3-3 解けかけの謎(2)
見上げると、石段は途中に数か所の平らな部分があり、丘の斜面に沿うように緩やかに折れつつ上へ上へと続き、その両側では歳月を感じさせる鬱蒼とした木々が私たちを見下ろしていた。
言わばここは、石段と森が誘う天上への隧道だ。
足元を見ると、頭上の木々の間から降り注ぐ木漏れ日が、固い石段の上でゆらりと踊っている。
「うわぁ、きれい」
ふたつ目の鳥居の下で、そう言って木々を見上げた結衣さん。その愛らしい横顔に、私は思わず息を飲んだ。
その私を見て、二瀬が邪気いっぱいの笑顔で問う。
「ん? 秋次郎さん、どうかした?」
「い、いや、何でもない」
「へぇ」
石段は、登り詰めで左へと折れ、その真正面にある社殿の前へと我々を促した。
そう大きくない、質素な社。
神額には、『愛宕神社』とあった。
拝殿の手前には年季の入った狛犬が鎮座しており、その台座には、『大正七年三月』の彫文字が窺える。年季からすれば、この狛犬は私が中学生のときに見ていたそのものだ。しかし、狛犬の位置も拝殿の装いも、私が記憶しているものとは違っているように感じた。
「それで、二瀬よ。謎の正体を聞かせてもらえるか?」
「そうだね。秋次郎さんは、死後の世界って……、信じる?」
「うん? 死後の世界……か。我々の時代は信じている者が多かったろう。その世界を信じて、『靖国で会おう』と約し合い、皆、潔く散っていったのだ。私はそんなに信じてはいなかったが」
「そうなんだ。僕は、そんな世界があってもおかしくないって思ってる。僕のお父さんも、『死後の世界は科学的に存在すると思う』って言ってたよ?」
「科学的に?」
「うん。お父さんは、『魂』ってちゃんと僕らの中に存在していて、亡くなった人の『魂』が『魂の通り道』を通って『あの世』へ行くというプロセスは、いつかちゃんと科学的に解明されるんじゃないかって、そう話してた」
そう言えば、『死んだ者の魂があの世へ帰る』という話は、さまざまな宗教や神話に登場する。
そしてそれらは、成立した経緯も国も、民族や時代までもが異なるというのに、なぜか不思議と似通っているものが多い。
それを思うと、実は、未だ科学で解明されていない『魂』と『魂の通り道』の真理がこの世界にはあって、その存在を太古の人々が経験則的に感じ取り、それぞれの宗教や神話に取り入れたとも考えられないことはない。
「まぁ、電波やウイルスだって発見されたのはつい一五〇年くらい前の話だし、科学や医学が発達するまでその存在は全く知られていなかったわけでしょ? だから、『魂』や『魂の通り道』も、まだその存在を確かめられる技術が未発達なだけなんじゃないか……ってね」
幼いとき、婆さまが話してくれた『魂』の話。
つい先日の通夜でも、坊主が偉そうにその話をしていた。
人は肉体に『魂』を宿して『この世』へやって来て、そして一生を終えると、肉体から『魂』が離れ、そして『あの世』へと帰ってゆく。帰った『魂』は浄化されて、いつかまた肉体を得て『この世』へとやって来る。
輪廻転生。
その繰り返される輪廻の中で、『魂』が『あの世』と『この世』を往来する道が、『魂の通り道』ということだ。
「それを踏まえて、ここからは僕の謎解きの答えね」
二瀬が、すっと空を見上げる。
「朝の真っ青な空と光の雲、あれって、僕らに『魂の通り道』が見えたんじゃないかな」
結衣さんがきょとんとしている。
私もにわかにその言葉の真意が理解できず、やや放心して二瀬の愛らしい横顔へと目をやる。すると二瀬は、小さく咳払いをして真剣な面持ちを私へと向けた。
「秋次郎さん、今日は八月六日だよね。それから、僕らがあの真っ青な空と光の雲を見たのは、あの時間……、そして、あのサイレンの下」
二瀬はじっと私を見つめている。
たしかに、今日は八月六日だ。
そしてあのとき、我々は拡声器から流れた黙祷の号令を聞いていた。
思わずハッと二瀬を見た。
「二瀬……、もしや」
「そう考えると、とてもスムーズに話が繋がるよ?」
「あの光の雲……、あれは広島で亡くなった者たちの『魂』だったというのか?」
光の雲の中で踊る光点。
あのひとつひとつが『魂』であり、しかもそれが、広島に落とされた新型爆弾の犠牲となった者たちの御霊だというのか。
結衣さんは泳がせた視線を、ゆらゆらと足元へ落としていた。
じわりと、こめかみに伝った汗。
二瀬は小さく頷いて、さらに真剣な眼差しで言葉を続ける。
「さて問題は、なぜ昭和二〇年の『魂』たちが、現代の僕らに見えたのかってこと」
そうだ。広島市に新型爆弾が使用されたのは、この現代からすれば七〇余年前の昔だ。なぜ、その『魂』たちが、いまこの時代を駆け抜けていくのか。
「これは、あくまで仮説なんだけどね? もしかしたら、僕らが住むこの世界の時間線が、秋次郎さんが居た昭和二〇年の時間線と短絡を起こしているのかもって考えてる」
「時間線?」
「時間って、いろんな条件でどんどん枝分かれしていくらしい。そのひとつひとつの枝が時間線を形成していて、それぞれの瞬間を堆積させながら伸びていくんだって」
これは、とある空想小説で目にしたことがある。
『時間』とは、我々三次元の世界に住む者からすれば普遍的にそこにあるものだが、それは容易にはその存在を覚知できない、実のところは別の次元の存在のようなものらしい。そして、この現代の科学や物理学でも、その真実はいまだ解明されていないもののようだ。
「ちょっと難しいよね。だから、もしタイムマシンが発明されて、いま居る時間線の過去の一点に戻れたとしても、時間はそこからもたくさん枝分かれして未来へ進んでいるから、元居た時間線に戻ることは確率的に不可能なんだって、そんなふうにお父さんは言ってた」
「時間線の……短絡か。しかし、なぜそんなことが起こるのだ」
「原因は全く分からない。ただ、起きている現象を見れば、本当なら交わることのない異なる時間線同士が、短絡してしまったように見えるんだ」
二瀬が、すっと結衣さんへと視線を投げた。
結衣さんは相変わらず目を泳がせていて、二瀬の説明が全く届いていない様子だ。
「柏森さん、秋次郎さんがこの現代へやって来た日、いつだったか覚えている?」
「え? えっと、四月七日だったと思う」
「そうだね。四月七日だ。秋次郎さんには話したけど、その日は戦艦大和が撃沈された日として有名なんだ。戦艦大和の沈没は、四月七日午後二時二三分。そして、悠真くんがグラウンドで倒れたのは四月七日の……、午後二時を回ってしばらくしたときだった」
結衣さんがハッとした。
「二瀬くん、もしかして、秋次郎さんの飛行機を飲み込んだ光の雲って……」
「うん。たぶん……、戦艦大和の乗組員たちの『魂』じゃないかな」
戦慄が走った。
すうっと背筋に冷たいものが流れ、じわりと膝に力が入る。
「ならば……、私は、戦友らの『魂』が『魂の通り道』をひた走るその中を、戦闘機で横切ってしまったというのか」
「うん。そしてそのとき、『魂の通り道』に何か不可解な力が働いて、時間線同士を超える短絡点ができてしまったんじゃないかって思う」
なんたることだ。
たしかに、いままで起こった現象と現在の状況からすれば、この二瀬の仮説は合点がいく。
ごくりと唾を飲み、思わず瞑った目をおずおずと開けた。
五月雨のごとく降り注ぐ蝉の声が、じわりと収まる。
その声がさざめかす濃緑の背景に、一瞬感じた弱弱しい光。
見ると、眼前に狛犬の向こうの小さな社がじわりと浮かび上がり、拝殿の奥の暗がりの本殿に、ご神体である美しい丸鏡が粛然と鎮座しているのが見えた。
その丸鏡が反射する弱弱しい光を背に、二瀬がさらに言葉を続ける。
「秋次郎さん、この前、柏森さんの親戚の家で、鏡の中に別の部屋が見えたって言ってたよね。部屋の様子からすれば、その部屋はたぶん戦時下のどこかだと思う。もしかしたらそれって、その鏡にすごく小さな短絡点ができたのかもしれない」
あの家は、勲が跡を取った宮町の本家だ。
そして、亡くなった踊りの婆さまは、志保の娘。
きっと踊りの婆さまの『魂』は、いまだ近くの『魂の通り道』の中で、さて誰のところへ訪ねて行こうかと思案していたことだろう。
その、婆さまの居る『魂の通り道』が近くにあり、そしてそこに何かの因縁が働いて鏡面に小さな短絡点ができたとしても、それはおかしなことではない。
「もしかすると秋次郎さんは、いや、秋次郎さんの『魂』は、四月七日の大きな『魂の通り道』に遭遇したとき、たまたまその中にできてしまった時間線の短絡点を超えてきてしまったのかも」
ゆっくりと振り返る二瀬。
その真剣な瞳が私を捉える。
「もしそうだとすると、上手くその発生プロセスをコントロールして短絡点を逆に辿れば、秋次郎さんを昭和二〇年に帰すことができるかもしれない」
結衣さんがハッとして、その大きく開いた愛らしい瞳でじわりと私を覗き見上げる。
二瀬はいよいよ真剣な顔になって、さらに言葉を続けた。
「きっと、この神社は『魂の通り道』の大きな通過点なんだと思う。だから、もしこのまま短絡点が維持されたままだったとして、次にここに大きな『魂の通り道』が現れるのは……」
その答えはすぐに予想がついた。
言い淀んだ二瀬は、一瞬足元に瞳を向けて、それからゆっくりとそれを私へと向けた。
「たぶん、八月九日、午前十一時二分」
そうだ。
それは、長崎に新型爆弾が落とされた瞬間。
短絡した時間線同士は、なぜか年代は違うが同じ日付で進行している。
不謹慎だが、今日の光の大移動が広島原爆で命を落とした方々の御霊であるとすれば、八月九日にもそれが起こるという理屈は理解できる。
ふと気が付くと、結衣さんが私の手を握っていた。
もしも、昭和二〇年八月九日に帰ることができれば……、現代を知った私がこの記憶を維持したままあの世界へと戻れたとすれば……、私は、戦後を生きることができるかもしれない。
思わず、薄い嘲笑が出た。
まさか、この私がそのようなことを考えるとは。
私は軍人だ。
この命を国のため、いや、愛する者のために捧げる覚悟をした軍人だ。
死は恐怖ではなく、己の在り様を示す手段であり、そして求める結果であったはずだ。
しかし、いまは違う。
死して護るも勇気、そして生きて護るはさらなる勇気であると、私は理解した。
ここにはなかった、志保と共に戦後を生きる世界。
それを望むことが、私に許されるだろうか。
戦友たちは、許してくれるだろうか。
「でも、なぜ秋次郎さんにだけ短絡点が見えるんだろう。なにか条件があるのかもしれない。僕、もうちょっと考えを整理してみるよ。お父さんにも相談してみる」
二瀬はそう言って姿勢を正すと、社へ向かって小さく頭を下げた。
私も二瀬にならう。
そして、二瀬はぱっと愛らしい笑顔で振り返ると、柔らかに両手を上げた。
「さ、ちょっと長くなっちゃったね。お昼、食べに行こう」
気が付くと、先ほどまでは聞こえなかった蝉の声が、いまは社の上に割れんばかりに響いている。
「行きましょうか。結衣さん」
そう言って私が顔を覗き込むと、結衣さんは小さく頷いた。
そして、なぜかその難しい顔を和ませることなく、そのまま私の手を放さずにじわりと歩き出したのだった。




