って、彼女の背中を杖の先で小突き、草むらに入らせようとした。
あっ、あの野郎! 彼女を襲うつもりだっ! 朝から盛りやがって、けだものめっ! 奴隷なら何やってもいいっていうのかっ! ムムム〜っ!
しかし、彼女は諦めてしまったのか抵抗もせず、草むらにしゃがみ込んで見えなくなった。
どうする? 魔法ってどうやるんだっけ?
アニキはズボンを脱ごうとしているようだ。
どうすんの? どうすんの? 魔法はイメージ! 魔法はイメージ! 急げ〜。えーと、えーと! ああ、思いつかないっ! ヤバいって! ヤバいって! え〜い! もうっこれだっ!!!
「彼女の前でみっともなく、下痢にでもなっちゃえばいいっ!」
そして、右手を幌の隙間から出し、一心に念じた。
「ほ〜ら、ほら、ほら、下痢にな〜れ!」
って、そんな簡単に魔法が出来るわけないよっ!
ところがその時、アニキが、突然、立ち上がり、御車男に叫んだ!
「お、おい! 女を見張ってくれ! は、早くっ!」
御者台から男が聞いた。
「どうしたんですかい?」
アニキは焦ったように言う。
「いいから早くしろっ! 急に腹が痛えんだっ!」
アニキは、御者台の男に、彼女に繋いだ縄を手渡すと、別の草むらにしゃがみ込んで苦しそうに唸り出した。
えっ!? 下痢? マジで!
さっき、咄嗟にイメージしたのは僕が小学生のとき、不覚にも教室でやらかしたときのあの苦痛。もう、思い出すだけでもトラウマだ。だからこの歳になった今でも詳細にイメージできる。
やっぱり、今の言葉が現実になった? 適当に言葉を発したらそれが魔法になったんだ。言霊って言うけれど、もしかしたら、それかもしれない。
そうか! 意図を込めてイメージすれば魔法になる? きっとそうだ!
ほとんど呪いみたいになっちゃったけど、まぁ、今回は、結果オーライということにしておこう。これで、彼女は襲われずに済んだんだ。でも、これからは言葉に気を付ける必要がある。
彼女が御車男に促されて荷馬車に戻ってきた。今回は酷い目には遭わされなかったけれど、顔はやはり生気がなく目も虚ろだ。彼女が、希望を無くしているのは変わりない。奴隷になってしまうと、あんなふうに人生を諦めるしか無いなんて、過酷過ぎる。
そして、アニキの腹痛が治まると、荷馬車はようやく走り出した。