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1-2 もうひとつの日本(1)

「ここがあなたのお家よ」

 燦燦と舞い降りる午前の日差しの下、我が家だと言って女に連れて来られたのは、見知らぬ二階建ての家だった。

 見渡すと周囲は田園で、元は森だったと思われるなだらかな傾斜地に家々が軒を触れさせんばかりに群立している。隣家との間に垣根はなく、低いコンクリート壁の上にジュラルミンのような軽金属の柵が張られ、なんとも無味な佇まい。

 外壁は最近都会で流行のモルタルのようだ。こんな九州の片田舎でなんとハイカラなことかと(どう)(もく)したが、よく見ると周囲の家々も同様の様子で、土壁の家は一軒もない。

 そのうえ、周りは田園ばかりだというのに、どの家も納屋や牛小屋を構えていない。

 なんとも不思議な光景だ。


 失意のまま迎えた、昨日の夕刻。

 女と娘が去ったあと、扉の外でメシの時間だという女の声が聞こえたが、何が入れられているか分からぬメシなど食えるものかと申し向け、それ以降はなんと声を掛けられても一切応答しなかった。

 私はずいぶん思案した。

 かなりの長きに(わた)り思案を続けたが、己が置かれた状況がいかなるものか理解できず、結局、一度寝て朝になればきっとこの仕掛けから抜け出ていることだろうと、思案することを放棄してベッドに伏せたのだ。

 そしてついに待ち望んだ翌日を迎えたが、仕掛けから抜け出すどころか、私の失意はさらに絶望と化したのだ。


 迎えに来たのは、悠真なる男の母親だと言う、昨日の女。

 女によれば、あの病院は専学の附属病院でも陸軍病院でもなく、この街で一番大きな市立病院だとのことだ。しかし、この街にこんな立派な病院があるとは聞いたことがない。

 女が退院の手続きをしているときに、その目を盗んで事務員に岩国の海軍基地へ連絡をとってくれと頼んだが、事務員はどれもニコニコと笑うばかりで、全く相手にしてくれなかった。

 どうも、私を(きつね)()きだとでも思っている様子だ。

 建物を出たところで振り返り、この病院も昨日窓から見た美しい街並みと同じ、どのような技術で建てられたのか分からない、まるでバベルの塔のような驚異的な高層建築であると分かった。

 圧巻。

 しかし、すぐに我に返り、じわりと周囲を窺った。

 迎えに来たのは、女ひとり。

 この女ひとりなら逃げられる、逃げて国鉄の駅まで走ればなんとかなる、そう思った。

 しかし、私は金もなく軍服も着ておらず、軍人だと申し向けても車掌はにわかに乗せはしまいと思い直し、思い留まった。

 さらに、自決するための拳銃一挺すら身に着けていないことからすれば、おのずと結論は出る。

 そうして諦観に打ちひしがれつつ、私は女についてここまでやって来たのだ。

「あ、ここはお父さんの書斎だから入っちゃだめよ? あとは自由に使っていいから。あなたの部屋は二階ね」

 そう言って女に招き入れられた家の中は、なにやら甘い香りがした。

 香を焚いている様子はないが、どこともしれず春の花のような甘い香りが漂っている。

 廊下は板張りであったが、覗けば顔が映るほどの異常な光沢があり、天井には病院と同じく美しい白い電球が光を放っていた。

 ここが居間だと言って通された部屋は板張りの上に毛織の敷物が敷かれていて、至極洋風。

「そこのソファーに座ってて」

 促されて、居間の端に置かれた柔らかな三人掛けの応接椅子に座る。

 女からテレなんとかを点けてしばらく待つようにと言われたが、意味が分からなかったのでそのままじっと座っていた。

 奥は居間と間続きの台所。

 そこで女はなにやら忙しそうにして、なにか料理を拵えている様子だ。

 それにしても、言語や文化の共通点などからすればここは日本だとも思えるが、どうにも不思議な仕掛けが多すぎる。

 女が乗れと言った自動車は、まるで海野十三が描く空想小説の未来の乗り物のようで、そのうえ、戦闘機を操縦するときのようなベルトまで装着させられた。自動車の運転は腕力が必須で女には到底無理なはずであるのに、あの女はハンドルを軽々と回し、鼻歌など歌っていた。

 さらに度肝を抜かれたのは、空中列車だ。

 烹炊所の大やかんのような、丸くてつやつやの自動車が行き交う大通りの頭上、コンクリートの高い橋桁の上に渡された一本橋を、跨ぐようにして走る鉄の列車。

 どういうわけか煙を吐いておらず、なにやら蜂の羽音のような音を立てて走行していた。

 想像を絶する、大規模で謎だらけの仕掛け。

 これはいったいなんなのだろうか。

 何かの罠のようにも思えるが、たかが一介の下士官を懐柔したところで軍の機密など手に入らないことは、わざわざ思案するにも及ばないはずだ。

 ならばこの女が、いや、この仕掛けの主が目論んでいることはいったいなんなのだろう。それともこれは現実で、仕掛けではないというのか。

 病院で女に着替えるように言われた服は、青いテント地のズボンと白い柔らかな綿のシャツという、何やら米国人が着るような洒落たものであった。

 これは目立つ。

 追手にはすぐ私だと分かる。

 この仕掛けの謎が解けるまで、しばらくは奴らの術に嵌った振りをし、記憶喪失の悠真なる少年に成りすまして様子を窺うのが得策かもしれない。

 気が付くと、女が香りよい紅茶の湯気をなびかせて、応接椅子に座った私の前で笑顔を見せていた。

「悠真? 無理しないでね。少しずつ思い出してくれればいいから」

「はぁ」

 小さく頷いた女は、紅茶を私の前の応接台へそっと置くと、それから敷物の上に膝をついて、私の顔をしげしげと覗き込んだ。

「いい? あなたの名前は横田悠真。高校二年生、十六歳。来月の五月二〇日で十七歳になるわ」

 高校二年、十七歳……。

 つい最近、戦時下であることを鑑みて学校制がまた変わったと聞くが、小学校から七年制高等学校へ進んだのだとしても、これでは全く学年と年齢が合致しない。

「私はあなたのお母さん、()()()。お父さんは(よう)(へい)。お父さん、あなたの退院のために今日はお休みをもらうつもりだったけど、午前中だけどうしても抜けられない仕事があったみたい。もうすぐ帰って来るわ」

「はぁ」

 ニコリと笑った女が、応接台の端に置かれていた黒い(すずり)のようなものを手に取り、居間の窓際の壁に置かれた黒板にそれをかざした。

 ピッと小鳥が啼くような音がして、突然その黒板に映画が映し出される。

 なんと、色付きの映画だ。

 そして、まるでそこにそれがあるかのように、至極鮮明。

 思わず目を疑い、放心する。

 映画は、なにやら広報のような内容で、それに続けて今夜の天気だとか気温だとか、なんとも風変りなことを話していた。

 振り返ったが、映写機が無い。

 どこから投影しているのだろうか。

 しかも、真昼でこんなに部屋が明るいというのに、全く白けることなく鮮やかに投影されている。

 戦況を伝える映画はないのだろうか。

 沖縄はどうなったのだ。

「あのう、ご婦人、大本営発表の映画はないのですか?」

「だいほん……、なに? 映画が観たいの? どんな映画?」

「え? いや……、結構です」

 女はちょっと首を傾げて、それから盆をひらりと引いてゆっくりと立ち上がった。

 再び台所へ向かうようだ。

 私は思わず、女を呼び留めた。

 「あの……、申し訳ありません。いろいろと勝手が違うもので……。どのような仕儀で私をこの仕掛けに閉じ込めているのか分かりませんが、ひとつだけ教えてください」

 女が盆を胸に引き寄せ、じわりと振り返る。

「なに?」

「ご婦人、ここは日本ですか」

 女はすーっと息を吸って、それから瞳をゆらりとさせた。

「そう。ここは日本よ? あなたが小さいときからずっと住んでいる日本。思い出せない?」

「……そうですか。私の知っている日本とずいぶん違うので……。戦争は、どうなったのでしょう」

「戦争? 日本がしてた戦争のこと? 戦争はお母さんが生まれるよりずーっと前に終わって、いまは平和な世の中よ? なんにも心配要らないわ」

 戦争は終わっている?

 いつ終わったのだ。

 私はぐっと肩をすぼめて、それからじわりと項垂れた。


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