2-4 魂の通り道(2)
「ずいぶん熱心だね。キミの家系でも特攻に行った人が居たのかな?」
二瀬の父親が、小さな子どもに掛けるような声色で、背後から私に話し掛けた。
ハッと顔を上げて、鼻をすする。
「あ、いえ、なんとも痛ましい展示なもので。海軍魂、ここに極まれりと感動しております」
「そうか。僕のお爺さんも、いつも『海軍魂』を口癖のように言っていたらしいよ。僕のお爺さんは、『雷』という駆逐艦に乗り組んでいたらしい。大尉だったそうだ」
雷は、第一水雷戦隊に所属していた駆逐艦だ。
駆逐艦とは、戦艦を中心とする陣形の一番外側で警戒し、いち早く潜水艦を発見して魚雷でこれを駆逐する艦種。乗組員は戦艦や巡洋艦と違い、非常に特殊な訓練を要する。
「キミは、駆逐艦『雷』が敵兵を救助した話を知っているかな」
「敵兵を救助っ? そのようなことがあるのですか?」
やや上ずった声に己で驚き、思わず周囲を見回した。
二瀬の父親が笑みをこぼす。
「当時の雷の艦長は工藤俊作少佐といってね。鉄拳制裁を厳禁とし、信頼と慈愛によって艦を団結させた徳の人だったらしい。雷の士気と掃海能力の高さは、全水雷戦隊の中で群を抜いていたらしいよ」
「そんな艦長が居られたのですね」
「うん。面白いエピソードがあるよ。若い見張り員が数キロ離れた海面に潜水艦の潜望鏡らしい物体を見つけて、これで艦内が一挙に戦闘態勢になったが、実は単なる木切れだったってのがあってね」
「それはいかん。見張り員が見間違いをするとは忌忌しきことです」
思わず鼻息が出た。
そしてすぐに、その見張り員が下士官からこっぴどい折檻に遭う姿が目に浮かぶ。
「ははは、そうだね。通常、海軍の見張り員の見間違いは大失態で、ひどい懲罰を受けるものだったらしいが、工藤艦長はこの報告を受けて大笑いしたらしいんだ」
「は?」
「大笑いしながら、『そんな遠くのものを発見できるとは素晴らしい目だ。これからも頑張ってくれ』と激励したらしいよ」
そんな艦長が居るだろうか。本当に居たのならお目にかかりたい。
「はぁ、それは素晴らしい高徳ぶりですね」
「うん。この徳によって治める采配が乗組員の士気を著しく旺盛にしていたらしくてね。それが類稀なる高い掃海能力を雷に保持させたってわけだ」
二瀬の父親が、まるで少年のように瞳を輝かせて賞賛を続ける。
見ると、二瀬はまだ九七戦の前で立ち止まって、かなり熱心に説明文に瞳を向けていた。
「……で、その工藤艦長が敵兵を助けたと」
「あ、そうだ。その話だったね。昭和十七年二月にあったインドネシアのスラバヤ沖の海戦の際、日本海軍から撃沈されたイギリスの駆逐艦があってね。それから脱出したイギリス海軍の将兵四〇〇名余りが、海上に一昼夜漂っていたらしいんだが――」
艦が撃沈されると、燃料である重油が流出して海面を覆う。
何か浮遊物に掴まって、艦が沈むときにできる巨大な渦から逃れられたとしても、この体にまとわり付く重油で視力も身体能力も奪われてしまい、救助が来なければそのまま死を待つことになる。
私は幸い、乗艦が撃沈される悲運に見舞われたことは無い。しかし、その悲惨さは戦友の口から聞いて知っている。
「そこに別命で通りかかった駆逐艦『雷』が、たまたまその漂っている将兵たちを発見したんだ。雷の乗員は二二〇名、その倍近い将兵が浮いていたのだが、キミならどうする?」
「見過ごさざるを得ません。それらを救助して艦に揚げれば、非常に危険な状態になります。最終的に艦を乗っ取られてしまうでしょう」
「そうだね。誰もがそう考える。当然、雷の乗組員たちもそう思っただろう。しかし、工藤艦長はおそらく海軍史上発せられたことが無い、素晴らしい大号令を発したんだ。必要最低限の乗組員を所定の配置に残し、それ以外は全員で『敵兵を救助せよ』ってね」
「は?」
思わず口が開いた。
それは実話であろうか。
命の尊きは、当然、私も理解している。
しかし我々軍人は、死はもとから覚悟しているものであり、海軍軍人として海に死に場所を得られたことは、海軍魂の誉であるのだ。
「日ごろから工藤艦長に絶大な信頼を寄せていた乗組員たちは、この命令に誰ひとり異を唱えなかったそうだ。必死に四〇〇名余りのイギリス兵を救助し、そして彼らの油まみれの体を丁寧にアルコールで拭き、食料を与えて傷の手当などもしたらしい」
敵兵の命も、変わらぬ命ということだ。
「信じられません。そんなことが現実にあったなんて」
「僕の祖父は、工藤艦長の下でこの雷に乗り組んでいたんだ。僕はとても誇りに思っているよ。ただ、そのあと別の艦長になってから一気に艦の士気が落ちてしまったらしく、結局、しばらくして雷は撃沈されてしまったんだけどね」
そのような艦長が本当に居たのであれば、これは大したものだ。まさに、スマートさを旨とする帝國海軍魂の真骨頂と言える。
「雷が撃沈されたとき、工藤艦長は内地に居たそうだ。工藤艦長は、その夜、枕元に雷の乗組員たちが、ひとり、またひとりと駆け寄ってきて輪を作り、しばらくして静かに消えていったと、後年語ったそうだ。それで、遠く離れた雷の撃沈を早々に知ったのだと」
「虫の知らせ……、ですな」
「どうだろう。亡くなった人の魂は、天に昇って行くまでにあちこち寄り道するらしいからね。きっと雷の乗組員たちは天に昇る前に、慕っていた工藤艦長にわざわざ別れを言いに来たんだろう」
ドキリとした。
あの巨大駅の神々しい天幕の下で聴いた、サクソフォーンの音色。
女学生たちが演奏する『彼方の光』を聴き、私はいま、天に昇る前の道程で道に迷っているのだと思った。
私は、どこかへ寄り道しようとしたのだろうか。
誰かに会おうとしたのだろうか。
「その魂たちが、道に迷ってしまうことはないのでしょうか」
「道に迷う? 昔から死者の魂は、『魂の通り道』を通って天に向かうらしいけど、もしもその『魂の通り道』を見失ってしまったら、迷子になることもあるかも知れないね」
「魂の通り道?」
「うん。一説には、霊山や神社仏閣といったスポットがその通り道を結んでいて、最後は天上の世界へと至る門へと繋がっているって言われているね。日本軍の兵たちも、『靖国で会おう』って約束して出撃していったらしいから、きっと靖国神社も『魂の通り道』の一点なんだろうと思う」
ふと、至極幼少の頃に、爺さま婆さまから聞かされた似たような話を思い出した。
人が死ぬと体から魂が抜け出て、その魂は風にでも吹かれたようにふわりと宙に舞い上がるらしい。
そして、いろんな場所にある霊山、神社、寺、川、そういったものが魂が通る道によって網の目のように繋がっていて、死者の魂はこの道を通って想いあるところに訪ねて行くことができるそうだ。
家族、恋人、恩師……、数々の想いある者のところへと飛んで行き、最後はその通り道が行き着く先で門番に声を掛け、あの世へと通してもらう。
ただし、用が済んだら早々に門番に声を掛けないとあの世へ行きそびれる、行きそびれたら誰かに呼んでもらわないと己の居場所が分からなくなってしまうと、なにやらそんな話だったと思う。
「そう言えば、私の婆さまが言っておりました。『あの世へ行きそびれた魂は、誰かに呼んでもらわねば己の居場所を見失う』……と」
「そうか。もしかしたらそういうのが、仏教や陰陽道なんかに通じているのかもね。人の魂の行き着く先を示す、教義とか儀式とか」
「そうですね。それではやはり、私も誰かに呼んでもらわないと、死んでいった戦友たちのところへは行けないのでしょうね」
「さっきから、キミはまるで当時の軍人だったようなことを言うね。面白いな。それにしても、キミはよくこんな話を平然と聞いているなぁ。たいていの人は僕がこんな話をすると、気味悪がっていつの間にか聞かなくなるんだが」
「いえ、とても興味深いお話です。聞けてよかった。天に昇る途中に魂の通り道から少しだけ寄り道して、慕っていた工藤艦長に会いに行ったという乗組員たちの気持ち、とても分かる気がします」
そうして夕方になるまで、私は隅々までこの資料館を感慨深く見て回った。
特攻に行った若者たちの写真をひとつひとつ眺めては、「本当にご苦労さまでした」と言葉を掛けた。
彼らもきっと、魂の通り道を通って思い思いの人や場所に別れを告げて、最後は天の門をくぐって魂の世界へと還ったのだろう。
「私はどうやったら、『魂の通り道』を見付けられるのだろうか」
帰りの自動車では二瀬はいつの間にか寝てしまったので、私はずっと二瀬の父親と海軍談義に花を咲かせた。
そして、暮れゆく紅の空を仰ぎ、盆灯篭の灯りの横で、人の魂が行き着く先のことを穏やかに話してくれた、優しかった婆さまの赤ら顔を思い出していたのだった。




